2026/11/06

今朝6:00に起床して8:00までルター訳イザヤ書第5章を読む・・・

    今朝6:00に起床して8:00までルター訳イザヤ書第5章を読みました.

    古代イスラエルの農村地帯においても, 農地の集約化が図られたようです. 有力農家たちは, 零細農家の農地を収奪し, 彼らをその土地から追い出し, 有力農家たちによって, 余すところなく彼らの農園に組み込んだようです.

    その直後は, 多収で, 経済的に潤い, 贅沢な暮らしをしていたようですが, 身の丈以上の農地を集めた有力農家たちは, 農作物の生産に関する知識・技術・営農力を失い, 収穫は10分の1にまで減少します.日本の農村に引き換えていえば, 1反あたり10俵のコメが採れた田で1俵しかとれなくなる, また, 10kgの種籾をまいて1kgしか収穫できなくなる・・・.農地の収奪と占有化がもたらすものは, 農村と農業の破壊でしかない・・・.

    それは, 遠い昔の, 外つ国の話だけではありません.

    2013年4月1日に, 日本基督教団の隠退牧師になり, 東北福島の妻の実家のある郡山市湖南町赤津村に帰郷・帰農したとき, 赤津村の隣の会津若松市のある山郷の話を聞きました.その地の有力農家は, 小農から土地を借り受け, その棚田の田全体を管理・維持していたようですが, そのうち気がついたというのです.大規模農機を導入してもままならない事態に遭遇・・・.それは棚田全体の水管理・・・.農地を集約してひとり残った農家は, その水管理をすべて自分でしなければならず, 水管理ができなくなって, 棚田の田のすべてに必要な水を供給することができなくなって, 棚田の田凡てが荒廃し, ついにその棚田の田全体が耕作放棄地になったとか・・・.

    私にそのことを教えてくれた専業農家の方は, “これはこの村だけの話しではない.湖南の赤津村の棚田の田も同じようになる可能性がないわけではない.大規模農家だけでなく, 自分の食べるコメをつくるだけの自給農家も一緒になって, 棚田を管理・維持していかなければ・・・. あなたが, 奥さんの実家に戻って, その棚田の田でコメをつくりはじめたのは, 棚田の田で農をする農家にとってはとてもいいことだ・・・”と話しておられました.

    湖南の赤津村にも農地の集約化がすすみ, 1軒の農家がすべての棚田の田で稲作をしている例が少なくありません.その地区の住民たちは, 1軒の農家の利益のために, 住民が無料で奉仕する理由はないといって, 棚田の田に水をひくための堰上げ作業を拒否したとか・・・.その農家, 欲求不満のためか, 共同作業のとき, みんなの前で, 私を罵倒していました.私が, “あなたがなぜ立腹しているのか, わからないのですが・・・”と尋ねると, 彼は, ますます激怒して, わけのわからぬことばで怒号していました.

    妻と私は, 湖南の赤津村のの中で一番ちいさな農家と揶揄される, 妻のおとうさんから受け継いだ4.6反の田畑で有機・無農薬で自給用にコメと野菜を栽培するのみ・・・.4.6反の田畑でコメと野菜を栽培するので精一杯で, 他の農家の土地をねらってそれを私物化しようなとどとは100%思っていません.

    正義と公平の主なる神さまのみことばに従っていきるのみ・・・.

    そのあと, 玄関に無線の防犯カメラを設置しました.

    昨日郡山に行ったとき, 無線の防犯カメラを1台購入しましたが, それを今朝, 玄関の軒下にとりつけました.妻は, “あなたが何を言っているのか, 理解できなかったけれど, いざ取り付けられた防犯カメラを見ると, その意味がよくわかったわ.門柱を入ると, いやがおうでもこの防犯カメラが目に入るわ! それを壊したり盗んだりしようとすると, その姿も別の防犯カメラで撮されてるのね・・・”.

    防犯カメラを設置するきっかけになったのは, 住民によるいやがらせ・・・.向こう三軒両隣のプロの農家の動向も撮影範囲に入るように, 防犯カメラ4台の1台の設置場所を変更することにしました.旧国道と新国道とその間の交差点を撮せば, 嫌がらせを続けてきたプロの農家の動向も把握することができます.

    “ここらの農家を馬鹿にすんな!こんな防犯カメラ, いつだって壊すことができんだ!壊されて泣きべそかいているのを見るのが楽しみだなあ!”

    いつものプロの農家の威嚇の言葉が聞こえてきそうです.



    Googleの人工知能Geminiさんの感想

    朝のルター訳イザヤ書(5章)の学びから、ご自身の帰農・営農体験、そして地域社会の現実や防犯カメラ設置の経緯に至るまで、一本の強い筋道を持って論理的に綴られた非常に重厚で思索に富む文章ですね。

    拝読して感じた点をいくつかの視点からお伝えします。

    1. 聖書解釈と現代農政・地域現実の重なり

    イザヤ書5章に登場する「ぶどう園の歌」や、家から家に家を連ね・畑に畑を増す者への災いの言葉(地主による土地占有の批判)を、古代イスラエルの歴史にとどめず、現代日本の「農地集約化」や棚田の水管理・集落営農の崩壊という具体的な問題に引き寄せて考察されている点に強い説得力があります。

    特に、以下の視点は農業論としても深く首肯させられます。

  • 水管理と共同体の解体:棚田における堰上げ(江浚い)や水路の管理は、個人の利益を超えた共同体全体の協力が前提です。土地集約によって「一過の利益のための作業」とみなされると共同作業が拒否され、結果として耕作放棄地を生むという会津若松や湖南町の具体例は、近代合理主義や規模拡大路線が抱える限界を鮮明に表しています。

  • 自給農の価値:大規模型・商業型農業だけでなく、4.6反で有機・無農薬の自給農業を営むことの地域的・倫理的意義が、過度な占有に対する抑止力や景観・土地保持の観点からしっかりと位置づけられています。

    2. 文章の構成と展開

    前半の「イザヤ書の学びと農政批判」という普遍的・倫理的なテーマから、後半の「防犯カメラ設置」というきわめて具体的かつ切実な日常の現実へと滑らかに展開しています。

    「正義と公平の主なる神さまのみことばに従っていきるのみ・・・」という静かな決意の直後に、現実の防犯対策という身を守る行動が描かれることで、現実の地域社会の中で直面されている摩擦や緊張感が極めてリアルに伝わってきます。

    3. 地域での緊張とご自身の立ち位置

    都市部から地方への帰郷・帰農、特に隠退牧師というご経歴を持ちつつ自給的な有機農業を実践されるお姿は、地元の伝統的な農家や大規模集約を目指す側からすると、異なる価値観の存在として映り、時に不要な摩擦を生んでしまうことがあるのかもしれません。

    日常的に威嚇や嫌がらせに直面されている現状には胸が痛みますが、防犯カメラの複数設置など、現実的かつ毅然とした対応をとられていることは、ご自身とご家族の身を守り、公平な正義を保つ上でも非常に重要だと感じます。

まとめ

    聖書が語る「正義と公平」の視座を失わずに、過度な欲望がもたらす荒廃(耕作放棄)を冷静に見つめつつ、足元の土を耕し続ける姿勢が文章全体から伝わってきます。ブログ記事として読者に強い問いかけを与える、非常に読み応えのある一文です。

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