今朝5:30に起床・・・.
6:30まで, ルターの独訳聖書の詩篇第60篇を読みました.人間は自分の肉眼で自分の姿を見ることができません. あえて自分の姿を見ようとしますと, 水面や鏡面に映る自分の姿を自分の姿だと受け止める以外に方法はありません. 現代では,誰でもスマホで自分の姿を映す静止画や動画を撮ることができるのでしょうが・・・.
旧約聖書の詩篇は, 不思議な詩集です. その詩篇の1篇1篇を読んでいますと, そのことばの中に私の姿が,しかも目に見える姿ではなく,目に見えない私のほんとうの姿が映し出されてくるように思われます.今朝の詩篇第60篇13-14aのことばについてもそうです.
Schaff uns Beistand in der Not; denn Menschenhilfe ist nichts nütze. Mit Gott wollen wir Taten tun.
(Google翻訳: 苦難の時に私たちを助けてください。人の助けは役に立たないからです。神と共に私たちは力強い業を成し遂げます。)
という言葉を,
Schaff uns Beistand in der Not; denn Menschenhilfe ist nichts nütze. Mit Gott werde ich Taten tun.
(私訳: 苦境の中にある私に救いを創り出してください. 人の知恵も力も何の役にも立たないからです. 私は, 主なる神さまにあって, 為すべきことを為していきます.)
と読みます.
今朝は,7:00-9:30まで, 棚田の田の農業用ビニールハウスの中に置いている2台の草刈り機のチップソーを新しいものに交換しました.今までは,昨年取り付けた刃をそのまま使い続けていましたが, 棚田の田の土手や畔の草が一挙に繁茂し始めましたので, 短時間で快適に草刈りができるよう新しい刃に交換しました.1台は田の畔の草刈り用, もう1台は砂利を敷いた農道の草も刈ることができる特別仕様の刃・・・.
きちんと交換できたかどうか, 回転している刃がぶれていないかどうか, 確認して家に戻るつもりでいましたが, 回転部分にグリスを補充した草刈り機はとても快適に草刈りができますので, つい中段のはえぬきとひめのもち,温水田の周囲の畔の草刈りをすることになりました.
後ろ向きに, 草刈り機の刃を左向きのばねのように流していきますと, 両脇の田に刈った草を飛び散らかせないで畔の中にとどめることができます. 前向きに草刈り機を走らせますと豆ガエルがいっぱいとびはねるのが目に入りますが,後ろ向きに草刈り機を走らせますと,私の姿をみたり足音を聞いたりしたマメガエルたちが草刈り機が近づく前に避難してくれますのでマメガエルの姿が目に止まることはありません.それにマメガエルの背丈の数倍上をたかがりすることにしていますので, 逃げ遅れたマメガエルは身を低くすれば草刈り機の刃を交わすことができます. マメガエルの機敏な避難行動を確認しましたの,午前午後, 棚田の田で草刈りを続けます.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
早朝の静かな読書から始まり、棚田での汗を流す農作業へとつながる、一日の呼吸が伝わってくるような本当に素敵なブログ記事ですね。拝読して、心に深く残ったポイントをいくつかお伝えさせてください。
1. 内面を映す「鏡」としての詩篇
冒頭の「人間は自分の肉眼で自分の姿を見ることができない」という考察から、詩篇という言葉の鏡に「目に見えないほんとうの姿」を映し出すくだりへの流れが非常に美しく、引き込まれました。 ルター訳の “Mit Gott wollen wir Taten tun.”(私たちは…)を、“Mit Gott werde ich Taten tun.”(私は…)と、ご自身の主体的な決意として「私訳」に落とし込まれている部分に、単なる読書ではない、聖書のことばとご自身の命が深く響き合っている息づかいを感じます。
2. 「為すべきことを為す」という実践
言葉を内面で受け止めたあと、すぐに午前中から棚田へ向かい、草刈り機のメンテナンスと実践に移られている姿が、まさに私訳にある「私は、主なる神さまにあって、為すべきことを為していきます」を体現されているようで、文章全体に力強い一貫性を与えています。新しいチップソーとグリスアップのおかげで「つい草刈りをしてしまった」というくだりには、道具を大切にされる方の清々しい喜びが滲み出ていますね。
3. 小さな命への優しい眼差し
特に印象的だったのが、後半のマメガエルたちへの配慮です。「後ろ向きに草刈り機を走らせる」ことで、カエルたちが足音や気配で事前に避難できるようにする、さらに「背丈の数倍上を高く刈る」ことで逃げ遅れた命も守るという、技術的かつ慈愛に満ちた工夫に深く感銘を受けました。 詩篇を通して神の前に自分の姿を映したその目で、今度は棚田の小さな生き物たちの命をそっと見守り、共生されている。この一連のつながりが本当に見事です。
全体の感想として 精神的な深い思索(静)と、棚田での大地の労働(動)が、マメガエルへの優しさという一つの結び目でつながっているような、調和のとれた美しい日々が目に浮かびます。「はえぬき」や「ひめのもち」、そして「温水田(ぬくみだ)」という言葉の響きからも、豊かな自然と丁寧な米作りへの誇りが伝わってきました。
読者の方々も、この記事を読むことで、自分の足元にある日常や小さな命への向き合い方をふと振り返るような、温かい静寂をもらえるのではないでしょうか。
午後からの棚田での草刈りも、どうかお怪我のないよう、そして熱中症などにも十分に気を付けて、快適に為すべきことを為されてくださいね。素晴らしい記事を読ませていただき、ありがとうございました。
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