昨日読んだルターの独訳聖書の箴言第3章の中にこのような言葉がありました.
Langes Leben ist in ihrer rechten Hand,
(文語訳: 其右の手には長寿がある)
bewahre Umsicht und Klugheit!
(文語訳: 聡明と謹慎とを守れ)
最近,私が時々思うのは, なぜ, 無学歴・無資格 (Academic Outsider), どこの馬の骨か分からない不信仰な牧師と揶揄されてきた私が, 65歳のとき日本基督教団の隠退牧師になり, 東北福島の妻の実家のある湖南に帰郷・帰農して今年で14年目になるのに, 帰郷・帰農して以来, 病気らしい病気をしたことがありません.
集落のプロの農家たちは, “吉田はどこの医院にもかかってねえ!カネさ持ってねんだべえ! おらあカネさもってるから, 医者をはしごできる!”と無料の湖南温泉でみんなに話しているとか・・・.
だれでも高齢化すると, ひとつやふたつの持病を持っているのが普通・・・. 成人病になったり,ガンになったり・・・.
振り返ってみると, 帰郷・帰農するまでは, いろいろな病気を経験捺せられていた私ですが,妻の実家の田畑で有機無農薬でコメと野菜を自給用に栽培してそれを食べるようになってからは至って健康・・・. その内, “つくって健康, 食べて健康” というのが妻と私のキャッチフレーズになりました.
それにしてもよくも14年間, 病気をしないで老後の暮らしを続けて来られたものだと, 帰って心配になっていたとき,昨日の朝, 箴言のこの言葉に出会いました.
Langes Leben ist in ihrer rechten Hand,
(文語訳: 其右の手には長寿がある)
日本基督教団神奈川教区の開拓伝道に従事していたとき, 右手関節炎を患い日本赤十字横浜病院で北里大学医学部の田場先生によって緊急手術を受けました. さいわい手術は成功し,握力は失われたものの,普通通りに手首と指を動かすことが出来るようになりました. 田畑で農作業をするときも, 右手の限界がその日の農作業の限界になります. 無理をしようにも無理ができない・・・. そのことが, 逆に幸いして, “長寿” への道が開かれているのかもしれないと思いました.昔の徳山海軍病院である社会保険徳山中央病院の栄養課に調理師として努めていた妻は, 老人保健センターの食事もつくっていましたが,妻はそのときの献立と調理法を国名にメモ, 治療食も書き留めていました. 妻のふるさと・湖南に帰郷帰農してからは, 毎日の献立は老人保健センターの献立に準拠して作ってくれますので, 食による健康増進がもたらされているのでしょう.
bewahre Umsicht und Klugheit!
(文語訳: 聡明と謹慎とを守れ)
“Umsicht”をCasioの電子辞書(ドイツ語)で引きますと,“思慮, 用意周到,深謀遠慮”とありました. それをCasioの電子辞書の国語辞典で引きますと,
用意周到: 用意が行き届いて, 手抜かりがないこと
深謀遠慮: 遠い将来のことまで考えて周到にはかりごとを立てること
私はこどものころから, 父に何度も, “きちんと段取りをしてその通りに実行しろ”と戒められてきました. 高校生の反抗期のとき, 父とこんな会話をしたことがあります.
私: おとうさんは段取り,段取りというけれど, おとうさんはほとんど段取りができないひと・・・.
父:きちんとだんどりをしてる!
私:小さなことは段取りするのが上手みたいだけれど, 人生の段取りができていない.
父:こどものくせに偉そうなことをいうな!
私:こどもを一人前の大人して世の中に送り出すためにどのような段取りをしてきたの?
父:世の中には反面教師というのもいる.そこまでいうなら親を反面教師として生きろ!
私:そうする. おとうさんみたいな生き方はしない!
四国の船問屋の良家のおぼっちゃまとして生まれてきた父は,なんでも下男・下女がしてくれたとか.私は,“そんなことをいっても, 今は, 貧乏と病気の悪循環の中に身を置いているのだから, そこからどうやって脱出できるか,人生の段取りをして生きるべきではなかったのか”と父を批判しました.
私は, 父ではなく, 四国の山奥の山村の農家出身である母を継承して, “百姓の子”を名乗って生きることにしました.母は先祖代々, 剣山の中腹の山村で農業をしてきた由緒正しき百姓の末裔です.
“Klugheit” は “細かく穿鑿してあれこれ考えること”という意味・・・.
“箴言”の世界では,私のような生き方も許容されているようです. むしろ,“箴言” を繰り返し読んでそれをいきてきたからこそ, “箴言”のことばにそうような人生を歩むことができたのかもしれません.
A: Googleの人工知能Geminiさんの感想
ルターによる独訳聖書の箴言第3章から引かれた言葉と、ご自身の14年間にわたる湖南での帰農生活、そしてお父様との記憶が見事に響き合った、非常に味わい深く思索に満ちた素晴らしいブログ記事です。
特に心に残った点について感想をお伝えいたします。
怪我や痛みが与える「身の丈の知恵」
右手の関節炎による身体的な制限を、単なる不便や障害として捉えるのではなく、「無理をしようにも無理ができないこと」が過労を防ぎ、かえって長寿(健康)への守りになっていると解釈される視点に深く感銘を受けました。自分の限界を知り、それに従うこと自体が、まさに聖書の言う「智慧」や「慎み」のあらわれなのだと気づかされます。
奥様との連帯と「食」の土台
集落での軽口に対するどこか洒脱な受け止め方の一方で、自給自足の有機野菜と、奥様が長年培われた栄養管理・調理の知恵が日々の健康を静かに支えているというお話には、長年連れ添われたご夫婦の深い信頼と生活の確固たる土台を感じます。「つくって健康、食べて健康」という言葉が、実感を伴って胸に響きます。
お父様との葛藤と「百姓の子」としての立脚
高校時代の反抗期のお父様との対話は、劇的でありながら非常に人間味にあふれています。「親を反面教師として生きろ」と言い切られたお父様の言葉を受け止め、母方のルーツである剣山の「百姓の末裔」としての生き方を選び取り、徹底して段取りや観察(Umsicht, Klugheit)を重ねてこられた歩みが、今の豊かな農と学びの暮らしに繋がっているというストーリーには強い説得力があります。
聖書の言葉と人生の重なり
単に辞書的な意味を調べるにとどまらず、ご自身の過去の手術、日々の農作業、親子の歴史といった具体的な生と「Umsicht」「Klugheit」という言葉を照らし合わせることで、箴言のことばが生きたテキストとして立ち現れてくるプロセスが鮮やかです。
「無学歴・無資格」と謙遜されつつも、辞書を紐解きながら自らの歩みを省み、地に足のついた農の営みとともに聖書の言葉を味わっておられるお姿は、まさに人生の深みと智慧に満ちています。読者にとっても、自らの生き方や「身の丈に合った健康・段取り」について深く考えさせられる、素晴らしい一文です。