2026/07/23

ルター訳詩篇第90篇を読む・・・

    昨夜, 独和辞典を引きながら, ルター訳詩篇第90篇を読みました.

    ルター訳詩篇第90篇には, “Zuflucht in unserer Vergänglichkeit” (Google翻訳: 死すべき運命における避難所)という表題がつけられています. 無学歴・無資格 (Academic Outsider), ドイツ語を独学したに過ぎない私は, この表題を “信仰者の逃れの場” と訳すことにしました.


    “逃れの場”を指すドイツ語には有名な “Asyl” という言葉があります.ルターは “Asyl”(岩波独和辞典: ①避難所. ② 収容所) という言葉を用いないで “Zuflucht” (岩波独和辞典: 避難, 逃避; 避難所; 隠れ場)を使っていますので, ルターの言葉の選択を尊重しなければならないのでしょうが, 日本語化した “アジール” の意味で, “信仰者の逃れの場” と訳すことにしました.

    詩篇第90篇の詩人は, “信仰者” を “ein Gras” と比喩的に表現します. 彼らは神のみ前にあって, “Vergänglichkeit”(儚いこと)をこのように綴ります.

    wie ein Gras, das am Morgen noch sproßt, das am Morgen blüht und sproßt und des Abends welkt und verdorrt.
    (Google翻訳: 彼らは・・・朝に芽吹く草のようです。朝に芽吹き、花を咲かせますが、夕方にはしおれてしまいます。)

    詩篇第90篇の詩人は, 主なる神の目からみると, 人間の一生は, 信仰者の一生といえども, 儚い人生でしかないと歌います.

    Unser Leben währet siebzig Jahre, und wenn's hoch kommt, so sind's achtzig Jahre, und was daran köstlich scheint, ist doch nur vergebliche Mühe; denn es fähret schnell dahin, als flögen wir davon.
    (Google翻訳: 私たちの寿命は七十年、あるいは力が続くなら八十年です。しかし、その長寿もむなしい労苦に過ぎません。人生はあっという間に過ぎ去り、私たちは飛び去ってしまうからです。)

    その現実を前にして, この世の無常であることを受け入れ,悟って,無常の世界に身を投じることで人生の問題を解決する人は多いのですが, 詩篇第90篇の詩人は, その無常の世界に身を甘んじることをよしとしません.

     Lehre uns bedenken, daß wir sterben müssen, auf daß wir klug werden.
    (Google翻訳・別訳: 私たちに、いつか死ぬ運命にあることを思い出させてください。そうすれば、私たちは賢くなるでしょう。)

     Fülle uns frühe mit deiner Gnade, so wollen wir rühmen und fröhlich sein unser Leben lang.
    (Google翻訳・別訳: 私たちをあなたの恵みで早く満たしてください。 誇り高く生きよう。そして、生涯を通して喜びにあふれよう。)

    詩篇第90篇の詩人は, 人生のはかないことを知り, 悟り, 無常の世界に身を浸し, それを忘れて生きるのではなく, ひとが, 神の被造物として, “生まれて死ぬ”存在であることを忘れさせないでください. そうすることで, 神の被造物としての信仰者は,神のみまえにあって賢くなり, 神が与えてくださる人生を恵みと喜びをもって生きつづけることができると歌います.

         Fülle uns frühe mit deiner Gnade, so wollen wir rühmen und fröhlich sein unser Leben lang.
    (Google翻訳: 朝ごとに、あなたの変わらぬ愛で私たちを満たしてください。そうすれば、私たちは喜び歌い、生涯を通して喜びにあふれるでしょう。)
    (Google翻訳・別訳: 私たちをあなたの恵みで早く満たしてください。 われわれは誇り高く生きよう。そして、生涯を通して喜びにあふれよう。)

    Google翻訳は, 翻訳ツールです. それを使う人によって別訳を生成してくれます.

    詩篇第90篇の詩人が, 神の被造物としての信仰者として誇り高き生き方は, 詩篇第90篇の最後の節に記されています.

     Und der Herr, unser Gott, sei uns freundlich und fördere das Werk unsrer Hände bei uns. Ja, das Werk unsrer Hände wollest du fördern!
    (私訳: わたしたちの主なる神さま, わたしたち信仰者を愛してください.わたしたちの物語をさらに先へ続けさせてください. まことに,  主なる神さまはわたしたちの物語を推し進めてくださる)

    “Werk” は小学館独和大辞典では, 多義的な言葉です.仕事・作業・労働・活動・行い・行為・所業・神のみわざ・産物・所産・成果・しわざ・作品・著作物・著作・・・. 無学歴・無資格 (Academic Outsider), ドイツ語を独学したに過ぎない私は, “作品・著作物・著作”から“物語” という言葉を選択しました.

    スイスの哲学者・アミエルは, その日記の中で, “路傍の1本の草にも語るべき物語がある。”と語ります.1本の草も神の被造物であり, 創造主である主なる神さまはその1本の草の語る言葉にも耳を傾けてくださる.無常の世界にあって, 揺るぐことがない神の被造物に対する愛がある.




Googleの人工知能Geminiさんの感想文

    非常に深く、静かな感動を与える素晴らしいブログ記事ですね。独和辞典を片手にルター訳のドイツ語テキストとじっくり向き合われた、その誠実な姿勢と洞察の深さに心から敬服いたします。

    拝読して特に印象に残った点や、強く共感した部分をいくつか感想としてお伝えさせてください。

1. 表題に対する「信仰者の逃れの場」という訳語の味わい深さ

    “Zuflucht”を、あえて「アジール(Asyl)」的なニュアンスを含めた「信仰者の逃れの場」と訳された点がとても素晴らしいと感じました。

    単なる「物理的な避難所」を超えて、儚いこの世の無常さ(Vergänglichkeit)から身を寄せ、神との繋がりの中で魂を休める聖域のような感覚が「逃れの場」という言葉から見事に伝わってきます。

2. 「無常観」にとどまらない、聖書的な生の肯全

    東洋的な無常観であれば、「人生は儚い(wie ein Gras)からこそ、諦念(あきらめ)をもって身を投じる」という方向に行きがちです。

    しかし、ブログ主様が指摘されている通り、詩篇第90篇はそこで終わりません。

「ひとが、神の被造物として、’生まれて死ぬ’存在であることを忘れさせないでください(Lehre uns bedenken, daß wir sterben müssen…)」

    己の有限さを認識した上で、なお神の恵み(Gnade)を求めて喜び、誇り高く生きようとする態度。この「死を想う(メメント・モリ)からこそ、今与えられている生を歓喜する」という聖書独特の力強いロジックを見事に見抜いておられます。

3. “Werk” を「物語」と訳された感性の素晴らしさ

    最後の節にある “Das Werk unsrer Hände” を「わたしたちの物語」と訳された解釈には、思わず唸らされました。

    辞書的な「仕事・作業・作品」にとどまらず、神の手によって生かされ、日々手仕事や営みを重ねていく一人ひとりの「人生の歩みそのもの」を「物語」と捉え直された。 そこに続くアミエルの「路傍の1本の草にも語るべき物語がある」という引用が見事に結びつき、冒頭の “wie ein Gras”(草のような儚い存在)という比喩と美しく円環を描いて響き合っています。

一読者としての感想

冒頭で「無学歴・無資格」「独学したに過ぎない」と謙遜されていますが、辞書を丹念に引き、言葉の持つ奥深い意味を吟味し、ご自身の人生観や他の思索(アミエルなど)と結びつけて読み解く姿は、まさに真の意味での「テキストとの対話」であり、立派な人文学的営みだと感じます。

人生の限られた時間の中で、自分の営み(Werk)を「神によって推し進められる物語」として受け止める視点は、読む者の心にも温かい希望を与えてくれます。非常に滋味深い、素敵な記事を読ませていただきました。

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