朝5:00-8:00 ルターの独訳聖書を読みました.
旧約聖書のサムエル記下の第22章・・・. ルターの独訳聖書には,"Davids Danklied" (ダビデの感謝の歌)という見出しがつけられていますが,第22章は, 単なる感謝の歌ではなく, ダビデの信仰告白の言葉がいたるところに含まれています.
第22章4節に "du mir hilfst vor Gewalt."というダビデの言葉が出て来ます.その中に出てくる "Gewalt" と言う言葉,独和辞典を引きますと, ➀支配・権力, ➁暴力, ③自然の脅威 という意味を持ったことばであるとわかります.
今朝,ギリシャ語聖書とラテン語訳聖書,そしてヘブル語聖書でその言葉を確認しました. すると, ギリシャ語やラテン語の聖書は,独和辞典に出てくるような意味の言葉は使われていませんでした. ただヘブル語原典だけは,מחמ (treat violently: A concise Hebrew And Aramaic Lexicon Of The Old Testament)=➁暴力 ということばが用いられています. ルターは,ギリシャ語聖書やラテン語訳聖書ではなく, ヘブル語原典に基づいて, 第22章4節の言葉を "du mir hilfst vor Gewalt."と訳したようです.
ダビデは, "Gewalt" に対して否定的な見方をしているようです. ダビデ王朝の最高権力者であるダビデは, 自分のうちに, 人間的な "Gewalt" をもつことを忌避し,神の "Kraft" (力)に生きようとします. この世の王は,王権を駆使して民を抑圧,"王の道" を遂行しようとします. しかし,ダビデは,この世の "王の道" ではなく, 主なる "神の道", "主の道" を歩もうとします. それは,ダビデの主なる神さまの前における信仰の告白です.
いろいろな独和辞典を紐解きますと, "Gewalt" の用法が出て来ます. この世の王が "Gewalt" をふるうとその政治は専制政治・独裁政治になります. 政権に対して,暴動・内乱などの反体制活動をする人民も "Gewalt" を振る舞うことになります. 社会的に "Gewalt" が行われると,差別・排除・疎外・パワーハラスメント・セクシャルハラスメントになります. "Gewalt" が家族に向かうと扶養放棄・子殺し・心中に結果します. そして, "Gewalt" が自分自身に向かうと自殺ということになります. どの "Gewalt" も容認されるものではありません.
ダビデは王の職務を,主なる神のことばに従って行うと宣言しますが,それは,ダビデ王朝の最高権力者として民の上に,自分の上に "Gewalt" をふるまうことを自ら禁ずるという告白でもあります.
"木村・相良独和辞典" には,聖書用語として,"死の Gewalt を持つ者" という言葉を掲載しています. "相良独和大辞典"は,その言葉のあとに一つの言葉を付け加えています.それは,"悪魔"・・・! ドイツ語の世界では, 人々に死をもたらす "Gewalt" は,悪魔の業なのです.
21歳の現代世界においても,この世の王の,最高指導者の "Gewalt" が吹き荒れています. ウクライナに侵略戦争を仕掛け,ウクライナ国民を死に追いやる,ロシア大統領プーチンの言葉と振る舞いは,まさに "悪魔" のそれ・・・. その悪魔的プーチンに有利なようにウクライナに領土の割譲を求めるアメリカ大統領トランプも "Gewalt" の悪魔に取り憑かれた人・・・.
ルターの独訳聖書は, 現代人が忘れてしまった, "Gewalt" の本質が何であるのかを語りかけてくるようです.
ボンヘッファーは, 山上の垂訓の "柔和なる者はさいわいである" と言う言葉の "柔和" を,"自分のもっている Gewalt を捨てて,Gewalt 無き者と共に立つこと"と解釈しました.
78歳の,非政治的な,無学歴・無資格 (Academic Outsider) の私の恣意的な解釈であるのかもしれませんが・・・.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
🌟 ブログ記事への感想
素晴らしい洞察に満ちた、非常に考えさせられる記事を拝読いたしました。ルターの独訳聖書の読解から、現代社会が直面する根深い問題にまで考察を広げる学際的かつ実践的な視点に感銘を受けました。
✍️ 感想のポイント
記事の持つ力強さと説得力は、特に以下の点にあります。
原典とルター訳の比較による深い洞察:
サムエル記下22章4節の**「Gewalt」という言葉を、ギリシャ語、ラテン語、そしてヘブライ語原典のמחמ**(暴力を振るう)と比較し、ルターが原典の持つ**「暴力性」**に焦点を当てて訳した可能性を指摘されている点は、専門的かつ説得力があります。
単に辞書的な意味を並べるだけでなく、ルターの翻訳姿勢にまで踏み込んでいるのが秀逸です。
「Gewalt」の多層的な解釈と現代への適用:
「Gewalt」を**権力者の専制、民衆の暴動、社会的なハラスメント、家族内の暴力、そして自己破壊(自殺)といった、あらゆるレベルの「力による支配・侵害」**として捉え直している点が非常に明快です。この多岐にわたる事例は、現代社会における「Gewalt」の本質を浮き彫りにしています。
ダビデの信仰告白の意義:
最高の権力者であるダビデが、人間的な「Gewalt」を忌避し、神の「Kraft」(力)に生きようとする姿を、「王の道」ではなく「神の道」を歩むという信仰告白として捉えている解釈は、記事の核となるテーマを力強く示しています。権力者が自らに「Gewalt」を禁じるという点が、現代の指導者への強烈なメッセージとなっています。
ボンヘッファーの解釈の引用:
ボンヘッファーが山上の垂訓の**「柔和」を「自分のもっている Gewalt を捨てて、Gewalt 無き者と共に立つこと」と解釈したという引用は、「Gewalt」に対する積極的な抵抗と倫理的行動**の道筋を示しており、記事の結びとして深みを与えています。
🤔 さらなる考察点
記事は非常に完成度が高いですが、読者層を広げるために、さらに考察を深めることも可能です。
「Kraft」と「Gewalt」の対比の掘り下げ:
ダビデが依拠しようとする**「神の Kraft(力)」とは、具体的にどのような力なのか、もう少し詳しく対比させると、メッセージがよりクリアになるかもしれません。「Gewalt」が「支配・破壊・抑圧」の力であるのに対し、「Kraft」は「創造・救済・支え」**の力といったように、その性質の違いを明確にすることで、記事の主題がさらに際立ちます。
現代の政治家へのメッセージの展開:
プーチン大統領やトランプ氏への言及は、記事の主題を現代に引きつける力がありますが、「悪魔に取り憑かれた」という表現は、人によっては感情的なものと受け取られる可能性もあります。その政治的行動が、いかに記事で論じた「Gewalt の本質」、すなわち**「死の Gewalt」や「支配・抑圧」**に結びついているのかを、神学的・倫理的な観点からさらに論理的に補強することで、記事全体のメッセージ性がより強固になるでしょう。
「78歳の、非政治的な、無学歴・無資格」と謙遜されていますが、このブログ記事は、長年の真摯な聖書研究と、現代社会への深い関心から生まれた、独自性のある、非常に価値の高い論考だと感じました。
このような深い考察は、現代を生きる読者にとって、**「力」とは何か、「信仰」**とは何かを真剣に考えるきっかけになるでしょう。
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