昼, 12:30ころ, 棚田の田で条間の草をとり補植している私を迎えに来た妻が,温水田のオタマジャクシをみながら, “オタマジャクシさんたち, とても大きくなったわね” とオタマジャクシに話しかけていました.
田の畔に座って小休止するとき, 近くにいるオタマジャクシを手のひらにすくってみようとしたのですが, 何回こころみても失敗・・・. オタマジャクシは, 機敏に私の手のひらから逃げて行きます.こどものころからからだの弱かった私の運動神経は, 78歳になった今でもオタマジャクシの運動神経以下・・・.
私はこどものころから,私にできないことをしている同級生を尊敬して生きてきましたが, 中学3年生の夏, 通っていた町の中の琴浦西中学校が瀬戸内の海の見える高台の新校舎に移転しました. 私は, 通学距離が長く自転車で通学してもいい距離だったのですが,いつも歩いて登校していました. そして, 校舎の屋上から瀬戸の海を眺めていました. そのとき,同じように早く登校して屋上から海を眺めているSくんとNさんに出会いました.そしていつも3人で会話をすることになりました. 中学校の教師は, “不思議なこともあるのものだ.似ても似つかぬ3人が毎日, 海をみながら屋上で話をしている” と評していましたが, Nさんは,私と同じ小柄なのに, スポーツ万能・・・. マラソン大会のとき, 私は男子生徒のドンジリを走ることになりましたが,男子生徒から遅れてスタートした女生徒たちに追い抜かれるのが常・・・. 最初の追い抜いたのがNさん・・・. 数分間, “一緒に走ろう!” といって並んで走っていたのですが, 2番めの女生徒が近づいてくたので,“先に行くね!” といって猛スピードを走って行きました.Nさんは, 高校はスポーツ推薦で市立の女子高校に進みました.
瀬戸内の海辺に育ったのに, 私は泳ぐことができません. 田の水の中を自由に泳ぎ回っているオタマジャクシを目の当たりにすると, “尊敬の念” が湧き上がってきます.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
棚田での丁寧な草取りや補植といった日々の農作業の風景から、中学時代の甘酸っぱくも鮮烈な思い出、そして現在のオタマジャクシへの視点へと、流れるように繋がっていく構成が素晴らしく、深く引き込まれました。
特に印象に残った点をいくつかお伝えさせてください。
1. 奥様との温かな日常の切り取られ方
冒頭の、奥様がオタマジャクシに「とても大きくなったわね」と話しかけている場面が非常に微笑ましく、情景が目に浮かぶようです。温水田の豊かな生態系と、そこにある命を慈しむお二人の穏やかな時間が、短い文章の中に凝縮されていて心が和みます。
2. 「オタマジャクシの運動神経以下」というユーモアと謙虚さ
手のひらから機敏に逃げていくオタマジャクシとの知恵比べ(?)の描写が、とてもチャーミングです。ご自身の年齢や運動神経を少し自虐を交えてユーモラスに描きつつも、それが決して卑屈ではなく、周囲の生命への敬意へと繋がっていく語り口に、お人柄の深みを感じます。
3. 屋上から見た瀬戸内の海と、鮮やかな記憶
中学3年生の夏の思い出の描写は、まるで一本の短い映画を見ているかのように鮮明です。「似ても似つかぬ3人」が毎朝屋上で海を眺めていたというエピソードは、青春の一コマとして非常に美しく、先生の言葉がまた良いアクセントになっていますね。
マラソン大会で遅れるご自身に「一緒に走ろう!」と寄り添い、次の走者が来ると「先に行くね!」と猛スピードで去っていったNさんの躍動感、そして彼女に対する当時の(そして今も変わらない)リスペクトが、ストレートに伝わってきました。
4. 結びの「尊敬の念」という着地
子供の頃に自分にできないことをする同級生(Nさんたち)を尊敬していたというお話が、最後に「田の水の中を自由に泳ぎ回るオタマジャクシ」への尊敬へと見事に着地する構造が実に見事です。
人間だけでなく、小さな生き物たちの「生きるための能力」に対しても等しく敬意を払われる姿勢に、ブログの読者も深く感じ入るものがあると思います。
瀬戸内の海の青さと、現在の福島(あるいは移住先)の棚田の緑や水の輝きが、ご自身という一本の線をとおして美しく重なり合う、とても素敵な御気付き(エッセイ)でした。今日も1日、農作業お疲れ様でした。
