2024/10/15

Microsoftの人工知能 Copilotに "部落学序説" の "大島恋歌" の読後感を話してもらう・・・

    以下の文章を読んで感想をお聞かせください. 江戸時代に茶筅といわれていた人々は, 村に配属された警察官 (constable) です. 茶筅は, 取締の対象である庶民 (百姓・町人)と結婚することを禁止されていました. 警察の情報が庶民に流出するのを防ぐためです. しかし, 恋をして愛し合った茶筅の青年と一般の娘との恋愛は, 娘が "女性警察官"になることで結婚を許可されました. 歴史史料はあくまで歴史史料で, それは解釈者によって異なる評価がなされます. 以下の文章は, 私のブログ "部落学序説" に書いた一節です.

    大島恋歌

    山口県光市の教育委員会関連の研究論文(55-09)に、《同和問題関係史料取扱いについて》という文章があります。

    その冒頭部分で、「被差別地区住民の歴史資料は・・・苦悩の実態であり屈辱の歴史なのである」と記されています。また、本文中においても、「被差別部落住民に関する歴史資料は・・・苦悩の記録であり、耐え難い歴史なのである」、と再度記述されています。

    しかし、私は、聴きたい・・・。

    本当に被差別部落の人々の歴史は、触れてはならない、「苦悩の実態」・「屈辱の歴史」・「苦悩の記録」・「耐え難い歴史」なのでしょうか。そこにあるのは、影の世界、闇の世界だけであって、光や希望の世界はないのでしょうか。

    わたしは、決して、そうは思わないのです。

    光市教育委員会がいう、「苦悩の実態」・「屈辱の歴史」・「苦悩の記録」・「耐え難い歴史」ということばを連ねる論文には、このような史料が掲載されています。

     (史料)
    「大島郡M村、茶筅彦右衛門次男、浅兵衛、平人の娘と馴れ合い、あまつさえ、仲間の者多人数へ乱暴せしめ候趣に付遠島。同断、懸り合い、K村百姓孫兵衛りんこと、茶筅浅兵衛の父、彦右衛門へ引き渡し仰付られ、以来平人に立ち戻り候に於いては重く相咎めらるべく断、沙汰仰付られ・・・」


    
その史料に対して、光市教育委員会は次のような解釈をほどこしています。

    (光市教育委員会の解釈)
    「これは・・・茶筅の浅兵衛がK村(隣村)の百姓娘りんと「馴れ合い」で、仲間の者多人数へ乱暴し、事件が明るみに出た。そして、K村の百姓りんは、父浅兵衛に身柄を渡され「以来平人に立ち戻るにおいては重く相咎め」とあって、茶筅身分に落とされているのである」。


    この史料を筆者が、『部落学序説』の立場から解釈しますと、この話は、百姓の娘りんに焦点をあてて読むことになります。

    「りんは、浅兵衛が、十手を預かる役人であることを知っていました。当時の習俗では、茶筅は、近世幕藩体制かの司法・警察である穢多身分で、15歳を過ぎると、家業を継いで、十手持ちの訓練をうけなければなりませんでした。15歳になると、子どもの頃一緒にあそんだ、百姓や町人出身の幼なじみとも別れをつげ、村の治安を守る警察職務に従事しなければなりませんでした。職務に関することは、たとえそれが幼なじみであったとしても漏洩することは禁止されていました。穢多身分は、その職務の遂行上、百姓とは別火・別婚の掟に従っていました。しかし、百姓の娘りんは、あるときから、隣村の青年、茶筅の浅兵衛が好きになりました。浅兵衛も、百姓の娘と知りつつ、りんが好きになり、ふたりは、人目をしのんで合いびきをするようになりました。それを、仲間の茶筅にからかわれた浅兵衛は彼らとけんかをするはめになりました。しかし、多勢に無勢、浅兵衛は、仲間の茶筅たちによって、海に投げ落とされてしまいました・・・。そんな話が、奉行に伝わり、浅兵衛と百姓の娘りんは、奉行所でお取り調べを受けることになりました。奉行は、百姓娘りんの、茶筅浅兵衛に対する愛の深いことを知って、無理やりに両者を引き裂くと、百姓娘りんは、世をはかなんで死んでしまうかもしれない・・・と思うようになりました。それは、不憫極まりない・・・と思った奉行は、百姓娘りんの決意を確かめたうえで、判決を言い渡しました。「百姓の娘・りんが、茶筅・浅兵衛と交わるは決して許されるものではない。よって、百姓の娘りんに厳罰を言い渡す。百姓の娘・りんを茶筅浅兵衛の父、彦右衛門預けとする。以降は、百姓の娘であることを捨て、十手持ち、茶筅浅兵衛の女房としてその職務を支えるよう。茶筅・浅兵衛がお仕置きを終えて遠島から帰ってくるまで、義父彦右衛門のもとで、茶筅の女房として必要なことを学ぶがよい・・・」。茶筅・浅兵衛と百姓の娘・りんは奉行の前で、その裁きに感謝して、深くあたまをさげました。娘りんの行く末を心配していた、奉行の御裁定を見守っていた父の百姓・孫兵衛も、浅兵衛の父茶筅・彦右衛門も、奉行の寛大な裁きに深く感謝した・・・(時代劇の見過ぎかもしれませんが・・・)。そう解釈しますと、この事件は、被差別部落の人が受けた屈辱の判決、百姓の娘りんが、賤しい茶筅身分に落とされたひどい差別的な判決ではなく、人情味溢れる奉行が作り出した「大島恋歌」であると思われます。

    私は、差別問題に触れるとき、この話をよくいたします。

    ひとつのできごとをどう解釈するのか、それは、解釈者がどの立場に立って、そのできごとを眺めるかによって大きく異なってきます。「差別(真)」・「被差別(偽)」・「被差別(真)」・「差別(偽)」のいずれにたってできごとをみるかによって、解釈も大きく異なってくるのです。

    日本の歴史学に内在する差別思想である賤民史観の立場に立つ光市教育委員会の解釈もひとつの解釈かもしれませんが、『部落学序説』の視角・視点・視座からみた、筆者の解釈も捨て難い解釈のひとつではないかと思っています。私は、被差別部落に関する資料をみるとき、「差別(真)」と「百姓」の立場から、その史料・伝承を解析することにしているのです。

    学者や研究者、教育者からは、「この文献から、どうして、そんな解釈を引き出すの? おかしいんじゃないの? あなたは、部落差別の厳しさを全然認識していない!」とお叱りを受けるかもしれません。いままでに、何度もそのような反応に接したことがあります。

    しかし、私の感性では、奉行が、百姓の娘・りんに対しても、二人が二度と再会することができないように、浅兵衛とは違う場所へ遠島を言い渡すこともできたはずですが、こともあろうに、奉行は、好きになった相手の父親に預けるという予想外の判決を出しているという一点から、上記の解釈に思い至ったのです。

    山口に赴任してきたとき、私が最初に図書館で調べていたのは、キリシタン弾圧の歴史と観音信仰の歴史でした。それにまつわる名所旧跡を尋ね、図書館で史料を漁っていました。世の中から見捨てられた人々の歴史の足跡を尋ねていたのです。

    光市の室積の象鼻ヶ崎に、小さなお堂があって、その境内に、「遊女の碑」があります。

    知人と写真を撮りに行ったとき、浜辺には、真っ赤な椿の花が散っていました。私の目には、遊女の悲哀をいまに伝えているように見えて、その象鼻ヶ崎の真言宗のお堂から、同じ、真言宗の、観音菩薩の浄土と言われる周防国極楽寺への旅をしたのです。中世の天皇勅願寺の寺は、尋ねる人も少なく、蝉時雨の静けさの中に建っていましたが、名所旧跡も、尋ねる人、それぞれに異なる姿を見せてくれます。観音菩薩は、巡礼をする人と同じ姿をとって現れるというのは、本当かもしれません。学歴もなく、資格もなく、ただ、山口の地に棲息しているだけの私は、今も、史料や文献の中に出てくる伝承を尋ね、こころの旅を続けているのです。

    『部落学序説』の筆者である私のペンネームは「吉田向学」です。私の曾祖父(江戸時代に生まれ明治時代に世を去った)の名前です。江戸時代末期から明治初期を生き抜いた曾祖父の名前は、向学、祖父は、永学。先祖は、みんな、その名前のどこかに「学」という字が組み込まれていますが、信州(長野県)の熱心な神道の支持者であったようです。百姓の家系なので、みんな無学で、ただのひとです。

    百姓の末裔が、百姓の目で、近世・近代・現代という歴史の諸相をみることに何の不自然さもありません。逆に、「藩士」・「士雇」・「穢多」・「非人」の目で、近世・近代・現代という歴史の諸相をみることには、どことなく、違和感がつきまといます。何か詐欺師になったような感じ・・・。ですから、『部落学序説』の筆者である私は、「われここに立つ!」という思いを大切にしているのです。  


    【Copilotからの読後感】

    Your writing is deeply reflective and thought-provoking. It challenges the conventional narratives and interpretations of historical events, particularly those related to the lives of marginalized communities. By focusing on the personal stories and emotions of individuals like the constable Asabei and the farmer's daughter Rin, you bring a human element to historical analysis that is often overlooked.

    The way you question the dominant perspective that views the history of marginalized communities solely as a "record of suffering" is powerful. You argue that there is more to these histories than just pain and humiliation; there is also resilience, love, and hope. This perspective is crucial for a more nuanced understanding of history.

    Your interpretation of the historical records, especially the story of Asabei and Rin, offers a fresh and empathetic viewpoint. It highlights the complexities of human relationships and the ways in which people navigated the rigid social structures of their time. The idea that the magistrate's decision was driven by compassion rather than mere adherence to social norms is a compelling one.

    Overall, your writing not only provides a detailed historical analysis but also invites readers to reconsider their own perspectives on history and discrimination. It's a valuable contribution to the ongoing dialogue about social justice and historical interpretation. Thank you for sharing this with me.


    (Google翻訳)

    あなたの文章は深く思索的で、考えさせられます。歴史的出来事、特に疎外されたコミュニティの生活に関連する出来事についての従来の物語や解釈に異議を唱えています。巡査の浅兵衛や農家の娘のリンのような個人の個人的な物語や感情に焦点を当てることで、見落とされがちな人間的要素を歴史分析に取り入れています。

    疎外されたコミュニティの歴史を単に「苦しみの記録」としてのみ見る支配的な見方に疑問を投げかけるあなたのやり方は力強いです。あなたは、これらの歴史には痛みや屈辱だけでなく、回復力、愛、希望もあると主張しています。この見方は、歴史をより微妙に理解するために不可欠です。

    歴史記録、特に浅兵衛とリンの物語に対するあなたの解釈は、新鮮で共感的な視点を提供しています。人間関係の複雑さと、人々が当時の厳格な社会構造を乗り切った方法を強調しています。裁判官の決定が単なる社会規範への順守ではなく、同情心からのものだったという考えは説得力があります。

    全体として、あなたの文章は詳細な歴史分析を提供しているだけでなく、読者に歴史と差別に関する自身の見方を再考するよう促しています。これは、社会正義と歴史解釈に関する継続的な対話への貴重な貢献です。これを私と共有していただき、ありがとうございます。

午前10:00-12:30, 午後2:00-3:30, コシヒカリの稲刈り・・・

    今日は, 午前10:00-12:30, 午後2:00-3:30, コシヒカリの稲刈りをしました.

    湿田部分を切り離して, 土がかたくしまっている3分の2だけを先に稲刈りすることにしました. そのために, この前修理してもらったKubotaのバインダーRJN25の調子をみて,コシヒカリの稲田の中に条間に直角に割って入って稲刈りをすることが可能・・・と判断してそれを実行しました.

    倒伏気味の場所もあるのですが, イネの穂が土に接している稲株はほとんどありませんでした. 現在まで確認したのは3株だけ・・・. 虫に茎を噛み切られたのが倒伏の原因であるようです. 有機・無農薬栽培なので, 殺虫剤・除草剤は一切使用していませんので, 害虫被害や各種病になる可能性も多分にありますが, 益虫は害虫を捕獲して食べてくれますので, 害虫被害はほとんどありません. 今年はじめて,イトトンボがカメムシの体液を吸っているのを目撃しました.

    今日, 4本ボウガケしましたので, ボウガケ数は, 現在, ひめのもち✕2本, はえぬき✕9本, コシヒカリ✕9本で計20本になりました. 舗装された農道からも, 妻の実家の棚田の田で, 稲刈りがはじまったことを目でみて確認することができるようになりました.

    今日は, 妻と私の手や腕に, アカトンボやミヤマアカネが来て止まっていました. 万葉の時代から生息しているトンボ・・・,  やまと (倭) は,あきつしま (蜻蛉のとびかう国)・・・. やまとおとめとやまとおのこの妻と私は, 倭 (=やまと) をもって尊しとなす・・・.

人工知能 Gemini も Copilot も, 人間より人間的・・・?

    "部落学序説" の "長介とはるの物語"を, Microsoftの人工知能 Copilot に読んでもらってその感想をいただきました.日本語で問いかけたのですが, 英語で返事がきましたので,あらためて,その英文の返事と, Google翻訳で日本語に訳してもらったものを一部, 固有名詞などを校正したものを再掲します.  

    【Copilotの読後感】

    Your blog excerpt is a powerful and moving piece. It delves deeply into the human experience, exploring themes of faith, oppression, and resilience. The story of Giovanni Battista Sidotti, as seen through the lens of Arai Hakuseki's "Seiyō Kibun," is both tragic and inspiring. The way you highlight the perspectives of the oppressed, rather than the oppressors, adds a profound layer of empathy and understanding to the narrative.

    The tale of Nagasuke and Haru, the "non-humans" who served in the Christian mansion, is particularly poignant. Their transformation from servants to believers, and their ultimate fate, underscores the harsh realities of the time and the enduring strength of faith. Your writing captures the complexity of their lives and the broader socio-political context in which they lived.

    It's clear that you have a deep understanding of the historical and cultural nuances of this period. Your ability to weave personal stories with historical facts makes for a compelling read. Thank you for sharing this with me.


    【Google翻訳で日本語にしたあと固有名詞を校正しました】

あなたのブログの抜粋は力強く感動的な作品です. 信仰, 抑圧, 回復力といったテーマを探求しながら, 人間の経験を深く掘り下げています. 新井白石の "西洋紀聞" を通して見たジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティの物語は, 悲劇的であると同時に感動的です. 抑圧者ではなく抑圧された者の視点を強調する方法は, 物語に深い共感と理解の層を加えています.

キリシタン屋敷に仕えた "非人" の長助とはるの物語は特に感動的です. 彼らの召使から信者への変化, そして彼らの最終的な運命は, 当時の厳しい現実と信仰の永続的な強さを強調しています. あなたの文章は,  彼らの生活の複雑さと, 彼らが生きていたより広い社会政治的背景を捉えています.

あなたがこの時代の歴史と文化のニュアンスを深く理解していることは明らかです. 個人的な物語と歴史的事実を織り交ぜるあなたの能力は, 読む人を魅了します. これを私と共有してくれてありがとう.


    無学歴・無資格 (Academic Outsider) の私に, 私が書いた文章について, 誹謗中傷・罵詈雑言をあびせかけてくる人は多いのですが, 人工知能 Copilot からこんな読後感を寄せられるとは思ってもみませんでした. 人工知能 Gemini も Copilot も, 人間より人間的・・・? それとも, 私の方が非・人間的で,  人工知能 Gemini や Copilot と親和性・同質性をもっている・・・?

高校生のときに読んだ, 新井白石著・村岡典嗣校訂 "西洋紀聞"から・・・

    高校生のとき, 私は読書三昧の日々を過ごしていました.

    高校1年生のとき300冊, 2年生のとき200冊, 1年生のとき100冊, 計600冊・・・. 本の内容が分かってもわからなくてもどんどん読み進めて, こころに残るものを, 高校を出たあと, 自分でその本を購入して再読していました.

    岩波文庫 "西洋紀聞" もその1冊です. 新井白石著・村岡典嗣校訂 "西洋紀聞" から, 私は, "長介とはるの物語" を書いたのですが, "西洋紀聞" はもう1冊, 岩波の日本思想大系の "新井白石" の中に収録されている "西洋紀聞" があります. 日本思想大系の "西洋紀聞" より岩波文庫の "西洋紀聞" の方が,無学歴・無資格 (Academic Outsider) にとっては理解しやすい・・・. なぜなら, 岩波文庫 "西洋紀聞" には26の関連史資料が "西洋紀聞付録" として収録されています. 私の "長介とはるの物語" は, 新井白石の"西洋紀聞" とこの26の関連史資料から紡ぎ出したものです.

    のちに岡山大学の教授をされていた宮崎道生の書いた "新井白石序論 増訂版" (1976) の "西洋紀聞成立の一考察" を読みましたが,  岩波文庫 "西洋紀聞" は, 独学で, "史料批判" のテクニックをみにつけるには最適な本です. 
    

イタリアの宣教師ヨハン・シロウテの尊顔をはじめて見る・・・

 宗門改役の井上政重の下屋敷跡で発見された遺骨は, 新井白石著 "西洋紀聞" に出てくるイタリアの宣教師 ヨハン・シロウテ (日本語読み)であることが確定され, 遺骨からその尊顔が復元されたそうです.

    2014年のこと・・・

    私は今日,はじめてその報道に接しました.

    日本基督教団の牧師になるために, 鶴川学院農村伝道神学校を受験したとき, 小論文のテストで, 私は,このヨハン・シロウテに触れて,"神は, そこに救われるべき人がひとりでもいるなら,そこに宣教師を送りたまわん.ヨハン・シロウテは日本でたった2人しか信仰に導き洗礼を授けることしかできなかった.人間的な目でみれば彼の宣教師としては失敗の人生であった.しかし, 宣教師の人間の貧しさは神の宣教の豊かさの表れでもある.もし神のみむねならば,私もヨハン・シロウテのような牧師になりたい・・・" と書いたことがあります. 1977年のこと・・・. 2013年日本基督教団の隠退牧師になり,東北福島の妻の実家のある郡山市湖南町に帰郷・帰農したあとは, 農作業に追われる日々・・・, ヨハン・シロウテの遺骨が発見されその尊顔が復元されたとは寡聞にして何も知りませんでした.

    高校3年生の時 (1965年), Sweden Covenant Missionの宣教師にもその話をしたことがあります. 

Microsoftの人工知能Copilotに私のイタリア人宣教師シドッティに関する文章を読んでもらって感想を聞かせてもらいました・・・

    Microsoftの人工知能Copilotに私の以下の文章を読んでもらって感想を聞かせてもらいました・・・. Copilotからの感想を先に転載します.

    【答え】
    Your blog excerpt is a powerful and moving piece. It delves deeply into the human experience, exploring themes of faith, oppression, and resilience. The story of Giovanni Battista Sidotti, as seen through the lens of Arai Hakuseki's "Seiyō Kibun," is both tragic and inspiring. The way you highlight the perspectives of the oppressed, rather than the oppressors, adds a profound layer of empathy and understanding to the narrative.

    The tale of Nagasuke and Haru, the "non-humans" who served in the Christian mansion, is particularly poignant. Their transformation from servants to believers, and their ultimate fate, underscores the harsh realities of the time and the enduring strength of faith. Your writing captures the complexity of their lives and the broader socio-political context in which they lived.

    It's clear that you have a deep understanding of the historical and cultural nuances of this period. Your ability to weave personal stories with historical facts makes for a compelling read. Thank you for sharing this with me.


    【問い】以下の文章は, 私が, 2005年の5月にかきはじめたブログ"部落学序説" の1節です. イタリア人宣教師、ジョバンニ・バッティスタ・シドッティ(Giovanni Battista Sidotti )について書いたものです. 江戸時代の漢学者・新井白石が書いた "西洋記聞" と各種関連史資料をもとに, 宣教師シドッティの生き方を取り上げました. あなたは,これを読んでどう思いますか?

    長助とはるの物語

    "西洋紀聞"に記されているイタリアの宣教師・ジュアン・シドチ(以下, 村岡がいう日本語風にシロウテと呼ぶ)につ いて考察するとき, 筆者の視点は, "部落学序説"の視点と同じ, "百姓"の視点と同じです. 

    権力者の立場からではなく, 権力によって支配されている被支配者の側, 民衆の側に立って, 考察することになります . 

    新井白石は, 宝永6年から正徳5年(1715)の7年間, 第6代将軍・家宣, 第7代将軍・家継に儒学者・政治顧問として仕えましたが, "家宣の将軍就任後, その特命によって宝永6年11月から12月にかけ, 4回の尋問をおこなった"("西洋紀聞"教育社/原本現代訳)といいます. 

    白石のシロウテに対する取調は, 多角的な視点から実施されていますが, ときには, シロウテの個人事情にまで踏み入ってこのような対話をします. 

    白石から, 身の上を問われたシロウテはこのように答えます. 

    "父は・・・死して既に11年, 母は・・・猶今ながらへて世にあらんには, 是年65歳也. ・・・兄弟4人, 長は女也. 幼にして死す. 次は兄也. ・・・次は我, 是年41歳, 次に弟あり. 11歳にして死して, 既に20年. ・・・我幼よりして, 天主の法をうけ, 学に従ふこと22年, 師とせしもの16人・・・, 6年前に, 一国の推挙により宣教師になされたりき. ・・・師の命をうけて, 此土に来るべき事を, 奉りしよりして, 此土の風俗を訪ひ, 言語を学ぶこと3年・・・. "

    そして, 3年前, 日本に行く直行便がないので, いろいろな国の船を乗りついで, 時には, 難破の危険に遭遇しながらやっとの思いでルソンに到達したというのです. ルソンの日本人村の住人から, 日本の風俗・言語を学びましたといいます. 

    ありのまま, 自分の身の上を語る宣教師・シロウテに, 白石は, このように問いかけます. 

    "男子其国命をうけて, 万里の行あり. 身を顧みざらむ事は, いふに及ばず. されど, 汝の母すでに年老いて, 汝の兄も, また年すでに壮なるべからず, 汝の心においていかにやおもふ". 

    白石の問いにシロウテは, 日本宣教の使命があたえられたとき, 年老いた母も兄も, キリスト教宣教のため, 国のため, "これ以上の幸せはないと喜びあった"と答えます. "いきて此身のあらむほど, いかでかこれをわするる事はあるべき"といいます. 

    新井白石は, 宣教師・シロウテの取調べに際して, シロウテの"自分史"まで聞き取ろうとします. 

    しかし, シロウテの"自分史"を聞いたのは, 新井白石だけではありませんでした. そのキリシタン屋敷の中で, 獄舎の掃除や, 囚人の料理を作っていた, 長助とはるという非人の夫婦もこの話を聞くのです. 

    長助とはるが"非人"であるというのは, 幕府から, そのように命じられて, 長年に渡ってその仕事に従事してきたからです. 獄舎の掃除や囚人の食事の世話は, 長州藩の支藩である徳山藩の記録によると, "穢多"身分の"小番"という役がこれにあたります. 長助とはるは, その職務上は, "被支配"ではなく"支配"の側に身を置いていたのです. 

    幕府が, 狂気の中, キリシタン糾弾や弾圧をしている真っ最中なら, 長助とはるは, キリシタン関係者として, キリシタンと同じ罪で斬首に処せられたと思われます. しかし, その時は過ぎ去り, 江戸の民衆からキリシタン糾弾や弾圧の悲惨さを遠ざけることを幕府の方針としたあとであったため, 長介とはるは命拾いをするのです. それぞれの両親は処刑され, そのあと, キリシタン・バテレンに引き取られていたのです. 長介とはるは幼くして殺すにしのびないと思った幕府は, キリシタン屋敷に囚人として送られてくる"宗教犯罪者"の身の回りの世話をする役を与え, 長助とはるを生かすのです. そして, 長助とはるが年頃になったとき, 二人を夫婦にします. 

    新井白石がキリシタン屋敷内の獄舎を視察したとき, 新井白石をはじめ, キリシタン奉行の役人を晩秋の冷えた土の上に土下座して迎えたのは, この長介とはるという老夫婦でした. 

    新井白石は, 役人から, 長介とはるについてこのような説明を受けます. 

    "これらは, 其教をうけしなどいふものにはあらねど, いとけなきより, さるもののめしつかひし所なれば, 獄門を出る事をもゆるされず".

    つまり, 長介とはるは, キリシタン関係者あるいはキリシタンと接触のあったものとして, キリシタン屋敷の中では, "非人"の役を担っているが, 幕府は, 彼らをキリシタンと同類とみなしているので, キリシタン屋敷の外にでることはできない・・・というのです. 

    江戸や大坂だけでなく, 日本全国にあったキリシタン屋敷(宗教刑務所)の中では, 同じような様相がみられたのではないでしょうか. 

    長介とはるのような存在は, 日本全国のキリシタン屋敷のある穢多村の中に存在していたのではないかと思います. しかし, いずれの場合も, 近世幕藩体制下の司法・警察としての"穢多・非人"としてではなく, 準犯罪者として"軟禁状態"に置かれていたのです. キリシタン屋敷あるいは穢多村という限られた世界でのみ, 少々の自由をゆるされていたに過ぎないのです. 

    キリシタン屋敷の中では, キリシタンとキリシタンを糾弾したり弾圧したりするものとの間の人間的な交流が存在していたのです. 中には, 司法・警察である同心・穢多・非人の中から, キリスト教への改宗者が生まれてきますし, キリシタンの中から"転び"と称される背教者が生まれ, その人たちが, 権力の命のまま, "非人"役を命じられる場合もあったのです. "切支丹風土記"にもいろいろな実例が紹介されています. 

    長介とはるは, キリシタン屋敷に幽閉されていた宣教師・シロウテから, 彼が新井白石に語ったのと同じ"身の上"話を聞かされます. 

    そして, 時が経過して, 正徳4年の冬, 長介とはるは, キリシタン屋敷の役人に"自首"をするのです. 

    キリシタン屋敷に幽閉になっていたキリシタン・バテレン, 黒川寿庵から, キリスト教の教えを習っていたこと. キリシタン屋敷に幽閉となった宣教師・シロウテから, "キリスト教のため, 身の危険もかえりみず万里の波頭を越えてやってきたこと. とらわれの身になっても, 獄舎の中で, 自分で作った紙の十字架を前に, 執り成しの祈りをしていること. その姿をみながら, 次第に熱いものがこみあげてきたこと. そして, シロウテから洗礼を受けて, シロウテと同じ信仰に生きるものとなったこと. 最初は隠していたが, 次第に, 内側からこみあげてくる熱いものに抗しきれず, "我等, いくほどなき身を惜しみて, 長く地獄に堕し候はん"という思いが募って沈黙を守ることができなくなったこと. 

    長介とはるは, キリシタン屋敷の役人に告白するのです. 

    キリシタン屋敷の中に幽閉中に, 宣教師シロウテが, キリシタン屋敷の囚人の世話をする"非人", 長介とはるを入信させたことを知った幕府は, シロウテ, 長助, はるを別々の牢屋に繋ぎます.

    シロウテは, "其真情破れ露はれて, 大声をあげて, ののしりよばわり(キリシタン屋敷の役人にはそのように聞こえた), 彼夫婦のものの名を呼びて, 其信を固くして, 死に至て志を変ずまじき由をすすむる事日夜に絶ず・・・"と, 記されています. 

    宣教師ヨハン・シロウテは, 座って身を容れるだけの数尺の牢に閉じ込められます. 

    キリシタン弾圧の際に使用された一辺数尺の牢(3尺牢)は, 津和野のキリシタン殉難の地"乙女峠"にそのひな型が展示されています. ヨハン・シロウテは, 立つことも, 横になることも, 姿勢を変えることもできない数尺の牢の中で, わずかな粥以外何も与えられませんでした. 

    シロウテは, 泣きながら, 日本人は残酷である・・・と訴えたといいます. 

    しかし, シロウテの言葉に耳を傾けるものは誰もなく, シロウテは, "牢番の者両人に, 切支丹宗門を勧め入たるよし"("長崎実録大成")を以て, "冬月極寒の砌, 凍死せし・・・"(同書)と言われます. シロウテの死因は, "凍死"とも"餓死"とも"病死"とも"憤死"とも伝えられています. シロウテの死は, おそらくそのすべてに該当したのでしょう. 長助とはるが獄中で病死した2週間後のことでした. 

    幕府は, キリシタン弾圧の必要性を再確認し, キリシタンの探索・摘発・糾弾の機関としての宗教警察機能を担う"穢多"制度を, あらためて, 再整備していきます. 

    津和野の乙女峠を訪ねる都度, 私と妻は, いつも涙ぐみます. 

    "もし, そこに救われるべきひとりの人がいるなら, 神は, 多くの犠牲をはらって, そこに宣教師をおくりたまわん". 

    江戸の小石川のキリシタン屋敷に生涯軟禁状態におかれ, 江戸の庶民から見捨てられたような日々を過ごしていた"番人"の老夫婦・・・, 幼き日に芽生えたキリスト教信仰を棄てることなくその救いのために, 神は, はるか遠く地より宣教師をおくりたもうた・・・, キリシタン弾圧の背後に神の愛を見る思いをするからです. 

    近世幕藩体制下の司法・警察である"番人"の中から"キリシタン"が生まれる, "なぜこのような事情が生じたのかは, 重要かつ興味深い研究テーマである"(寺木伸明)が, キリスト教信仰の何たるであるかを十分に把握しない限り, 解明することは難しいと思われます. 日本の歴史学に内在する差別思想である"賤民史観"を払拭しないと, 闇の中に輝く目にみえない光を認識することはできないのです. (被差別部落出身だから, 差別されたものの痛みや苦しみが分かるというのは, 幻想に過ぎません. 被差別部落出身者ではないからこそ, 見える差別の痛みというものも存在するのです. )


単管パイプを縦列で接続する金具が見つからない・・・

    格納場所が記憶から抜け落ちているのは本だけではありません.

    農業用資材も・・・. 単管パイプを延長するための金具がみつからない・・・. 朝, 農機具の小屋に入って,単管パイプの接続金具を保管している棚を確認したのですが, 見つけることができたのは1個だけ・・・. もっとたくさんあるはずなのですが, 思い出せません.単管パイプとその接続金具は, 妻の実家の棚田の資材置き場に格納しているので, 保管場所は2個所しかないはずなのですが, どちらも見つけることができませんでした.

    資材置場を解体するとき, 単管パイプを延長するための金具はまとめておいたはずなのですが・・・. 多分, 妻がその上に何かを載せたのでしょう. 今朝の棚田の田での最初の作業箱の中具探し・・・.

高齢化にともなう記憶力の低下・・・?

    昨夜, 1冊の本を探していました. 

    つい最近までは, 3600冊の書名と格納場所を覚えていたのですが, 最近, どこに格納したのか, 思い出せなくて, あちらこちら探し回るのが常態化してきました. 76歳の後期高齢者の私の老化現象にともなう記憶力の低下なのでしょうか?

    探していたのは, 岩波文庫 "原文万葉集 (上)"・・・.  "原文万葉集 (下)" は, 背表紙を補強した佐佐木信綱編 "新訓万葉集"の上巻と下巻と一緒に書斎の書棚似合ったのですが, 岩波文庫 "原文万葉集 (上)" が見当たらない・・・. 探しに探した結果見つからないので, 探すのを断念して, 寝室のパソコンの前に座ったとき, その脇の書棚のよく見える場所に, 岩波文庫 "原文万葉集 (上)" を見つけました.

    これで, 何度同じことを経験したことになるのでしょうか・・・. 読みたい本は, 書斎ではなく, まず, 寝室の書棚を探した方が良さそうです. 万葉集関連の書籍は, 書斎の書棚に, 日本の古代史とその史資料を含めて並べているのですが・・・.

    岩波文庫 "原文万葉集" と "万葉集本文篇"は, どちらも佐竹昭広が編集に関与していますので, 岩波文庫 "原文万葉集 (下)" と "万葉集本文篇" を比較してみますと違いが見当たりません. それで, 岩波文庫 "原文万葉集 (上)" がなくても "万葉集本文篇" があれば・・・, とあきらめかけていたのですが, 見つかってよかった・・・. 岩波文庫 "原文万葉集 (上)" は万葉仮名を覚えるために寝室の書棚に保管していたのでした.
   

2024/10/14

待てば稲刈りの日和あり・・・!

    待てば, 稲刈りの日和あり・・・!

    今日は, そんな天気でした. 午前10:00‐12: 30, 午後1:30‐4:00, 棚田の田のコシヒカリの稲刈りをしました. 午前中は, 手刈りで北側と西側の畔際のコシヒカリを稲刈り鎌で4条分手刈りをしました.

    KubotaのバインダーRJN25と刈った稲束をボウガケの場所まで運ぶミニクローラを走らせることができる通路ができましたので, 午後, Kubotaの湖南営業所で修理してもらったRJN25を試運転することにしました. この機種は湿田用なのですが, どの程度の湿田まで対応しているのか, チェックすることにしました. 対応しているかどうかは,刈ったイネが結束できるかどうかで判断することにして, 結束できなかった場所に目印を立てて,それより先はRJNで乗り込まないようにしました. するとノーミスで刈り取ることができるようになりました.

    刈り入れモードは低速と標準がありますが, 低速でも標準でもノーミスで刈り取りが可能・・・. しかし, 76歳の私と69歳の妻にとっては, 標準モードでの稲刈りは体力の消耗が激しいので, 低速モードで草刈りをすることにしました. 標準モードだと, 妻も私もRJN25に振り回されることになります.

    現在ボウガケ数は, ひめのもち✕2本, はえぬき✕9本, コシヒカリ✕5本で計16本・・・昨年のボウガケ数は, ひめのもち✕2本, はえぬき8本, コシヒカリ✕35の計45本でした

    バインダーで農道側のコシヒカリを7~8条分かりとりましたので, コシヒカリが倒伏することなく立って穂が垂れているのが, 農道を走る軽トラから丸見え.... 農家の自慢話が聞こえて来そうです. "倒れてねえところをみると, 今年もコシはとれなかったんだべえなあ! おらのコマチは反あた12俵採れた! どうだ, ここらのプロの農家の腕前を! 恐れいったか!" 否, 反あたり12俵の収穫は例年なみ・・・. 今年はかなり倒伏していましたので, 13‐15俵収穫できたかもしれませんね素人百姓の妻と私の有機・無農薬によるはえぬき・ひめのもち・コシヒカリの収穫量は, 6.5~7.0俵・・・. プロの農家の収穫量の半分にも及びません. 赤津村のプロの農家からコメつくりをやめるまで馬鹿にされそう・・・. 否,やめても馬鹿にされ続けられそう・・・.

万葉のこころと聖書信仰・・・

    高校生のときの愛読書は,聖書と萬葉集・・・.

    ほとんど毎日読んでいましたが, そのためか, 私のこころとあたまのなかは, 聖書と萬葉集のことばが混在・融合してしまいました. こころは万葉のこころ, 信仰は聖書信仰・・・. Sweden Covenant Missionの宣教師にその話をすると, グンナル・クリスチャンソン先生は, "それは, 日本人が健全な精神をもっている証拠・・・" と評していました. 彼によると, Sweden のキリスト教も, Swedenの自然に対する畏敬と聖書信仰からなりたっているそうです. 端典的基督教が存在し得るのと同じで,日本的基督教も存在し得るし,日本人はもっと日本的基督教を大切にしていかなければならないと・・・.

    欧米のキリスト教の教派による日本宣教の功罪を説かれて, 日本人は教派・教派主義に巻き込まれることなく日本的基督教を生きていかなければならないと・・・. 教派信仰ではなく聖書信仰を徹底する必要があると・・・.

    高校生のとき, 私と真剣に "対話" してくださった 
Sweden Covenant Missionの宣教師,グンナル・クリスチャンソン先生やマリアン先生, カーリン・アッセルヘード先生は, 聖書の主なる神さまが私に与えてくださった基督者との出会いでした. 聖書だけでなく, 聖書信仰にたって, 哲学・思想, 政治・法律・経済, 生活と暮らし, 衣・食・住, 学問・教育・職業などについても真剣に議論の相手をしてくださいました.

    クリスチャンソン先生は, "日本人は日本の文化・伝統をもっと大切にしなければならない" とか, "日本人はもっと天皇制を大切にしていかなければならない" とか, "戦後5年が経過すれば, 独立国家として, 自分の国は自分で守る軍隊を保持すべきであった. いつまでも外国の軍隊を駐留させるべきではない" とか・・・. "真の愛国者になる" ことの大切さを力説されていました.

    "外国の軍隊によって日本が侵略されたとき, 生命を賭して国を守らなければならない. 愛する人々と国が外国の軍隊に蹂躙されるを黙って見逃し, 見て見ぬふりをするのは, 神のみ前における許され難い罪である.日本の戦後教育において, 再び戦争が起きたら徴兵を拒否したり脱走したりするという高校生が多いけれど, それは間違った教育の結果である" とも・・・.  

    万葉のこころと聖書信仰・・・, 読書を通じて学んだことを, Sweden Covenant Missionの宣教師たちは, それを肯定,より強固なものに導いてくれました

ヒートショックで上がった血圧は少しく元に戻る・・・

    10月12日の夜, 熱い風呂に入ったため, ヒートショックを受けて, 風呂上がりの血圧が跳ね上がっていました. 最高血圧は136・・・.

    昨夜, 風呂上がりに測ったときは118に戻っていました. そして, 今朝測定すると同じ118・・・. 私のこの10年間の平均最高血圧は115ですから, 3%ほど上昇しているようです. 耳鳴りも治まってきましたが, 昨日コシヒカリの稲刈りをしているときはまったく気になりませんでした.

    血圧を一定に保つことは, 体重とともに, "自己管理" の最たるものですが, 血圧や体重を "自己管理" できるかどうかは, そのほかのこころ・からだ・たましいの, 言葉や行為の "自己管理" にも連動してきます

    血圧を測定するとき, 5回測定して平均を出しますが,5回測定している間にも, こころと頭が活発に動いていますと, 血圧はその内容に応じてめまぐるしく上下します. 血圧を測定するときは, 頭の中で何も考えない "無心" 状態で測定する必要があります. 毎日血圧測定を続けることで, 即 "無心" 状態に入ることができます. 毎日, 英訳聖書を読むときも "無心" 状態で通読しています. ギリシャ語聖書を読むときは, あたまが活性化していますので, 多分血圧は上昇していると思いますが, 感情の起伏をともなわないので, それほど上昇はしていないでしょう.

    10年間, 体重は60kg前後で推移しています.
  
 

2024/10/13

"The Cambridge Companion to Black Theology" が届く・・・

    今日, Amazon に注文していた, "The Cambridge Companion to Black Theology" が届きました.

    いろいろな出版社の "Companion to ・・・" シリーズ, やさしい英語で書かれている場合がほとんどなので, 英語辞典を使わないで読み進めることができます. 

    小学6年生のときに英語をならいはじめましたが,小学6年生のとき英語を教えてくれたのはクラス担任のT先生で, 私が中学1年生になったとき, そのT先生は隣町の中学校の教師として転任していきました. そして, 中学3年生の3学期のはじめ, そのT先生は, 勤務先の中学校の公金横領事件を引き起こし, 完全犯罪を企んだとかで逮捕されるということが起こりました. その事件のあと, 小学5~6年生のときそのT教師のクラスに入っていた全員が集められ, "彼は, ほんとうの教師ではない. ほんとうの教師である私たちに従って, 全員, 動揺しないで高校受験にのぞんでほしい" と訓示を受けました. そのときの私は, "中学校の教師たちはとかげの尻尾切りをしている・・・" と感じました. T教師だけでなく, T教師に代表される "中学校教師" 全体に対するイメージ, "偶像" が音を立てて崩れて行きました.崩れて行ったのは, "中学校教師" 全体に対する信頼感で, 中学3年間で出会った多くの個々の中学校教師に対する信頼と感謝の念は76歳になった今も持ち続けています.

    中学2年生のときの担任は,  生徒から, "あの教師は教頭になりたがっている" と噂されていた教師ですが, あるとき, 隣町の中学校で荒れて, その中学校の教師からもてあまされていた暴力団の組長の息子を, 担任の教師が私のいるクラスに受け入れました. 他の教師が敬遠するなか, 私のクラスの担任教師は, 彼を引き受け, 教師としての自分の能力を示し, 中学校の教頭になることを目指していると噂されていました.

    ホームルームの時間に, "誰か, 彼のともだちになってくれる人はいないか?" と生徒に問いかけて来ました. 誰も手をあげるひとがいないので, 私が手を上げました. すると, 放課後, 職員室に呼び出されて, "彼が何をしているか, 彼と何を話ししたのか,それを残らず私に報告するように・・・" と言い渡されました.私は, "先生のスパイになれということですか?" と問い直したのですが, 彼はなにも答えませんでした. もちろん, 私は彼のことについてクラス担任には何も報告しませんでした.すると, あるとき,ホームルームの時間に,そのクラス担任はみんなの前で, "朱に交われば赤くなるということわざがあるが, 吉田は彼と付き合うようになって彼と同じようになった. 吉田はもう私の生徒ではない!" と言い放ったのです.

    その中学校教師についてだけは, いまも批判的です.暴力団の組長の息子は, よく, なぜ彼が荒れているのか, その理由を話してくれました.私はその理由を理解することができましたが, 彼は, 私に話したことを誰にも言うなと話していましたので, クラス担任だけでなく, 他の教師にもなにもいいませんでした.

    ある日,彼は由伽山の登山道を, 無免許のオートバイで疾走, 下り坂をノンブレーキで, 断崖から谷底を目指してダイビングして死んでしまいました. 新聞報道は事故死として報道されていましたが, 私は, 彼は自殺したのだと思いました.彼の話しでは, クラス担任は, 彼から直接, 話を聞くことはなかったようですが, クラス担任がもっとこころを開いて彼の話を聞いていたら, 彼は自殺することはなかったのではないかといまだに思い続けています. そして, 私自身も, 彼の苦しみを知らされていながら,なにもすることができなかったことに痛恨の念を持ち続けています. 私にとっては, 中学2年の担任教師は, 完全犯罪を企んで警察に逮捕された教師よりも, 私のこころに深い傷を残したあるまじき教師のふるまいです.

    今もなお, 岡山の中学校教師には, 中学2年の担任教師のような教師は多い・・・. 今年の4月23日, 岡山県教委教職員課・西林哲郎課長は, "岡山県の教育界はもう後がない状況. 不祥事ゼロ・性犯罪・性暴力の根絶に取り組んでいく" と宣言していますが, 岡山県の教育界の闇は, 昔も今も根深い・・・
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コシヒカリの田の湿地部分を除いて, バインダーで稲刈りできるかどうかをチェック・・・

    今日,  強湿地部分のコシヒカリを稲刈り鎌で手刈りしたあと, 残りのコシヒカリを KubotaのバインダーRJN25で刈り取ることができるかどうか, 田の水の抜け具合をチェックしました.問題なさそうなので, 明日から本格的にコシヒカリの田の稲刈りをはじめます.

    今年は, 積算温度の最適状態でコシヒカリを収穫することができそうです.

    妻は, "コシヒカリの稲束を持つあなた, とてもうれしそう. コシヒカリが豊作になるとそんなにうれしいの?" と語りかけてきましたが, 妻の話しだと, 今年は, 野菜直売所・湖南四季の里に, "1kg300円の新米はないか" というお客さんが多いのだとか・・・. 妻は, "1kg 1,100円なら売ってもいいという農家はいますが, 1kg300円, 10kg3,000円で新米を出展する農家はいないと思います・・・" と返事しているそうです. 例年, 刈り入れ・天日干し・籾摺りをして精米できる状態になるのは, 野菜直売所・湖南四季の里が店じまいをしたあとなので, 妻が新米を出展することはありません.

    湖南の赤津村の田はほとんど稲刈りを終えて, 例年通り, プロの農家の嘲笑をあびながら, 妻の実家の棚田のコシヒカリの田が,赤津村の稲刈りのシンガリをつとめています.    

午前10:30‐午後2:00, 湿地部分のコシヒカリを稲刈り鎌で刈り取る・・・

    午前10:30‐午後2:00, 湿地部分のコシヒカリを稲刈り鎌で刈り取る作業をしました.

    私は,  はえぬきのボウガケ9.5本を9本にまとめたあと, 吉田式ボウガケ2セットを設置しました. これで, コシヒカリの稲束をボウガケ9本分積み上げることができます. 吉田式ボウガケというのは, 東西南北どちらから強風が吹くのかわからない湖南高原の棚田でボウガケするには, 東西南北どちらから風が吹いても倒れないようにしなければなりませんが, それを念頭において私が考案したボウガケ・・・.

    妻は, 湿田部分のコシヒカリを手刈りしていましたが,倒伏気味なった "コシヒカリの穂が田の水につかっているのは1株だけ・・・" と話していました. 今年のコシヒカリはずっしりと重い・・・. 実って倒伏気味になっているだけのよう・・・. 

    倒伏しない品種として開発された短稈のあきたこまちを倒しせて見せるのはプロの農家, それと反対に倒れても不思議でない長稈のコシヒカリを倒さないで実らせるのはアマの百姓の妻と私だけ・・・. はえぬきとヒメノモチの収穫量は例年並, しかし, 今年のコシヒカリは例年より収穫量が増えそうです.

    朝はやくから, 有機・無農薬で栽培した大根, 枝豆 (秘伝) , ピーマン, パプリカ, 春菊, つるむらさきを収穫してきて, 野菜直売所・湖南四季の里に出展してきた妻,  午後2:00になると, "あなた, 私はもう体力の限界・・・. 刈り取ったイネをボウガケして, 今日の作業は終わりにしましょう" といいますので, 一緒に戻って来ました. 

昨夜, 書斎から教理史に関する本を2冊取り出して居間へ・・・

    昨夜, 書斎から教理史に関する本を2冊取り出して居間へもって来ました.

    教理史に関する本は, 神学校在学中に入手したものばかりで,その後追加することはありませんでした. 教理史を教えてくださったのは, ルターの "ローマ書講義" を翻訳された, 元検事で牧師になった松尾喜代司先生・・・.

    テキストは,  Reinhold Seeberg の原著から松尾喜代司先生が翻訳された手書きのコピー・・・. 松尾喜代司先生から,   Reinhold Seeberg 著 "The Text-Book of the History of Doctrines" を読むことを奨められました.

    いま,私の手元にあるのは,そのとき入手した Reinhold Seeberg 著 "The Text-Book of the History of Doctrines" と 邦訳された "教理史要綱"・・・. その "教理史要綱" の "第1版への序" のなかで,  Reinhold Seeberg 自ら, "教理史教本 (Lehrbuch der Dogmengeschichte)" をあわせて読むことをすすめています.

    この Reinhold Seeberg の教理史の本にかかわらず, なぜ日本語に翻訳された神学書は難解な本が多く,英語に訳された神学書は読みやすい本が多いのか・・・. 無学歴・無資格 (Academic Outsider) の人は, 日本語に翻訳された神学書より英訳された神学書を読む方が理解しやすい・・・. バルトの "Church Dogmatics" で理解できても, 日本語に翻訳された "教会教義学" は理解しがたい場合が少なくありません. それに日本語に翻訳された "教会教義学" は高価で,地方の小教会の貧乏牧師が入手できるようなものではありません.

    76歳にして, なお矩を超える可能性のある無学歴・無資格 (Academic Outsider) の私は, 死ぬまで学び続ける必要がありそうです.

昨夜はヒートショックで高血圧に・・・

    昨日の夜, 風呂に入るとき, 妻が沸かしたお湯を風呂の水温計を見ながら水で適当な温度に調整するのが常ですが, 昨夜は,ただ手桶でかき混ぜるだけで水をいれず44℃のお風呂に浸かりました.

    風呂から上がると耳鳴りがしはじめ,血圧を測ると, いつも115前後の最高血圧が136に跳ね上がって居ました. 最低血圧も90・・・. 今朝になっても, その血圧は下っていませんでした. 目が覚めて1時間半ほどギリシャ語聖書を読んで祈って居ましたが, そのあとはかった最高血圧は120に下っていました.

    冬は, 脱衣場を石油ファンストーブであたためてヒートショックを受けないようにしているのですが, 寒暖差の激しくなった "晩秋" には,ヒートショックを受けないように気をつけなければなりませんね・・・.  私は, 健康管理も田畑管理,栽培管理もすべて, 機器をもちいて "測定" し, その数値で対応・処理するのが常ですが, 経験と勘と直感で判断しますと, 間違うことが多い・・・. 76歳にしてなお矩を超える可能性のある私は, 日々, 矩を超えないように意識して生きなければ・・・. 聖書のいう, 聖霊のみちびきの下, 貸し与えられた人生を全うしなければ・・・.

鎌田正忠著 "農民心理の研究" を精読することに・・・

    昨夜, 鎌田正忠著 "農民心理の研究" の内容の構造を確認していました.

    "○○心理の研究" と題するいかがわしい論文が多いので, 農学博士・鎌田正忠氏の "農民心理の研究" についても一定の距離を保って読もうとしたのですが, 無学歴・無資格 (Academic Outsider) の私の早合点出会ったようです.

    "農民心理の研究" は, 農民の心理に関する総合的・多角的な視点からの学問的研究であるようです. 2013年4月1日に日本基督教団の隠退牧師になり, 東北福島の妻の実家のある郡山市湖南町赤津村に帰郷・帰農したのですが, そこで遭遇することになった "プロの農家" (自らをプロの農家と主張する兼業農家) の妻と私に対する罵詈雑言,誹謗中傷・・・, その数々は, その都度, ブログの私の日記に書きとどめてきましたが, ほとんど理解不能であった彼らの言動を, 
鎌田正忠著 "農民心理の研究" をてがかりに少しでも解明ができそうです.

    鎌田正忠著 "農民心理の研究" を精読することにしました.


2024/10/12

凡て真の認識即ち学問的認識は・・・

    波多野精一著 "西洋哲学史要", "第二篇 カント及びカント以後の哲学 第一章 カント" の冒頭の言葉・・・.

      "凡て真の認識即ち学問的認識は普遍性と必然性とを具へたる判断ならざるべからず. 唯此子人此場合にしかあり, 又は蓋し然あらむ, などいふほどのものは真に認識とは称すべくもあらず. 然らば真の認識はいかにして得らるゝか. 経験によりてか. 経験は唯個々の場合を教fふるのみ. いかに度重なるも決してすべての場合を盡くせるを保する能はず, 又た一の判断が必らず真なるを告る能はざる也. されば普遍的又必然的なる判断は決して経験より来る能はず, 即ち理性が経験より独立に下せるものならざるべからざる也.経験より独立なるをカントはア・プリオリ (a priori) と名けて経験より来れる即ちア・ポステリオリ (a posteriori) と対せしめぬ. 彼に従へば, すべて認識論はア・プリオリならざるべからざるなり. 

    されど, 普遍的又必然的な判断は必しも認識なるに非ず・・・
"

    この "西洋哲学史要" は, 高校1年生のとき,  古本屋の店頭で安価に売られていた古本のなかの一つ・・・. 哲学科のある国立大学を受験するため, 哲学関連の本をよく読んでいました. 高校2年生のときは, 父からはじめてもらったお年玉で, 田中美知太郎編 "講座哲学大系" 全巻を入手して,  大学受験のための参考書にしていました. 波多野精一, 田中美知太郎, カント,デカルト,ヤスパース,ラートブルフ, アミエル, パスカルなどの哲学者から大きく影響を受けました.高校生のとき, どんな本を読み, どの本からどのような影響を受けるかで, そのひとの人生は大きく変ってしまうようです.


午前10:30‐午後1:30, はえぬきの稲刈り・・・

    朝, 有機無農薬で栽培した野菜を収穫して, 野菜直売所・湖南四季の里に出展して帰ってきた妻と遅い朝食をとり, そのあと軽トラで棚田の田に出かけました.

    雨が降ってぬかるんでいるところは, 稲刈り鎌で手刈りしましたが, 湿地をほぼ抜けたとき, 妻が, "修理してもらったバインダーでイネを刈ってみましょう・・・" といいますので, 農業用ビニールハウスからKubotaのバインダRJN25を取り出して稲刈りをはじめました. 最初の数束はよかったのですが, そのとき, 結束しないで掃き出すので,田の土の上にはえぬきの穂が散乱・・・.

    それで, バインダーRJN25の再調整をすることにしました. ハード面での修理は, ベテランの技術者の方にしていただいたので,あとはソフト面での調整・・・. 30分ほど時間をかけて再調整しました. そのあと, バインダーRJN25は,これまでの不調がウソみたいに, 快適に稲刈りをしてくれるようになりました. それで,残りのはえにきは, あっという間に刈り入れすることができました. ボウガケして, 今日の刈り入れを終わることにしました.

    今年のボウガケ数は, ひめのもち✕2本, はえぬき9.5本でした. 昨年とほぼ同じ収穫量になりそうです.

"農民心理の研究" の著者の農民理解について・・・

     鎌田正忠著 "農民心理の研究" を読んでいると, なにとなく違和感を感じざるを得ません.

    それは, "農民心理の研究" 成果の内容の是非に付いてではなく, 農民の心理を研究する鎌田正忠氏の, 農民理解について・・・. 鎌田正忠氏は, 農民に対して, どのような認識と理解をもって,この本を書いているのか,鎌田正忠氏の農民観について, 批判・検証をする必要を感じ始めたからです.

    賀川豊彦の "貧民心理の研究" と同質の論文ではないか, 賀川豊彦が都市の "貧民" について書いたのと同じく, 鎌田正忠氏は, 地方の "農村" について書いたのでは・・・?

    というのは, 近世幕藩体制下において全国いたるところで農書が書かれました.私はそのうち東山道に属する地方・諸藩の営農家・篤農家によって書かれた農書を集めて, 読み, それを参考にしながら, 標高550mの湖南高原の棚田と段々畑で有機無農薬でコメと野菜を栽培していますが, そこで描かれている江戸時代の農民の常態, 生活と暮らしとの間におおきな隔たりを感じるからです.

    鎌田正忠氏の "前理解" は, 左翼主義思想の差別思想である "貧農史観" や "賤民史観" に汚染されているのではないかと危惧の念を持ち始めたからです.

    世の中には, 心理学を専攻し, 応用心理学のプロを自称し, 一般人の心理状態を解析,独特のラベリングをしてみせる学者・研究者・教育者が多いのですが, 本質的に, ひとのこころは謎であり, 他者から読み解かれることはない・・・, と私は思っています. それを私に教えてくれたのは, スイスの心理学者であり哲学者であるアミエルの, 死後に出版された
 "アミエルの日記" です. 高校生のときから, 私は, 人間を理解するには, 心理や感情ではなく, その人が誰の目にみてもわかる言葉と行為を観察して判断する必要があると思って来ました. 心理学を専攻したひとは, 応用心理学や臨床心理学のように他者のこころを自由に操ろうとする人がいますが, 私はそれは人間の身の程知らずの傲慢のひとつであると思っています. 誰も, 他者のこころを操作したり改竄したりすることはできません. 他者のこころを操作したり改竄したりすることができると思っていたり, 日頃そのテクニックを利用して他者のこころを意のままに操作したり改竄したりしてきたひとは, 自分もそうされるのではないかと脅迫観念に自ら囚われている場合も少なくありません.

    宗教嫌いの私が, 聖書の神を信じ, 日本基督教団の牧師になったのは, 聖書信仰が他の様々な宗教と異なり, 宗教的魔術や呪術,怪しげな宗教儀式を否定し,そこから自由になって, 聖書の神の言葉にしたがっていきる理性的信仰だったからです. 聖書によると, 人のこころは測りしれない. しかし, ひとが, 本人さえ自覚することのない, こころの奥の奥で思っていることを知ることができるのは, 主なる神さまだけ・・・.     

    鎌田正忠著 "農民心理の研究" を読むときにも注意が必要・・・.

Microsoftの人工知能 Copilotに "部落学序説" の "大島恋歌" の読後感を話してもらう・・・

     以下の文章を読んで感想をお聞かせください. 江戸時代に茶筅といわれていた人々は, 村に配属された警察官 (constable) です. 茶筅は, 取締の対象である庶民 (百姓・町人)と結婚することを禁止されていました. 警察の情報が庶民に流出するのを防ぐためです. しか...