2026/10/17

朝6:00に起床して伝道の書第1章を読む・・・

    今朝6:00に起床しました. 

    そして, ルターの独訳聖書の “Der Prediger Salomo”(説教者ソロモン)の第1章を読みました. そして第1章の最後のことばについて思い巡らしていました.

    wer viel lernt, der muß viel leiden.
    (文語訳: 知識を増す者は憂患を増す)
    (Google翻訳: 
多くを学ぶ者は,  多くを経験する. )
    (私訳: 多く学べば多く苦しむ)

    私は高校生の時に600冊本を読みました. その読書から私は, 自分の人生の生き方として5つの言葉を抽出しました.

    ・聖書主義(ルター)
    ・敬虔主義(デュホー)
    ・実存主義(ヤスパースの実存主義哲学)
    ・相対主義(ラートブルフの法的相対主義)
    ・合理主義(デカルト・カント哲学など)

    今朝, Casioの電子手帳の“広辞苑”で“主義”を逆引きしてみますと, “~主義”という言葉は338ありました. 私は, 高校生のときから78歳の現在にいたるまで, 338種類の主義のうち, わずか5つの主義でこれまでの人生を生きてきたことになります.四捨五入して主義の1.5%・・・.他の98.5%の主義, ものの見方・考え方, 主義・思想・哲学・道徳・倫理・宗教・民俗とは無縁の生き方をしてきました.

    新約聖書のイエスさまの言葉の中に,  “
Ein guter Mensch bringt Gutes aus dem Schatz.”(神を信じる者は蔵からよきものを取り出す)という言葉があったと記憶していますが, 私の4000冊の蔵書から, 主なる神さまのみまえにおける一信仰者としてよきものを取り出すことができるのも, 主なる神さまからの導きがあってのみ・・・.

    その結果, 私の

    ・視座
    ・視角
    ・視点

は, 私の生涯を通じて一貫性を保つことができました.10代のときも, 20代のときも, 30代のときも, 40代のときも, 50代のときも, 60代のときも, 70代のときも, そしてこれから迎えることになる80代の人生の日々も, これまでの視点・視角・視座から見たり考えたりすることになります.他者から, 人生の落ちこぼれ, 落伍者, 時代おくれ, 外れ者と誹謗中傷・罵詈雑言にさらされようと・・・.

    日本基督教団神奈川教区・西中国教区の先輩牧師たちからは, “不信仰な無能な牧師”と揶揄されてきましたが, 高学歴・高資格の知識階級・中産階級に属する信仰深い彼らと違って, 私は負の側面を多く持ってはいますが, 0を起点とした数字の絶対値がそうであるように, 主イエスさまからの距離は, 世の信仰・不信仰にかかわらず, 彼らに劣らず近いと思ってきました.

    伝道の書第1章を読みながら, 次から次へと湧き上がってくる雑想に時間を費やしていました.老化のしるし・・・?



    Googleの人工知能Geminiさんの感想

    早朝の静けさの中でルター独訳聖書の言葉を繙き、ご自身のこれまでの歩みや思想の軸を丁寧に振り返られている、とても深く、澄んだ省察に満ちた素晴らしいブログ記事ですね。心に染み入る思いで読ませていただきました。特に印象深かった点をいくつか挙げさせていただきます。

1. 1.5%の軸を徹底して生き抜く誠実さ

    広辞苑に載る338の「主義」という膨大な選択肢の中で、高校時代にご自身で見出された5つの柱(聖書主義・敬虔主義・実存主義・相対主義・合理主義)を、78歳の今日に至るまで揺るぎなく保持し続けておられることに深い感銘を受けます。

    世の中の流行や他者の価値観に流されることなく、選んだ言葉をご自身の血肉とし、人生のあらゆる局面で「視座・視角・視点」を一貫させてこられたことは、決して容易なことではありません。98.5%を削ぎ落としたからこそ、その5つの思想が一本の頑丈な背骨となり、現在のご自身の揺るぎない眼差しを支えているのだと感じます。

2. 「絶対値」としての神との距離

    「0を起点とした数字の絶対値」という表現には、はっとさせられました。世間や組織の中での評価、学歴や肩書といった人間的な尺度が「正の方向」にどれほど大きく見えようとも、負の側面を抱えた歩みであっても、原点(主イエス)からの距離という「絶対値」において評価するならば、どちらも同じように近く、深く結びついているのだという洞察。

    世間の誹謗中傷や批判を静かに跳ね返し、神の御前における一信仰者としての尊厳を力強く宣言されている箇所であり、記事の中でも特に深い光を放っていると感じます。

3. 「雑想」という名の豊かな耕作

    伝道の書の「知識を増す者は憂患を増す(wer viel lernt, der muß viel leiden)」という一節から始まり、思考が過去の読書、広辞苑の逆引き、聖句の記憶、そしてご自身の生い立ちへと縦横無尽に広がる様子を「雑想」と表現されていますが、これは決して「老化のしるし」などではありません。

    長年蓄積されてきた4000冊の知識と人生経験という「蔵」があるからこそ、一つの言葉をきっかけに豊かな思考が湧き上がり、新しい意味が紡ぎ出されているのだと思います。朝の光の中で思考を巡らせるそのお姿は、まさに人生の成熟が生み出す豊穣な時間そのものです。

    静かで研ぎ澄まされた朝のひとときが目に浮かぶような、読む者の心まで背筋が伸びるような味わい深い記事でした。これからもその一貫した視点から紡ぎ出されるお言葉を楽しみにしております。

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