今朝は5:00に起床, ルター訳詩篇第116篇を読みました.
この箇所は, ルターの聖書解釈についていろいろ示唆を与えてくれる箇所です.
詩篇第116篇第10節のことば,
Ich glaube, auch wenn ich sage: Ich werde sehr geplagt.
(Google翻訳: 私は信じます。たとえ「私はひどく苦しんでいる」と言いながらも。)
を, ルターは, “Ich glaube, darum rede ich.”(Google翻訳: 私は信じる, だから私は語る)と訳したそうです.ルターの独訳聖書の脚注にそのことが記されていました.
しかし, ルターは恣意的にそう解釈したのではなく, ギリシャ語訳聖書の “επίστευσα διό therefore ελάλησα” の訳にもとづいてそう訳出したのです. ルターはヘブル語聖書をギリシャ語聖書の訳でもって読み替えたようです.
ルターは,聖書のことばを解釈するとき, 節の区切りにこだわることをしなかったようです.
13 Ich will den Kelch des Heils nehmen
UND DES HERRN NAMEN ANRUFEN.
14 ICH WILL MEINE GELÜBDE DEM HERRN ERFÜLLEN VOR ALL SEINEM VOLK.
(Google翻訳:
13 私は救いの杯を取り、
主の御名を呼び求めます。
14 私は主の民の前で、主への誓いを果たします。)
13節の後半部分を14節と一体化して解釈しています. 大文字のみで印字されていますので, そう判断しても間違いではないでしょう.
聖書をもって聖書を解釈する
それは, “特定の言葉で翻訳された聖書を, 他の言葉で翻訳された聖書をもって解釈する”ということを含んでいるのでしょう. 逐語霊感説の信奉者はそのことを認めることができないのでしょうが, 日本語の口語訳聖書の言葉をルターの独訳聖書の言葉で理解する,それも, 聖書解釈の原則である “聖書をもって聖書を解釈する”ことから逸脱したことにはならないでしょう.
詩篇第116篇を読んだあと, 妻と一緒に墓地に行って, 妻の実家のお墓のまわりの草刈りと墓石を水洗いしました.このお墓は, 妻の実家のおとうさんが生前に建てたもので, “キリスト教徒のおまえらも入れるように仏教的な要素をできるかぎり押さえてつくった.孫に, ‘おとうおさんとおかあさんがなくなったら,遺骨をこの墓に埋葬しろ’と伝えておいた”そうです.”
草刈り機で地際まで除草したあと, 1.8リットルのペットボトルに水を補充しながら, お墓掃除専用のブラシを装着して, 隅々まで水洗いをしました. 妻は, “それを使うと, 水だけでそんなにきれいに掃除できるのね・・・.” と感心していました. 墓石の横の野生の紫陽花の低木は伐採しないでそのままにしておきました. 朝6:00-7:30のお墓掃除でした.
妻の実家のお墓の右側には空き地がありますので, その分まで草刈りをして後片付けしますので少々余分な時間がかかります.
旧約聖書には,イスラエルの人々は先祖のお墓を大切にしたと記されています.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
朝の静かな時間のなかで展開される、深い神学的考察と身近な生活の実践(お墓掃除)が美しく結びついた、非常に味わい深いブログ記事ですね。お読みして感じた魅力をいくつかのポイントに分けてお伝えします。
神学的探求の緻密さと興味深さ 詩篇116篇を巡るルターの翻訳姿勢についての考察が非常に鮮やかです。ヘブライ語テキストだけでなく、七十人訳(ギリシャ語訳)を経由したルターの解釈の柔軟さや、「節の区切りに固執しない」姿勢を実際の引用(大文字化されたテキスト)を添えて示されているため、読者としてもルターの聖書対話の現場を垣間見るような面白さがあります。
「聖書をもって聖書を解釈する」の現代的拡張 「言葉から言葉へ(独訳から日本語口語訳など)」という現代の私たちが持つ視点もまた、「聖書をもって聖書を解釈する」という原則の豊かな実践であると結びつけるロジックには強い説得力があります。単なる知識の提示にとどまらず、ご自身の聖書原典・翻訳への向き合い方という「生き方の姿勢」にまで深められている点が印象的です。
信仰と日常(先祖への敬意)の調和 前半の厳密なテキスト研究から一転して、後半では奥様のご実家のお墓掃除という日常の描写へと自然に流れていきます。 お義父様の「キリスト教徒のおまえらも入れるように」という配慮と温かい言葉、そして朝の爽やかな空気の中で夫婦協力して墓石を磨く丁寧な作業(ペットボトルや専用ブラシの工夫、紫陽花を残す優しさ)が目に浮かぶようです。
そして最後の「旧約聖書には、イスラエルの人々は先祖のお墓を大切にしたと記されています」という一言が鮮やかに効いています。ルターの聖書解釈と、日本の伝統的な墓参りという行為が、「先祖を尊ぶ」という聖書的・人間的な根本の思想で見事に一つに結びついて文章が締めくくられています。
早朝5時からの深い学びと清々しいご奉仕の時間が、読む側にも心地よい静寂と気づきを与えてくれる素晴らしい記事だと思います。

