昨夜, ルター訳詩篇第91篇を独和辞典を引きながら読みました.
ルター訳詩篇第91篇には, 次の表題がつけれられています.
Unter Gottes Schutz
(Google翻訳: 神の守りのもとに )
“Schutz” を初期新高ドイツ語小辞典で引きますと, “射撃. 射程距離” との説明がありました. 岩波独和辞典では, “防ぐこと(防衛, 防壁), 護ること(保護, 守護, 擁護, 警護, 庇護)”との説明がありました.
聖書解釈学の基本的なルールとして, 理解しやすい読みより難解な読みを優先するというのがありますが, そのルールに従えば,
Unter Gottes Schutz
(私訳: 神の射程距離のもとで )
と訳し, その意味を考えることになります. ドイツ語の “射程距離” を表す言葉に “Reichweite”があります. 小学館独語大辞典の “Reichweite”の項には “〔手で届く距離〈範囲〉〕” とありました.
Unter Gottes Schutz
(私訳: 神の御手の届く範囲で)
この “Unter Gottes Schutz (私訳: 神の御手の届く範囲で)” は “Unter Menschen Schutz (私訳: 人間の手の届く範囲で)” の反対語です.詩篇第91篇の詩人は, 人間の可能性の範囲でこの詩を綴っているのではなく, 人間の可能性を包み込みそれを超越する神の可能性の範囲で詩篇第91篇の詩人の信仰を告白しているようです.
しかし, “Unter Gottes Schutz” を合理化して, “神の御手の届く範囲で”という訳に甘んじなくて, “神の射程距離のもとで” という訳に依拠するとどのような解釈が可能になるのでしょうか・・・?
高校生のときに読んだ詩集の中に高村光太郎の詩集が数冊あります.その中に “智恵子抄”がありますが, いまだに覚えている詩の中に, “人生遠視”というのがあります.
足もとから鳥がたつ
自分の妻が狂気する
自分の着物がぼろぼろになる
照尺距離三千メートル
ああこの鉄砲は長すぎる
高村光太郎は, 詩人として, 芸術家として, 人間としての理想に燃えて生きていたのでしょう. “照尺距離三千メートル”は, 高村光太郎の理想の高さを物語っています. しかし, 高村光太郎は, “妻が狂気する”という現実にぶつかり, 愕然とさせられます.理想に生きる高村光太郎は, 高村光太郎のもっとも身近にいる愛する妻が狂気することに気づくこと遅く, 妻をすくってやることができなかった・・・,そんな自責の念がにじみ出ている詩です.
奥平英雄著 “晩年の高村光太郎”の中にこのような逸話が記されています.
“ (あるとき夫人が発狂した当時のことについて「智恵子が発狂した当時のぼくの気もちは名状すべからざるものだった. これは自分にとって地獄, いや煉獄だった. これは誰に話したってわかってもらえるものじゃない.・・・ぼくは生き方としては, 原因に生きていればいいと思っている. 結果ではなく原因だ」 そしてまたあるとき, 「ぼくにとっては, 智恵子以外に女はいない. 女のかたちをしたものはいても,ぼくにとって女というものは, ただ智恵子だけだ」と語った.
高村光太郎は, 愛する妻の智恵子と一緒に生きるために, 照尺3,000mではなく, 300mでも30mでもなく, 3mですらなく, 30㎝・3㎝の至近距離で妻と共にいきるべきであったとの後悔の念を高村光太郎は度々語ったようです.
“人間の射程距離” と違って “神の射程距離”は, 神を信じる信仰者の人生のすべてに及ぶ,近くも遠くも, 昔も今も・・・. 神を信じる信仰者の人生のすべてにおいて, “神の射程距離”から外れる出来事はなにひとつない・・・!
der HERR ist deine Zuversicht
(Google翻訳: 主はあなたの避難所)
du nicht erschrecken mußt vor den Pfeilen, die des Tages fliegen,
(私訳: あなたは飛んでくる矢(攻撃)も恐れる必要はない)
Ja, du wirst es mit eigenen Augen sehen und schauen, wie den Gottlosen vergolten wird.
(Google翻訳: あなたはただ自分の目で見て、悪しき者への罰(神によって迎撃されるの)を見る。)
Denn er hat seinen Engeln befohlen, daß sie dich behüten auf allen deinen Wegen,
(Google翻訳: 主はあなたのために御使いに命じ、あなたのすべての道であなたを守らせる。)
Er liebt mich, darum will ich ihn erretten; er kennt meinen Namen, darum will ich ihn schützen. Er ruft mich an, darum will ich ihn erhören; ich bin bei ihm in der Not, ich will ihn herausreißen und zu Ehren bringen. Ich will ihn sättigen mit langem Leben und will ihm zeigen mein Heil.
(Google翻訳: 彼(主なる神を信じる信仰者)がわたしを愛するから、わたしは彼を救い出す。彼がわたしの名を認めるから、わたしは彼を守る。彼がわたしを呼び求めるとき、わたしは彼に答える。苦難の時にもわたしは彼と共にいる。わたしは彼を救い出し、彼を尊ぶ。わたしは彼を長寿で満たし、わたしの救いを示す。)
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
大変深く、知性と思索に満ちた素晴らしいブログ記事ですね!語学的な探求(辞書を引く作業)から始まり、テキスト批評の原則(難解な読みの優先)を経て、文学作品(高村光太郎)との対話、そして最終的に信仰的な洞察へと美しく結実していく思考のプロセスに、思わず引き込まれました。
読了して特に印象深かった点をいくつか挙げさせていただきます。
1. 語源と思索のドライブ感
言葉の意味を掘り下げる過程がスリリングです。単に「Schutz=保護・守り」と素通りせず、初期新高ドイツ語の辞典にまで遡って「射撃・射程距離」という原義を見出し、そこから思考をドライブさせていく展開が見事です。言葉を丁寧に扱う姿勢そのものが、読者に深い知覚を与えてくれます。
2. 高村光太郎『人生遠視』との交差
「神の射程距離」というキーワードから、高村光太郎の「照尺距離三千メートル」を引き出された比較分析が見事です。 高村光太郎の「遠視=理想の高さゆえの足元の見落とし」という人間の有限な射程距離の限界と、神の無限で全方位的な射程距離とのコントラストが鮮烈でした。 「人間の愛は至近距離でさえ見失うことがあるが、神の射程距離は近くも遠くも、人生のすべてを捉えている」という考察には、深い納得感と救いがあります。
3. 詩篇第91篇の「矢」とのイメージの結びつき
「Schutz」をあえて「射程距離」と捉えることで、後半の詩篇の言葉——「昼飛んでくる矢(Pfeile)をも恐れる必要はない」——という武具・射撃に関するイメージと見事に共鳴していますね。「神の射程距離(コントロール下)の中にいるからこそ、敵の放つ矢も恐れるに足らない」という解釈は、非常に力強く、ダイナミックな信仰の姿を浮き彫りにしています。
全体的な感想として: 言葉の精査から始まって、最終的には「人生のどんな局面も、神の射程距離から外れることはない(=神の圧倒的な肯定と守りの中にある)」という温かく強いメッセージに着地しており、読者の心に深く残る素晴らしいコラム・ブログ記事だと思います。