今日は, 午前8:30-10:00 棚田の田で草刈りをしました.
今日は妻が所用でひとりででかけましたので, 妻がでかけたあと, ひとりで棚田の田で草刈り作業をはじめました.
まず, 棚田の中段の温水田と田畑転換した畑の間の畔と排水路・通路の草刈りをしました. ハナショウブを植えている場所は,ハナショウブのまわりを手作業で序章したあと,刈払機で草刈りをしました.
そのあと, 山側の農業用排水路の, 妻の実家の棚田の田の側のなぞえを刈払機で草刈りをしました.農業用排水路の山側は, 枯れ木や倒木がたまって, 刈払機で草刈りをするのは大変・・・. それに, 秋の七草が自生していますので, 刈払機で草刈りをするのはためらいがあります.
今日はくもりで風が吹くと天気予報されていたのですが, 午前8:30から作業を始めたのですが, 10:00近くになりますと, 日が射して, 頭部が熱気をおびてきました.熱中症予防のため,草刈り中断・・・.
作業を終え, 電気柵のスイッチを入れようとしますと, そのスイッチのすぐそばに,日本アマガエルの雄と雌が並んで居座っていました. 私がスイッチに手を伸ばしても, 微動だにせず, 2匹とも私の方をじっと見つめていました.
帰る前に, コシヒカリの田の出穂状況を確認しました. 1株16-24本のうち4-6本穂が出ていました. 一挙に穂が出始めているようです. コシヒカリの田の畔を一周しましたが, ほとんど同時に出穂しているようです. 20-25%出穂しているようです.
隠退牧師の百姓日記
2013年4月1日に日本基督教団の隠退牧師になったあと、妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農、有機無農薬で米と野菜を栽培して百姓暮らしをしています。その雑想です。
2025/08/15
午前8:30-10:00 棚田の田で草刈り・・・
今朝は4:30に起床して・・・
今朝は, 4:30に起床して,ルターの独訳聖書を通読しました.
今日の聖書の箇所は, 旧約聖書神学上では "原信仰告白" と言われている箇所です.聖書の信仰告白の歴史的な核といえる箇所です.
Mein Vater war ein Aramer, dem Umkommen nahe,und zog hinab nach Agypten und war dort ein Fremdling mit wenig Leuten und ・・・.
口語訳聖書では, 次のように訳されています.
"わたしの先祖は,さすらいの一アラム人でありましたが, わずかな人を連れてエジプトへ下って行って,そのところに寄留し・・・"
"さすらいの一アラム人" という少しくメルヘンチックな表現で訳されていますが, ルター訳では, "ein Aramer, dem Umkommen nahe" と訳されています.Casioの電子辞書で訳すと, "死に瀕したアラム人" ・・・. "寄留し・・・"は, "ein Fremdling" (余所者)・・・.
精通していない外国語で聖書を読むと,一語一語その辞書を引いてその意味を確認することになりますが, そのことは, 聖書解釈の視点・視角・視座をより広く,より深く,より高くしてくれます.
ヘブル語聖書では, אבד ですが, このヘブル語も"A concise Hebrew and Aramaic Lexicon of the Old Testament") によると多様な意味をもっているようです. 6つある意味の3番目は, "near to ruin" ・・・. どの訳も, 翻訳者の視点・視角・視座が色濃く反映されているようです.
聖書の神といつどこでどのように出会ったことがあるのか・・・,翻訳者のその信仰体験が大きく影響しているようです.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
これは非常に興味深いブログ記事ですね。朝の読書から深い考察を導き出していて、とても素晴らしいと思います。感想をいくつかお伝えしますね。
全体的な感想
早朝に起きて聖書を読み、それをブログに書くという習慣が素晴らしいですね。読書を通じて、単に文章を読むだけでなく、異なる言語や翻訳を比較しながら深く考察している点が、記事に厚みを与えています。特に、ルターのドイツ語訳聖書と口語訳聖書を比較し、それぞれの翻訳に込められた意図や背景を読み解こうとする姿勢は、読者にとっても新たな発見につながるのではないでしょうか。
具体的なポイント
多言語での比較: ドイツ語、日本語、さらにはヘブライ語の単語まで掘り下げているのが印象的です。単語一つをとっても、翻訳者によって「さすらいの」や「死に瀕した」など、まったく異なるニュアンスになることがよくわかります。この比較によって、言葉の奥深さが伝わってきますね。
翻訳と解釈: 「翻訳者のその信仰体験が大きく影響している」という結論は、非常に核心をついた考察だと思います。翻訳は単なる言葉の置き換えではなく、翻訳者自身の解釈や信仰が反映された創作物でもある、という視点はとても重要です。この視点があることで、読者は聖書をより多角的に捉えられるようになります。
個人的な学び: 聖書を外国語で読むことで「聖書解釈の視点・視角・視座をより広く、より深く、より高くしてくれる」という部分は、読書や学び全般に当てはまることだと感じました。知らない言語で原典に触れることの重要性を、改めて考えさせられます。
より良くするための提案
このブログ記事はすでに完成度が高いですが、読者への問いかけを加えることで、さらに交流が生まれるかもしれません。
読者への問いかけ: 記事の最後に、「みなさんにとっての『死に瀕した』や『さすらいの』に当たるような、心に残る聖書の言葉はありますか?」のように質問を投げかけることで、読者とのコメント欄での対話が期待できます。
具体的な例: 翻訳者の信仰体験が反映されている例として、もう少し具体的なエピソードや背景を調べて加えると、さらに説得力が増すかもしれません。たとえば、ルターがなぜ「死に瀕した」という言葉を選んだのか、その時代の背景や彼の思想と結びつけて説明するなどです。
これらの提案はあくまで一例です。このままのスタイルでも、あなたの深い考察が伝わる素晴らしい記事だと思います。これからも楽しみにしています。
2025/08/14
はえぬき (中稲) の穂が出揃う・・・
コシヒカリの田で穂がではじめて,三番草取りを止めたのが8月9日・・・. それから4日間, 全国的に雨が降っていましたが, 妻のふるさと・湖南の赤津村も例外ではありませんでした. 時折,バケツを引っくり返したような雨が降っていました.
時々, 棚田の田のイネの出穂状況を確認に出かけましたが, 雨のため,コシヒカリの出穂は中断されていました.
今朝3:30に起床して, ルターの独訳聖書を通読しました. "よそもん・余所者" (Fremdling) に対する言葉がありました. "よそもん" に対する "ここらのもん" の排除・疎外,誹謗中傷・罵詈雑言の風俗・習俗は古今東西同じなのかもしれません. 強弱・大小・深浅の違いこそあれ・・・.
そのあと, 棚田の田に行って,午前6:00‐8:30まで, 草刈りを始めました. 雨が降り続いたこともあって,草がいたるところで繁茂していますので,棚田の上段・中段・下段の田を上から順番に刈払機で草刈りをすることにしました.
それでまず, 軽トラを駐車するための場所の草刈り,そのあとそこから,農業用ビニールハウスまでのあぜ道の草刈り・・・. そのあと, 長さ28mのトマトの雨よけ栽培用トンネルの周囲の草取りを手作業で行いました. 地際から防獣ネットを張っていますので, そのネットを鎌代わりにして手でむしり取って行きます.手でむしり取ることができない草は鎌で刈り取って行きました. そのあと, トンネルの南側にそって妻が栽培していた花壇の草を金象印のアルミ製の三角法で刈り取って行きました. イネの周りのヒエをピンポイントで刈り取るときの要領で・・・.
そのうち, 日差しが差し込んできはじめましたので,手作業で草取りをした部分の周囲を刈払機で刈り取って行きました.濡れタオルを頭に載せて,その上から虫除け用のネットつき麦わら帽子を被っているのですが, 夏の日差しであたまが熱を帯びてボーとして来ます. やっと熱中症の後遺症から回復したのにまた熱中症がぶり返してはいけないので, 草刈り作業を中段して帰って来ました.
帰るときに, 早稲のヒメノモチの穂が垂れていること, 中稲のはえぬきの穂が出揃ったこと, 今朝,雨がやんで晴れたこともあって,晩稲のコシヒカリの田では10%ほど穂がでていることを確認しました. 每年, 穂が出揃うのは, 早稲のヒメノモチは8月5日頃,中稲の早稲は8月15日頃,晩稲のコシヒカリは8月25日頃, 穂が出そろうことになります.
今年も例年通りの出穂になりそうです. イネを育ててくださる主なる神さまに感謝しながら棚田をあとにしました.
妻は今朝は, 段々畑でダイコンの種まきをしていました.
2025/08/13
ハチの引っ越し大作戦・・・
日本基督教団西中国教区の山口のちさな教会の牧師をしていたとき, アシナガバチやスズメバチがよく軒下に巣を作っていました.
ハチの巣が大きくなると素人では取り除くことができなくなりますので, ハチの巣がまだ小さいとき, コブシ大のときに取り除くことがベターです. ハチが巣を作り出しているのを確認したとき, 速やかにハチに巣つくりを諦めてもらうようにします. その方法は,
ハチの羽は細長いので雨にあたると羽が重くなってハチの動きが鈍くなります. そのためハチは雨を嫌うのですが, それを利用して, ハチの巣に朝・昼・夕,水道の水を吹き付けます.水道の栓をひねれば,ハチの巣に散水できるようにホースを固定して, 朝・昼・夕, 水道の栓をひねってハチの巣に散水します. 3~4日続ければ,ハチは巣作りを断念して,その巣を放棄して何処かに行ってしまいます.
妻と私は, それを, アシナガバチやスズメバチの引っ越し大作戦と呼んでいました. ハチを1匹も殺さないで, ハチの巣作りを断念してもらうので・・・.巣からハチがいなくなったときを見計らって,4.5mのチヌ釣り用の竿などを使って,ハチの巣を取り除きます.妻と私の経験では, 20cmの大きさまでなら, 水の力だけで, ハチの巣を取り除くことができます.
ジェット式の殺虫剤を吹きかけると,ハチはその手を刺しにやってきて,攻撃されますが, 水道の栓をひねると同時に家の中に退避すればハチの攻撃を受けることはありません.
どの種類のハチも雨を嫌います. 人工的な雨も嫌いです. 自然の雨や人工的な雨がかかるところで巣作りはしません.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
あなたのブログ記事を拝読しました。具体的な経験に基づいた、とても興味深い内容ですね。
特に、蜂を殺さずに巣を撤去するというアプローチが素晴らしいと思いました。「引っ越し大作戦」というネーミングも、この優しい方法をうまく表現していて、読者の心に残りやすいでしょう。
記事全体が簡潔にまとまっていて読みやすく、蜂の習性を利用したユニークな方法がわかりやすく書かれています。水を使った撤去方法、危険を避けるための退避のタイミング、そしてチヌ釣り用の竿を使うという具体的な工夫など、読者が「これなら自分でもできるかも」と思えるようなヒントが満載です。
もし可能であれば、以下のような点を付け加えると、さらに読者の役に立つ記事になるかもしれません。
危険性への注意喚起: 記事中にも触れられていますが、スズメバチは特に危険性が高いです。読者が安易に真似をして危険な目に遭わないよう、「スズメバチの場合は専門家に相談することも検討してください」といった注意喚起を追記すると、より親切な記事になるでしょう。
写真やイラスト: もし可能であれば、ホースを固定している様子や、チヌ釣り用の竿で巣を取っている様子などの写真やイラストを添えると、よりイメージが湧きやすくなるかと思います。
素晴らしい記事をありがとうございました。この方法を実践する人が増えれば、蜂と人間が共存する社会に一歩近づくかもしれませんね。
お墓にはスズメバチの姿なし・・・
午前中, ひとりで妻の実家のお墓にでかけました.
花瓶にさす水と花束をもって・・・. 途中, 小枝町の一家族に出会いました. 墓参りに来られたようです. 3人とも普通の服装・・・. それに引き換え, 私は, 完全防虫対策の出で立ち・・・.
お墓に点いてみると, そこにはスズメバチの姿は1匹もありませんでした. 大きな巣があった場所は, スズメバチたちにとって安全な場所ではないと学習したのでしょう. スズメバチたちにそこが安全な場所ではないことを教えてやると,スズメバチはその巣を放棄して他所に移動するのが常・・・. いわゆるスズメバチたちによる無血開城・・・.
昨日は,妻が刺されたので戦闘状態になりました. その結果,逃げ出したスズメバチの他はすべて私によって駆除されました. スズメバチと戦うことで, 私は, スズメバチたちの天敵であるクマと同じ存在になったのかもしれません. スズメバチの姿が1匹もいないのには, 少しく期待ハズレの感を持ちましたが, 無益な殺生に陥らないで助かりました.
お墓の花瓶に水を入れたあと, Made in China のポリタンクが爆発,水がすべて無駄になってしまいました. 墓石の水洗いの仕上げをしようと思っていたのですが, お盆の最後の日16日に延期することにしました.
ハチに刺されたひとたち・・・
今朝, 有機無農薬で栽培した野菜を, 野菜直売所・湖南四季の里に出展して帰ってきた妻が, ハチに刺された人たちの情報を持ち帰りました.
四季の里に野菜を出展している赤津村のプロの農家の方が, "一度ハチにさされた場所には近寄らない方がいい" と話していたとか・・・. 妻は,"お墓にはもう行かない.あなた, 花を活けてくれる?" と語りかけて来ました. 私は, すぐ承諾・・・. "A子さんを襲ったハチを皆殺しにしたと言ったけれど, 逃げて行ったハチも少なくないから, 今日お墓に行くと, その逃げたハチがまた襲ってくるかも知れないから, 行かないほうがいい. 私は, ハチと戦争するクマみたいなものだと思われているから,もう刺される心配はないから, 私ひとりで花を活けてくる・・・" と答えました.
妻は,その農家の方から,昨日, 神社の草刈りをしていた, 湖南の赤津村の名士の方が,ハチに刺されて救急車で病院に運ばれたと聞かされたそうです. 顔見知りの農家なので, 私もびっくり・・・. 蜂の巣は木の上ばかりではなく土の上にも作られますので,刈払機でその蜂の巣を刈ったときはその蜂に集団で襲われることになります.
日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたとき, 礼拝堂や牧師館の軒下につくられたスズメバチの巣を自分で撤去していました.1匹のスズメバチも殺すことなく,平和裏にその巣を放棄してもらったのですが, 刈払機や鎌で草を刈っているときにスズメバチに襲われるとパニックになりなかなか冷静に対応することができません. スズメバチに刺されないように逃げ出すとスズメバチは逆に襲ってきてあちらこちらを刺されまくられることになります. そのときは,覚悟を決めて,スズメバチと戦う以外に被害を少なくする方法はありません.
それにしても,妻を襲っていた数十匹と,巣の中に残っていた数十匹のキイロスズメバチを相手に戦って,私が1度も刺されなかったのは "奇跡"・・・. 毎日のアブとの戦いで,アブの羽音の聞こえる方向と大きさから背後にいるアブを特定,濡れタオルでしばき落とすことに熟練していた私ならではの方法で対処したとしても,1度も刺されなかったのはやはり "奇跡"・・・.
昨日, スズメバチと戦ったあと,墓石を水で洗浄してきましたので,今日は,花を活けて速やかに帰るだけ・・・.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
ブログ記事拝見しました。ご自身の体験と、地域で起こった出来事を交えながら、ハチの危険性と向き合う様子が伝わってくる、臨場感あふれる内容ですね。
特に印象に残った点をいくつか挙げさせていただきます。
独特の表現とユーモア
「ハチと戦争するクマみたいなものだと思われているから」という奥様への返答や、「アブの羽音の聞こえる方向と大きさから背後にいるアブを特定」といった表現がユニークで、読み手の興味を引きます。危険な状況の中にもユーモアを交えることで、記事全体が重くなりすぎず、軽快な雰囲気になっています。
プロの農家や地域の人々との交流
野菜の直売所での情報交換や、地域の名士の出来事を通じて、コミュニティの中で生活されている様子がうかがえます。ハチに刺されたという共通の話題が、地域の人々とのつながりをより強くしているのかもしれませんね。
牧師としての経験
日本基督教団西中国教区の牧師だった頃のお話は、ハチとの「平和裏な」関わり方を知る上で興味深いエピソードです。「スズメバチを殺すことなく巣を放棄させた」という記述は、ハチとの戦いを「戦争」と表現する一方で、命を尊重する姿勢も持ち合わせていることを示しており、あなたの多面的な人柄が感じられます。
「奇跡」の強調
スズメバチと戦って一度も刺されなかったことを「奇跡」と表現している部分が、あなたの謙虚さや、運の良さへの感謝の気持ちを表しているように感じました。また、アブとの「毎日の戦い」で培われたスキルが、その「奇跡」に繋がったという考察も面白いですね。
全体として、単なるハチにまつわる怖い話ではなく、ご自身の体験や哲学、そして日々の暮らしぶりが垣間見える、個性的なブログ記事だと思いました。
今朝4:00に起床, 熱中症の症状が完全に治まる・・・
8月9日の農作業で熱中症の症状が出たのですが, 今朝4:00に起床したときは, すっかり熱中症の症状はおさまっていました. 歩くのも違和感がなく, 普通通りに歩くことができました.
今朝はゆっくり, ルターの独訳聖書を通読することができました. 聖書の時代のイスラエルにおいて日常生活における法とその遵守が記されていました. "不法" は聖書の神が最も忌み嫌うもの・・・. 今朝読んだ申命記の箇所には, 農村的地域社会におけるひととして生きる道が記されていました. 小麦・オリーブ・ぶどうの収穫に際して, 聖書の神が良しとされる農家のふるまいとは・・・.
"ここらは昔から盗ったり盗られたりしてやってきたんだ. 少々盗られたからといって文句言うんでねえ. 盗られてくやしかったらおめえらも他の農家から盗ってきたらええべえ.それであいこだべえ!" と口を揃えて言うプロの農家たち・・・.聖書のことばからみますと, 神がもっとも忌み嫌われる生き方の典型です. "ここらのもん" は熱心な神道と仏教の信者であるようですが,どんな神道でどんな仏教なのでしょうね? 私が知っている神道と仏教の道とは大きく逸脱したものであると思われるのですが・・・.
"おめえ,なしてくってんだ? 3万ぽっちの年金で食っていけるわけねえべえ? まさか盗人してるんではあるめえなあ?"
"おめえ,なして働きにいかねんだ? 家でぶらぶらしてコメや野菜をつくってるから,みんなに, おめえは髪結い亭主だといってバカにされんだ."
"ここらのもんはおめえらにコメや野菜の作り方を教えてくれねえべえ? みんなで教えねえことになってんだ."
聖書では, "よそもん" に対する不当な扱いは, 聖書の神のおしえに反することとして禁止されているのですが・・・.郷にはいっても郷に従うことなく, 聖書の神のことばに生きる妻と私は, 村八分ならぬ村十分も馬耳東風のごとく生きています.地元の商店が売ってくれなくても, 猪苗代や郡山,須賀川や会津若松のスーパーで安価にまとめがいすればいいので・・・. 定価より高い食品・商品を購入す必要はありません.
典型的な閉鎖的な農村的地域社会の中で自主独立して生きていくためには, 信仰と健康と質素な暮らしが大切です.
2025/08/12
お墓の掃除をしていて妻がハチに刺される・・・
明日からお盆・・・.
諏訪神社の近くにある共同墓地には, お盆のとき墓参りにやってくる人が少なくないので, 午前中, 妻と妻の実家のお墓,妻のおとうさん・おかあさん・おねえさんの3人の遺骨がおさめられているお墓の掃除にでかけました.
私は, 下草刈り用のチップソーと小型二枚刃を装着した刈払機で地際から草を刈り取って行き,アメリカンレーキで集めて後片付けをしていたとき, お墓のまわりの草を鎌で刈っていた妻が,"ハチにさされた!" と大きな声を出しますので, 妻の方を見ると,数十匹のキイロスズメバチが妻の周りを飛び交っていました.
私は, そのキイロスズメバチを手で払いながら,妻に, "家に戻ってアンモニアで毒を中和して,医者に行って!" と妻を家に戻しました.キイロスズメバチが妻を追いかけないように,妻の身代わりになって, キイロスズメバチを攻撃・・・. スズメバチに襲われたとき, スズメバチとの戦い方は,日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたとき, 庭からスズメバチたちに撤去してもらう方法を身に着けました.それを思い出しながら,
・巣の外にいるキイロスズメバチの動きを鈍らせる
・巣の中にいるキイロスズメバチが巣の外に出ていかないようにする
・巣を潰す
・巣を取り除き離れた場所に捨てる
・それでも人間に攻撃しかけてくるキイロスズメバチを濡れタオルではたき落とす
・下に落ちたキイロスズメバチ足で踏みつけて殺す
キイロスズメバチとの戦争・・・. ミツバチなら群れで囲まれてもじっとして攻撃の意思がないことを示せば,ミツバチは離れて行きますが,すでに妻を刺したキイロスズメバチにその手は通用しません. 戦いあるのみ・・・. 私を取り巻いている数十匹のキイロスズメバチを皆殺しにしました. その戦いで, 私は一度も刺される事はありませんでした.
スズメバチとの戦いに勝利するためには,
・巣の外にいるキイロスズメバチの動きを鈍らせる
・巣の中にいるキイロスズメバチが巣の外に出ていかないようにする
戦争のために港から出て行こうとする軍艦を港から出て行けないようにすること, 相手の動きを封じたのち攻撃を仕掛けることで海戦に勝利することができます. 航空母艦 (キイロスズメバチの巣)から飛び立ってくる戦闘機 (キイロスズメバチ)を狙い撃ちする.仲間を呼びにくる時間的ゆとりがないように,無慈悲に攻撃する・・・.
治療を終えた妻が戻ってきて, 再びお墓にのぼってこないように,家の前の国道294号線の旧道と新道の交差点に立って,雨の中, 傘をさして, 妻の帰りを待ちました.
部落学序説を執筆したのは2005年・・・
無学歴・無資格 (Academic Outsider)の私が,インターネット上のブログで "部落学序説"として公開執筆をはじめたのは2005年5月・・・.
そのために用いた史資料は, "部落学序説" の "参考文献一覧" に列挙しています. ほとんどの史資料は, 徳山市立中央図書館郷土資料室と山口県立図書館で閲覧することができます. 私が日本基督教団の牧師をしていた下松市の市会議員や教育長が所有していた同和地区・同和教育・同和対策事業関連の一次資料も含まれていますが,それらがなくても,"部落学序説" の執筆の方向性と内容についてはほとんど影響されることはありません.
私が60歳になり年金の一部が入るようになってから, "部落学序説"の読者である京都大学大学院をでられた 日本文化史研究者の方から, "国の同和対策事業が終了して,部落問題・部落史研究の学者・研究者・教育者がこぞって関連史資料を古書店に一括して売却している,'部落学序説'の執筆を継続するなら,今が安価に入手できるチャンスです "と言って, 上記の下松市の同和関係文書と雑誌"部落"の復刻版, 浄土真宗の内部資料などの提供を受けました.それで集めに集めた基本的な史資料は約300冊・・・.
日本基督教団の隠退牧師になって, 東北福島の妻の実家のある湖南町赤津村に帰郷・帰農してからは百姓暮らしに忙しく, なかなか"部落学序説"の続きを書き始めることができませんでした. そして, 十年一昔で計算すれば, "部落学序説"の描き下ろし執筆は二昔前の出来事になってしましました.それで, ここ数年, 2005年移行に出版された部落問題・部落史研究の書籍を追加収集してきましたがその数50~60冊・・・.
今日,塩見鮮一郎著 "弾左衛門とその時代" (河出文庫 2008年) を読んでいましたが,その第1章にこんな記事がありました.
"かってわたしは部落差別問題のメルクマールは,結婚差別なのかと思っていたが,部落民同士の結婚が50%をきって久しいのを見ると,あとは部落の地名の公開をもって「解放」としていいだろうと思っている.近代の差別は, されるものとの関係性によっている.両者の関係で,なにを「しるし」として差別するのかという知識が共有されなければならない.部落差別にあっては集住が指標にされた. 身体上にちがいが見つけられなかったので, 運動体は「地名リスト」を隠したのだが, それがまた寝た子を寝たままにするのと変わらない. 「告白以前の丑松」のような生き方を批判しながら,一方で部落の所在地を隠蔽するのは,道徳のダブルスタンダードである. それが緊急的な避難処置であったのはよくわかるが,いつまでもそこに安住してはいけない. 部落の責任ある組織でもって地名を段階的に公表して,それでも差別が起こらないのが,わたしたちの目標になる".
"部落学序説" 執筆に際しては,被差別部落の地名は相対座標で表記しました. たとえば,徳山藩の山陽道沿いの4個所の穢多村の系譜を引く被差別部落は東穢多村・西穢多村・南穢多村・北穢多村として表記してきましたが,部落解放同盟からは, 被差別部落の地名を相対座標で表現するのは吉田向学の差別性のしるしであると批判を受ける事になりました. 長州藩の被差別部落については実名表記,人名については実名表記すべきであると・・・. 私は, その批判・要望を受け入れることなく, 地名・人名を実名表記したければ,部落解放同盟の側が自己責任で行うべきであると反論して, その後は見解が分かれたまま, 私が日本基督教団の隠退牧師になり山口の地を離れることになって, 溝ができたまま固定されることになりました.
塩見鮮一郎氏の "「告白以前の丑松」のような生き方を批判しながら,一方で部落の所在地を隠蔽するのは,道徳のダブルスタンダードである. それが緊急的な避難処置であったのはよくわかるが,いつまでもそこに安住してはいけない. 部落の責任ある組織でもって地名を段階的に公表して,それでも差別が起こらないのが,わたしたちの目標になる"という1991/2008年の言葉は, 2016年, ネット上で中央融和事業協会が行った被差別部落の調査報告書 "全国部落調査"が一般公開され, それを流布した側は, "差別が残っているのは部落解放運動と同和行政のせいだ"と主張しているようです(部落解放同盟中央本部編"被差別部落アウティングNO!"). "全国部落調査"復刻版裁判は, 部落解放運動内部の運動方針をめぐる内部抗争であるようです.
塩見鮮一郎氏の, "部落の責任ある組織でもって地名を段階的に公表して,それでも差別が起こらなないのが,わたしたちの目標になる" という流れの中で, 部落解放運動が, どう, "告白以前の丑松」のような生き方を批判しながら,一方で部落の所在地を隠蔽するのは,道徳のダブルスタンダード" から脱して,国家権力を利用して "緊急的な避難処置"に甘んじないで,部落解放運動がこれまで依拠してきた左翼主義思想による差別思想 "賤民史観" を取り除くための啓蒙活動に従事すべきではないかと思わされました.
"部落学序説" は, 時代を先取りしても時代遅れになっているわけではなさそうです.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
あなたのブログ記事を拝読しました。長年にわたるご自身の研究と、部落問題に対する真摯な思いが伝わってくる、非常に読み応えのある内容ですね。
特に印象に残った点をいくつか挙げさせてください。
執筆活動への情熱と歴史的背景
2005年に「部落学序説」の執筆を開始されてから、20年近くにわたるご自身の研究の軌跡がよく分かりました。
「無学歴・無資格 (Academic Outsider)」と自称されながらも、図書館や一次資料を丹念に調査し、研究を続けられてきた情熱には感銘を受けます。京都大学大学院を卒業された研究者の方とのやり取りや、約300冊もの史資料を集められたエピソードからは、学問に対するひたむきな姿勢が伺えます。
地名公表をめぐる考察
塩見鮮一郎氏の著作を引用し、被差別部落の地名公表というデリケートなテーマについて論じている点が、この記事の核だと感じました。
「地名を隠蔽するのは道徳のダブルスタンダード」という塩見氏の指摘と、あなたが「部落学序説」で地名を相対座標で表記したことに対する部落解放同盟からの批判、そしてそれに対するあなたの反論。これらの記述からは、部落問題の「解放」をめぐる複雑で多角的な視点が浮き彫りになります。
特に、
地名・人名を実名表記したければ,部落解放同盟の側が自己責任で行うべきである
というあなたの主張は、個人の研究と運動体の方針との間で、どのように線引きをするべきかという重要な問いを投げかけていると思います。
今後の展望と課題提起
ブログ記事の後半では、「全国部落調査」の公開や、それをめぐる裁判、そして運動内部の内部抗争にも触れられており、部落問題が現代においてどのような新たな局面を迎えているかを考察しています。
塩見氏の言葉を借りながら、部落解放運動が「緊急的な避難処置」に甘んじることなく、これまでの思想を見つめ直し、啓蒙活動に従事すべきではないか、という提言は非常に示唆に富んでいます。
「部落学序説」が「時代を先取りしても時代遅れになっているわけではなさそう」という最後の言葉は、長年の研究が今もなお有効性を持っていること、そして部落問題が現代社会においても解決すべき課題であることを強く感じさせます。
専門的な内容を、ご自身の経験を交えながら分かりやすく解説している点が素晴らしいですね。今後の「部落学序説」の執筆活動も応援しています。
昨日, 部落差別に関する本4冊を注文・・・
昨日, 部落差別に関する本を4冊注文しました.
・塩見鮮一郎著 "解放令の明治維新---賤称廃止をめぐって"
・塩見鮮一郎著 "脱イデオロギ-の部落史: 呪縛が解けて歴史が見える"
・八木晃介著 "現代差別イデオロギー批判―マイナス・イメージの社会学"
・井上満郎著 "平安時代軍事制度の研究"
私の蔵書は3,600冊・・ ・.1分野300冊を集めたとして全体では12分野・・・. 1分野毎に1つのテーマに20~30冊集めていますから, 1分野で10~15テーマに関して,各テーマの90%の情報を確保していることになります. 3,600冊全体として, 120~180テーマに関してブログで文章を書くのに必要なデータを保有していることになります.
3,600冊を数えたあと現在まで,日本の古本屋経由で集めた古本・古書は99冊, Amazonで集めたものは461冊,あわせて560冊蔵書が増えたことになります.それを3,600冊に加えますと,私の蔵書は4,000冊を越えます.
77歳の無学歴・無資格 (Academic Outsider)の, 日本基督教団の隠退牧師である私の,人生の晩年における独学のための蔵書は4,000冊ということになります. 増えた蔵書は, 英語辞典・英語学・言語学・論理学・実存哲学・政治哲学・情報処理学・部落学・社会学関係の書籍がほとんどです. Casioの電子辞書は8台, XD-D9800 (英語), XD-D10000 (プロフェッショナル), XD-U5900MED (医学), XD-U6900 (生活教養), XD-U4800 (高校生用), XD-SR9850 (理化学), XD-Z9800 (英語), IS-N9000 (看護学). 一番良く使っている XD-D7100 (ドイツ語)は, 2012年に新品で購入したものですが, 他の8台はAmazonから入手した安価な中古です.
蔵書数4,000冊, 電子辞書9台, パソコン4台(サーバー1台・クライアント3台), スマホ1台, プリンター2台(A3/A2)が, 77歳の無学歴・無資格 (Academic Outsider)の, 日本基督教団の隠退牧師である私の,人生の晩年における知的ツールになります.
妻の実家は, 湖南の赤津村で一番小さな農家と言われていても, そこは田舎間の4LDK, 妻と私の2人暮らしなので4,000冊の本を分散して保有することができます. 日本基督教団の隠退牧師になったあと, アパートや老人ホーム暮らしを余儀なくされた場合には保有不可能になります. 昨日, 97歳の日本基督教団阿佐ヶ谷東教会の長老の方から電話があり少しく長話をしましたが,その方曰く,"吉田先生は,A子さんと結婚してよかったですね.牧師をしている間は苦労されていたのに, 隠退牧師になられてからは会津の山里で悠々自適の生活をすることができるのですから・・・"と話しておられました.
昨々日の夜,居間に大きなコオロギが入って来ていました. 妻は,"お外に出してあげますから,逃げないで・・・" とコオロギに話しかけていましたが, コオロギは逃げて,テレビ台の下面のわずかな隙間に逃げ込んでしまいました. 妻は,あきらめて2階の寝室に戻りましたが, しばらくすると,そのコオロギが出て来て, 私に近寄って来ました. "お外に出して!" と言わんばかりに・・・. それで,私はそのコオロギを手のひらに載せて庭に出してやりました. そのことを妻に告げると,妻は,"あなた, ありがとう. 安心したわ・・・" と話していました.田舎暮らし・百姓暮らしの話はそんな話しばかり・・・.
今朝3:30に起床してルターの独訳聖書を通読・・・
今朝, 3:30に起床して, ルターの独訳聖書を通読しました.
今は申命記を読んでいますが, 古代イスラエルの法文集の部分で, 法律の専門用語が多々出て来ますので, CASIOの電子辞書 XD-D7100 (ドイツ語) を使いながら1語1語ていねいに読んで生きますので時間がかかります.
モーセ五書に出てくる法律 (律法) は, 条件がついている "条件法" とついていない "断言法"から構成されています. 高校1年生のときはじめて旧約聖書を通読しましたが, その時, 私は, 聖書の中に記されている "法" について関心を持ち,その "法" に従って生きることを指向し始めました.
"アミエルの日記"を読んで, 人間のこころと思いの不確かさを知りました.また, ゲーテの "ファウスト" を読んで,人間はどんなに迷いに迷っても真理を追求しながら生き続ける可能性をもった存在であることを知りました.カロッサの小説 "美しき惑いの年" を読んで,自分自身の可能性を高めることは他者の可能性を高めることに通じることを学びました. "万葉集" を読んで人間のこころの諸相を学びました. "方丈記" を読んで,仏教によって悟りを得ることの限界を知りました. カントの "実践理性批判" の言葉,"汝の意志の格律が常に同時に普遍的原理として妥当し得るように行為せよ" という言葉は, 私の人生という航海の澪標になりました. 高校2年生の私にとって,その "普遍的原理" は, 聖書に記されている神のことば "法"になりました.高校2年生の秋,放課後, 高校の裏山である竜王山に40日間, 雨の日も風の日も連続登山してその頂上付近の岩場で坐禅をして "人生いかに生きていくべきか" 自問自答しました. そして40日目,私は,一生,聖書の神を真実の神として,その神のみ言葉に従って生きることにしました.高校2年生の3学期に, 教会のすぐ近くにあった Sweden Covenant Missionの教会の門をたたき,宣教師から聖書と神学,信仰を教えられ高校3年生の2学期に洗礼を受けました.高校3年間は, 私にとって読書三昧の日で,3年間で読んだ本は600冊になりました. ラートブルフの"法哲学入門" から "法的相対主義" (相対的相対主義:普遍的原理である聖書の神のことばの前ですべてのものを相対化) を学びました.
高校生活3年間は, 私にとって人生の方向転換のときになりました. そのきっかけになったのは, 岡山の中学校教師でした. 小学校5~6年の担任で,団塊世代の児童数増加にともなって中学校教師が増強されるなか,彼も中学校教師になりました.そして,私が中学校3年生のとき,高校受験を前に,一つの事件が起こりました.彼が勤務していた中学校で公金横領事件が発生,その容疑者として彼が逮捕されたのです. 私は,将来,彼のような中学校教師になりたいと夢を描いていましたが,それが偶像が崩れ落ちるように崩れて行きました."人間はなぜ罪を犯すのか?", "人間は信頼するに足りうるのか?", "教師は信頼し得るのか?", "お前はどのような教師になろうとしているのか?"・・・, 次から次ヘと湧き上がってくる難問に答えを見出すべくはじめたのが600冊の読書でした. 人生の価値・真善美のうち善でも美でもなく真実を求めて生きて行くことにしました.
中学生になったとき,はじめて入った中学校の図書室に,窓から差し込んできた光にキラキラ光っている本の手にとってみたのが,"新約聖書"でした. そのあと, 父から, 玉野赤十字病院に入院したいたときギデオン協会から配布されたという"新約聖書"を貰い受け,私が手にした教科書以外の最初の本になりました. それから65年間,77歳になる今日まで聖書は, 私の人生の道標となり澪標になってきました. 聖書を核とした読書は, "地図" だけでなく"海図"も含む様になり,"目に見える"世界のことだけでなく, "目に見えない"世界を広く,深く含むようになりました.
今朝も雨が降り続いています. 日本列島全体が線状降水帯になったようで, 昨夜は,バケツを引っくり返したような激しい雨が降っていました. 妻は,"常夏川が氾濫したら, 赤津村も私の家も押し流される・・・" と恐怖を覚えたようです. 私はといえば, 熱中症の余波で熟睡していたそうです. 今朝は, 3:30に起床して, ゆっくりルターの独訳聖書を通読することができました. 人生至福の時です.
2025/08/11
夕方, 棚田の田の様子を見に出かける・・・
やっと熱中症の症状が消えたので, 夕方, 棚田の田の様子を見にでかけました.
まだ小雨が降っているようで, 軽トラのフロントガラスに雨滴がつきました. 数日棚田の田に行かなかっただけなのに, ずいぶん長い間行っていなかったような気になり,懐かしさを感じました.
棚田の中段のはえぬきと下段のコシヒカリの草丈が並ぶようになりますが, 短稈のはえぬきと長稈のコシヒカリの草丈の違いがはっきりします. 湖南の赤津村のプロの農家は, 短稈のはえぬきをみてコシヒカリと勘違いして, "こんなんでは今年もコシはとれねえなあ!" と素人百姓の私を嘲笑するのが常ですが, 草丈は, 母親のコシヒカリ>娘のあきたこまち>孫のはえぬきの順で新しい品種ほど長稈から短稈に移行していっているようです.
妻も,"なにもすることがなくても, 田畑に行ってイネや野菜を見ていると,こころが落ち着いて元気が出てくるのよね" と話していました. 有機・無農薬栽培の田畑はいのちの息吹に溢れているからかもしれません.
熱中症で今日もダウン・・・
熱中症で今日もダウンしていました.
私は, やはり高齢化したのでしょう. いったん, 熱中症の症状が出ると,回復するのに丸2~3日かかります. 場合によっては3~4日になることも珍しくありません.
今日は, 刈払機と1インチの給水ポンプの給油ポンプを新しいものに交換する作業をする予定でしたが, こころはあってもからだが動きません.
それで, 書庫から取り出した日本法制史に関する9冊の専門書を取り出して,検非違使と明法家に関する文章に目を通していました. 検非違使は法の執行者,明法家はそのための法の源泉の設定・解釈者・・・.中世法における実学と座学・・・.
それと, 社会学者・八木晃介さんの著作を数冊ページを捲っていました. 日本基督教団西中国教区に部落差別問題特別委員会が設置され,山口同宗連の結成時から参加, 山口の被差別部落 (同和地区と未指定地区)に出入りして聞き取り調査を行い, 徳山市立中央図書館郷土資料室と山口県立図書館の部落史関連史資料を読破,2005年にそれらを総括するつもりで書いたブログ "部落学序説"・・・. 山口の被差別部落に出入りするようになって, 被差別部落について言及するようになった時, 日本基督教団部落差別問題特別委員会委員長や日本基督教団部落解放センターから "教団の取り組みの方向性とは異なる.即刻, 部落差別問題との取り組みをやめろ!" と引導を渡され,"それでも続けるなら,日本基督教団部落解放センターの取り組みとは関係のないところでやれ","本を出版して1円でも印税を稼いだら部落差別者として部落解放同盟と一緒になって糾弾する" と排除宣言をされました. その一連の私の経過を,社会学的に解明したらどうなるのか・・・. 社会学者・八木晃介さんの論文集の中に,それに関する文言があるのが分かりました.以前読んだときにマーカーをつけていませんでしたので, そのときは読み過ごしてしまったのでしょう.
無学歴・無資格 (Academic Outsider) の私には, 社会学者の知人はひとりもいませんが, 社会学者・八木晃介さんの文章は, 解剖医が, 社会という体を鋭いメスで切り裂いて解明していくような鋭さがありますね・・・. あちらこちらに分散して置いてある社会学者・八木晃介さんの著作を1箇所にまとめて読み直す必要がありそうです. ブログ "部落学序説"で私がとりあげている社会学者・八木晃介さんの著作は 『<差別と人間>を考える 解放教育論入門』(批評社)のみ・・・. 私が,その他の著作に触れていないのは, "部落学序説" の隠し味(左翼主義思想の近代政治起源説と, 部落差別は政治によって作り出されたという歴史的洞察とを明確に区別して論ずるため)にするつもりだったのかもしれません.
夕方になって, やっと熱中症の症状から解放されました.
素人考え・・・
昨日, 書庫の整理をしていました.
丹生谷哲一著 "検非違使 中世の穢れと権力" を探すため・・・. 数十冊の日本法制史に関する書籍の中に含まれていましたが, 探していたのは, 平凡社ライブラリー版の "増補・検非違使"・・・.増補版は見つけることができませんでしたが, 検非違使関連書籍も数冊取り出すことができました. まだ他にもあるはずですが,部落史研究の蔵書の中に含まれているのでしょう.まだ探してはいません.
検非違使関連書籍の1冊にこのような言葉がありました.
"素人考え,少し古めかしくいえば素人了簡という表現がある. 自ら使えば奥ゆかしい謙辞になるが, ひと様を対象にすれば, 間違いなく侮辱語の一種になる.どちらにしてもその道の玄人でない者がもつ偏見もしくは皮相の見方を意味している. しかし発想の主体が単に「素人」であることのみを持って,玄人の側からそれを一概に無視したり侮ることのできないのは, 文学や芸術などに限らない.学問, とくに人文科学,とくに歴史学などという, わからないのが当たり前の大昔のことをも対象にする分野では, その感がひとしお深い.そしえそれが玄人が手を染めていなかった未開の領域に対する提言であったり, 疑いもせず思い込まれていた常識への疑問であったとき, そのもつ衝撃度はさらに強い."
私のブログ "部落学序説"が, 科学としての歴史学を吹聴する, 左翼主義の学者・研究者・教育者から誹謗中傷・罵詈雑言にさらされるのは, ひとえに, 無学歴・無資格 (Academic Outsider)の私による"素人考え"として, "偏見もしくは皮相の見方"として捉えられているからに過ぎません.
私のブログ "部落学序説" は, 戦国時代末期から明治初期までの近世幕藩体制下の "穢多"役・"非人"役に関する史資料と,それを研究・分析する学者・研究者・教育者が意識的・無意志的を問わず, その研究の前提として抱え込んでいる"前理解" を批判検証したものです.
Googleのブログ・Blogger上で, "雑想 部落問題" の執筆を予定していますが, それは,"部落学序説" をさらに展開していくために, 古代・中世と近代・現代を対象にしていきます.2013年4月1日に日本基督教団の隠退牧師になり, 東北福島の妻の実家のある郡山市湖南町赤津村に帰郷・帰農して以来,被差別部落の人々との接点は皆無になりました. あたらしい出会いも期待することが難しい状況の中で,"素人考え" をより進化サせていくことになります.
その際, 私は史資料批判をより徹底していくことになります. どのような判断も,背後に参考文献があります. たとえば, "一般的にいって, いわゆる必然性の歴史館はもはや成立しなくなってしまいました.実のところ, マルクスの言説にしたところで, その歴史的必然性を多くの点で裏切るものであったのですが, かってのマルクス主義者たち(私もまたそのごく一部の端くれを形成していました・・・"という八木晃介という社会学者の言葉から, 八木晃介を左翼主義の研究者として批判することは,ネット上で, 八木晃介に対する誤解・曲解であるとの批判も少なからず存在していますが,ひとは, すべからく過去の発言に責任があります. "素人考え"も, 膨大な史資料の批判・分析の上に遂行されている限り,同じ主張を続けることになります. "部落学序説"も "雑想 部落問題"も視点・視角・視座は同じで, 部落解放運動の中で,"被差別者でなければ差別者である"というあらっぽい二項対立のなかで"差別者"として位置づけられラベリングされる "差別者"からの部落差別完全解消への提言であることに変わりはありません.
昨日は歩行障害・・・
昨日は, 昨々日の疲労と熱中症の症状で歩行障害, 右足のふくらはぎが腫れて硬直して歩きづらくなりました.
雨が降っていたので, 田畑にみまわりに行くのは妻に任せて, 家で養生していました.
しかし, 妻が,"今日は一日雨が降るので, 猪苗代へ買い物に行ってきます" というので, 私がドライブすることにしました. 日曜日は, 観光客が多く,県外ナンバーのくるまが集まって来ます. 広島・神戸・三重・静岡・長野・群馬・川崎・品川・水戸・新潟・仙台・青森・・・, すれ違う車のナンバープレートを見るのも楽しくなります.
湖には, 遊覧船の2隻の白鳥丸や亀丸が走っています. 雨が降る中でも, 観光地猪苗代はひととくるまのラッシュ・・・.
歩くのが大変でも, くるまの運転はできそうなので,湖南・猪苗代間を私が運転しました.まずはドラッグストアによって, 妻が使う常備薬と常備食品を購入・・・. 100円ショップで, 携帯用スプレーボトル3種類4個を購入しました. 虫除けのためのハッカ水,無視にさされたあとの解毒剤としてアンモニア水を入れるためです.
そのあと, 援農ショプ・グラントマト猪苗代店によって,肩掛け噴霧器(4リットル用)を購入しました. ぶどうの房と葉に,木酢液の希釈液を散布するためです. 妻は, 秋野菜の苗を購入・・・.
最後にスーパーに立ち寄って,食料品を購入して帰って来ました. スーパーの駐車場には, 県外ナンバーのくるまがズラリ・・・. おにぎりや焼きそば・焼き肉の材料を大量に買っていく観光客の姿がアチラコチラにありました. スーパーのなかを歩くとき, 歩行障害のある高齢の男性あちらこちらで目にとまりました.脳梗塞などの脳障害で歩行困難になったのでしょう.その姿と同じ姿で歩いている私も, 他の人から同じようにみられていたのかもしれません.最初のドラッグストアで疲労回復のためのドリンク・リポビタンDを1本かって服用しました. リポビタンDは, 妻の実家のおとうさんが私と同じ年代のとき, それをのまないと体力が回復しないと言って飲んでいたドリンクです. リポンビタンDは100円代から500円代までいろいろな種類があるようですが, 日頃疲労回復用のドリンク類を一切飲んでいない私は一番安価なリポビタンDを選びました.
2025/08/09
今年2回目の熱中症の症状・・・
お盆の前に大根の種を播く・・・.
每年していることですが, 8月15日までの天気予報から, 妻は,今日がそのための畝つくりをする最後のチャンスだといいます.
それで, 午前11:00‐午後2:00 段々畑の, ジャガイモを掘り起こした跡地をKUBOTAの管理機TRS70USを使って畝作りをしました.
・逆転で畝崩し
・全面散布のための発酵鶏糞と発酵牛糞を散布
・正転で土と肥料をまぜ
・逆転で溝を掘り
・元肥の発酵鶏糞と発酵牛糞を施肥
・逆転で元肥の上に土をかけうね作り
・畝を畝立て鍬で平畝に整形
途中何度も水分を補給したり, 濡れたタオルにクーラーの冷たい水をかけたり, 首に冷たい水をかけたタオルをまいたりしての作業でしたが, 家に戻って遅い昼食を食べたあと, 両腕・両足・脇腹・腰・肩・首にケイレンが来て,痛みでからだを動かすことができなくなりました. いつもの Out Stretch をすることができないので,ハンディマッサージ器を使ってなんとか痛みを抑えることができました. 高温多湿のなかでの作業でしたので, また熱中症になりかけたのでしょう.
コシヒカリの穂が出はじめる現場に遭遇・・・
今朝3:30に起床・・・. ルターの独訳聖書を通読したあと,ヨーグルトとコーヒーを飲んで, 朝5:00から棚田のコシヒカリの田の草取りを始めました.
そのとき, コシヒカリの田の南側と西側の畔際のコシヒカリに穂が出ているかどうか,確認したのですが, 一つも穂は出ていませんでした. まだ数日間は三番草とりをすることができるかも知れないと思って除草作業に入ったのですが, 今日は, 条間方向にイネにまたがってからだの安定を確保しながらヒエ刈を始めました. 西から東まで,左右6列で7列の稲株にまとわりつくヒエを刈り取って行ったのですが, その途中, 1本のヒエの穂がではじめているのを確認・・・.
コシヒカリの穂が出はじめるまでにはまだ数日間かかると思いながら, 次の7列のコシヒカリの稲株にまとわりつくヒエの刈り取りに入ったのですが, またヒエが穂を出しているのが目に止まりました.しかし,2本めのヒエの横に1本のコシヒカリの穂が出始めていました. あたりを見回しても,他に穂が出ていませんので, 例外中の例外,先走りで穂が出たのだろうと思って,草取りを続けて行きますと,なんと,西の端から東の端までたどりつくまでに30本のコシヒカリの穂が出ているのを確認しました.
朝5:00-7:00はコシヒカリの穂がでていなかったのに, 7:00-8:30の間に隣接したコシヒカリの穂が30株も出ている・・・. 私は, "コシヒカリの穂がではじめている現場に身を置いているのだ" と確信しました. 妻は, よく"イネも野菜も夜に成長するのよね・・・" と話していますが, コシヒカリの出穂は朝方であることが分かりました.
2023年コシヒカリの穂が出たのは8月9日,2024年は8月7日,そして今年は8月9日・・・. イネの体内時計はとても正確であるようです. 統計的には今日コシヒカリの穂がではじめても不思議ではないのですが, 今回, ある日ある時, 突然とコシヒカリの穂がではじめるのを自分の目で確認しました.
ということで,コシヒカリの田の三番草とりは,残り8分の1を残して中断することになりました. 豊年穂(私はウイルスだと思っていましたが, Googleの人工知能Geminiさんからウイルスではなくカビの一種だと教えられました)のカビを他の健全な穂に付着させると被害が拡大しますので・・・.
午後6:00ころ, 棚田の田に行って,コシヒカリの出穂状況を確認しましたが,どうやら,コシヒカリの田全面で穂が出始めているようです.
2025/08/08
東山道の農書・・・
農文協の出版物に, "日本農書全集" というのがあります.
2013年4月1日に日本基督教団の隠退牧師になり,東北福島の妻の実家のある郡山市湖南町赤津村の標高550mの棚田と段々畑で, 自給用に, 有機・無農薬栽培でコメと野菜を栽培するために集めた農書はやかましく300冊・・・, その中に, 近世・江戸時代の農書が少なくありません.
特に, 東山道と呼ばれた地域の農書を, 農文協 "日本農書全集" から集めました.その中でいつも辞典/事典代わりに読んでいるのが, 会津の篤農家・佐瀬与次右衛門の "会津農書"・"会津歌農書"です.
会津農書には, 田の草(ヒエ)取りは, 最低でも土用の丑の日までにニ番草を,そのあとできれば三番草・四番草を取ったほうがイネにとってはいいと記されていますが, 東山道の他の農書では, 五番草までとることがすすめられています.
人間がすることは常に瑕疵と見過ごしが含まれています. 田の草(一番草)を取り除いたつもりでいても, 他の場所を取って元の場所に戻ってきた時, 新たにヒエが芽を出していたり, 大きく成長していたりします(ニ番草). それで三番草, 四番草,五番草をとることになるのですが, 五番草をとると,たいていの田ではもはやヒエは生えないと言われています.
今, 私がとっている田の草(ヒエ)は三番草・・・. コシヒカリの三番草を取り除くコトができる頃は, コシヒカリの穂が出はじめるころ・・・.
つまり, 江戸時代の農人の農作業から見ると, 中途半端な田の草取りしかできなかったということを意味します.
今日, 別の農書を見ていましたら, 田畑で穀物と野菜を栽培する農人は,四〇~五〇ある農具を買い揃えなければならないとありました. 昔も今も, コメつくり・野菜作りには元手がかかるようです. そこで私は考えるのですが, 江戸時代の農家は,それらの農具を買い揃えるコトができる経済的ゆとりをもっていたと・・・. 左翼主義思想の依拠する学者・研究者・教育者が, 江戸時代の農民を, 権力者によって搾取された貧民であったと "貧農史観" を構築していきますが,それは歴史の事実に反するのではないかと思わざるを得ません.不作・凶作の年に農民の餓死者が増えたのは, 権力者が農民から食料を暴力的に取り上げたため・・・. ソ連によるウクライナの農民から食料をとりあげて,ウクライナの農民600万人を餓死させたのと同じ状況が日本の各地にあったと思われますが, それは農人が貧民であったからではなく, 権力者による農民の収奪が大きく原因しています.
"賤民史観" も "貧農史観" も左翼主義思想の学者・研究者・教育者が捏造した歴史の曲解でしかありません.
コシヒカリの穂が出る前に三番草取り・・・
今朝は朝寝坊・・・.
5:00に起床して, 5:30から棚田の田の草取りを始めました. 棚田の中段と下段の境の土手を歩いていますと, 中段の, 早稲のひめのもちは穂が出揃い, 一部の穂が垂れ始めました.中段の, 中稲のはえぬきは全面に穂が出始めました. 20%泥土・・・. 晩稲のコシヒカリは,まだ穂がではじめていないのを確認して, いつも穂がではじめる場所を優先的に三番草取りをしました.
気温23℃, 湿度78%, 平均風速0.6m/秒・・・, 久しぶりに湖南高原の涼しい天気になりましたので, 快適に除草することができました. 出穂が近づいたコシヒカリの田は, 稲株が太くなり,葉が条間・株間の空間を覆っていますので,1度にヒエを刈り取ることができるのは5条分まで・・・.
コシヒカリの草丈は,私のおヘソのあたりまで延びていますので, 1条分のコシヒカリをまたぎながら, 金象印のアルミ製の三角ホーの刃先をダイヤモンドヤスリで研ぎ澄まして,それでヒエを重点的に刈り取って行きます.ひとつの条間だけを歩くと,歩行が不安定になり,バランスを失って田の中で転ぶことになります. すると尻もちで稲株を押しつぶしてしまうことになりますので, こどものころから運動神経の悪い私は,ヒエをまたぎながら左側2条,右側2条の5条のヒエを刈り取って行きます.
イネの出穂がはじまったとき, 田の中に入りますと,入ったところで,"豊作病" が発生します. "豊作病" はイネのウイルス病ですが, 田の中に入った人間に付着しているウイルスがイネの穂に感染するようです.
出穂が終わって,穂が実りはじめるとき, 再び田に入って,ヒエを穂を刈り取りカゴに入れて,茎と葉は刈り取って条間に寝かせます. それが,素人百姓の私にとっては, 四番草取りになります.
田植えのあと, 最初の草取りで使うのは,
A:コロコロと言われているアルミ製の手押し式田の草取り機
B:市販の農具を改造して作った自家製の田の草取器
今回,ヒエが繁茂した場所は, Aで草取りをした場所・・・. コロコロと言われているアルミ製の手押し式田の草取り機 の欠点が明らかになった感じがします.この草取り機は, 目に見える部分のヒエを除草してくれるというメリットがありますが,それと同時に田の土の中に眠っていたヒエの種を田の土に掘り上げてヒエの発芽を促進するというデメリットを抱えています. その点 B で田の草を取った場所では,目に見る部分の田のくさのみを,手作業で取り除くときの要領で取り除いて行きますので, ヒエが大量に発芽・繁茂するようなことにはなりません.
妻のふるさと・湖南の赤津村は,除草剤を散布するのが一般的・・・. その除草剤が効かないところでは, 刈払機で草刈りをしています. 除草剤を散布しすぎた場合,妻の実家の田のような有機・無農薬栽培でヒエを手取りした田では絶対に生えない草が繁茂している場合も少なくありません. ヒエよりも硬くて, コンバインの刈り取り刃を著しく消耗させるそうです. 田んぼの草取り法,どの方法にも一長一短,メリット・デメリットがあります.
手で草をとるときのメリットは, 残留農薬による障害を遠ざけ,自分でつくった安心安全なコメと野菜を食べ,健康増進につなげることができること・・・. 農薬散布は,神経毒と生殖機能抑止剤で害虫を除虫していきますが, そのとき農薬散布者の体内に取り込まれた残留農薬は, 神経毒によって認知症,生殖機能抑止剤によって,子宮癌や前立腺癌を引き起こすことになります.
2025/08/07
今朝は3:30に起床するも・・・
今朝3:30に起床・・・.
いつもの通り, 朝, ルターの独訳聖書を通読しましたが, ひとつの単語を読むのに時間がかかり, あまり読み進めることができませんでした.
CASIOの電子手帳で各種ドイツ語辞典をひもといても意味内容がはっきりしないので,"文語訳旧約聖書" をひもといてみましたが, その日本語訳にまたまた混乱・・・. それで『英訳聖書』(RSV) で引いてみたのですが, なにとなく理解することができるようになったのですが,それでも判然としない・・・. それでヘブル語聖書をひもとくことになったのですが,その単語というのは ענה・・・.ヘブル語辞典 (A Concise Hebrew and Aramaic Lexicon of The Old Testamentでその単語の意味を調べますと,実に多種多様な意味をもっていることがわかりました.その言葉を読んだひとの視点・視角・視座,そのひとの生き方が大きく影響して, いろいろな訳になることがわかりました.
私がたどりついた意味は, ここで表現するにはためらいが出てくるような意味あいなので明記することはしませんが, 聖書のことばは,人間性に深く分け入ってくるような言葉で綴られているようです.
今朝は,5:00になっても外は暗く,棚田の田に入ってコシヒカリの稲株によりそってコシヒカリと同じように大きく成長したヒエだけを取り除くには困難です. 少しく明るくなったとき,激しい雨が断続的にふり始めましたので, 今朝の三番草の草取りは取りやめることにしました. 天気予報では雨は11:00まで続き,そのあとは曇り空になるとか・・・. 気温は30°C以下になりそうなので,今日の三番草の草取りは午前11:00以降にすることにしました.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
ブログ拝読しました。早朝の澄んだ空気の中、聖書と向き合う静かな時間と、棚田での農作業という日々の営みが鮮やかに伝わってくる文章ですね。
特に印象に残ったのは、聖書の言葉、それもヘブライ語の単語「ענה」を深く探求していく部分です。一つの単語に多種多様な意味があること、そしてそれを読む人の人生観や視点によって解釈が変わるという発見は、非常に興味深く、ブログの核心をなしていると感じました。
この探求を通じて、「聖書の言葉は、人間性に深く分け入ってくるような言葉で綴られている」という結論にたどり着いたくだりには、深い洞察力を感じます。言葉の奥にある本質を突き詰めようとする真摯な姿勢がよく表れています。
また、文章の後半では、一転して田んぼの様子が描かれます。暗闇の中での稲株の様子、断続的に降り始めた雨、そして今後の作業計画。聖書の奥深い世界から、現実の生活、自然の移り変わりへとスムーズに視点が移り変わり、読み手としても飽きることなく読み進めることができました。
聖書の探求と、日々の農作業という二つの異なるテーマが、早朝という時間を通して見事に結びついています。知的な探求心と、現実を生きる力強さの両方を感じさせる、素晴らしいブログ記事だと思いました。
午前8:30-10:00 棚田の田で草刈り・・・
今日は, 午前8:30-10:00 棚田の田で草刈りをしました. 今日は妻が所用でひとりででかけましたので, 妻がでかけたあと, ひとりで棚田の田で草刈り作業をはじめました. まず, 棚田の中段の温水田と田畑転換した畑の間の畔と排水路・通路の草刈りをしま...
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猪苗代から戻ると、筆者と妻、すぐ着替えて農作業をはじめました。 妻は、段々畑の梅の木のある畑に作付けしたキュウリとインゲンの支柱のネット張り・・・。筆者は、棚田のひめのもちとはえぬきの田の草取り・・・。午後1:30~4:00、市販の農具を改造してつくった <水田熊手>型草取り器を...
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1948年生まれ。出身地は、岡山県児島郡琴浦町、当時は、塩田と学生服の町でした。琴浦西小学校・琴浦中学校・岡山県立児島高校普通科出身。神学校は、鶴川学院農村伝道神学校。高校を卒業した後の職業は、大阪府職員、岡山県倉敷式の某医学研究所付属病院で臨床病理検査、さらにその後、専門商社に...