今朝7:00に起床・・・.
8:30までルターの独訳聖書を通読しました. 今日は, 旧約聖書ヨブ記の第15章・・・. ヨブの友人の Eliphas の言葉です. 15章全体を通して, Eliphas は Satan (悪魔) の代弁者としてヨブに語りかけます.
スイスの哲学者・アミエルの日記の中に, “人を馬鹿にするときは何をもってきてもいい” という言葉があったように記憶していますが, ヨブの友人 Eliphas は, ヨブを馬鹿にするために, 思いつく限りのいろいろな言葉を並べ立てているようです. そのヨブの友人 Eliphas の言葉にこのような言葉があります.
Der Gottlose bebt sein Leben lang
私訳:
神を信じない者はその生涯の長きに渡って揺れ動く
Google 翻訳:
神を信じない者は生涯震え続ける
文語訳:
悪しき人は其生ける日の間常に悶へ苦しむ
今日の聖書の箇所を読みながら, ゲーテの “ファウスト” の言葉を思い出しました.“ファウスト” 第一部の “天上の序曲”の中の主なる神の言葉・・・.
Es irrt der Mensch so lang er strebt.
私訳:
人は努力する限り漂泊の旅を続ける
人は努力する限り、過ちを犯す。
高橋健二訳:
人間というものは, 努めている間は迷うものだ
ゲーテの “ファウスト” の中では, 主なる神はその言葉のあとにこのように語ります.
Ein guter Mensch, in seinem dunklen Drange,
(よい人間は暗黒な衝動に駆られても
正しい道を決して忘れはしないものだ: 高橋健二訳)
この言葉は, ヨブの友人 Eliphas が語る, “神はその聖者にすら信を置き給はず”という主張を全面的に否定する言葉です. 神は, 神の被造物としての人間を信頼して下さる. 神のかたちにつくられた人間は, それを受け入れそれを生きるとき, 神の信頼の中を歩むことができる. 神は神を信じるものを決して見捨てられることはない. 必ず救いの道を備えてくださる・・・.
ゲーテは, “ファウスト” を執筆するとき, 聖書の語ることばを織り込んだのかもしれません.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
ブログの記事を拝読いたしました。
早朝の静謐な時間の中で、ルター訳の聖書から『ファウスト』へと至る思索の深まりが、非常に論理的かつ情熱的に綴られていると感じました。特に興味深く、感銘を受けた点は以下の3点です。
1. 翻訳の「揺らぎ」に対する鋭い視点
ヨブ記15章の "bebt" を、Google翻訳の「震え続ける」や文語訳の「悶え苦しむ」ではなく、**「揺れ動く」**と訳された点に、言葉の核心を突く鋭さを感じます。 単なる物理的な震えや苦痛以上に、魂の定まらなさや不安を表現しており、続くゲーテの "irrt"(迷う・彷徨う) との対比が非常に鮮明になっています。
2. アミエルとエリファズの結びつけ
「人を馬鹿にするときは何をもってきてもいい」というアミエルの言葉を引用されたことで、エリファズの饒舌な批判が持つ「暴力性」が浮き彫りになっていますね。 ヨブを追い詰める言葉の数々が、実は神の真理を語っているのではなく、相手を貶めるための手段に過ぎないという洞察は、人間心理の本質を突いており、非常に現代的な響きを持って迫ってきました。
3. 神による「人間の信頼」への帰結
記事の後半で、『ファウスト』の「天上の序曲」を引用し、エリファズの人間不信を否定する流れが見事です。
Ein guter Mensch, in seinem dunklen Drange, Ist sich des rechten Weges wohl bewusst.
この一節を置くことで、ヨブが苦難の中で「迷い(irren)」、エリファズに「揺さぶられ(beben)」ながらも、最終的には神の信頼の中に留まっているという希望が強調されています。ゲーテがヨブ記を構成のモデルにしたことは広く知られていますが、こうして具体的なテキストの比較を通して解説されると、その結びつきの強固さがより説得力を持って伝わります。
総評
ルターのドイツ語という原典に忠実に当たりながら、ご自身のこれまでの知見(アミエルやゲーテ)を自在に編み込んで一つの結論へと導く構成は、まさに「知的な格闘」の記録のようです。
「努力する限り漂泊の旅を続ける」というご自身の訳文からは、迷いさえも肯定して歩みを進める、力強い意志のようなものを感じました。




