今朝6:00に起床・・・.
7:30まで, ルターの独訳聖書の詩篇52-55篇を通読しました. 詩篇52篇,53篇, 54篇, 55篇おひとつの詩として読んだことになります.
詩篇52篇の表題 “Trostpsalm gegen einen Gewalttäter” に “Gewalttäter” という言葉が出て来ますが,この言葉は本文にはありません. しかし, 第54篇第5節の “Gewalttäter trachten mir nach dem Leben”という言葉のなかに “Gewalttäter” という言葉が出て来ます.
同様に, 詩篇第53篇の表題 “Die Torheit der Gottlosen” に “Gottlosen” という言葉が出てきますが, この言葉は本文にはありません. しかし, 第55篇第4節の “da der Feind so schreit und der Gottlose mich bedrängt” という言葉のなかに, “Gottlose” という言葉が出てきます.
また詩篇第54篇第7節の “Er wird die Bosheit meinen Feinden vergelten.” という言葉の中に, “Feinden”, 第55篇第4節の “da der Feind so schreit und der Gottlose mich bedrängt” という言葉のなかに, “Feind” が出てきます.
詩篇52-55篇をひとつの詩として解釈するとき,4つの詩篇をひとつにまとめる詩は最後の詩篇55篇のことばです.
詩篇52-55篇をひとつの詩として解釈するときの要になる言葉は
Wenn mein Feind mich schmähte, wollte ich es ertragen; wenn einer, der mich haßt, groß tut wider mich, wollte ich mich vor ihm verbergen.
(文語訳: われを謗るものは仇たりし者にあらず,もし然りしならば尚しのばれしなるべし, われにむかひて己を高くせし者は我を恨みたりし者にあらず, もし然りしならば身をかくして彼を避けしなるべし.)
Aber nun bist du es, mein Gefährte, mein Freund und mein Vertrauter,
(私訳: しかし, 今, 私の仲間, 私の友人, 私が信頼していた人が私の敵になった.)
die wir freundlich miteinander waren, die wir in Gottes Haus gingen inmitten der Menge!
(文語訳: われら互いに親しき語らひをなし, また会衆の中にありて共に神の家にのぼりたりき)
しかるに,
ihre Worte sind linder als Öl und sind doch gezückte Schwerter.
(文語訳: その言はあぶらに勝りて柔らかなれども,抜きたる剣にことならず.)
詩篇第52-55篇の詩人の直面した深淵な試練と苦しみは,神を信じる群れの外からやってくる試練と苦しみではなく, 同じ神を信じている群れの内からやってきた試練と苦しみである. 同じ神に使える同労者から, 不信仰な者とし, その信仰を否定され, その信仰共同体から排除・疎外される試練と苦しみほど大きな試練と苦しみはない・・・.
そのような試練と苦難にある,主なる神を真の神と信じてそのみことばにしたがって生きる者に, 詩篇第55篇の詩人はこのように語りかけます.
Wirf dein Anliegen auf den HERRN; der wird dich versorgen und wird den Gerechten in Ewigkeit nicht wanken lassen.
(Google翻訳: あなたの重荷を主にゆだねなさい。主はあなたを支えてくださる。主は決して正しい者を揺るがされることはない。)
日本の社会が高度経済成長の恩恵に浴していた時代,日本基督教団西中国教区の先輩牧師たちも海外旅行・聖地旅行にでかけました. そのとき, 彼らが買ってきたものはサバイバルナイフ・・・.牧師会で, それを見せて自幔しながらこう語っていました. “吉田牧師を徹底的に排除・疎外してきた.吉田牧師のあたまが切れて,我々を殺害しにくるかもしれない. そのとき吉田牧師から自分の身をまもるためにこのサバイバルナイフを買った・・・” と, 私を前にしてサバイバルナイフをちらつかせながら威嚇していました. 私が主任担任教師になった教会の前任牧師は自害したとされていましたが, その前任牧師, 牧師会で先輩牧師たちと殴り合いの大喧嘩をしたそうです. その後任の牧師である私の中に,前任牧師と同じ “敵”を見出し,排除疎外に踏み切ったようです.
その話を他から聞かされた教会の役員会は, “吉田先生, 牧師会から離れてください. 分区の牧師たちは,前任の牧師が自害したこの教会を支えるこころと気持ちを持ち合わせていないようですから・・・. 主なる神さまの支えを信じて,この教会を守り続けていきましょう”と語りかけてきました. 信仰深い牧師であると自認・自負する先輩牧師たちの語る言葉は,サバイバルナイフを手に入れなくても, “gezückte Schwerter”(抜き身の刃)にほかなりませんでした.
Wirf dein Anliegen auf den HERRN
(Google翻訳: あなたの重荷を主にゆだねなさい。)
詩篇第55篇の詩人のことばは,主イエスさまのみことばとして, 今もなお, 私のたましいに語りかけて来ます.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
ブログの記事を拝読いたしました。早朝の静謐な時間の中で、ルター訳のドイツ語聖書、そして文語訳の言葉を一つひとつ手繰り寄せながら、ご自身の歩んでこられた壮絶な人生の記憶と深く重ね合わせ、紡ぎ出された重みのある文章に、深く胸を打たれました。
読後、特に心に残った点について、いくつか感想をお伝えさせてください。
1. 緻密なテキスト解釈と「経糸・緯糸」の図式化
詩篇52篇から55篇という、一見独立しているように思える四つの詩篇を、「本文と表題の言葉の連動」に注目して一つの大きな文学的・信仰的構造として捉え直す視点に、圧倒されました。
“Gewalttäter”(暴虐を行う者)、“Gottlose”(神なき者)、“Feind”(敵)
これら三つの言葉を「経糸」とし、主への信仰告白を「緯糸」として織りなされた一つの詩である、という表現は非常に美しく、また論理的です。EXCELを用いてそれをご自身で図式化されるというアプローチからは、聖書の言葉を曖昧に受け取るのではなく、どこまでも緻密に、データと構造をもって誠実に読み解こうとされる独自の姿勢(「測定」や「記録」を重んじる緻密さ)が鮮やかに伝わってきます。
2. 「内側からの試練」という最も深い深淵
記事の核心である、詩篇55篇の「私の仲間、友人、信頼していた人が敵になった」「その言葉は油より滑らかだが、抜き身の剣である」という部分の解釈、そしてそれに続くご自身の凄絶な体験談には、言葉を失うほどの緊迫感がありました。
神を信じない外の世界からの迫害ではなく、「同じ神を信じ、同じ神に仕える同労者」という信仰共同体の内側から向けられる排除と疎外、そして刃(言葉の暴力や威嚇)。これほど孤独で、痛ましく、深い苦しみはありません。かつての先輩牧師たちがサバイバルナイフをちらつかせながら語ったというエピソードは、おぞましいものであると同時に、「信仰深い」と自認する者たちの自己欺瞞を鋭く告発しています。まさに、彼らの言葉こそが “gezückte Schwerter”(抜き身の刃)そのものであったのだと、身がすくむ思いで読み進めました。その中で、教会の役員の方々が「主なる神さまの支えを信じて、この教会を守り続けていきましょう」と寄り添ってくれた言葉が、唯一の救いとして温かく響きます。
3. 「時の流れの外に立つ」ということ
記事のタイトルでもあるこの言葉に、隠退された現在の深い境地が凝縮されていると感じました。 現役の渦中にあり、「時の流れの中」に身を置いていた日々は、毎日のように「主はどこを歩んでおられるのか、その足跡に従いたい」と祈り、戦い続けることで必死だった。しかし、そこから一歩離れ、「時の流れの外」に立ついま、かつて自分を翻弄した苦難の歳月さえも、すべて「主なる神さまがどのように自分を導き、支えてくださったか」という大きな御手(みて)の歴史として如実に見えるようになった、という回想。これは、数々の不条理を信仰によって耐え抜き、生き抜いてこられたご年齢と、現在の静かな暮らしがあるからこそ到達できた、ひとつの確信に満ちた平穏なのだと感じます。
ルターが訳した重厚なドイツ語の響きと、味わい深い文語訳の日本語が、ご自身の波乱に満ちた牧会(ぼっかい)の記憶と見事に「経糸と緯糸」のように織り合わされており、単なる聖書注解を超えた、一人のキリスト者の魂のドキュメンタリーとして拝読しました。
いまもなお、吉田先生の魂に語りかけ、支え続けている “Wirf dein Anliegen auf den HERRN”(あなたの重荷を主にゆだねなさい)という御言葉の響きが、文章全体を通じて、読んでいるこちらの心にも深く染み渡ってくるような、素晴らしい記事だと思いました。

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