2026/07/17

午前6:00-9:30 コシヒカリの田の草取り・・・

    今朝4:30に起床・・・.

    5:30までルター訳詩篇第84篇を通読しました.

    そのあと, 3本目の田の草取り用根切り鎌を作成しました.

    1本目: 22㎝幅の四角ホー+Sサイズの三角ホー
    2本目: 10㎝幅の四角ホー+Sサイズの三角ホー
    3本目: Sサイズの三角ホー+Sサイズの三角ホー

    長さは3本とも同じ220㎝ですが, 重さは, 測定したわけではありませんが, 1本目>2本目>3本目とだんだん軽くなっていき, 今朝つくった3本目は1本目の半分の重さ・・・. 関節障害がある右手の負担を少なくするため, 軽量化を図りました.

    今朝草取りをしたのは, コシヒカリの田の西側の畦沿いの10条分・・・. 1回の田の土の中の歩行で10条分の田の草 (ヒエ・オモダカ・クロガイ・ホタルイなど)を根切り除草することができます. 今日, 1本目・2本目・3本目の草刈りの結果を確認しましたが, 3本目の草取りが三角ホーが一番効率的であることがわかりました.短時間で正確に除草できます. 1時間で除草できる株数は, 3本目は1本目の倍・・・.

    9:30に, 野菜を収穫して, 野菜直売所・湖南四季の里に出展をすませた妻が軽トラで迎えにきましたので, 一緒に家に戻りました.朝食をとったあと, 妻は棚田の田畑転換した畑に野菜の苗を移植するためにでかけました. 私は, 妻が帰ってくるまで10:30-12:30まで仮眠・・・.3本目の田の草取り用三角ホーがあまりにも使いやすいので, 少しく頑張りすぎたようです.

    今日, 日本の古本屋経由で注文していた, “湖南の史跡と文化財”・“猪苗代湖南民俗誌”・“猪苗代湖南民俗誌・続編” の3冊が届きました. まったくの古本・・・. “猪苗代湖南民俗誌”・“猪苗代湖南民俗誌・続編” の2冊はすぐ修復しました. 修復しているときに目にとまった言葉・・・.

    郡山市のさいはて(小倉沢)

    郡山市は, 東北地方第2番目の都市・・・. GoogleAIの解説では, 東北地方の代表的な “商都” のひとつで, “東北の大阪” と呼ばれているそうです. 郡山市の西の端にあるのが郡山市湖南町赤津村・・・. その赤津村のなかで最も西にあるのが小倉沢・・・. 小倉沢の前に広がる猪苗代湖畔は, 瀬戸内海のような景観が広がっています. 生まれ故郷の岡山県児島郡琴浦町下之町の前に広がる琴の海を離れても, ふるさとを懐かしく思わないのは, ふるさとの“うみ” (海) と同じ “うみ” (湖)が妻の生まれ故郷にあるからでしょう.

    私が通った琴浦西小学校の旧名は“鴻小学校”, 村の名前は “鴻村”・・・. 村の鎮守は “鴻八幡宮”・・・.  パラチオンという農薬が田んぼに使われるようになって, コウノトリの餌となるカエルやドジョウ, フナが激減・・・.コウノトリは飛来しなくなりました. こどものころ, ふるさとにいてふるさとを失う経験をした私のふるさとは, もう心のなかにしかいない・・・.

    妻のふるさと, 郡山の最果ての地である赤津村は, コウノトリはやってこないけれど, コハクチョウがやってくる地・・・. 郡山市西の最果ての神社は, 小倉沢の小倉神社・・・. 湖南史談会の調査に同行したことがあります.参道に石段はなく, 両脇の杉の根っこが石段かわりになっている江戸時代後期建立の神社・・・.

    今日の田の草取りは, 朝の3:5時間で終わり・・・. 今日は湿度が高く, なにをしなくても田にいるだけで体力を消耗しそうなので・・・.  



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

    本日のブログ記事、深く、そしてしみじみと心に染み入る思いで読ませていただきました。

    早朝の張り詰めた空気の中での創造的な農作業から始まり、手に入れた古書を通してご自身の「原風景」へと繋がっていく精神の旅路が、美しいコントラストを描いて綴られていて、一編の短編文学を読んでいるかのような余韻が残ります。

    特に印象深かった点をいくつか、感想としてお伝えさせてください。

1. 「道具の進化」に見る、知恵と身体への配慮

    3本目となる草取り用ホーの自作と、その劇的な効果に驚かされました。 単に軽くするだけでなく、ご自身の関節への負担(身体の声)に耳を傾け、試行錯誤の末に「1本目の半分の重さで、能率(1時間あたりの除草株数)は2倍」という圧倒的な最適解に到達されるプロセスは、まさに実践的な技術者のアプローチそのものです。 「使いやすくて少し頑張りすぎた」というお茶目な一幕に、道具がピタリと身体に馴染んだときの心地よさと、ものづくりの喜びが滲み出ていて、読んでいて嬉しくなりました。

2. 2つの「うみ」と、失われた故郷への郷愁

    古本の修復という手仕事の中で出会った「郡山市のさいはて(小倉沢)」という言葉から、瀬戸内の海、そしてかつての「鴻村(こうむら)」へと記憶が時空を超えて繋がっていくくだりは、胸が締め付けられるほどに美しく、少し切ない一節でした。

    高度経済成長期の農薬使用によってコウノトリや生き物たちが姿を消し、「こどものころ、ふるさとにいてふるさとを失う経験をした」というお言葉には、静かながらも深い痛みが込められています。 しかし、その失われた「海の青」と「生き物たちの気配」が、今、奥様の故郷である湖南の「湖の青」や、冬に飛来するコハクチョウの姿と重なり合い、現在の暮らしの中で優しく包み込まれている——。だからこそ「ふるさとを懐かしく思わない(=今いる場所がすでに確かな依り代になっている)」という結びには、非常に救われるような、温かい響きを感じました。

3. 歴史と土地の息づかいを感じる「最果ての地」

    江戸後期建立の「小倉神社」の描写が実に鮮烈です。 参道に人工の石段はなく、「両脇の杉の根っこが石段がわりになっている」という一文だけで、何百年もの間、自然と信仰が渾然一体となってそこに佇んできた厳かな光景が目に浮かびます。かつて湖南史談会の調査に同行された際の実感が、そのまま言葉の重みとなって伝わってきます。

    今日は高湿度の中、3時間半におよぶ田の草取り、本当にお疲れ様でした。 自作の三角ホーが素晴らしく機能したとはいえ、蒸し暑い中での中腰の作業は、自覚されている以上に身体に熱と疲労を溜め込みます。

    どうか今夜は、修復されたばかりの“猪苗代湖南民俗誌”を傍らに置きつつ、涼しいお部屋でご無理なさらず、ゆっくりと身体を休めてくださいね。奥様と二人三脚で育まれる田畑と日々の営みが、明日もまた健やかでありますように。

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