今朝は7:30に起床・・・.
昨日, 昨々日の "豪雨" で棚田の田に数cmほど水がたまっていました.しかし, 秋晴れなので,悪条件のなか,KUBOTAの湿田用バインダーRJN25で稲刈りをしました. 田の土が乾いているときはなかば自走できるバインダーですが,田の土がぬかるんでいるときは,バインダーを水平に保つために両腕の腕力が必要になりますし, 土のぬかるみ状態に入り込んだバインダーをそのぬかるみから引き出すのに大きな力が必要になります. つまり,バインダーによる稲刈りも ,78歳の高齢の私にとっては "重労働"・・・. その疲れが,今朝の朝寝坊につながりました.
妻は,共同作業の花壇の後片付けに参加・・・. "私,70歳になったので,この共同作業から撤退します" と宣言して, その場をあとにしたようです. 妻も,"ここらのもん"による嫌がらせを受けるので,共同作業といっても,ひとりで,離れたところで作業をしてきたようですが, "ここらのもん" のしきたり・ならわしでは,70歳になると, 共同作業にでなくてもいいという取り決めがあるとか・・・. "向三軒両隣" の中には,それを宣言して,共同作業に出てこなくなった70歳以上の高齢者も少なくないとか・・・.
妻はそのあと,晩稲の枝豆を収穫,選別・袋詰めして,野菜直売所・湖南四季の里に出展していました. 棚田の田の様子も見に行ったそうですが, 田にはまだ雨水が溜まっていたようです.
でも,今日は一日,秋晴れで, 稲刈り日和・・・. 時間をかけて,ゆっくり, バインダーで刈り取る予定です. コシヒカリの田の山側部分は, 毎年, 土がぬかるんで稲刈りに時間がかかります.以前は, 強湿田部分で, コンパネをイカダ代わりに敷いて稲刈り鎌で手刈りしていたのですが, 強湿田部分を備中レンコンの蓮田として切り離したことで,毎年,乾化が進み, 最近は, ほとんどバインダーで刈り取ることができるようになりました.
これまで, バインダーで西側と中央部分の稲刈りをしたことで,東の山側の部分も日が直接あたるようになり,土の乾燥が進みます.土が乾く都度,バインダーで稲刈りを進めます. 稲刈りが済むと,ボウガケした稲の穂が天日と野分で乾燥するまで,備中レンコン掘りをすることになります.これも,78歳の私と70歳の妻にとって, "重労働"・・・. 妻は,"あなたと一緒でないと,私ひとりで,田んぼで育てたレンコンを掘り起こすことはできないわ・・・" と話していました.
今朝は, 熟睡したため,昨日の稲刈りによる疲労もすっかりなくなっていました. 78歳になって自給用に有機・無農薬でコメと野菜を栽培しているなんて,若いときには夢にも思っていなかったことですが, 実際にそのような百姓暮らしをしていますと,ただただ,主なる神さまに感謝の思いを抱くのみ・・・.
2025/10/18
昨日の悪条件下の稲刈りで疲れて朝寝坊・・・
2025/10/17
昨日の雨で, 稲刈りを終えた田は, 数cm水に漬かっていた・・・
今日は朝から晴れ・・・.
稲刈り日和ですが, 昨日の雨で, 稲刈りを終えた田は, 数cm水が溜まっていました. バインダーで, 通常の反時計まわりに稲刈りをしますと, 稲束の穂は,雨水の中に浸かります.それで, 刈った稲束の穂が田に溜まった水に浸からないように, 時計まわりにバインダーで稲刈りをしました,しかし, 私の長靴を履いた足も10cmほど土の中に沈みますし,バインダーも雨でぬかるんだ田の土の中に沈みがちになります. そんな状況のなかで,バインダーで稲刈りを続けるには, ハンドルを押さえて刈り取り刃の高さを高めにする必要がありますが, 私の, 関節障害があり握力の少ない右手で,バインダーを水平に保つのは至難の技・・・.左手で右手の弱さをかばいながらのバインダーによる刈入れでした.
午前10:00-12:00, 午後1:30-4:00 の5時間半で, 刈り取ることができたのは,コシヒカリのボウガケの本数は6本でした. これまでのボウガケ数と合わせると20本・・・. 20/35*100=57% ・・・. コシヒカリの稲刈りは半分を越えたことになります. 妻は,"見たって,コシヒカリの田の稲刈り,半分を越えたことが分かるわ・・・" と話していました.
昨日の雨は,最近まれにみる豪雨だったのですね.
今日の午後,専業農家の方が,大型コンバインで刈り入れをされていましたが, いつもの刈入れと違って進捗状況がよくありません.やはり,昨日の雨で田んぼがぬかるんだのでしょうか・・・. 妻は,"湿田用のバインダーでも稲刈りが難しいのですから,大型コンバインではもっと難しいのではなないかしら・・・" と話していました.
棚田から戻って,着替えたあと, 両足首にひきつけがきました. "痛い・・・!" と悲鳴を上げる私に, 妻は,"私,どうしたらいいの?" と語りかけて来ます. 私は,"何もしなくていいい. 引きつけを止める方法を知っているから・・・" といって, いつものアウトストレッチをしました. すぐ,痛みがとれたので,私は,すぐ,部屋に侵入してきたカメムシの駆除作業にとりかかりました. ガムテープで捕獲したカメムシは80匹程度・・・. 悪臭を一度も放出されずにカメムシを80匹駆除することができました. カメムシの悪臭は,私にとっては,アレルギー源ですし, 殺虫剤は,薬品アレルギーのある私は, 使用することができません. カメムシの駆除は,ガムテープに優るものはありません.
政治空白の時代・・・
今朝5:00に起床・・・.
ルターの独訳聖書を通読していました. 今日の聖書の箇所は,難解な箇所でした.
"エフライムの山地の奥にひとりのレビびと"が "よそもん" (寄留者)として滞在していたとき, 彼は, "ユダのベツレヘムからひとりの女を迎えて" "Nebenfrau" (めかけ)としていた・・・,という言葉で始まりますが,Nebenfrau とななんぞや・・・? Casioの電子辞書で辞書引きしても,明確な説明はない・・・.
宗教者であるそのレビひとは,その旅先で,その妻以外に共に暮らす女性を持っていたということを意味するのでしょうか・・・? それ自体,聖書の神の教えに反することであると思うのですが, 一宗教者の中にある罪が,その後,大きな罪に発展していくことになるのでしょうか・・・?
旧約聖書の士師記の最後は,神の民,イスラエルの12部族連合のなかに,士師(裁き司)も王もない時代の,イスラエル12部族連合の解体の危機に直面させられたことを物語っています. それまでは,イスラエル12部族連合の危機は,"外敵" によってもたらされたのですが, 士師記の最後は,"外敵"によって外部からもたらされるのではなく,内部からもたらされるのです.
それは,イスラエルの12部族のひとつ・ベニヤミン族の宗教的・文化的・倫理的逸脱という内部崩壊が招いたものです. イスラエルの神の民であったはずのベニヤミン族が,いつのまにか,ソドムとゴモラと同じ,男色・同性愛者の文化, 性的自由を謳歌する社会に色濃く染まってしまっていました. 神によって裁かれ廃墟とされたソドムとゴモラ,その悪習と同じことを,ベニヤミン族は許容するようになっていたのです.
そこでイスラエルの11部族は, ベニヤミン族と "内戦" をはじめます. そして, ベニヤミン族が消滅の危機に直面させられます.ベニヤミン族は,他の11部族の政治的決断で, ソドムとゴモラのような消滅という事態から免れることになりますが, その発端になったもうひつとの原因が, "エフライムの山地の奥に" "よそもん" として滞在していたひとりのレビひと・宗教者の,神のいましめからの逸脱,利己主義的でひと ( "妾" )を真剣に愛することを知らない, できなかった罪にある・・・と読みました.
イスラエルに "士師"(裁き司)も "王"もいなかった政治空白の時代の出来事でした.イスラエルは,単なる12部族連合ではなく, 12部族を統合した国家として, 宗教・風俗・社会・経済・政治・外交・軍事を統一・統合した "イスラエル王国" 建設の必要に開眼させられていきます.
話は変わりますが,日本の現在の政治状況
政治空白を招く政党群:左翼主義政党として,日本の敵国, ロシア・中国.朝鮮に利してその属国に甘んじようとする立憲民主党・国民民主党・公明党などのポピュリズム政党
政治空白を避けようとする政党群:日本の三種の神器(剣=軍事, 鏡=通信, 勾玉=エネルギー)を保持して,日本固有の政治を, 改革・継承しようとするる自民党・日本維新の会・参政党などの本来の政党
に二分されていると考えることができます. はじめて女性の自民党総裁になった高市早苗氏が日本の首相に選出され,"やまとおとめ" の政治家として,"やまとのくに" の復興に,日本維新の会・参政党と一緒に,全力をつくすことができるよう祈ります.
2025/10/16
午後 京都ののうけんに種籾を注文・・・
猪苗代での買い物から戻ってきたあと, 京都ののうけんに, 来年のコメつくりのために,コシヒカリ・はえぬき・ヒメノモチの種籾を注文しました.
発注した種籾の量は, これまでと同じ量・・・.
78歳の私は,来年79歳でコメを収穫することになりますが, 体力にそれほど変化はなく, "やる気" も同じなので, 迷わず, これまでと同じ量を注文しました.
妻と私は, 一度取引をはじめた相手を変えることはありませんので,湖南農協が種籾の販売をしてくれなかったとき,京都ののうけんが提供してくれたので,それ以来ずっと京都のうけんから種籾を買っています.
それから, JAFの会費も・・・.
午後も, 冷たい雨が降っていました. 隣村の郵便局の駐車場に軽トラをとめてATMコーナーに入るまでに, 今降っている雨の冷たさを感じました.コシヒカリは,冷たい雨に曝されたり,霜にあたったりしますと,甘みが増すことになるので,冷たい雨も大歓迎なのですが, 私にとっては, 冷たい雨は冷たい・・・.
刈り取ってボウガケしたコシヒカリの籾の中の玄米は,雨が降っていても,乾燥が進んでいきますので心配する必要はないのですが, 私が風邪を引くと, まだ刈入れしていないコシヒカリの刈り入れに影響してきますので,注意しなければなりません. 2013年4月1日に日本基督教団の隠退牧師になり,東北福島の妻の実家のある郡山市湖南町赤津村に帰郷・帰農して以来, 一度も,風邪を引いたり,インフルエンザや, 中国共産党率いる中国が微生物兵器として開発したといわれる武漢ウイルスに感染したことはありません. 風邪気味になったことはありますが, そのとき,市販の風邪薬・プレコールを規定量の半量をのめば,風邪の症状は消えてしまいます. プレコールは1日2回,1回につき2カプセル服用することがすすめられていますが, 78歳の小柄な高齢者である私は半量の1カプセルで十分です. 市販の風邪薬は,自分の体質にあったものを服用するのが一番効果的です.
午後から雨が降るとの天気予報だったのですが・・・
昨夜のテレビの天気予報では, 今日は午後から雨が降るとのことだったのですが, 今朝はやくから小雨が降っていました.
それで,妻は朝採り野菜の収穫を断念しました. そして,"猪苗代食料品の買い出しに行くわ・・・" といいますので,私も同行・・・. 行き帰り, 私が運転しましたが, 国道294号線と国道49号線を走っていて, 目に入る風景の中に, まだ稲刈りがすんでいない田がいくつもありました.
最近は, 1日雨が降って1日晴れ・・・,その繰り返しですが, 田の土が乾くひまがないのかもしれません.雨が降ってぬかるんだ田では,大型コンバインの運用が難しくなるようです.
例年は, 妻の実家の棚田の田のコシヒカリの刈入れは,猪苗代の湖東・湖南・湖北・湖西の田で刈り入れがすんだあとに, シンガリをつとめるようにするのが常でしたが, 今年は例外中の例外になりそうです.
バインダーによる稲刈りは, 1日雨が降って1日晴れの状態が繰り返し続いても,晴れた日に稲刈りすることができますから・・・.
猪苗代湖では,ホームセンター,ドラッグストア, スーパーに立ち寄って,日用品・日用医薬品・食品を購入して帰ってきました. 食料品の高騰は, 年金暮らし&百姓暮らしの, 妻と私の家計を圧迫し始めたようです. インターネットで日本の古本屋,Amazon, BOOKOFF・ONLINEで,古本・古書を購入することはなくなりましたので,食料品の高騰による不足分は,それで補って行くことになります.
語学を独学するときの弱点・・・?
今朝,6:00に起床して, ルターの独訳聖書を通読しました.
そのとき,マリアの受胎告知によく似た場面が出てきました.士師のサムソンに関する記事だと思いましたが,その文章の中に,Simson という名前が出てきました. "Simson" (ズィムゾン) という名のひと, 誰・・・?" と思って,Casioの電子辞書で辞書引きしてみますと, "旧約聖書にでてくるサムソン" とありました.
Simson は, 英語の Samson のドイツ語表現でした.
"神" ・"イエス・キリスト" という言葉も,英語とドイツ語ではかなり発音が違っていますので, Samson が Simson であっても,なんら驚く必要はないのですが, 今朝,私は戸惑ってしまいました.
語学を独学するときの弱点をつきつけられたようで, 少しくショックを受けました.
最近,"文語訳聖書" の "文語" の意味が気になっていますが,日本語には,"文語" 表現のほかに "口語" 表現,"漢語" 表現があります. 私は長い間,"文語訳聖書" は "漢訳聖書" の日本語版であると思っていましたが, "文語訳聖書" を読んでいますと,"漢訳聖書" とはまったく異なるやまとことばの聖書であると思うようになりました. 私は,"口語訳聖書" より "文語訳聖書"の方に親近感をもちます."文語訳聖書"は,"口語訳聖書" より漢語を排除した聖書・・・. "文語" は,"口語" と違って方言の影響を受けることがすくない,"標準語" としての書き言葉であることを知りました.
"わをもってとうとしとなす"
という有名な聖徳太子の言葉につかわれている "わ" はいろいろな意味を持っています.一般的には
"和をもって貴しとなす"
と漢字がふられますが,私は,
"倭 (やまとの国)をもって貴しとなす" (母国を愛する)
"我をもって貴しとなす" (主なる神が与えてくださった人生を無駄にしない)
と別の漢字に振り替えています.
宮内庁書陵部蔵本 "醫心方巻第廿八房内"にも
"和を以て貴しと為すべし" (夫婦愛の基本)
という言葉が出て来ます."醫心方" は,原文は "以和為貴" と "漢文" で綴られています. "醫心方" 出版に際して,かな漢字混じりの"文語"表現に書き換えられました."醫心方"各巻は,原文の写真版が併載されています. この本,某医学研究書付属病院の臨床病理検査室に勤務していたとき臨床病理の先生から読むことをすすめられました' (クリスチャンである私をからかってのこと・・・?).
"以和為貴"
この言葉は,ひとが生きるとき,公私にわたって守るべき基本的な姿勢を表現した言葉です.無学歴・無資格 (Academic Outsider)の私ならではの,誤解・曲解なのかもしれませんが・・・.
Googleの人工知能Geminimさんによるブログ記事の感想と構成案
ご自身の内省と知的好奇心が詰まった、非常に読み応えのある記事です。朝の出来事から、語学、聖書、日本の古典へとテーマが展開していく流れが魅力的です。
全体的な印象と記事の強み
1.共感を呼ぶ導入: 「SamsonがSimsonだった」という小さな発見から、独学の弱点という普遍的なテーマを導き出している点が秀逸です。語学学習者なら誰もが経験する「自分の常識が通じない瞬間」を捉えています。
2.知的好奇心の深さ: 日本語の**「文語」の再解釈や、聖徳太子の「和」を「倭」や「我」**に置き換える多角的な視点は、読者にとって新たな発見をもたらします。特に、専門外の視点(Academic Outsider)からの解釈という謙虚な締めくくりも、かえって説得力を持たせています。
構成と表現の改善点(ブログ向け)
ブログとしてより読みやすく、読者の頭に残りやすいように、区切りを明確にし、核となるメッセージを強調することをおすすめします。
【改善提案のポイント】
1.小見出しの活用: 現在はひとつの大きな段落になっているため、小見出し(###や---)を使い、話題の転換を分かりやすくします。
2.テーマの関連付け: 語学の話題(Simson)から聖書の翻訳(文語訳)へ、そして「和」の解釈へとスムーズに移行できるよう、各セクションの繋がりを意識します。特に、最後の「以和為貴」の解釈を、冒頭の「独学の弱点」で得た**「基本的な姿勢」**への気付きとして着地させると、記事全体に統一感が生まれます。
【ブログ記事の修正案】
以下の案では、内容を維持しつつ、ブログらしい構造と装飾(太字など)を加えています。
2025/10/16 題:語学を独学するときの弱点...? 知的好奇心の連鎖
今朝、6:00に起床し、ルターの独訳聖書を通読しました。
そのとき、マリアの受胎告知によく似た場面で「Simson (ズィムゾン)」という名前が出てきました。「Simson」...誰だろう?と戸惑い、電子辞書で調べてみると、「旧約聖書にでてくるサムソン」とありました。
Simsonは、英語のSamsonのドイツ語表現だったのです。
「神」や「イエス・キリスト」という言葉も、英語とドイツ語ではかなり発音が違いますが、SamsonがSimsonであっても、本来驚く必要はないはずです。それなのに戸惑ってしまったのは、まさに語学を独学するときの弱点をつきつけられたようで、少なからずショックを受けました。
「文語訳聖書」に感じる標準語の美しさ
最近、「文語訳聖書」の「文語」の意味が気になっています。日本語には、「文語」のほかに「口語」表現、「漢語」表現がありますが、私は長い間、「文語訳聖書」は「漢訳聖書」の日本語版だと思っていました。しかし、実際に読んでみると、漢語を排除した「やまとことば」の聖書であると思うようになりました。
「文語」は「口語」と違って方言の影響を受けることが少なく、「標準語」としての書き言葉です。このため、「口語訳聖書」より「文語訳聖書」の方に、私はより深い親近感を覚えます。
聖徳太子の言葉に潜む「和(わ)」の多義性
この文語表現への興味は、聖徳太子の有名な言葉「わをもってとうとしとなす」の解釈にも繋がっています。一般的には「和をもって貴しとなす」と漢字がふられますが、私は、
**「倭(やまと)」**をもって貴しとなす(母国を愛する)
**「我」**をもって貴しとなす(主なる神が与えてくださった人生を無駄にしない)
と、別の解釈も試みています。
「以和為貴」という基本的な姿勢
また、宮内庁書陵部蔵本『醫心方巻第廿八房内』にも、「和を以て貴しと為すべし」(夫婦愛の基本)という言葉が出て来ます。原文は「以和為貴」と漢文で綴られています。
この「以和為貴」という言葉は、公私にわたって守るべき基本的な姿勢を表現しています。Simsonの件で気付かされた「知識の思い込み」を乗り越え、物事の根源的な意味を探ろうとするこの姿勢は、無学歴・無資格のAcademic Outsiderである私ならではの誤解・曲解なのかもしれませんが、人生の基本として大切にしたいものです。
人工知能の限界を如実に示す修正案です. 人工知能が持っていない情報はすべてカットしています. より正確に修正してもらうには, 人工知能にあらたな情報提供が必要です.
2025/10/15
コシヒカリの稲刈り,ボウガケ5本分・・・
今日は,朝から晴れ・・・.
ただ,昨日の雨で,コシヒカリの稲はびっしょり濡れていましたので,なんとか,バインダーで刈り取ることができるまで乾燥したのは,午前10: 30過ぎ・・・.
午前10: 10に,バインダーとミニクローラをスタンバイしましたが, 午前10:30までは, バインダを時計まわりで, 刈り取りました.刈り取った稲束は,刈り取っていない稲にもたれかかりますので,穂が,田の土に接して水気を帯びることはありません.
午前10:30以降は, 東西方向に往復刈りをしました. 刈り取っていないコシヒカリの田の雨水はコシヒカリが吸収しますので濡れていませんので,バインダーで刈り取ることができました.
今日は,午前10:10-12:10, 昼食・休憩の時間をはさんで, 午後1:00-3:00, 合計4時間の稲刈り作業でした. 4時間で積み上げた稲束は,ボウガケ5本分・・・.これまでの稲刈り分をあわせると,コシヒカリのボウガケ本数は14本分・・・. 例年通り収穫があると仮定しますと, 14/35*100=40% 稲刈りができたことになります.
テレビの天気予報では,明日は一日雨・・・. 今日少しでも稲刈りを進めておきたかったのですが,妻も私も, 顔を見合わせながら, "疲れたから, 今日の稲刈りはこれで終わりにしようか・・・" と妻の顔を見ながら話しかけると, 妻も, "私も,疲れちゃって・・・・.今日の稲刈りはこれで終わりにしましょう." といいますので, バインダーとミニクローラを片付けて家に戻ってきました.
妻の実家の田は,中山間の棚田のどんじり位置しています. 上段・中段・下段の3枚の田は棚田の田・・・. 妻の実家の田の北側から平地の田になりますが, 毎年,棚田の田から見える平地の水田は,妻の実家の田の稲刈りをするときにはすでに刈り終えているのが常ですが, 今年は, まだ刈り入れしていない田がいくつもあります. 専業農家がつくっている田です. なにか支障があったのかと心配しますが, "無事であるように" ただ祈るのみ・・・. まだ刈り取っていない田は, 大型コンバインで1日刈り取ればすべて刈り取ることができますので, 心配する必要はないのかもしれませんが・・・.
農村的地域社会で, 百姓暮らしをしていますと, 自他共に, "無事"であることは, とてもしあわせなことであると思われてきます.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
-これはとても興味深く、日々の営みが伝わってくる素敵な記事ですね。拝読して感じたことをいくつかお伝えします。
記事の感想
リアルな情景描写と臨場感:
「昨日の雨で、コシヒカリの稲はびっしょり濡れていました」から始まり、乾燥を待つ時間や、午前10:30にやっと作業に入れるまでの様子が具体的に描かれていて、記事に引き込まれます。
「バインダーを時計まわりで、刈り取りました」や「東西方向に往復刈り」など、作業の工夫や手順が詳細に書かれており、農作業の知恵が感じられます。
夫婦のやり取りが心温まる:
疲労を察し合い、「今日の稲刈りはこれで終わりにしようか・・・」と声をかけ、お互いに同意して作業を終えるくだりは、日々の共同作業と、お二人の温かい関係性が垣間見えて、とても素敵です。この部分が、単なる作業報告でなく、エッセイのような深みを与えています。
作業の成果と進捗が具体的:
「合計4時間の稲刈り作業でした」「ボウガケ5本分」「これまでの稲刈り分をあわせると、コシヒカリのボウガケ本数は14本分」「40% 稲刈りができた」といった数値が明確で、読者も進捗を把握しやすいです。目標に向かって着実に進んでいる様子がわかります。
地域への眼差しと共感:
ご自身の作業だけでなく、周辺の棚田や、例年と異なりまだ稲刈りが終わっていない専業農家の田への言及が、地域社会の中で生活している様子を伝えています。
「なにか支障があったのかと心配します」「"無事であるように" ただ祈るのみ」という一文には、農作業を共にする者同士の連帯感と、相手の安全や平穏を願う優しい気持ちが表れていて、強く心に響きます。
結びの言葉に深み:
最後の「農村的地域社会で, 百姓暮らしをしていますと, 自他共に, "無事"であることは, とてもしあわせなことであると思われてきます.」という締めくくりは、一日の作業の達成感と、日々の暮らしの中で見つけた真理のようなものが凝縮されており、記事全体を穏やかで深い余韻で包んでいます。
総評
農作業の現実的な大変さ、それを乗り越えるための工夫、夫婦の愛情ある協力、そして地域への温かいまなざしが詰まった、大変読み応えのある記事でした。読んでいると、秋の田んぼの光景や、バインダーの音、コシヒカリの束の重さまでもが伝わってくるようです。明日が雨予報とのことですが、今日の分まで無事に刈り取れて本当に良かったですね。お疲れ様でした。
井上一郎 "写真集・米つくりの村"・・・
2013年4月1日に,日本基督教団の隠退牧師になり,東北福島の妻の実家のある郡山市湖南町赤津村い帰郷・帰農して,標高550mの湖南高原の棚田の田で,有機・無農薬で早稲のヒメノモチ,中稲のはえぬき,晩稲のコシヒカリの栽培をしてきましたが, 妻の実家のおとうさんから受け継いだ農地は,田4.0反, 畑0.6反, 山林8.0反・・・. 妻の実家は, 赤津村で一番ちいさな農家であると言われています. 妻の実家のおとうさんから受け継いだ農地は4.6反で, 農家として認められる5.0反の基準以下であったため,湖南農協の正組合員にも準組合員にもなることができず,米作りに必要な種籾も農業資材の販売も拒否されました. その可能性は,妻の実家のおとうさんからあらかじめ聞かされていましたので,妻と私は迷うことなく,"農業者" ・"農家" ではなく "百姓暮らし" をはじめました.
そのとき, 300冊の農書をひもときながら,妻と私ができる農法を模索しました. 活字本だけでなく写真集も集めましたが,そのひとつに, 井上一郎 "写真集・米つくりの村"があります. 著者の井上一郎氏は,盛岡高等農林学校別科卒で,大曲市内でりんご園を経営されていた方・・・. その写真集には,昭和28年~33年頃の,稲作法の新旧入り混じった時代の農民とそのコメ作りの作業が写真に収められています.
"冬は長い.12月から翌年3月まで雪で覆われる",その写真に収められた農村の風景は,同じ自然環境にある妻のふるさとのその当時の農村の風景を知る上でも重要な資料になります. それをみながら,"米つくりは大変だなあ・・・", "雪国暮らしは大変だなあ・・・", "田舎暮らしは大変だなあ・・・" とためいきが出て来ます. うまれながらにからだが弱く,右手関節炎を患い手術を受けて握力が減少している私によくできる技ではありません.
しかし, 78歳の私と70歳の妻が, 標高550mの湖南高原の棚田の田で,有機・無農薬で早稲のヒメノモチ,中稲のはえぬき,晩稲のコシヒカリの栽培できるのは,
・小型農業機械の充実 (トラクター・田植機・ハーベスタ・籾摺機など)
・有機無農薬栽培の米つくりの情報の集積
・有機肥料(発酵鶏糞・発酵牛糞・バーク堆肥・油かす・蛎殻石灰など)が安価に入手可能
などの,小規模農家の稲作環境の改善がおこなれたため・・・. 東日本の大型農業機械を使った稲作と,西日本の小型農業機械を使った稲作とがありますが, KUBOTAは,東日本だけでなく, 西日本の稲作の機械化もすすめてきたので, 妻と私は,その恩恵に浴して,高齢になっても,有機・無農薬でコシヒカリを栽培し続けることができます. 井上一郎 "写真集・米つくりの村" にでてくる新旧入り混じったコメ作りで・・・.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
あなたのブログ記事「井上一郎 "写真集・米つくりの村"・・・」を拝読しました。
ご感想は以下の通りです。
全体的な感想
引き込まれる体験談: 牧師から農家(百姓暮らし)への転身という、ユニークで深い背景から語られる農業体験が非常に興味深いです。特に、農地面積の基準による農協との関わりの話は、日本の農業が抱える現実の一端を示しており、説得力がありました。
「百姓暮らし」という視点: 「農業者」「農家」ではなく「百姓暮らし」を選ばれたという言葉に、単に作物を栽培する以上の、生き方や哲学が込められているように感じられ、強く共感を覚えました。
古き良き時代との対比: 井上一郎氏の『写真集・米つくりの村』を導入として用いることで、昭和28年~33年頃の稲作の「大変さ」と、現代の小型農業機械や情報の集積による「高齢者でも続けられる環境」との対比が明確になり、内容に深みを与えています。
内容のポイント
帰郷・帰農の動機と現実: 福島・郡山市湖南町赤津村での帰郷・帰農の経緯、有機・無農薬での米作りへのこだわりがよく伝わってきます。農協の正・準組合員になれなかったというエピソードは、制度の壁とそれを乗り越えて「百姓暮らし」を始めた決意を際立たせています。
農業の歴史的視点: 井上氏の写真集を「妻のふるさとのその当時の農村の風景を知る上で重要な資料」と捉えている点が秀逸です。過去の苦労と、現在の自身の肉体的な制約(右手関節炎)を重ね合わせることで、「ためいき」が出るほどの重みが伝わってきます。
現代の恩恵への感謝: 小型農業機械の充実、有機無農薬栽培の情報、安価な有機肥料の入手といった現代の技術革新や環境改善が、ご夫妻の「百姓暮らし」を支えているという分析が非常に具体的で、説得力があります。KUBOTAの機械化の恩恵に言及している部分もリアリティがあります。
まとめ
78歳と70歳のご夫妻が、標高550mの棚田で有機・無農薬栽培を続けられているという事実は、それ自体が現代の農業のあり方、そして何よりもあなたの生き方の力強さを証明しています。
過去の農民の苦労を忘れず、現代のテクノロジーの恩恵を最大限に活かしながら、自分たちのペースで「百姓暮らし」を営む姿勢に、多くの読者が勇気づけられることと思います。大変示唆に富んだ、心温まる記事でした。
妻が血圧測定をはじめた結果・・・
この前,テレビの健康番組で,高血圧のおそろしさを知った妻は,急に,自分の血圧を気にしはじめていました.
私は毎日,風呂上がりに血圧を測定するのが常で,3年連続で記帳できる手帳に最高血圧(収縮期血圧)・最低血圧・脈圧差・平均血圧・脈拍数・呼吸数・体重を記載しています. しかし, 妻は,"私は高血圧だから,測定するのが恐い・・・"といって, 血圧を測定することはしませんでした.
時々,"心臓がどきどきする・・・"といって,血圧を測定していましたが,そのときは決まって最高血圧が高くなります.
それで昨々日 から昨日,妻に,血圧を自分で測定する方法を伝授しました. 思いついたときに血圧計ではかって最高血圧が高く表示されることを高血圧とはいわず,ただ測定したときに最高血圧が高くなっていただけ・・・. 最高血圧の数値が数カ月に渡って高止まりした場合にはじめて高血圧と診断できると話しました.
適切に血圧を測定することができるようになった妻が,その数値を私に報告して来ます. "その数値は, 15年前に成人病予防の健康診断を病院で受けたときの最高血圧の数値と同じ・・・. この15年間,最高血圧がほとんど一定したということを示している・・・" と答えました.そして,さらに測定環境を整えて測定したときの数値は,15年前の数値より下がっていました.
山口に棲息していたとき, 妻は,娘を国立大学に進学させるために,社会保険徳山中央病院栄養課に勤めていましたが,そのとき, 高血圧・糖尿病などの患者の治療食や,老人保健センターの入居者のために食事を作ってきました. そのときの献立と料理法もきちんとメモしてファイルしていました. 2013年に,妻のふるさと・湖南に帰郷・帰農したあとは,老人保健センターの入居者のための献立を参考に,食材を選択し,調理してきました. コメと野菜は有機・無農薬で妻と私で栽培してきましたので,食生活は改善され,高血圧・糖尿病などの成人病になる可能性は少ないと思っていたのですが, そのとおりになったようです.
妻は,"毎日,血圧を測定して記録することにしたわ・・・" と笑顔で話していました.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
興味深く、心温まるブログ記事を拝読しました。奥様が血圧測定を始められたこと、そしてご夫婦の歩みが血圧の数値に反映されている様子が伝わってきて、とても素敵なお話だと思いました。
以下に、いくつか感想を申し上げます。
1. 奥様の変化と行動力について
「高血圧だから測定するのが恐い」 という気持ちは、多くの方が共感できる心理だと思います。その**「恐い」**という気持ちを乗り越えて、ご主人の助けもあり血圧測定を始められた奥様の変化が素晴らしいです。
テレビの健康番組がきっかけとはいえ、すぐに日々の測定を始めるという行動力も尊敬します。
2. ご主人のサポートと知識について
ご主人が長年にわたり毎日、多項目にわたって血圧を測定・記録されていること(最高血圧、最低血圧、脈圧差、平均血圧、脈拍数、呼吸数、体重)は、自己管理に対する強い意識と健康への関心の高さを感じます。
奥様に血圧測定の方法を伝え、「思いついたときに高くても高血圧とはいわず、数カ月に渡って高止まりしてはじめて高血圧と診断できる」と説明されたのは、非常に適切で重要なアドバイスだと感じました。
これは、一時的な緊張などで血圧が上昇する**「白衣高血圧(あるいは白衣現象)」**に近い状態を考慮し、正確な診断には継続的な家庭血圧の測定が不可欠であるという、医療的な知見に基づいています。適切な測定方法と診断基準の理解が、奥様の不安を軽減したことでしょう。
3. 健康的な生活習慣と血圧の安定
15年前の健康診断の数値と現在の数値がほぼ一致、さらには測定環境を整えたら下がっていたという事実は、この15年間のご夫婦の健康的な生活習慣の賜物だと感じました。
特に、奥様が病院の栄養課で治療食や老人保健センターの食事に携わってこられた経験を、帰郷・帰農後の日々の食卓に活かし、有機・無農薬のコメと野菜を栽培されているというエピソードは、説得力があり、大変感銘を受けました。「食生活の改善」が成人病予防に繋がるということを、身をもって実践されている模範的な例だと思います。
4. まとめ
奥様が血圧測定を日課にされ、笑顔で**「毎日,血圧を測定して記録することにしたわ」**と話されているのが、何よりの朗報ですね。ご夫婦の健康的な生活と、お互いを思いやる温かい関係性が伝わってくるとても良い記事でした。奥様にとって、ご主人様の存在が心強い健康のパートナーであることもよく分かります。
ご夫婦でこれからも健康に留意され、素敵な日々を送られることをお祈りしております。
今朝4:30に起床して7:00までルターの独訳聖書を読む・・・
今朝4:30に起床して, 7:00までルターの独訳聖書を通読しました.
今は, 旧約聖書の士師記を読んでいますが, ひとりの士師についての記述の長さはまちまち・・・. 非常に長い記述もあれば, わずか数行で終わる記述もあります.士師の名前と,出身部族名と活躍期間のみ記載されて,その活躍の内容が一言も触れられていない場合もあります.
無学歴・無資格 (Academic Outsider) の,日本基督教団の隠退牧師である私もその一人かもしれません. Sweden Covenant Mission の教会のあとをついだ教会の牧師たちは, 日本基督教団の教会のことを "悪魔の教会" と呼び, 私が日本基督教団の牧師になるために鶴川学院農村伝道神学校に入学試験を受けに行ったとき,"悪魔の神学校を受験しに行った" と大騒ぎしていました.
悪魔はキリストの教会の上に悪魔の教会を建て,キリストの神学校の上に悪魔の神学校をたてるとよく言われていますが, 私が洗礼を受けた Sweden Covenant Mission はヨーロッパの北欧・スウェーデンの流れをくんでいますが,日本人牧師たちは,アメリカ経由の流れをくんだ神学校を出た人ばかりでした. ヨーロッパの基督教の信仰と神学とアメリカの基督教の信仰と神学の間で, 私は, Sweden Covenant Mission の宣教師の影響もあって, ゲルマン民族系の基督教の信仰と神学を生きることになりました.
Sweden Covenant Mission の 教会史からは, 私の名前は省略され,日本基督教団の牧師になって最初の任地は神奈川教区の開拓伝道所でしたが, 無学歴・無資格 (Academic Outsider)の牧師を初代牧師にすることはできないとしてその教会史からも名前を削除され,そのあと30年間牧師をしていた,前任者が自害したといわれる教会は,宗教法人の閉鎖手続きをして,あとにしました.ただ, 日本基督教団の年金受給者名簿にのみ,名前を残すのみ・・・. それも私と妻が逝去すると同時にその名簿から名前を外されますので,やがては,消えてなくなってしまうことでしょう.
日本基督教団富士見町教会の島村亀鶴先生に, "私は,地方のちいさな教会で野垂れ死にする身ですから・・・" と話したとき,島村亀鶴先生は,"心配するな.私も野垂れ死にする." と言葉を返して来られました.ギリシャ正教の伝道師は, その肩に棺桶代わりの袋を担いで伝道したと言われています. 誰も同信のひとがいない異教世界でその最後を迎えなければならなくなったとき, その袋に入って,自分で自分を埋葬したと言われています.
基督教の伝道師の "自葬"・・・. 島村亀鶴先生と私の会話は,それを前提とした会話です.
実際は, この世的に見れば,島村亀鶴先生も野垂れ死にすることはなかったし,私も,日本基督教団の隠退牧師になったあと, 東北福島の妻の実家のある郡山市湖南町赤津村に帰郷・帰農して,年金暮らし&百姓暮らしをして10数年生きているわけですから,野垂れ死にする可能性はほとんどありません.
人生は,すべからく,天地を創造し,生きとし生けるものを守り育ててくださる主なる神さまから貸し与えられたもので,いつか,主の御手に返さなければならなないときがやってきますが, いつ・どこで・どのような仕方で,主に貸し与えられた人生を返すことになるかは,主なる神のみぞ知る・・・,であって,人が決めることができる類のものではありません.
旧約聖書の創世記には,"◯◯は生まれて死んだ" という記事がたくさんあります.生まれることも死ぬことも,主なる神さまから見捨てられた人間のしるしではなく, 主なる神さまが祝福してその人生を導いてくださったという, 神の愛のしるしです.
ルターの独訳聖書,日本の文語訳聖書や "英訳聖書"(NSRV)とかなり訳の違いがあるようです. その訳の違いを確認するのも,聖書通読のたのしさのひとつです. 日本の文語訳聖書や "英訳聖書"(NSRV)の "ナルジひと" という言葉は,ルターの独訳聖書では, "聖別されたひと" と訳されていました. "ナルジひと" は "神に誓願をしたひと" という意味ですが, ひとはその母の胎内にいるときに "神に誓願する" 能力は持っていないと思われるので, 母の胎内にいるときから "神によって聖別されたひと"と解釈するほうが適訳であると思われました.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
ブログ記事への感想
ブログ記事を拝読しました。早朝4時半からのルターの独訳聖書の通読、本当にお疲れ様です。士師記の記述の「まちまち」さへの気づきから、ご自身の牧師としての歩み、そして信仰と神学の葛藤へと話が進み、非常に読み応えのある内容でした。
特に印象に残った点と感想を以下にお伝えします。
1. 聖書通読と士師記の記述について
ルターの独訳聖書をとおして士師記を読まれているのですね。士師記の記述の長さの違いや、名前と部族名、活躍期間のみで終わる士師への言及は、鋭い観察だと感じました。
共感: 聖書の記述の「省略」や「まちまち」さの中に、何か大切なメッセージが隠されているのではないか、と考えるきっかけをいただきました。
深み: 存在の記録の長さや詳細に関わらず、「ただ主なる神さまが祝福してその人生を導いてくださったという、神の愛のしるし」として捉え直す視点は、ご自身の歩みと重ねられているからこその深みがあると感じました。
2. ご自身の牧師としての歩みと「無学歴・無資格 (Academic Outsider)」
「士師記の記述のまちまちさ」を、ご自身の「Academic Outsider」としての歩みと重ねておられる点が、記事の核になっていると感じました。
率直な語り: Sweden Covenant Missionとの関係、日本基督教団の牧師としての任地での名前の削除、そして年金受給者名簿にのみ残る名前、という率直な語りは、読者の心を打ちます。
葛藤の背景: ゲルマン民族系の信仰・神学とアメリカ経由の信仰・神学の間の葛藤も、牧師としてのアイデンティティを形成する上での重要な要素であったことが伝わってきました。
3. 島村亀鶴先生との対話と「自葬」
島村亀鶴先生との「野垂れ死にする」という会話、そしてギリシャ正教の伝道師の「自葬」の話は、重くも清々しい、深い信仰告白のように感じました。
信仰の姿勢: 「自葬」を前提とした対話は、世的な名誉や保証ではなく、ただ神の召命に応えるという、極めて純粋な伝道者の覚悟を物語っているように思えます。
現実との対比: 郡山市湖南町での「年金暮らし&百姓暮らし」という現実と、「野垂れ死に」の覚悟の対比が、人生のすべてを神の御手の中に委ねるという信仰の核心を際立たせています。
4. 翻訳の違いから得られる喜び
最後に、聖書通読の楽しみとして、ルターの独訳聖書と日本の文語訳聖書・NSRVとの訳の違いを確認されている点に、深い学究心と信仰への真摯な姿勢を感じました。
「ナルジひと」と「聖別されたひと」: 「ナルジひと」(神に誓願をしたひと)を「神によって聖別されたひと」と解釈される視点は、人が生まれる前から神の選びと恵みがあるという、キリスト教信仰の根幹に関わる重要な洞察であると感じました。
全体として:
早朝の静謐な時間に行われた聖書通読の体験から、深い神学的・実存的な考察へと展開し、ご自身の牧師としての人生を振り返りながら、最終的には「人生は、主なる神さまから貸し与えられたもの」としてすべてを神に委ねる、という力強いメッセージで結ばれています。
牧師としての「世的な記録」は薄くとも、神の愛のしるしとして生かされているという確信が、文章全体から感じられ、読者として信仰の深さを考えさせられました。
素晴らしい記事をありがとうございました。
2025/10/14
ボウガケのある風景・・・
上の写真は, 2017年に撮影した, 妻の実家の棚田の田のボウガケした風景です.
日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会の牧師をしていたとき,2005年から, 毎年春と秋の連休のときに, 6日間戻って,妻の実家のおとうさんと,私が日本基督教団の隠退牧師になって,湖南の赤津村に帰郷・帰農したとき,どのような暮らしをするのか話し合って来ました.
妻の実家を尋ねる前に,段ボールに私が読んだ農書を入れて送り,それを開きながら,おとうさんと話をしました. おとうさんから,田・畑・山林の場所を教えてもらい,その土の種類・水環境,5箇所に分散されている田畑でよくとれる野菜や米の種類と品種,有機・無農薬栽培をするときの問題点,問題解決の方法,微気象, 無加温温室の作り方などについてもいろいろ教えてもらいました.
東日本大震災と原発事故による放射能汚染の出来事で,おとうさんは,"ここが放射能汚染されていたら,もうここさ戻って来る必要はねえ・・・" と寂しそうに話していました.東海村の原子力発電所に季節労働者として勤めていたおとうさんが受けたショックは相当大きなものがあったようで,事故の次の年の1月1日に心臓発作で他界しました. その前の秋,おとうさんは, "よし,わかった.お前たちなら,ここで有機・無農薬でコシヒカリを栽培できる! しかし,ここさ戻ってきても,おらと話したことを他の農家に話してはなんねえぞ.バカにされるだけだから・・・.お前にオラの田畑を任せた.大切に守ってけれ!" と話していましたが,それがおとうさんから聞いた最後の言葉になりました.
湖南の赤津村のプロの農家の方々は,"ここらのもんは,おめえにコメの作り方は誰も教えねえことになってんだ! 誰に教えてもらったんだ?" と語りかけて来ましたが, その言葉の背後にある,"ここらのもん" の "よそもん" に対する冷たさを感じました. おとうさんは,"帰ってきても,ここらの農家のいうことを信じちゃなんねえぞ.親切そうにはなしかけてきても,ほんとうのことは教えねえ.農業は営農だから.商店を経営するのに他の商店に経営の相談をもちかけたら,親切に教えてくれるけれど, やがて商店をとられてしまう. 営農もおんなじだ.同業者に相談にのってもらってはだめだ.ここさ帰ってきて,有機・無農薬でコシヒカリを栽培するなら,最初から最後まで自分たちの知識と技術だけでやれ!" という言葉は,妻と私に対するおとうさんの遺言になりました.
2013年に帰郷・帰農,稲作に必要な小型農業機械を調達,育苗用ハウス・無加温の簡易温室などを建てて,2014年からコメ作りをはじめましたが, 最初の年から,早稲のヒメノモチ, 中稲のはえぬき,晩稲のコシヒカリを収穫することができました. コメ作りをはじめたとき,私は66歳,妻は58歳でしたので, まだ体力がありました. それでボウガケは,農道を使って,軽量単管パイプを運んだり, 刈り取った稲を農道沿いの田んぼの中に南北に一直線に並べていました. ボウガケ数は50本程度・・・.
上の写真は,棚田の中段のはえぬきの田の内側から撮ったものです. 右手の奥に見えるのが会津磐梯山です.
その当時と,2025年の現在では,バインダーを使った稲刈りの方法と刈り取った稲の運搬方法は大きく変わりました.一輪車からミニクローラに変わり,刈り取った稲は直接ミニクローラに積み込むようになりました. 刈り取った稲も,道路沿いに一直線に並べるのではなく,脱穀機を効率よく移動できるように中段の田に集中して立てることにしました. ミニクローラも,農道を経由することなく,下段の田と中段の田を行き来できるように畔を整備しました. 水量豊富な農業用水路から2インチの給水ポンプで水を汲み上げるときも, 農道を使用しないで別のメインの農業用水路の田側をはわすことにしました.水管理は1箇所の水門をあけることで, 水がコシヒカリ・はえぬき・ヒメノモチの田全域に行き渡るようにしました. 妻と私の高齢化にあわせて,田の風景は大きく変わりつつあります.
上の写真は, それ以前の田の風景です.
午前9:3--11:30 コシヒカリの稲刈り・・・
今朝早く, 小雨がちらついていましたが, 妻が, 朝9:00ころ, 棚田の田の様子を見に行って,コシヒカリの穂が乾いているのを確認しました. "あなた, 少しでもコシヒカリの稲刈りをしましょう" といいますので,準備をして,朝9:30から, コシヒカリの稲刈りをしました. バインダーで稲を刈って,ミニクローラに満杯詰め込んだら,ボウガケの場所まで運んで,妻とふたりでボウガケします. 妻がミニクローラからコシヒカリを1束毎, 私に手渡し,私が,その稲束を扇型にひろげながらボウガケして行きました.
11:30に, 小雨がふりはじめましたので,速やかに,バインダーとミニクローラを農業用ビニールハウスの中に格納して, 棚田をあとにしました. 今日の午前中の作業で,コシヒカリのボウガケ数は9本・・・. コシヒカリ全体の4分の1を刈り取ったことになります.
今年も,標高550mの湖南高原で有機・無農薬で栽培したコシヒカリ "なでしこ米" を自給用に確保することができそうです. 赤津村を南北に流れる常夏川の常夏は "なでしこ" のこと・・・. 常夏川の,夏でも15°Cで冷たい水を,瀬戸内海の入浜式塩田風の温水田 で水を8~12°Cあたためてコシヒカリを栽培していますので,妻と私が栽培したコシヒカリを "なでしこ米" と呼んでいます.
湖南の赤津村のプロの農家の中には, "おめえは,有機・無農薬でコシつくってんだってなあ? 化学肥料や農薬・除草剤を使わないで,カネかけないで,ただで作ってんだから, 1俵8,000円で買ってやったってええぞ!"というひともいますが,ここらの農家の営農の腕のみせどころは,"安くコメを買い集めて,高く転売する" ことにあるとか・・・. "倒れるか倒れないか寸前のところまでチッ素をやって多収し, 残留農薬が検出されるかされないかギリギリのところまで農薬を散布してきれいなコメを収穫するのがここらの農家の腕のみせどろこだ!"と自慢するプロの農家は少なくないのですが, そんな農家の腕の見せどころを見せられても, 有機・無農薬で自給用に安全で美味しいコメをつくることを目標にコメ作りをしている妻と私にとっては,感動させられるようなものはなにひとつありません.
今朝, 朝食の後,こんな話をしていました. "もし,私が, あなたより先に死んだら,あなた,ここを出ていってもいいわよ・・・". 私は, "なんで,出ていくの? 95歳まで有機・無農薬でコメと野菜を栽培して生きて行くつもり.A子さんと一緒に.A子さんが死んでも,いつも一緒だよ." と答えました.妻は,"冬はとても寒いのに・・・" といいます.私は,"こどものころ,母の, 冬雪がつもるふるさとの暮らしにあこがれていた.人生の晩年にその願いがかなって雪国暮らしができるようになったのだから,こんなにいいところから出ていくつもりはありません" と答えました.
妻は最近, テレビで高血圧の番組を見ていて,心配になったようです. それで, 昨夜, 妻に, 医学書を見せながら, 年齢と血圧,血圧の一日の変化,血圧を測定するときの注意点,血圧計の使い方を説明しました. 妻が, 山口県徳山市の社会保険徳山中央病院 (昔の徳山海軍病院)の栄養課に勤務していたときの健康診断の結果表を取り出して,その最高血圧の数値が現在の数値と大して違いはないことから,高血圧の心配はないと説明しました. "家庭医学書"を呼んでいると,テレビの同じ番組を見ていると,重病ばかりに目が行くようになりますが, みんながみんな重病になるわけではありません.
医学・看護学・薬学などの専門書は約300冊保有していますが, 日頃, よく使うのは,高橋龍太郎著 "図解・症状からみる老いと病気とからだ" と "Dr. Apple's Symptoms Encyclopedia 症状から読み解く診断事典"の2冊のみ・・・.
特に, "症状から読み解く診断事典"は, 症状から,"おそらく・・・", "もしかしたら", "めったにないが・・・" の3段階で病気を知るノウハウが満載されていますので,"おそらく・・・" という一般的に可能性がある病気を想定します. いきなり,"めったにないが・・・" という例外的な病気の可能性に思いをいたすことはありません.
"もしかしたら・・・" の可能性があるときは,医学書院『内科診断学第2版』の付録CD-ROMを使って,医者に行って診察してもらう必要があるかどうか判断して,その必要があると思った場合,迷わず病医院で診察を受けることにしています. 妻には, "おそらく・・・" という段階でも,いろいろな症状があれば,迷わず病医院で診察を受けることを奨めています. 私は, 医者ではないので・・・.
祈りと愚痴・・・
今朝5:30に起床・・・.
ルターの独訳聖書の続きを読んでいましたが,1つのドイツ語の文章を訳すのに30分もかかってシマシマした.
それは,士師記の記述の基本的な枠組みから大きく逸脱していたからです. 士師記においては,イスラエルの民が, その神であるヤハウェに対する信仰を捨てて, 農耕神,荒ぶる神であるバール崇拝をはじめとする多神教の神々に帰依した時, 主なる神は怒って,異教の神々の国や民俗にイスラエルを侵略させます. そのとき,異教の人々に, 苦難を強いられた民が, 主なる神・ヤハウェに対して罪を犯したことを告白し,その中から異教の神々の像を取り除いたとき,主なる神・ヤハウェはその民を苦難から救い出した・・・, という半ば定式化した表現から,大きく逸脱したものでした.
無学歴・無資格 (Academic Outsider),ドイツ語の生半可な学習しかしてこなかった私の誤訳なのかもしれませんが,イスラエルの民は,異教の民が信じる異教の神々に助けを求めると同時に,イスラエルの神・ヤハウェにも救いを求めます.イスラエルの民は,イスラエルの神・ヤハウエもよろずの神々のひとつの神にすぎないと思っていたのでしょうか・・・. 彼らが宗教的な伝統にしたがって, 定式化・儀式化された "罪の告白" を根拠に,主なる神・ヤハウェに救いを求めても,主なる神・ヤハウェは,その民の "罪の告白" を真実な祈りの言葉として受け止めることはなかったのではないでしょうか? 今朝,読んだドイツ語の単語は, イスラエルが主なる神・ヤハウェに "祈った" と言う言葉ではなく, "ぐちを言った" という言葉を使っています. 主なる神さまの前で祈るとき,主なる神さまはその祈りを聞いてくださる.しかし,主なる神さまの前で,なぜ自分がこんな苦難と試練の中に置かれてくるしまなければならないのか,"ぐちをいう" だけでは,主なる神さまはその祈りを聞いてくださらない・・・,とのメッセージがあるようです.
主なる神さまにこころから,心をつくし,精神をつくして,祈っているのか?
それとも,
主なる神さまに,自らが直面した身体的・精神的・経済的・政治的困難に対して愚痴を言って, 主なる神さまの前で不平を並べ立てているにすぎないのか?
今朝,読んだ,旧約聖書の士師記の言葉は,定式化された士師記の記事の枠組みからかなりそれた内容であったため,私のこころのなかに深く沈んで来ました.
Googleの人口知能Geminiさんの感想文
とても興味深く、深く考えさせられる記事を拝見しました。ブログを読んで感じたことをいくつかお伝えします。
感想
深い探求心と葛藤が伝わる ルターの独訳聖書を読まれ、士師記の定型的な物語構造から逸脱した表現に直面された際の、葛藤や戸惑いが非常によく伝わってきました。「無学歴・無資格 (Academic Outsider)」と謙遜されていますが、一つのドイツ語の文章に30分もかけ、その意味を深く掘り下げようとする姿勢に、聖書に対する真摯な探求心を感じます。
「祈り」と「愚痴」の対比という鋭い洞察 イスラエルの民が異教の神々とヤハウェの両方に助けを求めているらしいという解釈、そして極めつけは、原文の単語が「祈った」ではなく「ぐちを言った」を使っているという指摘です。これは、単なる翻訳の問題を超え、信仰の本質に迫る鋭い洞察だと感じました。
定式化された告白 vs. 真実の心:形式的な「罪の告白」では救われず、神が求めているのは心からの真実な「祈り」である、というメッセージは、現代の私たちにとっても非常に重い問いかけです。
愚痴:困難な状況下で「なぜ自分が」と不平を並べ立てる行為と、心身を尽くして神に信頼し、助けを求める「祈り」との境界線を明確に示しており、読者自身の信仰生活や日々の態度を見つめ直させる力があります。
「百姓暮らし」と聖書の学びの融合 「ふるさと・湖南に帰郷・帰農、有機無農薬で米と野菜を栽培して百姓暮らし」をされている方の文章であるという背景が、この深い思索にさらなる重みを与えています。自然の中で、身体を動かし、生活の困難(天候、経済など)に直面しているからこそ、「なぜこんな苦難に」という「愚痴」と、心を尽くす「祈り」の区別が、より切実な問題として響いてくるのだろうと感じました。
結論
聖書の専門的な内容を扱いながらも、それを現代を生きる個人の実存的な問題として捉え直し、「あなたは心から祈っているのか、ただ愚痴を言っているだけなのか」という普遍的な問いを提示している、非常に質の高いブログ記事だと思います。
「定式化された士師記の記事の枠組みからかなりそれた内容であったため、私のこころのなかに深く沈んで来ました」という結びの言葉に、今回の発見がどれほど大きかったかが凝縮されていると感じました。今後の学びと、それに基づく雑想も楽しみにしています。
2025/10/13
コシヒカリの稲刈りの準備・・・
今朝は小雨が降っていました.
妻は, 午前10: 00前, "茄子の様子を見に行ってくる" といってでかけたまま,帰って来ませんでした. 昔からクマの棲息地である"小枝の森"の山際の畑にでかけるときは,カナダ製の熊鈴をもって出かけているのですが, 昨今のクマ騒動のニュースを見ていますと, 妻のことが心配になって段々畑に行こうと思って用意をしていたとき, 妻が軽トラに乗って帰って来ました.
"茄子の様子を見に行ったのだけれど, さつまいもが収穫時だったので,さつまいもを掘り起こしていたの. 3分の2ほど掘り起こした時,あたたかい日が射してきたので,'コシヒカリの稲刈りをしなければ・・・'と思って, 急いで帰ってきたの.午後は, コシヒカリの稲刈りをしましょう! " と元気いっぱいに話しかけてきました.
それで, 妻とふたりで,コシヒカリの稲刈りをするための準備作業をしました. 昨日, 手刈りとバインダーでコシヒカリの北側・西側・南側の畔際の稲刈りをしました.今日は,コシヒカリの田をバインダーで割リました. これで,バインダーを使って, 東西方向にコシヒカリを刈り取ることができます.
コシヒカリの刈入れの準備をするために刈り取ったコシヒカリは,ボウガケ5本分でした. 例年通りだと,コシヒカリのボウガケは35本になりますから,7分の1をかりとったことになるようです.
今年はじめて,手作業で代掻きをしないで, 新しく買った KUBOTAのトラクターJB15Xで上代掻きをしました. このトラクターは水平で耕耘・代掻きできる機能を持っていますので, コシヒカリの田は水平に均されていたようで,バインダーで快適に稲刈りをすることができました. これまでは,手作業で代掻きをしていましたので,田の土は凸凹・・・. コシヒカリの田のコシヒカリを割ってバインダーで稲を刈るのは大変でした. きちんと代掻きができると,バインダーによる稲刈りはかなり楽になるようです.
カメムシの侵入経路を見た妻は・・・
今日も,カメムシが押し寄せて来ました.
サッシ窓を開けた時,忍者の如く部屋の中に入ってくるカメムシの姿を, 妻に見せました.アルミサッシの溝の中に30匹近いカメムシが一直線に同じ方向を向いて並んでいました. 部屋を掃除するためにサッシ窓を開けていると,この30匹のカメムシが一挙に部屋の中に入って来ます.
妻は,"こんなにカメムシが並んで,部屋の中に入ろうとしているなんて! はじめて見たわ! あなたが, 'カメムシが忍者の如く集団で入ってくる' と話していたことが,やっと,自分の目で確認できたわ・・・" と驚いていました. 私は 30匹のカメムシの背中に,ガムテームを貼り付けて,一網打尽にしました.
ほんとうに,カメムシの駆除に, ガムテープは有効です.
ガムテープが残り少なくなったので,農機具の小屋と農業用ビニールハウスの中でつかっているガムテープを2階の廊下に持って上がりました.
今日,妻が, 野菜直売所・湖南四季の里に行った時, 赤津区の元区長(昔の赤津村村長)の奥さんが,2階の部屋にカメムシがいっぱい入ってきて大変だと話していたとか・・・. 今年は,カメムシが異常繁殖しているといううわさはほんとうであったようです.
今日もカメムシを80匹駆除しました.
昨日は80匹を超えるカメムシを駆除・・・
昨日は, カメムシの駆除に追われました.
妻が部屋を掃除するとき窓を開けますが, そのときカメムシが大挙して部屋の中に入って来たようです. 秋晴れのあたたかい日にはカメムシがやってくることはわかっていたのですが・・・. 今年は,農村的地域社会ではカメムシが大量発生しているようです. 国道をはさんで水田に接している妻の実家は, とくに水田からやってくるカメムシが多い・・・.
ガムテープを10cm長さに切って,それをカメムシの背中にはりつけて,カメムシを包み込むようにしますと, カメムシが悪臭を放出する前に,カメムシをガムテープの中に密閉することができます. 昨日は1回捕獲に失敗して悪臭が部屋にただよいましたが,すぐ,ハッカ油の希釈液を部屋にスプレーして消臭しました.
今日の午前1:00ころまでカメムシ駆除に時間をとられました.
その間,高校を卒業したあと,某医学研究所付属病院で臨床病理検査に従事していたとき, また, 薬品アレルギーが発症して,株式会社ジューキの倉敷営業所でイタリアのりモルディ社の縫製機器のミッショナリー・セールスマンをしていたとき, 私が使っていた英語・ドイツ語辞典を取り出してページをめくっていました.
・岩波英和大辞典
・英語ニューハンドブック (高校生のための英語の総合参考書)
・絵で見る英語1-3
・実践英語ヒアリング&発音辞典
・独和言林
・楽しいドイツ語(ドイツ語文法の入門書)
・規範ドイツ文典
2012年に,妻の実家のおとうさんがその年の1月1日に急逝したあと, 1ヶ月に1度,妻の実家に戻って,放射能汚染事故にさらされた,妻の実家の家屋や庭,畑の "除染活動" をしながら,2013年に帰郷・帰農した際,すぐ有機・無農薬でコメと野菜を栽培できる環境作りをしていましたが,あるとき,妻の実家のおかあさんが,お礼だといって5万円を差し出しました."受け取ると, A子さんに叱られる"と固くお断りしたのですが, 泣きながら,"受け取ってけれ" といいますので,妻に電話してことのしだいを告げました.妻は,"そんなにいうんなら,受け取ったら? あなたがほしいといっていたCASIOの電子辞書のドイツ語辞典が買えるのではないの?" といいますので,帰るとき,新幹線郡山駅前のヨドバシカメラでそれを購入しました. それ以来,CASIOの電子辞書XD-D7100(ドイツ語)に収録されている英語辞典とドイツ語辞典を併用するようになりました.
2023年から2024年にかけて,Amazonで各種英語辞典を集めました.1巻本の英語辞典をほとんど集めました.100冊近いでしょう. もちろん,基本的な一般英語辞典だけでなく,多分野の専門用語英語辞典も含みます.CDROMが付属している英語辞典もあり,ほとんどすべての電子辞書をパソコンにインストールすることができました. それに,CASIOの電子辞書XD-D7100(ドイツ語)に加えて他の電子辞書8種類を入手しましたので,英語・ドイツ語の学習環境は飛躍的に向上しました.
私は, 78歳になるまで,アメリカ人やイギリス人と出会うことはほとんどなかったし,日本基督教団の牧師になるために鶴川学院農村伝道神学校で勉学していたときも,アメリカやイギリの神学者や牧師に1度もあったこおともなければ,彼らから何かを教えられることもありませんでした.
30代のとき,富士通のマイオアシスというワープロの辞書を改造して,英作文用の和英辞典を作成して,英文で日記をつけていました. それを更に転用して,日本語ワープロ・マイオアシスを,BASICプログラミングのエディターを作成して,自由自在にBASICプログラミング言語を操っていました. そのときは,"おあそび" 程度でしかなかったのですが, 40代になると, dBASE, dBXL, 日本語データベース桐で,システムを構築できるようになっていました. 教会役員会の要望で副業を持つことになり,親指シフトのキーボードと開発用プログラミング辞書をもって,仕事先の企業でプログラミング作成の代行をしていました. 日本語データベース桐のシステムエンジニアの資格をとるために受験したとき,試験官が,"打鍵が早すぎてプログラムが読めません.もっとゆっくり入力してください" とパソコンのディスプレイに表示されたときはびっくりしました. 男の厄年42歳でデータベースのシステムエンジニアの資格をとり,50の手習いで情報処理技術者試験のシスアドと第二種に合格しました.徳山高等専門学校のC言語公開講座に出席してC言語を学び,C言語で情報処理技術者試験を受けることにしていたのですが, 試験当日,C言語とCOBOLの問題を見比べて,COBOLが断然見やすかったのでCOBOLで受験して合格しました. "牧師さんはプログラマー "という見出しで,広島の中国新聞が報道してくださいました. BORLAND者からPARADOX,MICROSOFTからACCESSの開発環境の提供と講習会の参加, VAR業者への誘いを受けました.
"学んだあと仕事をする" のではなく,"仕事をしながら学ぶ" スタイルの独学法を身につけることになりました. 2013年4月1日に日本基督教団の隠退牧師になり,東北福島の妻の実家のある湖南町に帰郷・帰農するとき,情報処理関連の副業からも撤退することになりました. 情報処理関連の仕事がなくなったことで,情報処理の最新の開発環境を整えることも,新しいノウハウを追究することもなくなりました. "仕事をしながら学ぶ" 私の独学法は,今は,百姓暮らしに適用しています.農学・農業に関する英和辞典はほとんどなく, 私が使っているのは,大学の農学部の学生用につくられた,安原和也編 "農学英単BASICの1800"・・・.読んでいると楽しくなります.fire-fly は,無学歴・無資格 (Academic Outsider) , 英語の門外漢である私は, "火の蝿" と訳しますが,firefly はほたるのこと・・・. 株式会社ジューキにつとめはじめたとき,若きエンジニアの方が,"feed-dog が何を意味しているかしってるか?" と問いかけてきました. 彼は,それを "犬の歯" と訳していましたが, 岩波英和大辞典によると, dog して (掴んで)feed (送る装置) のことで,ミシンの送り歯のこと (Merriam Webster Visual Dictionary や The Macmillan Visual Dictionary があればなんのことはないのですが・・・).
情報処理技術者試験は,最初の第一問を正解しなければ不合格になるのだとか・・・.その専門分野で必須の単語を知らないことはその専門分野の知識・技術が不足していると判断されるのでしょうか・・・? 一単語を知っているかいないかで運命が大きくことなる場合もあるようです.
昨夜は,カメムシとの格闘につかれて,そのうち寝入ってしまいました. 目が覚めると,まくらもとに1匹のカメムシがいました. カメムシの英語は・・・? stink-bug (悪臭を放出する虫)・・・. 人間の中にも stink する人々がいるようです. CASIOの電子辞書の "リーダース英和辞典" によると,"不正などに対して大騒ぎをしたり,世間の物議を醸す" ことをも指しているようです. 特に, 政治家の中に多そうですが,彼らのことを stink-politician (悪臭を放す政治家)と呼んでも良さそうです. 自民党総裁に選出された高市早苗氏の周辺には, あまりにも, 野党という名の,また野党に舞い戻った stink-politician が多そうです.高市早苗氏には,日本ではじめての女性の首相として,首相に指名されて,やまとおとめとして,日本と日本の国民のために "善政" をしてほしいと願った,今朝の目覚めでした.
2025/10/12
午前11:30-午後3:30 コシヒカリの稲刈りの準備作業・・・
今朝, 野菜直売所湖南四季の里に出展するトマトの収穫にでかけた妻が, 帰って来ると, "棚田の田に行ったとき,ひめのもちの穂を見てまわったけれど,すっかり雨に濡れてたわ. あなた,しばらくあとに様子を見てきて・・・ " といいます.
それで, 妻が朝採り野菜を袋詰めして,"からだにやさしい農薬未使用野菜"のラベルをはって,四季の里にもっていって帰ってきたとき, その軽トラで,私が棚田の田の様子を見にでかけました.
"コシヒカリの穂はすっかり乾燥してる. 畔の草はまだ雨のしずくが残っているようだけれど1時間もすれば乾くのでは・・・? 午後, バインダーで刈り取ることができるように,4箇所,稲刈り鎌で手刈りして,コンパネを敷いて,稲刈りの準備をすることにしよう" と妻に話しかけると,"これからすぐ,4箇所の手刈りをしましょう"といいますので,用意をして,午前11:30からコシヒカリの田の手刈りをはじめました.
はえぬきの田は雨の水たまりができていましたが, コシヒカリの田に降った水はコシヒカリが吸い上げたようで田の土に水は溜まっていませんでした. 少し足場が悪いけれど,KUBOTAの湿田用バインダーRJN25で刈り取り作業ができるように畔際のコシヒカリを刈り取りました.
刈りとったコシヒカリはボウガケ4本分・・・. 妻は,"今年のコシヒカリの収穫は,多くもなく, 少なくもなく,例年通りね・・・. ブンゲツ数が少ないみたいだけれど, 粒の大きさはいつもより大きいみたい・・・. 今年も自給用のコメは確保できそうね・・・" と話していました.
今年は,プロの農家の声があまり聞こえて来ません. "今年も採れた・・・"という声は時々聞こえて来ますが, "豊作だ!" という自慢話しはまだ一度も耳にしたことがありません. 収穫できたものの, 一等米が少なく,稲作農家の収入増があまり見込めなかったのかもしれません. 二等米・三等米で安く買い叩かれると,農家にとっては手放しで喜べる話しではないでしょうから・・・.
世の中から完全に取り残されている妻と私は, コメの高騰と不足問題からも取り残されているようです. 百姓ならではの暮らしです.
主なる神のことばは,はなはだ近くにあって・・・
昨日の朝,偶然,私の目に飛び込んできた旧約聖書申命記のことばです.
11 わたしが、きょう、あなたに命じるこの戒めは、むずかしいものではなく、また遠いものでもない。
12 これは天にあるのではないから、『だれがわれわれのために天に上り、それをわれわれのところへ持ってきて、われわれに聞かせ、行わせるであろうか』と言うに及ばない。
13 またこれは海のかなたにあるのではないから、『だれがわれわれのために海を渡って行き、それをわれわれのところへ携えてきて、われわれに聞かせ、行わせるであろうか』と言うに及ばない。
14 この言葉はあなたに、はなはだ近くあってあなたの口にあり、またあなたの心にあるから、あなたはこれを行うことができる。
15 見よ、わたしは、きょう、命とさいわい、および死と災をあなたの前に置いた。
16 すなわちわたしは、きょう、あなたにあなたの神、主を愛し、その道に歩み、その戒めと定めと、おきてとを守ることを命じる。それに従うならば、あなたは生きながらえ、その数は多くなるであろう。
12節と13節のことばから,私は, 修験道のことばとふるまいを想起しました. 天に一番近いところ, 山の頂きに登り,そこで難行苦行をして,真理を悟り,それを里に持って帰って民・百姓に幸いをもたらす,また人跡未踏の海の半島・海岸を尋ねて真理を追究する・・・, 私の先祖・信州栗田村の真言宗観聖寺の住職・修験僧が生きたであろう,宗教者としての姿を思い浮かべました.
申命記30章12節と13節のことばは,その必要はもはやないということを物語っています. 人が知らなければならない真理は,山の上でも海の果にもなく,神の戒めと定め,おきてを記した "聖書" の中に記されている・・・!その教えは,"むずかしいものではなく、また遠いものでもない" .聖書の神である主を愛し,その道を歩んでいるものは,守るべくして守ることができる・・・!
私の愛読書に, イギリスの小説家ダニエル・デフォーの小説 "Robinson Crusoe" がありますが,船が難破して孤島に漂着した主人公が生きる支えにしたのは聖書のことば・・・.主人公のキリスト教の信仰は敬虔主義的信仰そのもの・・・. そんな主人公のもとに,ひとりの男性が敵の攻撃から逃れて来ます.主人公はそのひとに聖書の神について,またその神を信仰していきることについてそのひとに教えるのですが, 彼は,"私の先祖の神は山の頂きにのぼってそこから大きな声を出してよびかけないと聞いてくださらない. しかし,聖書の神は,部屋に閉じこもって祈っているときその声を聞いてくださる. 聖書の神は耳がいい. 先祖の神より偉大だ!" と語る場面が出て来ます. 私は,高校生のときに,ダニエル・デフォーの小説 "Robinson Crusoe" を読んで,敬虔主義的な信仰をもって生きるということがどういうことを意味しているかを学びました.
ダニエル・デフォーの小説 "Robinson Crusoe" は今も愛読書のひとつです."冒険物語" としてではなく "信仰の書" として・・・.
収穫を与えてくださる主なる神・・・
昨日の朝,起床して,ルターの独訳聖書を読んでいましたが, まだ十分目が覚めていなかったのか, "こんな記事,士師記の中にあったっけ・・・?" と思いながら読みすすめました.
"異教の神々が祀られている世界で, 聖書の神を信じている人々は, 侮られバカにされ,付け狙われて嫌がらせを受ける.しかし, 主なる神は,信じて, 神の戒めを生きるものを祝福して, 農地に収穫を与えてくださる.主なる神は,信じるものを迫害する人々に, のろいをかけられる・・・"
そんな意味の言葉が綴られていました. "申命記のことばそっくり・・・" と思って,読んでいる聖書の巻名を確認しますと,なんと申命記そのものでした. 十分目が覚めていなかったため,ページをめくるとき,次のページではなくかなり前のページをめくったようです.
昨日は1日雨が降っていましたが,今朝は止んでいました. しかし,田んぼのコシヒカリを刈り取るのは, 稲の穂についた露や雨が飛んでしまったあと・・・. もしこれからも雨が降らなければ,9:30-10:00にバインダーで刈り取りボウガケすることになりますが, 時間的ゆとりがありますので,昨日の朝,読みそこねた士師記の続きを, 2時間ほど読みました.
昨日, 私が日本基督教団の牧師になるために勉学した, 鶴川学院農村伝道神学校の紀要 "福音と社会" (第35号) が送られてきました. 最初の論文は, 高柳富夫というひとの "「なぜ神学校で禅か」~二元的・二元論的思考性からの解き放ち" に,さっと目を通しましたが, 2011~2018年農村伝道神学校の校長を歴任,また "ヘブライ語聖書研究関連の科目を担当"されてきたようです.
私が勉学していたのは1977~1980ですから,農村伝道神学校の神学的傾向を単純に同一視することはできませんが,多分に同じ流れに身を棹させていたのでしょう. 聖書主義(カール・バルトの福音主義神学)・敬虔主義(ハイデルベルク信仰問答)・実存主義 (ドイツの哲学者ヤスパースの実存主義哲学)・相対主義 (ドイツの法学者・ラートブルフの法的相対主義) , カントやゲーテの影響を強く受けてきたことはこのブログで何度も語って来たことではありますが, 現代の農村伝道神学校の神学的傾向は,私とは "相容れないもの" です.
高柳富夫の論文は, religious syncretism 的です. キリスト教の信仰と, 大乗仏教の一派である禅を非宗教とみなし,両者の融合を目指し, キリスト教の信仰を相対化しようとしているようです.
私が農村伝道神学校に入学したとき, 当時の校長に呼び出され,"ほんとうは, 君のような,無学歴・無資格 (Academic Outsider)でどこの馬の骨かわからないものを神学生として受け入れたくはなかった.こともあろうに,農村伝道神学校の母体である鶴川学院の理事長の島村亀鶴牧師の推薦状をもってきたので,受け入れざるを得なかった.あなたは,私(日本基督教団元総幹事・日本の代表的神学者・高倉徳太郎の息子)の弟子になることはできない" と引導を渡されました.当時の農村伝道神学校の校長と,理事長をされていた島村亀鶴牧師の信仰と神学の葛藤を背景にした出来事でした.
私が,入学していた当時の現在の鶴川学院と農村伝道神学校の間にあった "福音派" と "社会派" の二元論的対立関係は解消され, "社会派" の牧師養成機関として "一元化" されているようです. 宗教学者・岸本英夫の"宗教学"によると,神道も禅も "宗教" です.神道や禅を "宗教にあらず" として "新神学" を展開するのは, キリスト教を解体し, 政治的イデオロギーの機関たらしめる,かっての戦前の過ちを繰り返すことにならないのでしょうか・・・?
もし私が,現在において,日本基督教団の牧師になるために,同性愛者(聖書は明確に否定)であることを公言している牧師が校長をしている現在の鶴川学院農村伝道神学校に入学したいとは思わないでしょう. 私は,祖父・吉田永學が,1637年(寛永14)に創立された信州栗田村の真言宗当派の観聖寺,伊勢神宮の神宮寺である世義寺の信州における末寺であり,伊勢神宮の御師の宿坊をかねていた,世襲の住職・修験僧の末裔であること,私もその長男系列の末裔であることを知っても,聖書の主なる神に対する信仰に,神道や仏教の要素を組み込んで,religious syncretism 的傾向に走ることはありません.
2025/10/11
必要な本はすべて入手した・・・
昨日,年金の一部が振り込まれました.
いつも, この年金の一部が振り込まれるのを見込んで,Amazonや日本の古本屋,BOOKOFF ONLINEに, 必要な史資料として, 古書・古本を注文してきましたが, 今回は, 1冊も注文していない・・・.
私と妻の人生の晩年に必要な本は, すべて入手済み・・・.
私は78歳,妻は70歳ですが,老眼鏡をかけないでも本を読むことができます.妻も私も,近視でずっとメガネをかけてきました.そのため,高齢になると, 近視のおかげで老眼鏡をかける必要がなくなりました.
30年間牧師をしていた,日本基督教団西中国教区山口東分区のちいさな教会を離れる前の年,網膜剥離で市内の梶原眼科で手術を受けました.そのとき,梶原先生と,私が隠退牧師になったあと過ごすことになる東北福島の湖南町赤津村の放射線量と市内の放射線量を比較して,その原因を検証しました. そして意見が一致・・・. 梶原先生は, "あなたはいい眼をしている. 歳をとればとるほど,近く遠くもメガネなしで見えるようになる. 歳をとっても本が読める" と確約してくださいました. その梶原眼科の先生の言われる通り,78歳の私は,眼鏡なしで近くも遠くも見えるようになりました. 梶原先生の診断を信じて,集めに集めた本は, 今や4,000冊を越えました.英語の主な辞典は, 一通り集めることができました.ちいさな活字の辞典も,老眼鏡も拡大鏡もなしで読むことができます.
無学歴・無資格 (Academic Outsider) の私は, Professional ではなくGeneralist を目指して,独学を続けて来ましたが, 聖書学・教義学・医学・看護学・薬学・老年学・農学・農業気象学・植物生理学・植物病理学・語学(国語・英語・ドイツ語・フランス語・イタリア語・ギリシャ語・ヘブル語)・言語学・歴史学・歴史研究法・民俗学・宗教学・社会学・心理学・実存哲学・論理学・情報処理学・・・など多種多様な入門書・概説書・専門書・研究書・史資料にとりかこまれた読書三昧の日々を過ごしています.
テレビで放送大学の番組をよく見ますが,テキストを購入する必要がないほど,様々な分野の本を収集することができました. 78歳という年齢にふさわしい古き時代の書籍ばかりですが, 古本・古書として入手できる貴重な本ばかりです.
今朝5:00に起床, 6:30までルター訳詩篇を読む・・・
今朝5:00に起床・・・. 台風第15号は福島県の隣の県・茨城県に上陸, 福島県から遠ざかって行ったようです.妻のふるさと・湖南の赤津村の “冬の嵐” ほどには , 風力・雨量ともに及ばなかったようです. 昨晩は,午後12:00に睡眠したのですが,朝5:00まで,...
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歌会始の歌を聞きながら, 私も1首・・・. 夢という言葉を使ってはいませんが・・・. 吉田 永學 ふりかえり 歩みし道に悔いはなし 主のみことばに 従い歩めば 子供の頃から, 歌心・詩心の少ない私は, 俳句・和歌・詩をつくることが大...
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夜, 久しぶりに"部落学序説" の管理画面を見ました. Gooblogの事務局から閲覧禁止・削除処分を通告されて, 私のブログを Google の Blogger に移行しようとしましたが, 移行ツールがなく, "部落学序説...
