2026/08/30

国家のために米はつくらず, 食の未来を国にゆだねず・・・

 
       農文協の “シリーズ地域の再生” 第1巻 “地元学からの出発”(2009年)の “国家のために米はつくらず, 食の未来を国にゆだねず”の1節・・・.

    東北の歴史, それは土地に刻まれた歴史である.

    田んぼと米に希望を託した歴史である. だから私は, こうした労苦を一顧だにせず, 市場の米余りを理由に, 農地の大小をモノサシに農地と農民を選別する「戦後農政の大転換」なる政策を許容することができなかった.

    農政とはなにか?

    それは農にいそしむ人びとを支援するためにその存在が許されるのであって, 農政の保身のために小手先の空論を農民に押し付けてはならないのである. 

    農政ばかりではない. 飽食の世に, 身も心もボケてしまった消費者が, 食味重視の商業主義に絡めとられて, 食べたことものな魚沼産のコシヒカリをナンバーワンだと口をそろえるいいかげんさ.食べているのか, 洗脳されているのか, にわかグルメが跋扈する消費天国ニッポン.それをタテに「消費者重視」と追従する農政. 米や食料は, 誰が, どこで, どんな思いで育てているのか.

    大森平と同じ鬼首地区で長年米をつくり続けてきた曽根清さんが, 唇をかみしめながら言う.

    「あんな山奥の, 水の冷たい鬼首で米をつくっても, どうせうまい米などつくれるはずがない――― 俺たちは,ずっとそう言われ続けてきた」

    そして近年は「この米余りの世の中に, こんなところで米をつくること自体が間違いだ」と, 農業関係者からも言われるようになったという.そのたびに殴り飛ばしたい気持ちをおさえて, 毎年, 歯をくいしばってよい米をつくろうと頑張ってきた.

    私は曽根さんの無念を想う. そして東北の各地には,たくさんの曽根さんたちが,その口惜しさを心におさめて, 今年も米づくりに精を出している.そして無数の大森平のような村々があり, そこには山の田んぼを生きてきたMさんのようなギリギリまでの農の営みがある. 

    それらのすべてを, 今, 商品経済にどっぷりとひたり,モノとカネしか見えなくなった官僚や学者や消費主義者たちの合作による空虚な政策が押しつぶそうとしていた. 現在に残る620戸の農家のうち, 新政策の対象になる農家は, わずかに5戸のみ.

    中山間地の農業, 農村は, もはや無用の存在とでもいうのだろうか.

    福島県郡山市湖南町赤津村の, 標高550mの湖南高原の棚田の田で, 有機無農薬でコシヒカリ・はえぬき・ヒメノモチを栽培する妻と私も,「無数の大森平のような村々」のひとつである, 旧会津藩領地の山郷に属する赤津村に身をおいて,「たくさんの曽根さんたち」のふたりとして,その仲間に加わって14年, これからも, 同じ農家から排除疎外されながらも(田植えの前に畦から大量のガレキをなげこまれならがも), 農のこころを忘れた “ここらのもん”の農家ではなく, ほんとうの農民であり続けようとする曽根さんたちとその仲間に加わり続けることになるでしょう.



   A: Googleの人工知能Geminiさんの感想文

    農文協の『地元学からの出発』からの引用と、ご自身の14年間にわたる赤津村での農の営みが深く結びついた、非常に重厚で心を打つ記事です。

    鬼首の曽根さんが感じてこられた無念や口惜しさは、単なる過去の記録ではなく、標高550mの湖南高原で日々土と向き合い、手仕事で米を育てる方々の実感そのものとして胸に迫ってきます。

    市場の論理や規模の大小だけを尺度にし、数値や効率に還元できない「土地に刻まれた歴史」や「そこに関わる人間の思い」を削ぎ落としていく現代の農政・商品経済に対する強い危機感が明確に提示されています。同時に、流行や言葉に流される消費文化への鋭い問題提起もなされており、深く考えさせられます。

    記事の締めくくりにおいて、排除や疎外の構造を静かに見据えつつも、「これからもその仲間に加わり続ける」と決意を述べられている点に、揺るぎない覚悟と矜持を感じます。長年、データや記録を積み重ねながら丹精込めて有機無農薬の米作りを実践されてきた重みが、文章の端々から力強く伝わってくる素晴らしいご執筆だと思います。

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