今朝5:30に起床・・・.
ルターの独訳聖書の詩篇第51篇を通読しました. Casioの電子辞書⇨初期新高ドイツ語小辞典⇨岩波独和辞典を引きながら・・・.
昨日, “学校法人 鶴川学院農村伝道神学校”(日本基督教団認可神学校)から “パンフレット” と“後援会だより”が届きました.私にとっては, “He is not the same person he used to be.”(彼は昔の彼ならず) になって久しいので,神学校から送られてくる文書はほとんど開封しないで破棄するのが常・・・. しかし,今回は, “読まなければ・・・” との思いがわきあがり開封して読んでみました.
私が鶴川学院理事長の島村亀鶴先生の推薦状をもってその農村伝道神学校を受験, 入学したとき, 神学校は大改革の真最中でした. 大学の神学部と同じカリキュラムで, 講師も, 学園紛争で廃部になった大山学院大学神学部の教授たちをはじめ, 東京女子大学・明治学院大学などの有名な基督教主義大学の教授たちから講義を受けることができました. 大学進学を許されなかった私にとっては, 主なる神さまが与えてくださった実質上の “大学教育” でした.
最初の授業のとき, 新約学の渡辺正雄教授から, Kümmel の “Introduction to The New Testament”を渡され次回の講義まで40ページほど読んでくるように言われました.その夜, 私と同じ年に入ってきた, 青山大学神学部卒の太田春夫さんが, “吉田君, 私の部屋に来たまえ. 一緒に指定された英書を読もう”と語りかけてきました. それで彼の部屋に行くと,彼は, その本を開きながら単語帳を作っていました. 彼は,“もう単語を調べたのか?” といいますので, “いいえ,この程度の英文なら辞書なしで読めますから・・・” と答えると, 彼は, 怒って,“じゃあ, ここを訳してみろ!” といいますので, 訳しました.すると彼は, “読めるんだ・・・” といってすぐ勉強会はお開きになりました. 彼は1年後, 明治学院大学の大学院に進まれたと来ていますが, それ以来, 高学歴の彼とのつながりはありませんでした.
2013年, 日本基督教団の隠退牧師になり, 東北福島の妻の実家のある郡山市湖南町に帰郷・帰農・・・, しばらくして, その大田春夫さんが, 日本基督教団須賀川教会の牧師をしていることを知りました.何度か尋ねて行こうと,あるいは須賀川教会の主日礼拝に出席しようと思ったのですが, 無学歴・無資格 (Academic Outsider)の隠退牧師の私が彼の目障りになってもいけないので, 尋ねることはありませんでした.
昨日届いた, “後援会だより”にこのような記事が掲載されていました.
太田春夫(校友)隠退牧師 4/19逝去(74歳)
その訃報を目にして, 私はショックを受けました.私が神学校に入ったとき,同じ年に入ってのは,菊池さんと太田さんと私の3人だけ・・・. 菊池さんは若くして逝去し,太田さんは74歳の若さで逝去・・・. 日本基督教団西中国教区の先輩牧師たちから,無学歴・無資格 (Academic Outsider)の不信仰な牧師とラベリングされて排除・疎外されてきた私ひとり残されていると・・・.
歳をとればとるほど知っている人がいなくなり,最後は一人になる・・・, 人の老いの悲しみのすがたであるとある本に書いてありましたが, 私は, その淋しさを感じさせられたようです.
私は, 78歳になって, ルターの独訳聖書を読むために, 単語帳をつくらなくても, ひとことひとこと, 小学館の独和大辞典・岩波独和辞典・初期新高ドイツ語小辞典を引きながら読解するのが常・・・. 辞書なしでドイツ語の文章を読むことのあやうさを感じさせられています.
農村伝道神学校で教えておられた青山学院大学神学部の教授たちのなかには,“大学をでていないものにヘブル語は教えたくない” といって, 私の受講を拒否される方もおられましたが, その教授との出会いは, 私に, “生涯,独学・・・” との決意を新たにさせました. ヘブル語はリンガフォンの通信講座を受講して独学することになりました. 聖書のヘブル語ではなく現代ヘブル語でしたが・・・.
今日の詩篇第51篇第12-14節
Schaffe in mir, Gott, ein reines Herz, und gib mir einen neuen, beständigen Geist.
Verwirf mich nicht von deinem Angesicht,und nimm deinen heiligen Geist nicht von mir.
Erfreue mich wieder mit deiner Hilfe, und mit einem willigen Geist rüste mich aus.
(Google翻訳ː 神よ、私のうちに清い心をお造りください。私のうちに揺るぎない霊を新たにしてください。あなたの御前から私を追放しないでください。あなたの聖霊を私から取り去らないでください。あなたの救いの喜びを私に回復させてください。喜んで従う霊で私を支えてください。)
“mit einem willigen Geist” の訳をめぐって,何度も3冊の辞書の間を往復しました.いろいろ試行錯誤した結果, その言葉を, “神のことばを受入れ神のことばに従う霊”と訳すことにしました.
聖書の通読を終えた7:30頃, さらに思いがけない出来事がありました. 私の寝室の全体が揺れ動きました. 昨日から福島県内で自震が発生していますのでその余波かと思ったのですが自震の揺れが40~50秒続いていたのでかなり遠方で大きな自震がおきていると思い,階下におりてテレビをつけると, 岩手県沖でマグニチュード6.9の自震が起き, 震度6強の自震が起きたことを知りました.
朝早くから段々畑で作業をしていた妻は,まったく自震をかんじなかったとか・・・. 妻は, “私はいつも動いているから,よほど大きな地震でないと気づかないのよね・・・”と話していました.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
特に印象に残ったいくつかの点について、感想をお伝えさせてください。
過去の記憶と「孤独」の陰影
かつて同じ学び舎の門をくぐった太田様の訃報に接された際のショックと、その後に押し寄せた淋しさの描写が非常にリアルで、読んでいて厳粛な気持ちになりました。「高学歴」と「無学歴・無資格(Academic Outsider)」という、当時の周囲が作った見えない壁。そして、かつて「読めるんだ……」と言い残した太田様が歩まれた道のりと、ご自身が歩んでこられた独自の道。
若き日のほんの一瞬の交錯が、時を経て「隠退牧師」という同じ地平で再確認され、そして突然の別れとして閉じられる。年齢を重ねるごとに知る人が少なくなっていくという「老いの悲しみのすがた」が、かつての排除や疎外の記憶と重なり合い、ただのセンチメンタリズムではない、一人の人間が誠実に生きてこられたからこその、重みのある孤独として響いてきます。
「生涯、独学」という誇りと誠実さ
受講を拒否された悔しさを「生涯、独学」の決意へと昇華させ、ヘブル語の通信講座に挑まれたエピソードには、凛とした強さを感じます。
また、若き日には「辞書なしで読める」と仰っていた青年が、78歳の今、ルター訳を前に「一言一言、3冊の辞書を往復しながら」読解されているという対比が素晴らしいです。これは衰えなどではなく、言葉というもの、そして神の言葉に対する誠実さと畏敬の念がより深まった姿なのだと感じます。「辞書なしで読むことのあやうさ」を知ることこそが、真の学問の実践であり、まさに「Academic Outsider」だからこそ到達できた、いかなる権威にも縛られない純粋な探求の姿ではないでしょうか。
詩篇51篇の翻訳と、日常への着地
試行錯誤の末に導き出された “mit einem willigen Geist” =「神のことばを受入れ神のことばに従う霊」 というご自身の訳が、まさにこの記事の核心のように思えます。
様々なラベリングや不条理な排除を経験されながらも、ご自身の内にある霊を、人間の教条ではなく「神の言葉」に対して開き、従わせようとしてこられた。その歩みそのものが、この美しい訳語に結晶しているように感じられてなりません。
そして記事の結びの、大きな地震の揺れと、段々畑で元気に動いていて気づかなかったという奥様とのユーモラスで温かい会話への着地が絶妙です。重厚な内省と死生観のあとに、大地に足をしっかりつけて生きる日常の営み(農の営みとご夫婦の空気感)が描かれることで、張り詰めた心にすっと風が吹き抜けるような救いを感じます。
時に襲う淋しさや孤高の痛みを抱えながらも、早朝に辞書を開き、日中は大地を耕し、自らの足で立ち続ける。そんな「生」の輪郭が鮮明に伝わってくる、大変魅力的なブログ記事でした。読ませていただき、ありがとうございました。
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