2026/06/27

午前10:00-午後1:30 猪苗代へ食料品の買い出しに・・・

    午前10:00-午後1:30 猪苗代へ食料品の買い出しにでかけました.

    妻が1週間分の食料品を買いに行くというので・・・. 台風8号の雨雲と雨が通り過ぎたあと, 猪苗代町は湿度の高い高温になっていました.

    行と帰り, 今朝読んだ詩篇第56篇を思い起こしながら, 私の日本基督教団の一牧師としての “die Tage meiner Elend” (私の貧しくみじめな日々)のことを思い出していました.

    日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしているとき, 西中国教区総会で,設立したばかりの日本基督教団西中国教区部落差別問題特別委員会の委員をさせられました. そのとき先輩牧師たちから言われたのは, 西中国教区の先輩牧師たちが勝ち取ってきた闘いに参加してはいけない, “横取り” してはいけないというものでした.

    ・岩国の反基地闘争に加わってはいけない
    ・広島の反核・反戦運動に加わっていはいけない
    ・広島の私設隣保館・社会館の活動に関与してはいけない
    ・山口の自衛官合祀訴訟に加わってはいけない
    ・山口の地で被差別部落の中に入って活動しろ

    私は, 家庭の事情で大学進学を断念せざるをえず, 万博問題で, 日本基督教団の牧師・信徒が“社会派”と “福音派” に分裂, 両者の間で激しい対立が起きていました. 私はその時代の経済成長下の社会的なひずみのまっただなか, 父母の貧困と病気の板挟みの中で貧しい日々を生きることを余儀なくされた問題の渦中にいました. 日本基督教団の牧師になるために日本基督教団の教会に転会する必要がありましたが, 尋ねた教会からは, “あなたは福音派みたいだからこの教会にはあわない”と拒否されたり, “あなたは社会派みたいだからこの教会に受け入れるわけにはいかない”と門前払いにされたり, 日本基督教団の教会に転会することに困難を覚えていっとき, 東京の阿佐ヶ谷東教会の主日礼拝に出席したところ, 日本基督教団幹事の柏井創牧師が, “この教会に身をおけば教団問題のすべてがわかる”と説経されていました. そのとき司会をされていたのが阿佐ヶ谷東教会の日高長老・・・.  その格式高い祈りにこころを惹かれ,次の主日礼拝にも出席したところ, 受付の長老から, “君, 2回も続けてこの教会の主日礼拝に出席したのだから, この教会に転籍しなさい” と勸められました. 私は, 思わず “私のようなものでもいいんですか?” と驚きの声を上げると共に, 即, 阿佐ヶ谷東教会に転会することになりました. そして, 神学校を卒業するまで, 日本基督教団阿佐ヶ谷東教会の一信徒として信仰生活をすることになりました. 

    神学校を卒業した最初の任地は, 神奈川教区の開拓伝道でした. 私が, 当時の神奈川教区の牧師たちの中の最若年牧師であるということで,  社会派と福音派の両方の教会を含む周辺8教会の牧師たちが神学校を出たばかりの牧師の指導役担っていました. 社会派と福音派の対立を越えて,キリスト教の福音宣教に邁進したいという神奈川教区の牧師・信徒の祈りと願いが込められていました. しかし, 無学歴・無資格 (Academic Outsider), 日本基督教団阿佐ヶ谷東教会を母教会とする私は社会派と福音派の両方に失望の念を与えたようです.

    神奈川教区の開拓伝道の教会をどのような教会にするか, それは, “初代牧師”である私の判断に委ねられることになりました. 東京神学大学機動隊導入問題のとき, 東京神学大学学長の高崎牧師を追い出した教会に所属して神学校4年間そこで, 神学生として訓練された私を社会派の牧師として期待していた牧師と教会に大きな失望をもたらしました. 

    その最たるものが, 聖餐問題でした.未受洗者に聖餐にあずかることを許すかどうかが大きな焦点でした. 周辺8教会の紅葉坂教会の牧師は, 私に, 聖餐式の改革を要求してきました. 未受洗者の聖餐を許容するように・・・. しかし, “意図的” に日本基督教団の牧師になり, 日本基督教団の信仰告白と生活綱領を暗記し, 日本基督教団の教憲教規を日本基督教団の教会員・牧師として遵守することを誓った私は,それを踏みにじるようなことはしませんでした.それで私は,  聖餐式を “配餐”方式に切り替え, 教会役員が聖餐のパンとぶどう酒をもってまわり, 受洗者だけに提供し, 未受洗者には, 早く信仰を告白して洗礼を受け,私たちと同じ聖餐に預かることができるよう祈っていますと言葉を語りパンとぶどう酒を提供することはありませんでした.

    そのとき, 社会派の教会の牧師と信徒だけでなく, 福音派の教会の牧師と信徒からも批判・非難にさらされることになりました. “配餐”方式の聖餐方式は, 周辺8教会のひとつである旧メソジスト派の教会から,聖餐式における “恵みの座” を廃止した不遜な牧師として猛烈に非難されるようになりました.

    日本基督教団紅葉坂教会の牧師が, 未受洗者にも聖餐のパンとぶどう酒を提供したとかで, 当時の日本基督教団の執行部は日本基督教団の教憲教規違反で, 牧師として除名処分にしたとか・・・. 牧師として除名処分にされた牧師は, 裁判所に人権侵害として訴えたようですが,私はその問題にかかわることにおおいなるためらいがあります. 神奈川教区の開拓伝道に従事していたとき, 社会派と福音派の両者から非難された経験がありますので・・・.

    日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたとき, 西中国教区の副議長や山口東分区長の牧師たちから,“初代牧師の息子の聖餐を拒否し, 教会役員になることからも締め出しているのは, 日本基督教団の教憲教規違反だ. 日本基督教団の教師委員会に訴えて吉田牧師の牧師としての資格を剥奪する”と宣言していました. そして西中国教区の常置委員会が調査に来たのですが, 私に代わって, 教会設立時からの教会書記であった方が,“私は初代牧師の息子の従兄に当たります. 彼は確かに洗礼を受けていますが, その洗礼は幼児洗礼です.彼は堅信礼を受けて信仰告白をしたことはありません. 日本基督教団の教憲教規によると,未陪餐会員である彼はこの教会の役員になることはできません. 日本基督教団の教憲教規に違反しているのは, この教会と吉田牧師ではなく, 彼らの方です”と反論しました. 西中国教区常置委員会は, 西中国教区の副議長や山口東分区長の牧師たちの訴えを退けることになりました.

    西中国教区部落差別問題特別委員会の委員をしていたとき, 教会の役員のひとりが, サラ金の白紙の借用書をもってきて, “牧師さんに信徒に対する愛があるなら, このサラ金の借用書に, 署名捺印をしてください. 金額は私たち夫婦に自由に書き込ませてください” と語りかけてきました. 私は, “聖書には,ひとは自分自身の保証人になることもできないのだから他者の保証人になってはいけないと書かれています.” と断りました. すると彼女は, 教会員の主な人をまわり借金の催促をして, “吉田牧師は信徒に対する愛がない.私だけでなく,あなた方が経済的困窮に陥っても牧師は助けてくれない!” と言いふらしていました. 彼女は, 当時の部落解放同盟山口県連徳山支部の支部長のメイゴさんでした. 部落問題・同和問題に揺り動かされているとき, 部落差別問題特別委員会で他の牧師が委員長である社会館館長である宗像牧師に語りかけました. “部落問題をめぐって, 委員である吉田牧師が苦境に立たされている.委員長として問題解決に強力しては?”と提言しました. そのときの, 西中国教区部落差別問題特別委員会委員長の牧師はこう発言しました.

    “なぜ, 私が吉田牧師を助けてやらなければならないんだ? 吉田牧師は, 日本基督教団からも(日本基督教団元総幹事の牧師からも), 教区からも(西中国教区元幹事の牧師からも), 教会からも(日本基督教団阿佐ヶ谷東教会の牧師からも),神学校からも(鶴川学院農村伝道神学校の元校長からも) 見捨てられ, 排除・疎外されている. そんな吉田牧師を, 私がなぜ助けてやらなければならないんだ? 吉田牧師が部落問題・同和問題でひどい目にあっているのも,  吉田牧師が被差別部落の人から信頼されていない証拠だ! そんな吉田牧師を私がたすけてやる理由はなにひとつない!”

    そのあと, 私が出た神学校の校長が,  西中国教の先輩牧師たちにこのように語ったと教えられました.

    ・吉田は一度も自殺をしたいと思ったことがないようだ. それは牧師を続けて行く上でよくない. 一度,吉田牧師が自殺をしたいと思うほど試練に会わせることが, 先輩牧師たちによる後輩牧師への牧会的配慮というものだ.

    ・吉田牧師を, 生活保護を受けなければならないほど経済的困窮に追い込んでやれ.そうすれば吉田牧師の傲慢さが打ち砕かれて少しは謙遜な牧師になるだろう.

    西中国教区の先輩牧師たちは, 私が主任担任教師をしていたちいさな教会の役員にも彼らの仲間になって, 吉田牧師に, 東京神学大学学長の高崎牧師を追い出した責任をとらすべきだと,吉田牧師が牧師の資格を剥奪されたあとは, この教会を閉鎖する・・・と語りかけたようです.私より先にその言葉を耳にした, 教会書記の木村兄は, 役員会の審議を通して,牧師である私に次のことを要求してきました.

    ・牧師会から離れること
    ・副業を持つこと

    徳山市議会の事務局の速記者をしていた, 教会書記役員の方は, 西中国教区部落差別特別委員会の委員としての私の活動を補佐・支援すべく, 同和地区出身の市議会議員の同和地区・同和問題先進地視察, 同和地区調査に同行・交渉した際の情報を提供してくれることになり, 彼の運転するくるまで,山口県内の被差別部落の場所を教えてくださいました. 山口県立図書館や徳山市立中央図書館郷土資料室の部落差別問題・部落史研究の文献を読んでは,そこに出てくる被差別部落, 江戸時代の穢多と茶筅,宮番の在所を彼と一緒に尋ねました.

    あるとき, 江戸時代の周防国茶筅寺を尋ねたとき,浄土真宗の住職の方が, “この寺の歴史をあなたに話していいのかどうか, 事務所に尋ねてみます”と電話をかけていました.山口県同和問題を考える宗教者連帯会議の初期の賛同者であるということで許可が下りました.そのときその住職は, “私が話をする前に, あなたのことを話してください.それを聞いて,あなたにこの寺の話をするかどうか決めます”と言われました. 私は,包み隠す必要もないので,ありのまま答えました.

    私が赴任した教会は前任者が自害したとされる教会・・・. それだけでも大変なのにその畝に西中国教区部落差別問題特別委員会の委員まで押し付けられ,これまでどのような苦難に遭遇したのかを話しました.そのとき, 周防国茶筅寺の住職の方は,こう話をされました. 

    “日本基督教団って, 酷いことをするな. 若い牧師を前任者が自害した教会に送り込むなんて!それは若い牧師をみすみす見殺しにするのと同じではないか. 浄土真宗の寺でも, 前任者が自害した寺は成り立たなくなりますよ. それでも維持しなければならない寺には, ベテランの年配の住職が赴任します・・・. この寺にとっては昔の話しですが, あなたは今, 差別され排除されているではありませんか? それで, 被差別部落の人々の心の痛みと苦しみがわかる用になったのですか・・・. いいでしょう, あなたにこの寺の古文書をお見せしましょう. 尋ねたいことがあれば何でもなんでも聞いてください・・・” .

    私がでた鶴川学院農村伝道神学校の元校長は, “山口の地で何ができるのだ?” と問いかけてきたとき, “その郷土史を調べます”と答えますと,彼は,“おまえは傲慢だなあ! 無学歴・無資格 (Academic Outsider)のおまえが, 山口の地でその郷土の歴史を調べるなんてできるはずがない!” とあきれていました.

    日本基督教団の牧師としての私の神奈川教区・西中国教区での参拾数年の日々,  それは, 紛れもなく,die Tage meiner Elend” (私の貧しくみじめな日々) でした. しかし, 私が歩む道の前を, 主イエスさま歩んでおられました. 私の歩むべき道を切り開いてくださったのは主なる神さま,主イエスさまのみです.

    神は信じるものと働いてすべてのことを益としてくださる・・・.

    詩篇第56篇のことばが重くのしかかった一日でした.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

    ブログの記事を拝読いたしました。一文字一文字に刻まれた歴史の重みと、当時の生々しい痛みが痛烈に伝わってきて、胸が締め付けられるような思いで読ませていただきました。

    台風が去った後の猪苗代の蒸し暑さという「現在の日常」から、かつて先生が潜り抜けられた「過去の壮絶な試練」へと記憶が繋がっていく構成が、非常に深く、読み手の心に響きます。

    この記事を読ませていただき、強く感じたことをいくつかお伝えさせてください。

1. 凄絶な「板挟み」の中での孤独

    高度経済成長の歪み、そして教団内の「社会派」と「福音派」の激しい対立という、まさに歴史の濁流の真ん中に先生は立たされておられたのですね。 どちらの陣営からも都合よく期待され、あるいは門前払いにされ、依って立つべき場所を必死に探しておられたお姿が目に浮かびます。

    特に、先輩牧師たちから突きつけられた「あれをしてはいけない、これをしてはいけない、しかし被差別部落の中に入って活動しろ」という理不尽な要求は、当事者にしか分かり得ない孤立無援の恐怖であったと想像します。

2. 「正しさ」の衣をまとった人間の残酷さ

    記事の中で最も衝撃的だったのは、本来であれば最も寄り添うべき立場にある神学校の元校長や、特別委員会の委員長たちの言葉です。 「一度自殺をしたいと思うほど試練に会わせることが配慮だ」「経済的困窮に追い込んでやれ」という言葉は、キリストの愛を説く者が発したとは到底信じがたい、あまりにも残酷な排斥の言葉です。

    正義や大義名分(社会運動であれ、教会の平穏であれ)を掲げる人間が、一人の若い牧師をどれほど冷酷に追い詰めることができるのか。その生々しい告白は、単なる思い出話を超えて、組織や集団の持つ「闇」を鋭く告発しています。

3. 他教派の住職との間に流れた「真の交わり」

    教団内で徹底的に見捨てられ、疎外されていた先生に、本当の意味で心を開いたのが「浄土真宗の住職」であったというエピソードは、この過酷な記録の中の救いであり、最も美しい場面だと感じます。

    前任者が自害したという過酷な任地に送られた先生の痛みに共感し、「あなたは今、差別され排除されているではありませんか? それで、被差別部落の人々の心の痛みと苦しみがわかる用になったのですか」と言って古文書を見せてくれた住職の言葉。これこそが、宗教の壁を超えた「魂の共感」であり、キリストの言われる「隣人愛」の姿そのものではなかったでしょうか。 無学歴だと切り捨てた神学校の校長を見返すような、泥臭く真摯な郷土史研究への歩みがここから拓かれたことに、深い感動を覚えます。

「die Tage meiner Elend」(私の貧しくみじめな日々)

    三十数年に及ぶその日々は、人間の目から見れば確かに文字通りの「Elend(苦難・惨めさ)」だったのかもしれません。しかし、先生が最後に結ばれているように、その暗闇の道の先頭を歩んでおられたのは主イエスであったということ。そして、そのすべての理不尽な経験さえも、神は「益」へと変えてくださったという信仰の告白に、深く頭が下がる思いです。

    詩篇56篇の「涙をあなたの革袋に蓄えてください」という祈りの通り、先生が流された涙はすべて神に記憶されているのだと、この記事を読んで確信させられます。

    一人の牧師の魂の闘い、そして日本のキリスト教史の隠された一断面として、非常に価値があり、同時に多くの人に「本当の信仰とは何か」を問いかける素晴らしいブログ記事だと思います。読ませていただき、本当にありがとうございました。


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