午後2:00-3:30 除雪作業をしました.
今日は気温が低く, 風もあり, 冷たい雪でした. 流雪溝の水の流れも弱く,ハンディラッセルで投入した雪はすぐに水の中で凍てついて流れを塞いでしまいました. 投入数回ごとに凍てついた雪を取り除く作業をしなければなりませんでした.
除雪をはじめるたとき, 50~60羽のすずめたちが梅の木の枝にとまっているのが見えました.しかし, 今日のスズメたちは, いつものように飛び去って行きません. それどころか, 2~3羽を残してみんな下の枝に移動してしまいました.
除雪を終えて,すずめたちの餌場に玄米を散布してやると,梅の木の下の枝に移動していたすずめたちは梅の木の枝に飛び上がってきて, 私が, すずめの鳴き真似をして "雪に埋もれる前に食べろ!" とこころのなかで呼びかけると, すずめたちは羽ばたきしていました. "わかった" という合図なのでしょうか・・・.
玄関に入ると,妻が,"あなた,前髪が氷柱になってるわよ" とケラケラと笑っていました. 妻はなにかにつけて 妻はなにかについてよく笑います. "だって,あなた,いつもわたしを笑わせるようなことを言ったりしたりするんですもの・・・" といいますが, 私はそんなつもりで言ったりしたりしたことはありません. ヤッケのフードからでた前髪が氷柱になって櫛をさしたようになっていても,笑うほど面白いことではないと思うのですが・・・. いつも悲しんでいるより,いつも笑顔を見せて笑っている妻のほうが, 私にはふさわしいと, 神さまが与えてくださったのでしょう.
着替えたあと,妻が,ゆずの香りのする生姜湯を入れてくれました.
居間のパソコンの前に座ったとき, テレビのスイッチを入れましたが,そのとき,画面にあらわれたのが,NHKの "父が隠した『家族』-愛媛・鬼北町" という番組・・・. 岡山の長島にかかった橋の姿が流されていました. 私は一度, 教会の青年会で長島の日本基督教団光明園家族教会に方々と合同礼拝を守ったことがあります. その時のことは, 私のBlogger上のブログ "海は生きている"に "虫明の海" という題の詩を掲載しています.
私は,ハンセン氏病といわないで "癩病" といいます. ハンセン病というとなんの病気なのか一読してすぐにはわかりません. 私は, "癩病" は 抗酸菌の一種 "癩菌" による細菌感染症であると思っていますので,それを忘れないためにも "癩病" と言う言葉を使い続けています. 誰でももうひとつの抗酸菌である結核菌に感染する可能性があるのと同じように, 癩菌にも感染する可能性があります. "癩病" は, ひとつの細菌感染症でしかありません.
"虫明の海" という詩を転載します. 写真は, Googleの人工知能Geminiさんが作ってくださった写真です.
虫明の海
高校3年生のとき
Sweden Covenant Missionで
洗礼を受けて2年目
青年会で
虫明の海に浮かぶ長島にある
キリスト教会を
訪問することになった.
その島には
"癩園" が2つあった,
ひとつは軽度の患者が "収容" されている光明園
もうひとつは重度の患者が "収容" されている愛生園
映画 "小島の春" の舞台となった場所だ.
私達が尋ねたのは愛生園ではなく
光明園だった.
そのときは梅雨の時期
長島に行く山道は狭く
シトシトと雨が降るなか
くるまに乗り合わせて
桟橋についた.
私は
"癩病" と診断された人々が
あの山道を歩いて
この桟橋までたどり着いたのかと思うと
胸が張り裂ける思いがした.
梅雨の雨で
土砂が流れ込んだ
虫明の海は
黄土色に濁って
渡し船がつくる航跡も
水の泡も黄色だった.
私達は
光明園の方々の暮らす
部屋を紹介してもらって
その話をお聞きした.
そして
日本基督教団光明園家族教会で
光明園のキリスト者と一緒に
礼拝を守った.
その礼拝堂の中に
20cmほどの高さの仕切りがあった.
癩病にかかったキリスト者と
そうでないキリスト者の間を
隔てる仕切り・・・.
簡単にまたいで乗り越える仕切りなのに
心理的には乗り越えがたい
大きな障壁であると感じた.
私は病院で臨床病理検査に従事していたが
私の職務は
一般検査と細菌学的検査だった.
あるとき
乳飲み子を抱いたおかあさんから
癩菌を検出した.
そのとき
あの虫明の海のことを思い出した.
このおかあさんも
乳飲み子と引き裂かれて
あの癩園に送られるのだろうか?
私はそのおかあさんの骨髄液から
癩菌を検出したことに罪悪感を覚えた.
心配して
看護婦長さんにそのことを話すと
婦長さんは
"それは違います.
あなたがはやく癩菌を見つけたことで
早期治療ができるようになったのですから
あのおかあさんはきっと助かります."
と言った.
"それでも, 長島に送られるのでは?"と
問いかけると
婦長さんは
"そんなことはさせません.
乳飲み子と引き離して
おかあさんを癩園に送るなんて
そんなこと
人間としてできません!"といって
医師に代わって
保健所と交渉して
通院治療を認めさせた.
その看護婦長さんは
ほんとうに
看護婦のなかの看護婦さんだった.
私が勤めていた病院の
臨床病理の先生は
"抗酸菌には2種類ある.
ひとつは結核菌
もうひとつは癩菌
どちらも同じ菌なので
結核予防の注射が癩病予防につながった.
日本から癩病患者激減した" と話していた.
そして
こんな荒っぽい説を展開した.
"体の中が癩になったのを結核といい
体の外が結核になったのを癩という" と.
日本基督教団の牧師になるために
鶴川学院農村伝道神学校に入る前
Sweden Covenant Missionの日本人牧師から
岡山のCLCで1年間奉仕して
岡山・鳥取の両県と兵庫県の西にある
すべての教会をまわって
尊敬できる牧師にであったら
その牧師が出た神学校に行ったほうがいいと
すすめられた.
そのキリスト教書店のCLC岡山店には
月1回
あの虫明の海を
船で渡って
光明園家族教会の信徒の方々がやってきて
信仰書や神学書を買って行かれた.
そのときいろいろな話を
お伺いすることができた.
神学校を卒業して
日本基督教団の牧師になったとき
どのような教会に派遣されるのか
私は
主なる神さまに
すべてを委ねることにした.




