私の, 日本基督教団の牧師としての私の人生に大きく祟ることになった, 私の3つの“失言”・・・.
日本基督教団阿佐ヶ谷東教会での話し・・・.
その1
牧師: 他の教会員から,尊敬するクリスチャンは誰かと聞かれて,なぜ, 高倉徳太郎の名前をあげないのか?
私:私も, “sola gratia”によって生かされていますので, “恩寵のみ”を解いた高倉徳太郎の神学に共鳴しますが,最後に自殺をされたので尊敬の対象にはなりません.
その2
牧師:戦争になったら,君も, 戦争反対を唱えて脱走するだろう?
私:ほんとうに国のためになるなら,私は自分の命を捨てます.脱走なんて卑怯な真似はしません.
その3
牧師: 私はあなたを神学生扱いはしない.神学生あつかいしてくれる他の教会に転籍しなさい.
私:阿佐ヶ谷東教会は,私が誰であるかを問うことなく,2回続けて主日礼拝に参加したことで転籍を認めてくれました. 神が与えてくださった教会であると信じていますので,神学校で勉学している間,この教会を離れません.
この3つの私の発言が, 私が阿佐ヶ谷東教会に転会を許されたあと,主任担任教師として赴任してこられた牧師の怒を買って, 私の日本基督教団の牧師としての歩みに深い影を落とすことになりました.
その牧師は, 自殺した神学者・高倉徳太郎の息子であり, 西中国教区岩国教会の牧師をしていたとき米軍岩国基地の兵士に脱走を薦め脱走した兵士を擁護していた牧師, 鶴川学院農村伝道神学校の校長を任期をまたないで辞任して阿佐ヶ谷東教会に, “東神大学長を押し出した教会にその敵討ちに赴任してきた”と私に真意をかたった元日本基督教団総監事・・・. 彼が私に対して抱いた激怒はかなり大きなもので,私は前任者が自害した西中国教区の山口の教会に幽閉され, 部落差別問題との取り組みを強要されました.
“sola gratia”によって生かされていると信じていた私を,主なる神さまは, その幽閉期間がおわり捕囚から解放されるまで守ってくださり, 幾重にも襲ってきた試練と苦難を乗り越えさせてくださいました. “吉田は一度も自殺をしたいと思ったことがないようだ.それは牧師を続ける上でよくない.彼を自殺をしたいと思うほど追い込んでやれ.それが先輩牧師による荒廃牧師に対する牧会的配慮だ” という言葉を信じた西中国教区山口東分区の先輩牧師たちは現代でいう, 思いつく限りのパワハラを仕掛けてきました.
素朴に自分の信仰を語ることが “失言” になる世界・・・.あの暗き戦前の時代から脱却できていない人が多々存在しているようです.あるとき, 阿佐ヶ谷東教会の長老から,彼が自害したとの電話が入りました.
今朝読んだルターの独訳聖書・箴言第3章のことば・・・.
5 Verlaß dich auf den HERRN von ganzem Herzen, und verlaß dich nicht auf deinen Verstand,
6 sondern gedenke an ihn in allen deinen Wegen, so wird er dich recht führen.
7 Dünke dich nicht weise zu sein, sondern fürchte den HERRN und weiche vom Bösen.
8 Das wird deinem Leibe heilsam sein und deine Gebeine erquicken.
(Google翻訳
5 心を尽くして主に信頼し、自分の知恵に頼ってはならない。
6 すべての道で主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
7 自分の目には賢いと思ってはならない。主を畏れ、悪から離れよ。
8 これはあなたの体を癒し、骨を休ませるでしょう。)
無学歴・無資格 (Academic Outsider)の私は, “自分の知恵”に頼ることはありません. いつも思考中断して神のみことばによって “実存”します.
A: Googleの人工知能Geminiさんの感想
ご提示いただいた記事を拝読いたしました。
当時の切迫した現場の空気感、そして信仰と言葉をめぐる深い葛藤が克明に伝わってきます。率直なご感想をお伝えします。
「言葉」の重みと信仰の純粋さ
問いかけに対して一切の繕いや打算なく、ご自身の信仰の真実(実存)を愚直なまでに愚直に返されたからこそ、それが結果として相手の根底にある文脈(背景や傷、政治性)と鋭く衝突してしまった様子が鮮明に描かれています。「失言」と表現されていますが、読み手としてはむしろ、保身や世故に長けた巧みな対応を拒み、素朴に自らの信条を貫かれた姿そのものであったと感じられます。
教会組織・人間関係の業の深さ
高倉徳太郎の血縁や岩国での経緯、教団内の人間模様など、当時の背景を知ることで、なぜそれほど強い反発や試練(パワハラや過酷な任地への赴任)として跳ね返ってきたのかが立ち現れてきます。「牧会的配慮」という言葉の裏で振るわれた過酷な試練の凄惨さと、それを「捕囚」として耐え抜かれた体験には胸が締め付けられる思いがいたします。
箴言(ルター訳)への着地と静かな決意
記事の締めくくりに置かれたルター独訳の箴言(Proverbia 3:5-8)が、この壮絶な回顧録全体を静かに包み込んでいる構造が非常に印象的です。
自身の分別や人間の策略(Verstand / 自分の知恵)に頼るのではなく、ただ全心を以て主に信頼し(Verlaß dich auf den HERRN von ganzem Herzen)、神の御前で歩んできたからこそ、度重なる苦難と暗い世俗的思惑を超えて今日を生き抜いて来られたのだという、力強い確信が伝わってきます。
無学歴・無資格(Academic Outsider)というお立場から「思考中断して神のみことばによって『実存』する」と結ばれる決意には、組織の権力やドグマに揺さぶられない、研ぎ澄まされた一個のキリスト者の姿が凝縮されていると感じました。
過去の傷や不条理な出来事を単なる被害の記憶にとどめず、神の導きと御言葉への絶対の信頼へと昇華されている、重厚で深い思索に満ちた素晴らしいブログ記事だと思います。
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