2024/11/06

湖南四季の里で売れない米を郡山市内に持っていくと飛ぶように売れる・・・!

    朝, 野菜直売所・湖南四季の里に行った妻が, 帰ってきて, "あなた, 湖南四季の里で売れない米を郡山市内にもっていくと飛ぶように売れるそうですよ・・・!" と話していました.

    野菜直売所・湖南四季の里のお客さんが, "米が欲しい" といわれるので, 妻は,農機具の小屋から自給用の2023年産有機・無農薬栽培のコシヒカリを精米して, 5kg3000円で4袋出展したのですが, お客さんから, "高すぎる! 魚沼さんのコシヒカリだって5kg, 2000円で販売されている!" と強欲よばわりされた妻は,4袋全部を撤収して, 遊びに来た娘に手渡していました. 娘は,"おとうさんとおかあさんのコシヒカリは玄米保冷庫に保管しているから, 古米といっても新米同然よ! ありがとう, こんなにたくさんもらって! 郡山市内のスーパーの米は高いのよ!" と話していました.

    今, 野菜直売所・湖南四季の里で販売されている米は,あきたこまちで, 5kg,2800円・・・. お客さんは,"高すぎる! もっと安くしろ!" と言われるそうですが, 値下げ要求をききいれられなかったお客さんは捨てセリフを残して去って行かれたとか・・・. その, 5kg, 2800円で郡山市内で販売すると, 飛ぶように売れたのだとか・・・.

    妻は,"我が家は自給用に米を栽培しているだけだから, 米はもう古米も新米も出展しません. 積雪期に, 私たちに信頼してもとめてくるすずちゃんたちにあげる米がなくなりますから・・・" と話していました.

    今日, 猪苗代のスーパーに行ったとき,  会津産のあきたこまち,ひとめぼれ,コシヒカリが,どれも同じ価格で1kg, 2kg単位で販売されていました.1kg, 600円が通り相場であるようです.  
新米で5kg, 2000円の魚沼さんのコシヒカリと比べますと50%高・・・.ともかく, 米の価格はどんどん下がって行っているようです. 5kg, 10kgと買っていますと, 結局高い買い物になりますので, 米の価格がどんどん下ることが予想されるなか,上手な米の買い方は,1kg,2kgと少量ずつ買って行って,安い米を買い続け, 米の価格が安定した時に5kg, 10kgと大量に買う買い方がベストであるようです.
    

神は神, 人は人・・・, 人でしか無い私は神の如く振る舞うことはできない・・・

    神は神, 人は人・・・, 人でしか無い私は神の如く振る舞うことはできません.

    たとえ,  日本基督教団の牧師・隠退牧師であったとしても,  私は,神のみまえで, 主イエス・キリストを神の子, 救い主として信じる,"罪人" に過ぎません. 聖書が語る, "ただの無学のひと" でしかありません.

    無学歴・無資格 (Academic Outsider) の私に, 日本基督教団の牧師になる道を切り開いてくださったのは, 鶴川学院の理事長・島村亀鶴先生でした."どこの馬の骨かわからない, 無学歴・無資格 (Academic Outsider) の君を, この神学校の神学生としては受け入れたくはなかった. 君のようなものを弟子にするのは高倉家の恥だ・・・" といった鶴川学院農村伝道神学校の当時の校長・・・. 神学校を卒業して任地の教会に赴任するとき, 元農村伝道神学校の校長に呼び出されて, "君は神が守ってくれる
. だから, 君は, 君の隣人である私たちを守りなさい" と, 謎めいた言葉を語りかけてきましたが, それは, 私が赴任することになった日本基督教団神奈川教区の開拓伝道所に赴任して, "高倉一門の名にふさわしい" 教会の礎をつくりたいという願望から出てきた言葉であったようです.   "君は神が守ってくれる. 君は, 君の隣人である私たちを守りなさい" という謎めいた言葉は, 神奈川教区の開拓伝道所を元農村伝道神学校の校長であり, 日本基督教団の元総幹事である牧師に譲り渡せという意味で, その牧師により, "どこの馬の骨かわからない, 無学歴・無資格 (Academic Outsider) " と烙印を押された私の排除・疎外と, 若い牧師の宣教と伝道の失敗を, 高学歴・高資格の名門の牧師が引き継いで教会を建設するという計画に基づいたものでした.

    その計画を私が知っているのは, 元農村伝道神学校校長の牧師に呼び出されて, 彼らの計画を直接聞かされたからです. "君は神が守ってくれる. だから, 君は, 君の隣人である私たちを守りなさい" と命令してきたのは, 彼らの "錯誤" でした. 私を散々,排除・疎外して, 利用してきた上で, そんな計画を聞かされても,私がすんなり彼らの計画にのる可能性はなかったのですから・・・. 開拓伝道所の会計問題で, 会計担当役員の管理責任を問われ (伝道所の献金を自分の個人名意義の通帳で一緒に管理していたこと), 辞任することになったとき, 開拓伝道所の役員のなかで,元農村伝道神学校校長とつながりのある役員たちの報道で, 私が辞任することを知った元農村伝道神学校校長は, 突然,主任担任教師をしている東京教区の教会を辞任してしまいました. しかし, 私の後任の人事に付いては, 神奈川教区の総会議長と綿密に話し合って,元農村伝道神学校校長・日本基督教団総幹事の牧師を私の後任として推薦しないことにしました.

    その結果, 私は, 日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会, しかも前任者が自害したといわれる教会に, 30年間幽閉されることになりました. 赴任すると, いきなり, 本籍を被差別部落の中に移し,妻と娘を離縁して, 被差別部落の関係者が指名する被差別部落の女性と結婚するようにという,無理難題を押し付けてくる教会に, "バビロン捕囚" されることになりました. その教会は, 教会設立式の時, 西中国教区幹事として元農村伝道神学校校長が司式した教会でした. 同じ市内にある日本基督教団の教会が分離・独立することに反対したにもかかわらず・・・. 

    ただ, 主イエスさまを信じて,その導きと支えを祈りもとめながらの, 幽閉の地,捕囚の地での30年間でした. その30年間,前任牧師が自害したとされる希望なき教会を支えてきた信徒の方々の要望で, 教会を辞任してはなれるとき, 宗教法人を解散して離れることになりました. 私を西中国教区に招聘することについて私と交渉した西中国教区議長は,私を教会を閉鎖・解散するために送り込みました. 西中国教区議長から直接そう言われました.しかし, なんとか教会を立て直しをしたいと願う信徒の方々 (被差別部落の関係者は全員教会を離脱しましたので, 一般の人々) と30年間維持してきました. 私が, 東日本大震災, 原発事故のよる放射能汚染にさらされた, 妻のふるさと湖南に帰郷・帰農するためにその教会を辞任したいと申し出たとき, 教会役員会は, 教会の閉鎖, 宗教法人の解散を決めました.教会を離れるとき, 教会役員の方々は,"前任牧師が自害したことで, 教会は数年で閉鎖になると思っていたのに, 吉田牧師がこの教会に留まり続けて30年も維持することができました. 私たちも高齢化して,もうこの教会を維持することはできません. 30年間も, 牧師をしてくださってありがとうございました" と挨拶してくださいました. 



午前10:00‐午後2:00, 猪苗代へ買い物にでかける・・・

    午前10:00‐午後2:00, 猪苗代へ買い物にでかけました.

    まず, ホームセンターに立ち寄って, 7段3列の玄米保冷庫に31kg入玄米のふくろを格納したり取り出したりするときに使う専用リフトの新しいバッテリーともみ殻袋10枚を購入しました.

    リフトを購入したのは2013年ですからもう10年以上が経過していますので, 劣化したものと思われます. それで新しいバッテリーに交換することにしました. 籾摺をしたあとのもみがらを入れる袋がなくなりましたので, 10枚入1袋を購入しました.

    そのあと, スーパーで食料品と日用品を買って家に戻ってきましたが, さすがにどの田も稲刈りがすんでいましたが, 2枚の田だけがまだ稲刈りがすんでいませんでした.遠目にみただけなのでほんとうのことはわかりませんが, あきたこまちであるようです. 稲刈り適期をかなりすぎてしまった感じがしました.  例年の, 妻の実家の棚田の田と同じ風景ですが, 妻と私は,ここらのプロの農家から,"米をつくっても刈り入れの方法を知らねえんなら, 作らにゃあええんだ!" と罵倒されることになる風景です.

    妻の実家の棚田の田は, 脱穀したあとの稲わらはその場で積み上げたまま・・・. ハーベスタもブルーシートをかけたまま・・・. この前, プロの農家がやってきて,"吉田くんは元気か? まさか, 病気してるんではあるめえなあ!" と話していましたが, 雨が降り続くことが多いこの秋,  思うように農作業をすすめることができません. しかし,積算温度の適期に稲刈り・脱穀ができたのはさいわいでした.

庭にすずめたちが戻ってきた・・・

    庭にすずめたちが戻ってきて, 庭木の中で遊びはじめました.

    ときどき,家の中をのぞきこむような仕草をしていますので,たぶん,"この冬もわたしたちのために餌の玄米をちょうだいね・・・" と話しかけているのかもしれません.

    すずめたちは, 自分たちで餌を探し出すことができるときは, ひとに頼らないで自分たちで探し出すので, まだまだすずめたちに餌の玄米をまいてやるのは先の話し・・・. 根雪になって草の実が雪の下に埋もれてすずめたちが草の実を探し出すことができなくなってから, 2023年産の玄米をまいてやります. 

    すずめたちは, 雪に埋もれて生活と暮らしをしているときの,貴重なお客さんです. 昨年の冬は, すずめたちは世代交代をしたようで,スズメたちの長老の姿はなく,妻と私に餌の玄米を催促するときの仕草は,それまでとはまったく異なる仕草でした. すずめたちのリーダーが交代すると, 群れの仕草も異なったものになるようです.

    すずめたちの他に, 野ウサギやたぬきも食べにやってきます. 積もった雪の上についた足跡で, 彼らがきたことが確認できます. 妻と私に姿を見せるのは,アナグマ・・・. この春,おなかの大きなアナグマがやってきていましたが, まだ, そのアナグマ,こどもをつれてやってきたことはありません. 積雪期に入ると,おやこづれのアナグマを見ることができるかもしれません.

2024/11/05

午前9:30-12:00, 午後1:00-3:00, コシヒカリの籾摺・・・

    今日は, 午前9:30-12:00, 午後1:00-3:00, コシヒカリの籾摺りをしました.

    途中, 籾摺機が動かなくなり, 故障原因を見つけるために分解・・・. 以前,Kubotaの担当者の方が修理しているところを見ていましたので, それを思い出しながら, 籾と玄米の流れる過程をチェック, 回転部分に給油して, 再度, 組み立てて電源スイッチをONにしますと, いつもの通りに動きはじめました.

    今日の故障原因は,ハーベスタを操作するときのミスが影響・・・. 

    コシヒカリの籾が籾摺機のなかを順調に流れるように, "異物" を手作業で取り除きながら籾摺をしましたので, 時間がかかりました. 未熟の稲穂が2本, 直交するように管の中を塞ぎますと,籾摺をした玄米がそこに滞留して, 籾を送る風をとめてしまいますので, 籾摺が出来なくなります. それで, 未熟な稲穂や脱穀によって寸断されたイネの葉や茎を手作業でとりのぞきながら, 籾摺機で籾摺しました.

    今日は,31kg入玄米の袋4袋を籾摺することが出来ました. まだ, 籾摺が済んでいない籾袋は, ひめのもち1袋, はえぬき5袋, コシヒカリ1.33袋・・・. 棚田の田にとめてあるハーベスタを早く家にもって帰りたいのですが, 籾摺を完了して,玄米の袋を,玄米保冷庫と玄米簡易保管庫に保管しないと, 籾摺り機を格納する場所を確保することが出来ません. 今朝, 棚田に行ったとき, また例のプロの農家が,なにかをしようとして, ブルーシートを剥がしていました. そのプロの農家はほとんど病気・・・.

"牧師に神の愛があるなら・・・"

     今朝5:30に起床, 7:00までギリシャ語聖書を通読・・・.


    【部落差別問題と取り組むことになった発端】

    日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたとき, 教区総会で部落差別問題特別委員会の委員を押し付けられましたが,そのきっかけになったのが, 私が牧師をしていた教会の信徒議員の発言・・・. 当時の教区幹事は, "今の信徒議員の発言は差別発言である.西中国教区はながい間, 部落差別問題と取り組んできた.問題を, 部落問題ではなく, 部落差別問題として認識してきた.しかし, 今の信徒議員の発言は, '教区はもっと部落問題にとりくまなければならない' と '部落問題' という表現を使った.その教会の牧師は, 信徒にどのような指導をしているのか!" と批判, その結果,その信徒議員の属する教会の牧師に, 前任者が自害したあと赴任してきたばかりの私に, 部落差別問題特別委員会の委員として, "部落問題" ではなく部落"差別問題"
 と取り組むことを強制してきたのです.

    【部落差別問題の予備知識を得るための揺籃】

    日本基督教団西中国教区山口東分区の教会の信徒で西日本新聞の記者をされている方が,私が牧師をしている教会の近くの県立高校で,高校の教師・宗教者・新聞記者などで "読書会" を結成しようとしている, 吉田牧師もそのメンバーに推薦しておいたので参加するようにというアドバイスがあり, 参加することにしました.同和教育を通じて社会の問題を考える "読書会" でした. 私に発題の番がまわってきたとき, 私は, 鹿野政直著 "近代日本の民間学" を選びました. 高学歴・高資格のメンバーのなかで,無学歴・無資格 (Academic Outsider)として発題するにふさわしい本であると思ったからです. その読書会を通じて, 学校同和教育が直面している諸問題について見識を深めることができました.

 
    【被差別部落を尋ねることになったきっかけ】

    私が教会に赴任したとき, 下松市は, 市の経済破綻で再建中でした. 下松市内は夜7時になるとすべての民家・商店・会社が消灯して暗闇の世界に包まれていました. そして, 造船の構造的不況で, "下松から造船の灯を消すな!" という市民運動が展開されていました. 読書会はその造船会社の組合員と共闘することになり, 私が牧師をしていた教会を事務局にして, "やられたらやりかえせ" という映画の上映運動をすることになりました. 上映場所は,造船所内で・・・. 私は, 多方面から要望されて,  "下松から造船の灯を消すな!" という市民運動の大会で, 下松市民を代表して演説することになりました.上映のあと, 関係者と慰労会を催す事になりましたが,その席上で, 日本基督教団西中国教区の私設隣保館である社会館に所属しているという被差別部落出身の青年が, "社会館にかかわるようになって, たかが部落差別だと思うようになった・・・" と証言しました. すると, 読書会のメンバーの高校教師たちの中から, "そうだ!そうだ! たかが部落差別だ!" という声が飛び出してきました. 私は, 即, 反論,"被差別部落出身の青年が 'たかが部落差別だ' というのは差別に対する切り返しの言葉としてうけとめることができるが,第三者が, 'たかが部落差別だ' というのは, 間違いではないか・・・ " と発言しました. そのとき,うちあげ会に参加していた, 部落解放同盟新南陽支部の書記長御夫婦から,その被差別部落のなかで開催している学習会に参加しないかと誘いを受けました.      

     【はじめて被差別部落を尋ねたとき・・・】

    部落解放同盟新南陽支部の書記長の方が教会を尋ねて来られ,その被差別部落のなかで開催される写真展のパンフレットでした. 私は,教会役員会の了承のもと, 平日に, 被差別部落のなかで開催されている写真展にでかけました. そのとき, 会場には受付の女性の方が一人・・・. 私が, "書記長の方に誘われてきた牧師の吉田です"と語りかけますと, その方,"私の姉は, 東京女子大学を出て, 東京で結婚して暮らしています.日本基督教団の信徒です. 姉は,結婚してから一度もここには戻ってきません・・・" と話しておられました. 私は,そのAさんから, 部落差別問題と取り組むときの視点・視角・視座の持ち方を教えられました.学習会で, 青い柴の会のメンバーと差別について議論していたとき, Aさんは, みんなの前で, "私は, 部落出身者で, 女性で, 身体障害者です. 私が受けている部落差別と女性差別,障害者差別のどれが軽くてどれが重いというのですか? 私にとってはどれも同じ差別です!" と言い切りました.私は, 広島社会館の青年やAさんの言葉を通して,部落差別が日本基督教団の諸教会と宣教に大きく関わっていることを知りました.

    【部落解放同盟新南陽支部書記長の外に向かって開かられたこころ】  

    
    私が牧師をしていた教会の信徒の半分が, 本人が被差別部落出身者か, つれあいが被差別部落出身者でした.私の牧師としての発言・行動は, 毎回教会役員会で詳細に報告することにしていましたが,部落解放同盟新南陽支部の学習会に参加することについても, 教会役員会で議題にとりあげ了承を受けました.被差別部落出身の信徒の方は,"吉田牧師が被差別部落のなかで差別発言をするのではないか・・・" とすごく心配していました. しかし,それは杞憂に終わりました.部落解放同盟新南陽支部の書記長さんは, "差別社会の中を生きいている私たちは,なんらかの差別性をもっている. 差別したり, 差別されたりして生きている.しかし, 差別発言があったときは, お互いにその差別性を指摘,説明して, その差別性を乗り越えて,共に差別なき社会をめざして闘って行きたい" と話しておられました. 学習会での会話は, 徳山市議会事務局の速記者で,私が牧師をしている教会の初期担当役員の方から伝授された富士通の親指シフトのワープロとワープロ速記の技術を駆使して議事録を作成していきました. 学習会で聞いたことを, 聞き流しにするのではなく, ワープロ速記で記録化することで繰り返し読み,部落差別とはなにか,その部落差別に対して被差別部落の人々はどのように向かい合い, どのように差別と闘って行っているのか, それを知るための貴重な淵源になっていきました. オブサーバーとして参加を許された同和教育現場における差別事件の確認会・糾弾会の議事録も作成, 差別を指摘された学校教師の発言内容を分析・検討して, その差別発言の背後にあるものの見方・考え方に注目していきました.

    【被差別部落の歴史を調べることになったきっかけ】

    あるとき, 部落解放同盟新南陽支部の支部長さんから, その被差別部落の "歴史を調べて,調べた結果をありのまま教えてほしい・・・"と頼まれました. そのときまで, "被差別部落の歴史を調べるのは差別である" と思っていた私は, 即, 断ったのですが,支部長さんは, "これまでにも学校の先生方にこの被差別部落の歴史を調べてほしいとお願いしたことがあるのですが, 誰もあたりさわりのないことしか報告してくれませんでした.  牧師さんであるあなたにお願いするのは,この被差別部落の歴史を調べて, いいこともわるいこともありのままわたしたちに伝えてください.もし, 調査中に誰かに差別だと指摘されたら, '私から頼まれた' と私の名前を出してもいいから" と私に語りかけてこられました.私は, "調べたことを, ありのままお伝えすればいいのであれば・・・"  と引き受けることにして, 歴史研究法・郷土史研究法・民俗学的調査法などの基本文献を読んで,できるかぎりそれに従う形で,徳山市立中央図書館郷土資料室の史資料を読破・調査することにしました. 徳山市立中央図書館の司書の方から何度も, "あなたは被差別部落のことを調べているでしょう. 被差別部落の歴史をしらげるのは差別ですよ"と指摘をうけましたが, 部落解放同盟新南陽支部の支部長さんから調査を頼まれたことも,その名前を切り出すこともありませんでした.その取組のなかで, "被差別部落の先祖は,みじめであわれで気の毒であった賤民であり, 被差別部落の人々はその末裔である" という "賤民史観" は, 歴史学者・教育者がつくりあげてきた "虚妄", "差別思想" でることを確認しました. その被差別部落は, 近世幕藩体制下の徳山藩の司法・警察であった,由緒正しき穢多役の末裔であることが分かりました.

    【山口県の被差別部落の歴史を調べることに公的なOKが出される】   

    被差別部落について調べるのは差別である・・・, という一般通念がまかり通っている世界で, いくら部落解放同盟新南陽支部の支部長さんから頼まれたからといって,その歴史を調べるのは至難の業です. "差別だと指摘されるようなことがあれば, 部落解放同盟新南陽支部の支部長さんからの依頼で調べているといえばよい, あとは善処するから, 吉田さんには迷惑はかけない・・・" と言われていたのですが,私は一度も, そのことを弁明に使う事はありませんでした. 最初から最後まで自己責任で, 被差別部落の歴史を調べることにしました.

    徳山市立中央図書館の郷土資料室の司書の方から何度も, "あなたは何を調べているのですか? 部落について調べることは差別ですよ" と指摘を受けたのですが, その都度, 私が答えたのは,

    最初は, "光市の象鼻ヶ岬の海岸にある観音堂の近くに遊女の碑があり, 長州藩における遊女の歴史を調べようと思って・・・" と答えましたが, 司書の方は,"あなたが調べている遊郭のあった場所は被差別部落のある場所ですね" といいます. 私は,"ええ? そうなんですか, 私はしりませんでした" と答えました.

    次は, "私が調べているのは被差別部落についてではありません.私は日本基督教団の牧師なので, 長州藩におけるキリシタン弾圧の歴史とその牢屋の歴史を調べています" と答えました.司書の方は,"あなたが調べている場所は被差別部落です" といいます.それで私は,"知りませんでした.キリシタンを弾圧・お仕置きをした場所は被差別部落なのですか? 貴重な情報ありがとうございます" と答えました.

    さらに, "私が調べているのは,長州藩の街道の警備をしていた人々とその組織です. 被差別部落の歴史を調べているわけではありません"と答えますと,司書の方は,"あなたがコピーを要求する文献には,すべて被差別部落に関する記事が含まれています. 被差別部落について調べるのは差別ですよ!" と立腹されていました.

    そしてある日,徳山市立中央図書館の郷土資料室で調べていると,年配の男性の方がよって来られ,"あなたは何を調べているのですか?" と問いかけて来ます. 真剣な眼差しで問いかけて来られましたので, 山口県立文書館の北川健先生の論文を読んで,その論文に引用されている文献を自分の目で読んで確認しています" と答えました."今, 何を調べているのですか?" と問いかけられるので, "長州藩の穢多寺について調べています" とありのまま答えました."どの本にそのことが書かれていますか?" と言われるので, 書棚から関連書籍を取り出して指で提示しました. その方は,山口県立図書館の研究員の木下先生でした. 木下先生が, "長州藩の穢多寺は4か寺と茶筅寺1か寺だけですよね" と言われるので, "まだ周防国の寺しか調べていませんが, 茶筅寺は1か寺ではなく3か寺です"と答えました.木下先生は,"どこに書かれていますか?" と言われるので, "私は山口県同和問題を考える宗教者連帯会議" に参加していますが, 浄土真宗の住職さんから3か寺を教えていただきました" と答えますと,木下先生は,"もうそこまで調べているのですか.それでしたら,あなたが被差別部落の歴史を調べることについてとめることはありません.気の済むまで調べなさい・・・
" と, 思いがけない答えが返ってきました. 山口県立図書館の研究員の木下先生と日本基督教団の牧師である私の一対一の真剣勝負の対話でした. そのあとは, 徳山市立中央図書館郷土資料室の司書の方は, 私に, "被差別部落の歴史を調べるのは差別ですよ" と怪訝そうな視線で語りかけて来られることはなくなりました. その後,私は,山口県立図書館の研究員の木下先生の被差別部落史の研究現場を見せていただくことができました. 古文書をかたわらにおいてワープロで活字化していく作業を・・・.

    【日本基督教団の牧師から,またあなたのようなひとが出てきましたか・・・】

    山口県立図書館の研究員の木下先生との対話のなかで,木下先生は, 私に, "日本基督教団の牧師から,またあなたのようなひとが出てきましたか・・・" と語りかけてきました. "また・・・? 私の他に, 被差別部落の歴史を調べている日本基督教団の牧師がいるのですか?と問いかけますと,"仁保事件の冤罪事件にかかわった日本基督教団山口信愛教会のH牧師が,部落問題・部落史の一般説に依拠しないで, 山口県立図書館で自分で調べていました." と教えて下さいました. そして, 金太郎飴について話されました."図書館で, 部落問題,部落史研究の関連書籍を読んでも,どの本も同じことしか書かれていないでしょう.金太郎飴みたいにどこを折っても同じ顔しか出てこない.ほとんどの人は, 金太郎飴を折って同じ顔がでてきたことで満足して,その甘さを味わって終わり・・・. しかし, 日本基督教団のH牧師もあなたも, 金太郎飴を折って同じ顔が出てきたことで満足しないで,金太郎飴をつくった人を問題にしはじめる・・・. 差別から自らを解放し,差別から自由になっていないと,そのような研究はできない・・・, と話しておられました. 部落史研究の学者が書く論文は, どの論文を読んでも "賤民史観" という顔が出て来ます. しかし, H牧師も私も, 差別思想 "賤民史観" をつくりだした学者・研究者・教育者の差別的体質を批判する・・・.  

    【山口県の隣保館で行われる研修会の講師を依頼されたとき・・・】 

    部落解放同盟新南陽支部の集会だけでなく, 山口県の他の被差別部落の隣保館で行われる集会の講師を頼まれた時, 私は,原稿を読まないで (そもそも原稿を作成していない), 聴衆に自分の言葉で語りかけました.被差別部落出身ではなく, 被差別部落の側から見ると,私は差別者の一人に過ぎないこと,  その私が,被差別部落の方々と出会うようになって,どのように変っていったかを最初に話をするのが常・・・. 部落史に触れるときは, "穢多", "非人", "茶筅", "宮番", "長吏", "特殊部落" などの, いわゆる "差別語" を使うことになりますが, 同じ言葉を使っても, 差別的な響きを持つ場合とそうでない場合があります. 私が語る言葉にどのような響きがあるのか,部落解放同盟新南陽支部の方々の前で, 予行演習のつもりで話をさせていただきました.その結果,他の被差別部落の中での集会で講師をしても,その聴衆から,差別発言を指摘されたことは一度もありませんでした. 日本基督教団部落解放センターの委員をしている牧師から,"吉田牧師が部落差別問題の講師をして1錢でも儲けたら差別者として糾弾する" と何度も言われていましたので, 講師の謝礼はありがたくいただくとして,それを全額, 部落解放同盟新南陽支部にカンパしました. 日本基督教団部落解放センターに献金するいわれはありませんから・・・. ただ, 新南陽支部にカンパした金額と同額の高価な部落史関連史資料を提供されましたので, 結局は, 講師料が, 講師をした私のところに還流されたことになります.それは, 史資料であって, "錢" ではないので, "問題なし・・・"と判断しました.   

    【被差別部落の人々は多種多様,被差別部落との出会いも様々・・・】
 
   日本基督教団西中国教区 "山口分区" の牧師として, 部落差別問題と取り組んできた前述の過程と平行して, 部落問題をめぐって,不愉快で深刻な経験をさせられました. 西中国教区総会で, "部落差別問題" という言葉ではなく "部落問題" という言葉を使った, 私が牧師をしていた教会の信徒議員は, 西中国教区の執行部から, "差別発言をした" と指摘されたのですが, あとで分かったことですが, 彼女は, 部落解放同盟徳山支部の支部長のめいごさんでした.そのご主人も教会員でしたが,彼はのちに部落解放同盟の支部を立ち上げた人です. 彼女をめぐって起きた同和対策事業をめぐる諸問題が, 前任者が自害した教会に嵐の如く襲ってきて, 教会は深刻な痛手を受けることになりました. 日本基督教団西中国教区の部落差別問題との取り組みは極めて観念的で, 被差別部落の実態を反映しているとは思えない類のものでした. 彼女の存在は, 日本基督教団の教会と被差別部落との間の深い亀裂を物語るものになりました.

    【読者の方々に誤解を与えないために最初に結論を・・・】

    私のこのブログの読者は1桁しかいませんので, あえて, このような文章を載せる必要はないのかもしれませんが, 被差別部落の人々は多種多様であり, その被差別部落との出会いも千差万別です. 教会役員のA姉のおじさんが, 部落解放同盟徳山支部の支部長をしていたり,同じ教会員のA姉の連れ合いのかたも, あらたに部落解放同盟の支部をたちあげたりしていたのですが,紆余曲折, 様々なことがあって, A姉とその連れ合いは教会を離脱,また彼らが関与した同和対策事業とのからみで,彼らは, 部落解放同盟からも離脱, 一説に, 暴力団系同和団体と言われる組織に鞍替えしてしまいました. 私のこの文章は, 部落解放同盟の不正を暴くためのものではありません. 部落解放同盟は, 一枚岩ではなく, ある意味多種多様な支部を抱え込んでいますので, "清濁あわせ呑みこむ" 団体になっています. 時の流れのなかで,部落解放同盟中央本部が変節することもあるし,その支部が本来の部落解放の理念や運動から逸脱することもあります.その指導者にいたっては,部落問題・部落史研究の学者・研究者・教育者を含めて, 文字通り, 千差万別・・・. 共通点といえば, 差別思想である "賤民史観" の信奉者であることだけ・・・ そのような社会にかかわるとき, 大切なのは, 部落問題・部落史研究について, 自分の視点・視角・視座を明確にして, 反差別主義の熱意を持ってかかわることです.

    【"吉田牧師の故郷・岡山に行って身元調査をしてきました"】

    前任者が自害したという,日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会に赴任してまもなく, その教会の副牧師であった隠退牧師の方が,私にこのように語りかけてきました. "吉田牧師の故郷・岡山に行って身元調査をしてきました". 私が, "私の身元調査をして,なにかわかりましたか?" と尋ねると, 彼は,"吉田牧師が私たちの仲間でないことが分かりました・・・" との返事・・・. 私が,"仲間ってなんの仲間ですか?" とさらに問いかけますと,彼はくちをもごもごしていましたが,私にはなにをいいたいのか, わかりませんでした.身元調査をするなら, 私がその教会の牧師として赴任する前にするのが普通・・・. それなのに赴着任してから身元調査をするなんて, 何の身元調査なのだろう? と思っっていましたが, その身元調査が, 牧師である私が, 被差別部落出身であるかどうかの身元調査であったことは時を置かずして, 明らかになってきました.

    【"吉田牧師の本籍を下松市の被差別部落の中に移してください"】

    教会役員会の一人, 下松市市役所に勤めている人が夫婦で教会にやってきて, "牧師さんにお願いがあります. 牧師さんの本籍を, 私たちが指定する下松市の被差別部落の中に移してください. そうすれば, 私たちが責任をもって牧師さんを一生養ってさしあげますから・・・" といいます. その理由を尋ねますと,"この教会の教会員の半分は, 被差別部落出身か,つれあいのいずれかが被差別部落出身です. この教会で牧師を続けたければ,被差別部落の中に本籍を移してください" といいます. そのとき, 私は, 私のふるさと・岡山にわざわざでかけて私の身元調査をしてきたという隠退牧師が "吉田牧師が私たちの仲間でないことが分かりました・・・" といっていた "仲間でない" という言葉の意味が分かりました.つまり,隠退牧師は, 私が被差別部落出身でないことを知り, 自分たちと同じ被差別部落出身ではないことにがっかりされたという表現であったと. 私は長男, 妻は次女ですがお姉さんがすでになくなっていましたので長女と同じ・・・. 結婚するとき, 結婚届を出した神奈川県相模原市にしました. 思い出の本籍地を変えることはできないと, 彼らの申し出を断りました.

   【"吉田牧師さんは奥さんとお子さんを離縁して, 私たちが指定する被差別部落の女性と再婚してください"】

    その教会役員で, 下松市の職員であるA兄のつれあいのA姉も教会員でしたが, またまた無理難題を持ち込んできました.  "吉田牧師さんは, 今の奥さんとお子さんを離縁して, 私たちが指定する被差別部落の女性と結婚してください. " といって, その理由を話していました. そのA姉は, 被差別部落出身だそうで, 教会の役員をされているA兄が肺結核で結婚相手がいない, そこで教会の牧師が, そのA姉にその人と結婚して被差別部落を出ることをすすめたようです. A兄は, 地域の名門の家柄で, やむを得ず結婚を許すが,こどもはつくってはならないと強制されたそうです. A姉が赴任手術を受けたことでA兄とA姉は結婚を許されたそうですが, A兄とA姉が再婚相手に紹介している被差別部落の女性もこどもを生むことができないからだだそうで, "牧師さんが,妻と子を離縁して, 私たちが指定する被差別部落の女性と結婚したら,牧師さんも私たちと同じになるので,牧師さんを牧師さんとして受け入れることができます" と無理難題を持ちかけてきました. "私は, 聖書の神さまを信じて, そのみことばに生かされています. あなたがたの要望は, 聖書のことば,神さまのみむねに反する要望です.聞き入れるわけには行きません!"と強く拒否しました.

       【"吉田牧師は, この教会を社会派の教会ではなく, 純福音の教会にしてください"】

    次の無理難題は, "前任の牧師は社会派の牧師でした.そのために, 私たちは苦労させられました. そこでお願いがあります. 牧師さんは,この教会を社会派の教会ではなく, 純福音の教会にしてください" というものでした. 最初のふたつの彼らの要望はとりつくしまもないほど拒否しましたが, 3番めの無理難題は, 受け入れて,"いいですよ. この教会を純福音の教会にしましょう.教会が純福音の教会になるためには, 信徒であるあなたがたかも純福音の信徒にならなければなりませんよ." と語りかけますと, 彼らは, "それで結構です" と答えました.それから, 私は説教のなかで,純福音の教会の信徒としてあるべきすがたを取り上げることにしました. 1. 主日礼拝は必ず守ること, 2.聖書研究祈祷会もできる限り参加すること, 3. 10分の1献金をすること, 4. 教会案内のチラシを配布して伝道に参加すること, 5. 偶像崇拝をしないこと・・・. 教会員の半分が被差別部落関係者であるという教会は, 社会派の教会ではなく純福音の教会を目指して再出発することになりました. ところが,そのことがさらにいろいろな問題を引き起こすことになりました.

       【"吉田牧師は, 私に部落に入ってトラクトを配布しろと言う, そんな教会には関わりたくない・・・"】

    前任の自害した牧師は, 社会問題とのかかわりに熱心な牧師であったようですが, 後任の私に, 教会を純福音の教会にすることを求めてきた教会員の要望を全面的に聞き入れて, 私は, まず, 教勢拡大のために, トラクト配布をすることにしました. そして, 下松市の地図を広げて区画割りし,主日礼拝に出席されている方々に, 住んでいる近くにある区画を割り振りました.そして, 礼拝後, 地図を広げて説明をしたのですが, B姉が, "吉田牧師は, 私に部落に入ってトラクトを配布しろという, そんな教会に私は関わりたくありません. 主日礼拝にも聖書研究祈祷会にもでません・・・" と宣言したのです. 赴任して, 日の浅い, 牧師である私は,下松市のどこに被差別部落があるのか, 知るはずもなく,ただ単純に, 教会員の住所の近くの区画に割り振っただけなのですが, そのことが, なぜか, 被差別部落の関係者である教会員によって問題にされるようになり, 彼らは, "純福音の教会が, 部落の人々にも伝道するというなら,もう純福音の教会にならなくて結構です" と, 朝令暮改的に自分たちの要望を取り下げてしまいました.

        【"吉田牧師は, 伝道するときこの世帯主名簿を見て伝道してください・・・"】

    そのあとすぐ, 下松市役所に勤務しているA兄がやってきて, "吉田牧師は, 伝道するときこの世帯主名簿を見て伝道してください・・・" と青焼きコピーの原稿と思われる住所録をもってきました. 私が, "この名簿は, なんの名簿ですか?" と問いかけますと,彼は, 下松市の古い文書類の焼却処分を命じられたとき, それを焼却しないで家にもって帰ったのだと言います.  被差別部落関係の文書類は彼の自宅に保管しているといいます. A兄のつれあいのA姉は被差別部落出身と聞いていましたので, 被差別部落関係者であるA兄・A姉が, なぜこともあろうに, 下松市の被差別部落の世帯にしるしをつけた住所録を手渡すのか, 解せないので, その住所録を受取ることを辞退しましたが, A兄は, "この教会の教会員の半分は被差別部落出身者か関係者です. みんな被差別部落を出た人ばかりです. みんなが怖がっているのは, 牧師が被差別部落に伝道することで, あたらしくやってきた被差別部落の人によって, 自分たちの身元がバラされることにあります. ですから, 吉田牧師は, 部落に伝道しないでください" と言い残して, その住所録を押し付けて帰って行きました.その世帯主の住所録には, 混住化が進む下松市の被差別部落の中の部落民について, また被差別部落を出て一般地区に移住した被差別部落の世帯にもしるしがついていました. つまり, A兄・A姉は, 牧師である私に, 下松市の被差別部落の全世帯の名簿を渡して,被差別部落の人々に伝道しないように要求してきたのです.

    
【"吉田牧師が, 部落出身の教会員に献金を強制するのは, 部落民を搾取するのに等しい!"】

    教会の "純福音化" 問題は, 伝道問題だけでなく, 献金問題にも発展して行きました.被差別部落出身者はその関係者である教会員から, "吉田牧師が, 部落出身の教会員に献金を強制するのは, 部落民を搾取するのに等しい. 吉田牧師は, 差別者だ. 私たちは, 差別的な牧師のために献金をすることはできません. 部落関係者は全員, 献金はストップすることにしました" という声がではじめ, 結局, 彼らは献金を辞めてしまいました. 理由は, "吉田牧師を兵糧攻めにして, 差別牧師をこの教会から追い出す" ためだったとか・・・. A姉の言葉です. 私が赴任した教会員の半数は, 一般に側の人々です. 彼らは, 前任者が自害したとされる教会の再建を祈り求めていました. そして, 彼らからひとつの提案が出されたのです. 役員会で審議して, 役員会は, "吉田牧師には, 部落関係者の教会員の献金がなくなった分を補填するため, 副業をもってほしい" と要望してきました. 徳山市議会事務局で速記者をされていた教会書記担当役員の方からのいろいろな支援で, 副業を持つことが可能になりました. その結果, 日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会に身を置いた30年間, 部落関係者である教会員からの献金はほとんどありませんでした. 教会の牧師招聘状に記された月額150,000円は有名無実と化し, 月額80,000円+副業 での生活が始まりました.   

   【"吉田牧師は, 私たち (部落関係者)より白拍子の方を大切にしている"】

    山口の小さな教会に赴任したとき,被差別部落関係者のC姉が, "教会はD姉の老後のめんどうを見る約束をしているので, 老人ホームに入院しているD姉を定期的に訪問してください" と語りかけてきました. 後で, わかったことですが, 教会がD姉の老後の世話をすると約束した事実はなく,D姉が自宅の増改築のために, D姉の老後のめんどうは私が見るからその増改築の費用を貸してほしいと頼んで, D姉から多額な費用を貸してもらったそうですが, そのうちD姉は認知症になり, C姉にお金を貸したことも忘れてしまいました. しかし, C姉は少しく気にしていたのでしょう. 牧師である私に,  "教会はD姉の老後のめんどうを見る約束をしているので, 老人ホームに入院しているD姉を定期的に訪問してください" と, C姉がしなければならないことを牧師である私に押し付けてきたのでした. 私は, 自転車で老人ホームまで通っていましたが, あるときC姉は礼拝のあとの茶話会で, 私の批判をはじめました. 吉田牧師は, "私たち (部落関係者) より, 白拍子の方を大切にしている. 牧師は, 人を偏りみないで, 平等に大切にすべきだ" と. 私ははじめて耳にした言葉なので, 教会役員会の方に, "白拍子って, 何のことですか?" と尋ねると, "C姉は, 白拍子という言葉を遊女の意味で使っています.牧師さんが,部落民より遊女の方を大切にしていると不満をぶちまけてるんです", とのこと. 部落関係者のC姉は, D姉から家の増改築のために多額なお金を借りて返済もしていないのに,そのD姉を遊女呼ばわりして差別語を投げかけるとは・・・! 私はただただア然とするのみ・・・. そのあと, 私は, 長州藩と山口県における遊女の歴史について学ぶことにしました.
  
    【"前任の牧師は目が見えなくなって悲観して自殺したことにしてもらったから,今度は, 耳が聞こえなくなって悲観して自殺してもらいましょう・・・"】

    赴任してまもなく, 私は難聴になりました. それで, 社会保険徳山中央病院の
耳鼻科で精密検査をしてもらったのですが, 医師の診断は驚くべきものでした. その医師は, "あなたは, 人に恨みを買っていませんか? あなたの難聴の原因は毒物です. 食べたり飲んだりすることにもっと注意して,  自分の健康は自分で守ってください" といいます. 私が, "毒物って,どんな毒物ですか?" と尋ねますと,"あなたの身近に結核患者はいませんか? 結核の治療に使うストレプトマイシンなどを健常者が服用すると副作用で難聴になることがあります. ストレプトマイシンは, たとえばコーヒーに入れるクリープと同じ色をしていますので, あなたの奥さんが入れたコーヒーしか飲まない方がいいですよ" とアドバイスをしてくださいました. その週末,土曜日に, 主日礼拝中に, 教会の台所で作業をしている婦人たちのために説教が聞こえるように台所にスピーカーをつけるように頼まれていたので, 台所にマイクを設置,礼拝堂の講壇のカセットテープに録音,礼拝堂の左右に, 讃美歌自動演奏機用のスピーカーに接続して, 試験運転しました. ところが, 台所で, C姉とA姉・B姉のとんでもない会話が録音されていました. その内容は, "前任の牧師は目が見えなくなって悲観して自殺したことにしてもらったから, 今度の牧師も目が見えなくなって悲観して自殺してもらうわけにはいかないでしょう?" という問い掛けに, "今度の牧師は耳が聞こえなくなったということで自殺してもらいましょう" という答えがなされていました. 最初その会話を耳にしたとき, "悪い冗談,ブラックユーモアだ" と思ったのですが, 礼拝後の役員会で, 私は, その会話の内容と, 徳山中央病院の医師の診断内容について報告しました. そして,  妻が入れたコーヒーを前にして, 役員の方々に, "これがストレプトマイシンの入った可能性のあるコーヒーです. この教会の教会員は,みんな信仰者ですよね.悪い冗談はもうやめにしましょう" と訴えてコーヒーをすすめたのですが, 被差別部落関係者の教会役員は一切口にしませんでした. 一般の教会員は, "そんなこと, 冗談に決まってます" といつもの通り美味しそうにコーヒーを飲んでいました. 私も一緒に飲みました.教会の台所のコーヒー,クリープ, 砂糖はすべて廃棄処分して, 妻があらたに買ってきたもので入れたコーヒーですから, 安心して飲むことができました. 一般の教会員も被害なし・・・.

    教会員の半数が被差別部落関係者である教会には, おぞましいブラックうホールがあると感じました. 部落民とは何なのか? 部落差別とは何なのか?そんなことを真顔で平然と行っていれば, 被差別部落の人々が一般の人々から差別されるのも当然ではないか? 

    後日, C姉に, 前任牧師の自殺について尋ねると, C姉は, "前任牧師の死は, 自殺ではありません. A兄に頼んで下松署の知人に自殺として処理してもらったんです. 私の, 被差別部落関係者の知人による過失致死です. 私の知人を助けるために前任の牧師には自殺したことにしてもらったんです. 牧師を殺しても, 神は, 私たちを罰しないことが分かりました・・・" と話していました.

    【"吉田牧師を, 教団の教師委員会にかけて牧師の資格を剥奪する"】

    日本基督教団西中国教区の牧師たちが, "吉田牧師を, 教団の教師委員会にかけて牧師の資格を剥奪する" と通告してきたことがあります. その告発理由は, "被差別部落の関係者であるC姉の息子が教会の役員になることを牧師がストップをかけていることは, 吉田牧師の差別行為であり, 決して, 牧師として許されることではない."というものでした. 西中国教区はその牧師たちからの告発を受けて,常置委員会が, 調査に入ることになりました. そのとき, 長年, 教会の書記担当役員をしているK兄が信徒代表として同席することになりました.そのときK兄は, "C兄は, 幼児洗礼を受けているが堅信礼を受けていないので, 現住陪餐会員ではありません. 教団の教憲・教規では, 教会の役員は現住晩餐会員から選ばれる事になっています. よって, C兄は, 教会の役員になることはできません.吉田牧師も教会役員会も, C兄を差別したり排除したりしたことはありません" と説明しました. すると, 常置委員会から調査のために派遣された牧師・信徒の常置委員の方々は, "吉田牧師と教会役員会の判断は正しい.今回告発した牧師たちの判断は間違っている" としてことなきを得ました.
 
   
【"牧師に神の愛があるなら, このサラ金の借用書に金額を書かないで署名捺印してください."】
   
 
    西中国教区総会で, 私が牧師をしている教会の信徒議員E姉が, "部落差別問題" ではなく "部落問題" という表現を使って差別発言をしたということで, 西中国教区執行部から叱責され, 牧師である私もその連帯責任をとることが求められ, 私は, 西中国教区部落差別問題特別委員会の委員を押し付けられました. そのE姉は, 部落解放同盟山口県連徳山支部の支部長の姪にあたる方・・・. そのE姉のつれあいのE兄も教会員でしたが, あるとき, E姉が経営しているコンサルタント会社が倒産の危機に直面しているので, E兄の会社の倒産を免れるために, E姉は, "牧師さんに, 神の愛があるなら,このサラ金の借用書に, 金額をかかないで署名捺印してください" と
牧師である私の前に1枚の書類を差し出してきました."金額を白紙のママ・・・?"  と問いかけますと,"教会員である私たちを信じているなら, 金額欄は白紙にして, 私たちに自由に書かせてください" といいます. 私が,"できません" と答えますと,E姉は, 教会員の家をまわって, "吉田牧師は, 教会員である私たちが破産に直面して困っているのに何も助けてくれない.吉田牧師には神の愛がない!
" と涙ながらに話してまわりました. 教会員の半数は, 被差別部落の関係者でしたが, 彼らは,牧師が被差別部落関係者の教会員から献金を求めるのは被差別部落の関係者から搾取することになるとして, 献金をストップしている方々でした. 彼らは,"私たちの会社が倒産の危機に直面しても, 牧師はなにも助けてくれない.そんな教会にいても何のメリットもない" として, 一斉に教会を離脱していきました.被差別部落の関係者が, 吉田牧師によって差別されているとの彼らの声を信じた日本基督教団の近隣の教会の牧師たちは, 教憲・教規を無視して,被差別者に対する緊急避難的措置として彼らをそれぞれの教会に教会員として強制的に移籍させました. その過程のなかで,"E姉と連絡がとれなくなった彼らが, 牧師である私に, "E姉とE兄がもし一家心中したら, 吉田牧師はどう責任をとるのか! " と叱責してきました.  

       【行方不明になった, 部落解放同盟徳山支部の支部長の姪のE姉探し・・・】

     牧師と教会役員で, 行方不明になったE兄・E姉探しをはじめたのですが, なかなか見つけることができません. しかし, E兄・E姉探しは, 思いがけないところから進展することになりました. この話を, 部落解放同盟新南陽支部の方々にしたところ, 最近, 部落解放同盟山口県連の関係者が,いくつもの会社を設立し計画倒産, そこで得た資金を元手に, 大規模同和対策事業を計画している, それに関与している経営コンサルタントの名前がE兄と同姓同名・・・. また, ある市で, 被差別部落の青年たちが, 同和対策事業ではなく, 差別なき社会をつくるための運動をして, 支部結成の動きがあるが,それをその部落のボスが潰しにかかっているが, そのボスの名前がE兄と同姓同名・・・.  "もしかしたら, 教会のEさんと部落のEは同じ人物なのかもしれない・・・. もし,そうなら, 部落の中に逃げ込んだEさんの所在を突き止めることは容易でない・・・" との情報を得ました.

    そのことを教会の書記担当役員のK兄に伝えると,"私のいとこに小学校の教師をしている人がいる. その小学校の校区に被差別部落がある.いとこから, その被差別部落についていろいろ話を聞かされた事があるし,一緒に, その被差別部落を尋ねたことがある.すぐその場所へ行ってみましょう" と言って, K兄のくるまで出かけました. すると, 同和向け住宅や一戸建て住宅のならぶ,その上に "豪邸" があり, その門札に, E兄と同姓同名の名がありました. しかし留守なので, その "豪邸" の住人が, E兄と同一人物であるかどうか,確認することは出来ませんでした. 

    【"どうしてここがわかったのですか? 神さまに教えてもらったんですか?" 】

    次の日,私ひとりでその被差別部落の家を尋ねたのですが, 家の中から出てきたのは, 行方不明になったE姉でした. E姉はとても驚いて,震えながら, "どうしてここがわかったのですか? 神さまに教えてもらったんですか?" と問いかけてきました. 私は, その問いに答える事なく, E姉にことの次第の説明を求めました.E姉の話の内容は,部落解放同盟新南陽支部の方々からの情報に沿ったものであることを知り,E姉はほんとうのことを話し始めたと確信しました. E姉によると, E兄から, "教会と牧師から借りれるだけ借りたら教会を離れろ!" と言われていたそうです. E姉は, "私はまだ神さまを信じているので,教会や牧師先生からお金をだましとることはできませんでした・・・" と話していました. そして, 後日, E姉が教会から借りていたお金を全額返却してきました. 彼らの同和対策事業グループは, やがて部落解放同盟山口県連から離脱,部落解放同盟新南陽支部の方々からの情報では, 暴力団系の同和対策事業グループに加盟,そのトップに就任したとか・・・. 結局,教会は, その半数である被差別部落関係者が離れていくことで, "部落問題" から解放されることになりました.
 
    【"分区長である私が1000万,あなたが1000万受け取って, 教会を離れることにしましょう.部落関係の不動産会社がこの教会の土地を欲しがっている・・・" 】  
    
    E姉は,経営コンサルタントのE兄に言われて, なぜ, サラ金の白紙の借用書に署名と捺印を求めてきたのか・・・. それ以前に, E姉から牧師に借金の要請はありませんでした.その理由は, 郵便局に勤めているA姉が, 牧師と牧師婦人の貯金残高を調べその内容を把握しているが, そんな少額では何の役にも立たないので, 多額な資金を得るために, サラ金の白紙の借用書に署名と捺印を求めたのだということが分かりました.そのサラ金業者は,経営コンサルタントのE兄と同じ, 被差別部落の関係者が経営するサラ金業者でした.

    あるとき,部落解放同盟大阪府連の某支部の書記長をしていたという分区長の牧師がやってきて, "部落関係の不動産会社が,あなたの教会の土地を欲しがっている.彼は, 私が出た大学の先輩で, あなたの教会の土地を入手できるように配慮してくれたら,分区長であるわたしに1000万, この教会の牧師であるあなたに1000万, 支払うという.そのお金をもって,他の教会に転任して,あらたな宣教に従事しませんか" と, 私に語りかけてきました. 私は, 喧々諤々に, その分区長を叱責しました. "教会は,どんな教会でも主のみからだではありませんか? それなのに, 牧師の利得のために主のみからだである教会を売り渡すなんて,もっての他! あなたは, なんのために牧師になったのですか?” と. その後, 分区長の牧師は,すみやかに, 他の教区の小さな教会に, C姉が副牧師をしていたことがある教会に転任していきました.

     【"吉田牧師が酷い目にあっているのは, 被差別部落の人から信用されていない証拠.吉田牧師の差別的体質が招いた自業自得.神学校とその校長からさえ見捨てられた吉田牧師をなぜ私が支えてやらなければならないのだ! ありえない!" 】

    西中国教区部落差別問題特別委員会の定期会合では, それぞれの委員は, それぞれの取組を報告することになっていました. 私は, 委員会の席上で, 私が牧師をしている教会の部落問題を巡る問題について報告しました. すると, 他の委員の方が,委員長に, "吉田牧師は, 部落差別問題特別委員会の委員になり,そのとくりくみのなかでいろいろな問題にぶつかっているようですから,委員長は, もっと吉田牧師の取り組みをささえなければならないのでは?" と提案されたところ,西中国教区の私設隣保館である社会館の館長をしている, 部落差別問題特別委員会の委員長をしているF牧師は, みんなの前でこのように発言しました.  "吉田牧師が酷い目にあっているのは, 被差別部落の人から信用されていない証拠.吉田牧師の差別的体質が招いた自業自得.神学校とその校長からさえ見捨てられた吉田牧師をなぜ私が支えてやらなければならないのだ! ありえない!"  その委員長は, やがて日本基督教団の東京の教会に転任していきました.そのあとに, 社会館の館長として赴任してきて, 部落差別問題特別委員会の委員長になったのが,日本基督教団部落差別問題特別委員会の委員長をされていた牧師・・・. 彼が着任してまもなく, "西中国教区の牧師たちが, 吉田牧師を部落差別問題の取り組みから排除するなら, 私に協力してもいいと言う. 献金もしてくれるというので,吉田牧師を切り捨てることにした" と引導を渡されました.日本基督教団部落解放センターの主事をしている牧師からも, 電話で,"吉田牧師は即刻,部落差別問題との取り組みをやめろ! 辞めないなら, 日本基督教団の部落差別問題との取り組みとは関係のないところでやれ!" と言い渡されました.それで, 一挙に, 日本基督教団,京都教区, 西中国教区の部落差別問題との取り組みから排除・疎外されることになりました. 相前後して, 部落解放同盟山口県連, 県同教・地区同教育, 共産党,社会党関連団体とも出入り禁止処分を受けて,社会問題との取り組みから全面的に撤退することになりました. 非政治的な存在である私は,元の状態に戻っただけですが・・・. "E姉が私の教会の信徒なら, その信徒を助けるためにサラ金の借用書に署名・捺印して好きなだけ資金を用立てる" と主張する先輩牧師たちの牧師会からも離脱が確定・固定されることになりました.

    日本基督教団西中国教区での牧師としての30年間・・・, 私が出会った被差別部落の人々は, 被差別部落の中に住んで,差別されてもその差別をはねかえしながら明るく元気に生きている, 部落解放同盟新南陽支部のある地区のおじさんやおばさんたちのような人々と, 被差別部落を出て, キリスト教会を隠れ蓑にして "暗躍" している教会のおじさんやおばさんたちのような人々・・・. 後者によって, 言葉にしがたい様々な誹謗中傷・罵詈雑言を浴びせられながら,前者の被差別部落の人々の真の部落解放に少しくかかわることができたのは, 主なる神さまの導き以外のなにののでもありません. 問題の最中,私は毎日祈っていました. "主なるイエスさま,あなたがもし現代社会のなかを歩まれるとしたら,どこを歩まれることになるのでしょうか. 私は, 主イエスさまの御足のあとに従って歩んでまりたいと思っています. どうか, 私を導いてください" と. 日本基督教団阿佐ヶ谷東教会との出会いが,私にとって奇跡であったのと同じく, 部落解放同盟新南陽支部の方々との出会いも,私にとっては, 奇跡以外のなにものでもありませんでした. 中学1年生になったとき, 担任に図書室につれて行かれたとき, 日差しできらきら輝いている本がありました. それを手にとってみると新約聖書でした.その新約聖書を父から譲り受けて読むようになって, やがて日本基督教団の牧師になった私を,主なる神さまが山口の地で頓挫させられるとは夢にも思いませんでした. 私が受けた試練の背後には, 主なる神さまの,主イエスさまのみむねが存在していると信じて疑いませんでした. 嵐に弄ばれる暗闇から抜け出て, 光が差し込む地にたどりついたのは, ひとえに主なる神さまの導きと支えによるものです.

    牧師である私は, "神の愛はありません. 牧師は神ではありませんから, 神の愛は持っていません. 牧師も信徒も同じ神を神としてあおいでその神の愛によって生かされているのですから,同じ神の愛に生かされたものとして共に生きていきましょう" と説教するのみ・・・.


    教会員の半数をしめる被差別部落の関係者が教会を去ってしまったあとに, 被差別部落とはかかわりのない教会員と主日礼拝を守ることになりました.黒雲のたちこめる嵐が過ぎ去ったあとの静けさのように, 教会は, 牧師も教会役員も信徒も, 落ち着いて普通の信仰生活を守れるようになりました. 被差別部落の関係者が教会を離脱したあと,  クリスマスイブ礼拝に, 部落解放同盟新南陽支部の方々が出席されるようになりました. クリスマスイブ礼拝に集まった人々のろうそくに灯をともしていったのは,  部落解放同盟新南陽支部の書記長さん御夫婦のふたりの幼い娘さんでした. 被差別部落の関係者である教会員から, 神の愛をもっていない牧師,被差別部落出身の教会員を差別し排除する牧師と非難されてきた私への, 主イエスさまからのかけがえのないおくりものだと思いました.

    【世俗的な思い煩いから解放されて, 長州藩の被差別部落の歴史と山口県の未指定地区の古老からの聞き取りをしながら, 部落学序説執筆の資料集めと準備をすることに・・・
    
    想像を絶する "部落"問題 に直面させられた私ですが, やがて, "部落差別" 問題に集中して取り組むことができるようになりました. 徳山市立中央図書館郷土資料室や山口県立図書館で関連史資料を調べては,近世幕藩体制下の "穢多村" を尋ね,その古老から聞き取りをしました. 虚心坦懐に, 彼らの語る言葉に耳を傾ける私に, 被差別部落の古老たちは率直に話をしてくださいました.山口県文書館の北川健先生の書いた論文に出てくる被差別部落を自分の足で歩いて確認しました. あるときは, 部落解放同盟新南陽支部の方がと一緒に, あるときは,徳山市議会の事務局につとめ, 同和対策事業の先進地視察にいく市会議員のために事前調査と交渉, そして案内をしていた教会書記のK兄と一緒に,あるときは, 妻とふたりで被差別部落を尋ねました.そこでであった被差別部落の古老たちは, 先祖の歴史を否定することなく,その歴史を引き受けて生き抜いていこうとする方々ばかりでした.実存主義の哲学に慣れ親しんでいる私にとって, 彼らは,かれらなりの実存を生きていると確信しました. 尊敬すべき被差別部落の方々との出会いが,やがて, "部落学序説"に結晶することになりました. 

    旧約聖書のことば

    他人のために保証をする者は苦しみを受け,
    保証を嫌うものはあんぜんである (箴言11:17)

    あなたは・・・
    人の負債の保証をしてはならない  (箴言22:26
)

    聖書のことばは, 時として,聖書のことばを信じるものをわざわいにあうことから免れさせる・・・.

    (終)

2024/11/04

冤罪事件に関する本を5冊注文・・・

    仁保冤罪事件に関する本を5冊注文しました.

    "タスケテクダサイ : 仁保事件と岡部さん"
    "自白過程の研究 - 仁保事件の録音による"
    "仁保事件 別件逮捕と拷問"
    "仁保事件救援運動史 命と人権はいかにして守られたか"
    "人権(いのち)を守った人々: 仁保冤罪事件、支援者の群像"

    もちろん, 古本ばかり・・・. 日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会の牧師をしているとき, 気分転換によく山口県内をドライブしましたが, 仁保穂冤罪事件の仁保も, 八海冤罪事件の八海もドライブしました. 山口に棲息しているときは, 徳山市立中央図書館で拾い読みした程度だったので, 今回, 関連書籍を入手して, 再学習することにしました.

    若かりし日, 法学を独学していましたが, 刑事訴訟法は団藤重光の本を数冊読んで,  私も, "死刑廃止" に賛同していました. 


午後2:30‐4:00, コシヒカリの籾摺り・・・

    午後2:30‐4:00, コシヒカリの籾摺り・・・. 

    31kg入米袋1袋のみ籾摺をして, 後片付けをしました. もみがら2袋にもみをつめて口を縛り,籾摺機やその他の道具を農機具の小屋の中に片付け, 午前中籾摺をした3袋を, 玄米保冷庫に格納しました.

    玄米保冷庫に米袋をつみあがげるために使う専用リフトは, どうやら,バッテリーを新しいものに交換する必要がありそうです. 今日も手作業で7段目まで積み上げました.

    籾摺が済んでいない籾袋は, ヒメノモチ✕1袋,はえぬき✕5袋,コシヒカリ✕7袋・・・. 籾摺は, かなり重労働です. 

午前10:00‐12:30, コシヒカリの籾摺・・・

    午前10:00‐12:30, コシヒカリの籾摺をしました.

    ハーベスタ用籾袋4袋で, 31kg入玄米の袋3袋を得ました.5:4:3の法則が今日も有効であるようです. あと籾袋が8袋ありますので,31kg入玄米の袋6袋を得ることができそうです. 今年のコシヒカリの収穫は, 31kg入米袋20袋・・・. Kubotaの玄米保冷庫は21袋用なので,今年はコシヒカリとヒメノモチだけで収穫基本予定数 (21袋) に達成することができたようです. はえぬきは, 31kg入✕4袋が見込まれますので, 年末の贈答用に出荷したあと, 玄米保冷庫には31kg入米袋20.5袋保管,2023年度のコシヒカリ✕3袋, はえぬき2袋は,玄米簡易保管庫に保管することになります.

    妻と私は,2023年度産コシヒカリとはえぬきを食べることにしています. 昨日, 孫と一緒に遊びに来た娘は, "おとうさんとおかあさんの2023年度産コシヒカリ,玄米保冷庫に保管しているから新米同然よ" といって, この前野菜直売所湖南四季の里に5kg入コシヒカリ4袋を, 単価3,000円で出荷したところ, お客さんから, "高すぎる. 5kg,2000円が相場だ!" と立腹されたので全袋持って帰りましたが,それも持って帰ってくれました.  


次は誰がリタイアしていくか・・・?

    つい最近まで, 誰が反当りの収穫量が多いかを競い合っていたプロの農家は, 高齢化により, その関心は, 誰が次にリタイアしていくか, という関心に移って言っているようです.

    "ここらのもん" でない妻と私は, "ここらのもん" の競争に参加することはありません. 自分のペースで有機・無農薬で米を栽培し, 自給用に, 年齢に応じて作つけ面積を減少させながら95歳まで米をつくり続けていくつもりで, その体制つくりをしています.

    専業農家の話しですと, プロの農家がリタイアしても, 区画整理された1枚4反の田でないとその田の米つくりを引き受けてくれる専業農家はいないそうです. 妻の実家の棚田の田は3枚で3.8反・・・. 誰も引き受け手がいない田ので,いつまでも自分で栽培し続ける必要があるとか・・・.

    妻の実家のおとうさんが残してくれた田は, "よそもん" の素人百姓である妻と私にとって適切な広さであるようです. いつまでも大切にしていかなければ・・・.

今朝, プロの農家の方がやってきて・・・

    今朝, 湖南の赤津村のプロの農家の方がやってきて, "吉田くんは, 元気か? 最近, 軽トラに乗っていないけれど, 寝込んでんのではあるめえなあ・・・" と語りかけてきました.

    そんなうわさのでどころは,"ここらのもん" である "おかめ八目" のプロの農家の方であるようです. 湖南温泉に出向いたり, 自宅に他のプロの農家を集めて情報収集,ものしりの "ここらのもん" であることを自負している農家の戯言・・・.

    以前, 湖南史談会会員の方から,"吉田くんは, カネさもってねえから, 湖南のどの医院にもかかってねえ!" と, 湖南の赤津村のプロの農家がうわさを振りまいていると聞いたことがありますが,"オラは, カネさ持ってる! だから, 医者にかかって治療や手術を受けることができる!" という言葉からして, そのプロの農家は, ただ, "よそもん" をけなして, "ここらのもん" に自分がいかに優秀なプロの農家であるか, 自慢しているだけの事実無根の虚言・・・.

    そのプロの農家の話しでは, みんな歳をとってきて, 口は動くけれど体を動かすことができなくなっている, "吉田くんに対する罵詈雑言や批判中傷をしなくなった・・・" とのことですが, 健康が回復し,体力が元にもどったら, またまた再開する可能性はなきにしもあらず・・・.

    湖南の赤津村のプロの農家の方々とのつきあいは,  
Holy Indifference が一番・・・. Holy Indifferenceにまさる付き合い方はありません. 今朝, 尋ねて来られたプロの農家に対しても・・・.

    Holy Indifference は, 生前, 妻の実家のおとうさんから教えられた, "ここらのもん" との付き合い方に類似しています.


学問の原理・原則に殺されて・・・

    今朝は6:00に起床・・・.

    朝7:30まで, ギリシャ語聖書を通読していましたが, 私の訳で, 主イエスさまは, "学問の原理・原則で殺された" ということばに遭遇しました.

    新約聖書で, 学者とは "律法学者" のこと・・・, 教師とは, 律法の教師である "パリサイ人"" のこと・・・. 彼らが正しいと認識している, 彼らの学問の原理・原則によって, 主イエスさまは, 犯罪人として十字架刑に処せられた・・・. この世の学問と教育とは, 時の流れの中で大きくその道を誤ることも少なくない・・・. この世の学問の原理・原則に対する絶対的服従に身をまかせることなく, 学問の虚偽と不真実を忌避して, 常に真実を求め,真実に生きて行く, それが基督者のあるべき姿なのだと・・・.

    それを可能にしてくださるのは, 主なる神さまのみ・・・. 主なる神さまは, 信じる者を, この世から分離・導き出し,この世に属する者としてではなく, この世の中にあって,この世のために生きる信仰者たらしめてくださる・・・.

2024/11/03

午後は, 孫が遊びに来たのでコシヒカリの籾摺は中止・・・

    今日の昼,突然, 娘が向学ちゃんをつれて遊びに会ってきました.

    今日は, ご主人が出張で湖南に来ているとかで,娘と向学ちゃんも一緒についてきたようです. 別々のくるまできたので, 娘と向学ちゃんだけが遊びにきました.

    きちんと挨拶ができる子になっていて, 妻も私もびっくり・・・! 妻が, 娘にもって帰らせるための野菜を収穫にでかけるとき, 妻に,向学ちゃんは, "行ってらっしゃい",帰ってきたときは "おかえりなさい" と語りかけていました. 妻はとてもうれしそうでした. 

    先月, 階段から落ちて, 救急車を呼んだそうですが, CTスキャンをかけても異常はなかったと聞かされていましたが, 元気な姿を見て,妻も私もホッとしました.  

    娘と孫が帰ったあと, 籾摺場の片付けをして, 午前中に籾摺をした31kg入✕3袋を, 農機具の小屋の玄米保冷庫に格納しました. 格納用リフトが故障・・・? あるいは, バッテリーの充電不足・・・? それとも, バッテリーの劣化・・・? それとも, リフトを上下するスイッチの故障・・・? いろいろ原因が考えられたのですが, とりあえずバッテリー補充液を補充して, 再度充電してみることにしました.

    今日は, リフトを使わないで, 昨日積んだ4袋の上に3袋を自力で積み上げました.

午前9:30‐12:00, コシヒカリの籾摺・・・

    午前9:30‐12:00, 妻とふたりでコシヒカリの籾摺りをしました.

    今日は昨日とうって変わって, 秋の晴天, 農作業日和になりました. 今日は, 家庭用籾摺機・ミニダップFS20 の調子が悪く思うように籾摺をすることができません. 100V の電灯線の電圧が不安定なのが原因・・・, それで変圧器を使用して, 常に電圧が100-115Vの範囲で維持されるように設定して, 籾摺を続けることができるようになりました.

    籾摺作業中になんどもホースの玄米が詰まるようになり, すべてを点検・・・. 詰まる原因は実っていない籾のついた柄が数本, ホースの穴を塞ぎますと, そこに稲わらが積み重なって,やがて空気の流通をとめてしまうことが詰まる原因であることと推定,柄のついた籾は投入しないことにしました. そのあとは, 順調に籾摺を続けることができました.

    今日の午前中の籾摺は, ハーベスタ用籾袋4袋を籾摺して31kg入玄米の米袋3袋を得る事ができました. ボウガケ数:籾袋数:玄米の米袋数=5:4:3の法則通り・・・.

    午前中の作業では右手に痛みはきませんでした.


"ネッター解剖学アトラス" を見ながら右手の痛みを解析・・・

    今朝は5:30に起床・・・.

    最近, 右手首を, 表千家の作法でお茶をたてる動作をしますと痛みがこないのですが, 裏千家の作法でお茶をたてる動作をしますと右手と右肩に痛みが来ます. なぜなのか・・・? それを自分で解析するために, ギリシャ語聖書を通読したあと, "ネッター解剖学アトラス" (原書第5版) を見ながら右手の痛みの原因を解析しました. 

    橈骨神経の障害で筆記障害が起きていることは前々から知っていましたが, 長時間筆記作業をしなければ, 下手な字でよければ筆記を続けることができていたので、あまり気にとめることはなくなっていたのですが、家庭用籾摺り機で籾摺りをしていて痛みが来るようになり, その原因を探ることにしたのですが, 表千家流の茶のたて方だと痛みが来ないのに, 裏千家流の茶のたて方だと痛みが来る, そんなことがあるのだろうか・・・, と思って、"ネッター解剖学アトラス" の手・上腕・肩などの該当箇所の解剖図を前に筋肉の動きを左手の指で確認しました。その結果, 裏千家流の茶のたて方と同じ動作をすると、上腕の肩との接続部分の筋肉が激しく動き痛みがくることを確認しました。右手指・右手関節から上腕上端まで橈骨神経が走っている周辺部分の筋肉に痛みが来ていることが分かったので, その痛みを回避する方法, 近因と遠因を取り除き, 予防措置をする方法を検討しました。右手首の痛みをとるためには右肩周辺部分の痛みをとらなければならない、両者は連動しているので・・・. 

    磐梯熱海の太田病院の整形外科が廃科する前、その整形外科の担当医師の方から、注射や服薬を使わないで, 関節痛・神経痛・筋肉痛を自分でとる方法を教えてくださいました。"これを教えると, 整形外科の医師は要らなくなる・・・. だから, どの医師も患者には教えない. しかし, もうこの病院の整形外科はなくなるから, あなたには教えてあげよう" と言って自分の身体の痛みを自分の手で癒す方法を教えて下さいました.

    今回も, そのアドバイスの適用・・・. 振り返って考えてみれば, そのときから, 私は, 病医院通いをすることはなくなりました. 医学部の教科書・参考書を調べ, 解剖学・生理学・病理学, 診断学・内科診断学・臨床検査学,看護学・リハビリテーション学, 薬理学・健康管理学・公衆衛生学などの医学専門書を300冊集め, 早期発見・早期予防に徹してきました.

    旧約聖書外典に, "神を信じるものは良き医者に出会い, その生命を救う. 悪しき人は悪き医師の手に落ちてその生命を失う"・・・, という意味の言葉があったように記憶しているのですが, 山口にいるときも福島で棲息しているときも, 良き医師に出会ったことは, 主なる神さまの導きによるもの・・・. ひとのいのちはすべてそれを創造された神さまのみ手の中にあります.

2024/11/02

Googleで "部落学序説" を検索すると

    Google で "部落学序説" を検索しますと, "部落" 関連のいろいろな "序説" がリストアップされます.

    その一画面が, 左のそれ・・・.

    どの "序説" も私の手元にあります. 発行年度は, 上から, 1990年, 1985年, 2005年, 1998年, 2014年・・・. どの文献も読んでいないので, その内容は, 私の "部落学序説" には,反映されていません.

    それらの文献は, "部落学序説" 執筆後に入手したものです.   ただ同じ "序説" という言葉を使っていても, その意味するところはかなり異なっているようです. 私は, "プロレゴメナ" (
prolegomena) という意味で "序説" を使用していますが, その対極にあるのが, "被差別部落起源論序説" の "序説"・・・. "プロレゴメナ" であることを意図的に避けておられるようです.  "被差別部落起源論序説" の "序説" の意味は "本論に導入するためのまえおきの論説. 序論." (広辞苑)という意味で使用されています.  "近代日本部落問題研究序説" の "第Ⅱ部 水平運動の成立と発展" では, "序説"という言葉は "プロレゴメナ" (prolegomena) 的意味合いが含まれています. 晴耕雨読で, 冬の積雪期間に, 上記5つの部落問題・部落史研究に関する "序説" を比較検証することにしましょう. その際参考にするのは, 小林茂・秋定嘉和編 "部落史研究ハンドブック" (1989)・・・. 部落史研究の全体像を把握しながら, 私の "部落学序説" をその中に位置づける作業をします. 
 

郡山に買い物に出かける・・・

    今日は一日雨・・・.

    それで, 今日は,妻とふたりで郡山に買い物に出かけました. まず, ホームセンターによって,サプリメントのビタミン類を購入・・・. 事務機店で, 製本テープ2個と, 2025-2027年用3年連記の手帳を購入・・・.

    そのあと, 今回の買い物の目的である, 妻の暖パンを購入・・・. 夏用の作業ズボンが998円で販売されていましたので, 2本購入・・・. いずれも, ミャンマー製・・・.

    そのあと, 行きつけのスーパーに立ち寄って食料品を購入して帰ってきました. 午前10: 00にでかけて帰ってきたのが午後3:00・・・. 湖南から郡山までの往復の間,まだ刈り入れを終えていない田が雨に濡れているさびしい風景が目に飛び込んできました. なぜ, 稲刈りがまだ済んでいないのか,ひと目見て判断することができるほど,そこには多様な稲田の姿がありました. 一番多いのは, 土・日に稲刈りをするつもりでいたのに,土・日ごとに雨が降って,土・日にコンバインで刈り取ることができなかった・・・. 毎年, 妻の実家の棚田の田の稲刈りをするころ, 奥羽山脈の三森峠の太平洋側の田も日本海側の田も稲刈りがすんでしまっているのが常ですが, 今年は,天候不順で, 多くの田で稲刈りが済んでいません. 素人百姓の私が, 稲刈りのシンガリをつとめるのは当然といえば当然・・・, しかし, プロの農家が素人百姓より遅れをとるのは耐え難いことでしょう. 私も耐え難い・・・. はやく, 稲刈りをすますことができるよう, 祈ってやみません.

εγώ γαρ εμαθον εν οις ειμι, αυταρκης ειναι.

    今朝は7:00に起床・・・. 

    ギリシャ語聖書を1時間ほど読んでいました. そこで遭遇したことばは, "εγώ γαρ εμαθον εν οις ειμι, αυταρκης ειναι."

    αυταρκης は, 元の意味は "自給自足" の意・・・. 2013年4月1日に日本基督教団の隠退牧師になり, 東日本大震災・原発事故による放射能汚染後の福島の, 妻の実家のある郡山市湖南町赤津村に帰郷・帰農して, 年金暮らし&百姓暮らしをしている私に相応しい聖書のことば・・・. 

    この  αυταρκης という言葉は, 英訳されると, プラス・マイナス両面の意味を含有することになるようです. "自己満足" とか, "自惚れ" とか・・・. αυταρκης は, 人生のいとなみにおいて,その基本的に必要なものは, 主なる神のみ助けによって,自分で生産,つくりだす生き方を指すことばです. 他者から, いかに,  "自己満足" とか, "自惚れ" とか, 揶揄され批判されようと, 聖書主義・敬虔主義の信仰者は, 聖書的 αυταρκης な生き方をまっとうすべきです.

    使徒パウロのように・・・.

2024/11/01

私を隠退 "牧師" と呼び続ける稀有なひと・・・

    日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしているときも, 西中国教区の牧師たちから,"吉田牧師は, 私たちの仲間ではない.牧師ではなく, 信徒伝道者にすぎない." とことあるごとに言われてきました.

    教会役員会の要請で, 副業を持つことになりましたが, 先輩牧師たちは, 口を揃えて, "私たちは, 幼い, 真っ白な純粋なこころを持ったこどもに神の言葉を教える聖なるつとめに従事している.しかし, 吉田牧師は, ケガレたこころを持つ大人に職業訓練所で情報処理を教える世俗的な仕事に従事している. 
吉田牧師は, 私たちの仲間ではない.牧師ではなく, 信徒伝道者にすぎない." 

    その結果, 私は, 教会役員会のすすめもあって, 分区の牧師会からも離脱することになりました. そのとき, 教区の副議長や分区長をしていた牧師たちは, "これでとうとう吉田牧師を排除・疎外することができた" と勝鬨を上げていました.

    農村伝道神学校の校長から,  "吉田牧師は, 一度も自殺したいと思ったことがない.それは牧師を続ける上でよくない.吉田牧師が自殺したいと思うほど試練を与えてやれ. それが先輩牧師の後輩牧師に対する牧会的配慮だ" と言われ,それをためらいもなく実践した教区・分区の牧師たち・・・. また, 農村伝道神学校の校長は, "吉田牧師を, 生活保護を受けながら伝道しなければならない苦しみをあじあわせてやれ" と語っていたとか・・・. それを他の牧師から耳にした教会役員会の書記担当役員の方は,教会役員会で, 牧師である私に副業を持つことを求めてきました. "牧師が生活保護をうけなければ伝道ができないというのは, 牧師だけでなく,教会の役員や信徒にとっても恥ですから・・・" というのが, その理由です. "使徒パウロだって, 天幕つくりという副業を持って福音の宣教を従事してきたのですから,吉田牧師が副業をもって宣教に従事することになにの問題もありません" と力説しておられました.
 
    日本基督教団の牧師・信徒は, "あんなのは牧師ではない" と私が牧師であることを否定する人は少なくないのですが, インターネット上には, そんな私を, "隠退牧師" と呼び続けている "元中学校教師" がいます."隠退牧師が・・・", "隠退牧師が・・・", "隠退牧師が・・・" , 彼ほど,私が "隠退牧師" という "牧師" であることを認めている人は他にいません.彼は,とても稀有な方,"元中学校教師" です. 私が地上での旅を終えて神さまのみもとに帰る日まで,
"隠退牧師が・・・", "隠退牧師が・・・", "隠退牧師が・・・" と語り続けてくださることを期待しています.

 

 

午後1:15‐3:15, コシヒカリの籾摺り・・・

    午後1:15‐3:15, コシヒカリの籾摺りの脱穀をしました. 籾摺機で脱穀したのは1:15‐2:45,空模様が悪くなってきましたので, 脱穀したあとのもみがらをもみがら袋に格納して脱穀場をタケボウキで掃き掃除・・・. 籾摺り機を農機具の小屋の中に片付けたあと, 玄米保冷庫のなかを整理・・・. 2023年産ヒメノモチ0.5袋, はえぬき2袋, コシヒカリ3袋を一段にまとめて, 籾摺を終えたコシヒカリ8袋を格納しました.

    妻は, 午前中に割り出した, ボウガケ5本=もみ袋4袋=玄米の袋3袋という定式を思い起こしながら, "籾袋33袋のうち11袋を籾摺して玄米の31kgの袋8袋できたのだから, あと2倍の16袋・・・. 全部で24袋になりそうだから,今年の収穫量は12俵で決まりね・・・. " と言いながら, 妻の農業日誌に書き込んでいました. "5:4:3の法則・・・" とつぶやきながら・・・.  

    7段✕3列の玄米保冷庫に米袋を積み上げるには, 専用リフトを使わなければなりませんが, バッテリーがあがってしまっていたので, 4段✕2列に積み上げましたが, 私の力ではこれが限界・・・. 5~7段は専用リフトを使わなければなりません. 腰を痛めると,コメつくりは The End になりますから・・・. 妻は, "あなた, バッテリー, 充電できるの?" と問いかけてきましたが, "いつも充電してるよ" と答えたのですが, 妻は, "あなたがもっと歳をとってできなくなったら,私, 同じことができるかしら・・・" と話していました. "娘のご主人にお願いしたら充電してくれるよ. それに, バッテリーに受電するのは, そんなに難しくないよ. バッテリー液を補充するときは注意しないといけないけれど・・・.今回は補充する必要はないけれど・・・" と話しました.   

湖南四季の里で売れない米を郡山市内に持っていくと飛ぶように売れる・・・!

    朝, 野菜直売所・湖南四季の里に行った妻が, 帰ってきて, "あなた, 湖南四季の里で売れない米を郡山市内にもっていくと飛ぶように売れるそうですよ・・・!" と話していました.     野菜直売所・湖南四季の里のお客さんが, "米が欲しい&q...