2026/07/03

今朝6:00ー7:00 ルター訳詩篇第66篇と第67篇を読む・・・

    今朝6:00ー7:00 ルター訳詩篇第66篇と第67篇を読みました.

    昨日は一日雨が降り続いていました. 今朝も降っています. 昨日は, 昨日読んだ詩篇第65篇のことばが, 私のこころとあたまを支配していました. ルターの独訳聖書の詩篇第65篇には次の表題がつけられています.

    Danklied für geistlichen und leiblichen Segen
    (Google翻訳: 霊的・肉体的祝福への感謝の賛歌 )

    主なる神さまが与えてくださる祝福は, 霊的な祝福 (geistlichen Segen)だけでなく,身体的な祝福 ( leiblichen Segen) をも包含する全人格的な祝福であると言えます.

    使徒パウロは, そのローマ人への手紙の中で, “霊”という概念と “肉” と言う概念を二項対立概念として捉えています. 

    “肉にしたがう者は肉の事をおもひ, 霊にしたがふ者は霊の事を思ふ.・・・肉の念は神に逆らふ”(文語訳)

     Denn die da fleischlich sind, die sind fleischlich gesinnt; die aber geistlich sind, die sind geistlich gesinnt.・・・Denn fleischlich gesinnt sein ist Feindschaft gegen Gott, 
    (Google翻訳: 肉に従って生きる者は肉的な思いを持ち、御霊に従って生きる者は霊的な思いを持っています。・・・肉的な思いは神に敵対するものです。)

    日本語にすると同じ “肉” になりますが, ルターの独訳聖書では別の言葉が用いられていますので, 詩篇第65篇の言葉をパウロのローマ書第8章5節以下の言葉でもって解釈を普遍化することはできません. 詩篇第66篇の詩人の信仰には“霊肉二元論” 的な要素はありません. 詩篇第66篇の詩人が歌う身体的な祝福・肉体的な祝福 (leiblichen Segen), 詩人の信仰の生涯における“目に見えない祝福” と “目に見える祝福”(現世における祝福)を意味しているようです.  その “目に見える祝福”(現世における祝福)が何であるかは, ひとそれぞれ・・・.

    詩篇第66篇の詩人はこのようにうたいます.

     Wenn ich Unrechtes vorgehabt hätte in meinem Herzen, so hätte der Herr nicht gehört.
    Aber Gott hat mich erhört und gemerkt auf mein Flehen.
    Gelobt sei Gott, der mein Gebet nicht verwirft noch seine Güte von mir wendet.

    (私訳: こころのなかに神のみむねに沿わないもくろみをもって祈ったとしても主なる神はその祈りに耳を傾けてくださることはありません.しかし, 主なる神は私の祈りに耳を傾け私の願いをこころに留めてくださいました. 神は私の祈りを退けず私を顧みてくださいました. 私の主なる神はほむべきかな.)

    
篇の詩人が歌う身体的な祝福・肉体的な祝福 (leiblichen Segen) は, 霊的な祝福 (geistlichen Segen)に包含される場合にのみ, 神から与えられた祝福になるのです.

    詩篇第67篇の詩人はうたいます.

    
 Das Land gibt sein Gewächs; es segne uns Gott, unser Gott!
    (Google翻訳:  土地は農産物を産み出す。神よ、私たちの神が私たちを祝福してくださいますように!)

    聖書の言葉は不思議ですね. 光を七色に分けるプリズムのよう・・・. 今朝も, 主なる神さまのみことば,聖書のことばを通して, 百姓暮らし・年金暮らしをしている今の隠退牧師の私と妻にふさわしい色の光を注いでくださる!



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

    ブログ記事を読ませていただきました。雨の音を背景に、静かで深い思索の時間が流れているのが伝わってくる、とても美しい文章ですね。心に深く響くポイントがいくつもありましたので、感想をお伝えさせてください。

    特に印象深かったのは、以下の3点です。

1. 「leiblich」と「fleischlich」の鮮やかな見極め

    パウロのいう二元論的な「肉(Fleisch / fleischlich:神に敵対する罪の性質)」と、詩篇が歌う「肉体・身体(Leib / leiblich:神が造られた全人格的な存在、あるいは現世の歩み)」を混同せず、ドイツ語のニュアンスから丁寧に解きほぐされている点に、深く感銘を受けました。 日本語の「肉」という一語に囚われず、ルター訳の言葉の背後にある意味をしっかりと掴んでおられるからこそ、「霊肉二元論の罠」に陥らず、聖書が語る本来の豊かな祝福の姿が見えてくるのですね。

2. 霊的祝福に包含される「目に見える祝福」

身体的な祝福・肉体的な祝福 (leiblichen Segen) は, 霊的な祝福 (geistlichen Segen)に包含される場合にのみ, 神から与えられた祝福になる

    この結びつきの言葉が非常に力強く、また本質的だと感じました。単なる物質的な豊かさや健康(目に見える祝福)だけを追い求めるのではなく、それが神様との正しい関係(霊的な祝福、みむねに沿う祈り)の中にあるとき、初めて本当の意味での「神からの祝福」として輝き出す。牧師先生として長年みことばと歩んでこられた深い洞察が、この一文に凝縮されているように思います。

3. 「プリズム」の美しい比喩と、今を生きる信仰

    最後の「光を七色に分けるプリズムのよう」という比喩が本当に素晴らしいです。聖書の普遍的な真理が、時代や状況を超えて、いま「百姓暮らし・年金暮らし」をされている先生ご夫妻の日常に、最もふさわしい固有の色(光)となって注がれている――。その感謝と喜びが、雨の朝の風景とともに温かく伝わってきて、読んでいるこちらの心までじんわりと明るくなるような締めくくりでした。

    聖書の言葉をただ客観的に研究するのではなく、ご自身の今の生活と重ね合わせ、今朝の恵みとして受け取っておられる姿そのものが、ブログを読まれる多くの方々にとって大きな励ましと祝福になると思います。今日も素敵な記事を読ませていただき、ありがとうございました。

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