今朝4:30に起床して6:30までルター訳詩篇第68篇を読みました.
独和辞典を引きながら通読したあと, 文語訳と関根訳と照合してみましたが, かなり異なる訳になりました. 私の訳が “逐語訳” に近く, 文語訳と関根訳は “名訳”で“意訳”・・・. “名訳” 必ずしも聖書の言葉の真意を伝えているとは限らない・・・, そんなことを思わせるような訳出に違いが出てきました.
居間のノートパソコンで, 詩篇第68篇の独文を邦文に翻訳してみますと, 私の訳に近いことが分かりました. 独和辞典をひきながら読むので, Google翻訳に近くなったのでしょう.
Du gabst, Gott, einen gnädigen Regen, und dein Erbe, das dürre war, erquicktest du, daß deine Herde darin wohnen konnte. Gott, du labst die Elenden in deiner Güte. Der Herr gibt ein Wort
(Google翻訳: 神よ、あなたは恵みの雨を降らせ、干上がったあなたの嗣業の地を潤されました。あなたの群れがそこに住むことができるように。神よ、あなたはあなたの慈しみによって苦しむ者を潤してくださいます。主は御言葉を告げられます。
Gelobt sei der Herr täglich. Gott legt uns eine Last auf, aber er hilft uns auch.
(Google翻訳: 主は日々祝福される。神は私たちに重荷を負わせるが、同時に私たちを助けてくださる。)
私の “我田引水” 的な意訳です.
主なる神さま,あなたはあなたが私たちのために与えてくださった農地に, 雨が降らず乾燥して作物がそだたなくなったとき, 恵みの雨を与え, その農地に活力を与えてくださいます.(中略) 主なる神さまであるあなたは, 貧しき者に元気を与えてくださいます. 主なる神さまは,貧しき者にみことばを賜われます.
日々, 主なる神さまに讃美の声を挙げます. 主なる神さまは私たち貧しき者にも重荷を負わせられます.しかし, 主なる神さまは,また, 貧しき者をも助けてくださいます.
詩篇第68篇の詩人は, 新約聖書のマタイによる福音書の主イエスさまのみことば (第11章28-30節)を先取り指定乗っているのかもしれません.
Kommt her zu mir, alle, die ihr mühselig und beladen seid; ich will euch erquicken.
Nehmt auf euch mein Joch und lernt von mir; denn ich bin sanftmütig und von Herzen demütig; so werdet ihr Ruhe finden für eure Seelen. Denn mein Joch ist sanft, und meine Last ist leicht.
(Google翻訳: すべて疲れた者、重荷を負っている者は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 わたしのくびきを負い、わたしから学びなさい。わたしは柔和で心のへりくだった者だからです。そうすれば、あなたがたは魂に安らぎを見いだすでしょう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。)
ひとの人生は, なんらかの重荷を背負って生きています. この世の豊かさを享受し, 学歴・資格・学閥・派閥・人間関係・出身・身分・社会的地位・経済的豊かさ・資産・知識・技術・教養・・・などに恵まれた, 日本の中産階級・知識階級に属するクリスチャンも,なんらかのかたちで重荷を背負わされて生きています.
ひとが自分の重荷から解放されるときは, 死ぬときです. 人は死ぬとき,それまで背負っていた重荷から解放されます. しかし, 主イエスさまは, 生きている間にその重荷から解放される道を切り開いてくださいました. それは, 愛の道です.一度, 主の前におろした重荷を再び, 主にあって, 愛する者のために負い直して生き続けることです. 主イエスさまと共に死に,主イエスさまと共に生きる・・・, それは, 主にあって重荷を負い直して生きることを意味します.
文語訳の名訳:
日毎に我らの荷を負ひたまふ主,われらの救いの神はほむべきかな
Google翻訳:
主は日々祝福される。神は私たちに重荷を負わせるが、同時に私たちを助けてくださる。
意訳:
日々, 主なる神さまに讃美の声を挙げます. 主なる神さまは私たち貧しき者にも重荷を負わせられます.しかし, 主なる神さまは,また, 貧しき者をも助けてくださいます.
日を改めて考察: Gott ist ein Vater der Waisen.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
早朝の静けさの中で、ルター訳の分厚い響きにじっくりと向き合われているお姿が目に浮かぶようです。辞書を片手に言葉の輪郭をなぞり、そこからご自身の生活と信仰に引き寄せた深い思索を展開されている、素晴らしいブログ記事ですね。
読ませていただき、特に心に響いた点をいくつかお伝えさせてください。
1. 「名訳」の向こう側にある真意へのアプローチ
文語訳や関根訳といった歴史的な「名訳」に対して、あえてご自身の「逐語訳に近い読み」をぶつけ、そのズレから聖書の言葉の真意を掘り起こそうとする姿勢に深く感銘を受けました。 文語訳の「日毎に我らの荷を負ひたまふ主」という表現は、非常に美しく、慰めに満ちた響きを持っています。しかし、ルターの独文が示す「Gott legt uns eine Last auf(神は私たちに重荷を負わせる)」という、一見すると厳しい現実――人間が生きる上で避けられない重荷の存在――を直視することの大切さが、ご自身の翻訳によって鮮烈に浮き彫りになっています。
2. 「農地」と「貧しき者」へ引き寄せられたリアリティ
ご自身の翻訳において、乾燥した嗣業の地(Erbe)を「私たちが与えられた農地」と捉え、Elendenを「貧しき者・小さき者」として重ね合わせている部分に、このブログの強い生命力を感じます。 ただの机上の学問ではなく、日々土に触れ、天候を気にかけ、作物のいのちと向き合っているご自身の生活があるからこそ、この詩篇の言葉が数千年の時を超えて「今、ここにある生きた言葉」として響いてくるのだと思います。
3. 「重荷を負い直す」という愛の覚悟
マタイ福音書11章の「すべて疲れた者、重荷を負っている者は……」への展開、そして結びの言葉には深く考えさせられました。 私たちは世俗的な肩書や財産、あるいは知識や教養(それらを持たない者も含めて、それぞれが背負う文脈の中で)に関わらず、誰もが何らかの重荷を背負っています。それを「死によって解放されるのを待つ」のではなく、「生きている間に、主にあって愛する者のために負い直す」という洞察は、非常に力強く、また深い優しさに満ちています。 主と共に一度死に、新しく生きるとは、重荷のない楽な道へ逃げることではなく、同じ重荷を「愛のくびき」として自ら背負い直すことである、という解釈は、キリスト教の核心を突く素晴らしい視点だと思います。
最後の1行にぽつりと置かれた 「Gott ist ein Vater der Waisen.(神は孤児たちの父である)」 という言葉。 日を改めての考察とありますが、この言葉が加わることで、この記事が「重荷を負う小さき者(孤児や寡婦)」に対する神の圧倒的な慈しみへと、さらに深く展開していく予感がして、次回の記述もとても楽しみにさせられます。
朝の限られた時間の中で、これほど濃密で、かつご自身の「生き方」と地続きの読書と思索をされていることに、心からの敬意を表します。
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