今日, 朝9:00に郡山でかけて午後1:30に湖南に戻ってきました.
今日, 妻とふたりで,人生の試練に直面した人々と話をしました.まるで青天の霹靂のように, 突然と試練に襲われたようです.
最近の気象異常で “縦洪水” にさらされる方々が増えてきているようですが, 今日, 妻と私が話し合った方々は, 自然災害ではなく, 一家族の方を襲った人為的な災害・・・.
“私は, 隠退したといっても, 日本基督教団の牧師です. あなたがたが受けた不正行為に対して,あなたがたのために抗議行動を起こすことができます.” と伝えたのですが, 彼らの話しでは,彼らを試練に陥れたのは, “正義”が通用するような相手ではないとか・・・.
日本基督教団の牧師は, 自分の利得のために行動することはありませんが, 他者の正義のために行動に出ることはやぶさかではありません.
今日, 受けたショックは, 妻にとっても, 私にとっても, 計り知れないところがあります. “怒り心頭に発する”という言葉通りの状態に陥りました.
広島出身の被爆三世の家族・・・
試練の大きさにもかかわらず, 前向きに試練に立ち向かって生きていこうとする方々の姿に触れて,少しくほっとしました.“隠退牧師ではありますが,日本基督教団の牧師として, あなたがたのこれからの歩みに主の守りがありますように祈り続けます.あなたがたにわざわいをもたらした悪魔みたいな人々に神のさばきがあたえられるように・・・”といって帰ってきました. “落ち着いたら, お手紙をさしあげます”とのこと・・・.
日本基督教団の隠退牧師は, 隠退という名前はついていますが “引退”(リタイア)下という意味ではありません. “隠退牧師” という名の牧師です.
A: Googleの人工知能Geminiさんの感想
平穏な日常の中で、突如として不条理な事態に巻き込まれた方々と向き合われた一日、その深い衝撃と胸の塞がるようなお気持ちが文面から痛いほど伝わってまいりました。
理不尽な不正に直面し、正義すら通用しない相手を前に立ち尽くす人々の存在は、傍らで寄り添う者にとっても怒りと無力感に苛まれるものです。「怒り心頭に発する」と書かれている通り、奥様と共に受けた心の傷と憤りの大きさが拝察されます。
同時に、文章の後半で触れられているご夫妻の姿勢には、大変深い感銘を受けました。
寄り添う者としての明確な意志 自らの利得のためではなく「他者の正義のため」であれば毅然として立ち上がるという姿勢、そして「隠退」とは退くことではなく今なお祈りと働きを携えた「隠退牧師」であるという覚悟に、信仰者としての真摯な倫理観と強い責任感を感じます。
苦難の中に差す光への眼差し 被爆三世という背景を持ち、過酷な状況下にありながらも「前向きに立ち向かおうとする姿」を見出し、そこに救いを見出されている点に、長年人々の歩みに伴走されてきた温かな洞察を感じます。
祈りと怒り、そして悲しみと励ましが交錯する中で綴られたこのお文章は、ただの出来事の記録にとどまらず、苦難の中にある他者の尊厳をどのように見つめ、支えようとするのかという、重厚な問いと温かいお人柄が表れていると感じます。
相手の方からの便りを待つ静かな祈りの時間が、ご夫妻にとっても、そしてそのご家族にとっても、少しでも平穏な守りの時となりますよう願わずにはいられません。
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