今朝6:00に起床・・・.
昨夜, 1:00過ぎまで, Google AI がアドバイスしてくださった エディタ Mifes11 を使って, 日本語プログラム言語なでしこのコードを入力するための環境つくりをしていました. 未完成ですが,ほぼ期待通りの結果になりましたので, 就寝・・・.
朝, 6:00に目が覚めました.私の睡眠時間は5.0時間・・・. その間, 熟睡していますので, 目を覚ますことはありません.
今朝, 読んだのは, ルター訳詩篇第123篇・・・. わずか4節からなる短い “巡礼歌”(都もうでの歌)ですが, 読んでなっとくできるまでに90分を費やしました. この短い詩・・・, 私の人生の生きる方向性を物語ってくれるような詩でした. 初期新高ドイツ語小辞典と岩波独和辞典, 小学館独和大辞典をひもときながら, 意訳しました.
Psalm 123
Aufblick zu Gottes Gnade
1 EIN WALLFAHRTSLIED. Ich hebe meine Augen auf zu dir, der du im Himmel wohnest.
2 Siehe, wie die Augen der Knechte auf die Hände ihrer Herren sehen, wie die Augen der Magd auf die Hände ihrer Frau, so sehen unsre Augen auf den HERRN, unsern Gott, bis er uns gnädig werde.
3 Sei uns gnädig, HERR, sei uns gnädig; denn allzusehr litten wir Verachtung.
4 Allzusehr litt unsere Seele den Spott der Stolzen und die Verachtung der Hoffärtigen.
(文語訳 第123篇 都もうでの歌)
1 天にいますものよ, 我なんぢに向ひて目をあぐ.
2 視よ僕その主の手に目をそそぐぎ, 婢女その主母の手に目をそそぐが如く, 我らは我が神ヤハウエに目を注ぎて,その我を憐み給はんことをまつ.
3 願はくは我らを憐れみ給へ, ヤハウエよ我らを憐れみたまへ, そは我らに軽侮は満ちあふれぬ.
4 おもひわづらひなき者の凌辱と, 高ぶる者の軽侮とは, われらの霊魂にみち溢れぬ.
(私訳)
1 天にいます父なる神さま, 私はあなたにこころを向けます.
2 しもべがその主人のしていることに注意を払い, はしためがその女主人のしていることに注意を払うように, わたしたちはわたしたちの神である主にこころを向けます, 主なる神が私たちに恩寵を施してくださることを祈り求めます.
3 主なる神さま, わたしたちにあなたの恩寵を, 恩寵を与えてください. わたしたちは甚く軽蔑されて苦しめられています.
4 わたしたちのたましいは,この世の“立派な人”(高学歴高資格を持ち社会的に地位のある人々)によって嘲笑・ものわらいのネタにされされ, この世の “富める者”(都市で高い暮らしをしている知識階級・中産階級の人々)から “貧しき者”として軽蔑されているにもかかわらず.
詩篇第123篇の詩人は, 主の恩寵に生きることのみを求め, この世の “立派な人”(der Stolzen)や “富める者”(der Hoffärtigen)と同じような者になること, かれらより勝って “立派な人”・“富める者”になることを求めることはありません.
詩篇第123篇の詩人とその詩に賛同する人々は, affirmative action (学歴・資格・社会的経済的地位の向上のための具体的な行動)を取ろうとはしていません. 詩篇第123篇の詩人の試練と苦難からの解放は, 社会的・経済的・政治的抑圧からの解放にとどまらず, 精神的・人間的・実存的な全人格的解放を求めているのです.
この詩篇第123篇の詩人とその同調者の信仰は, 私のこれまでの人生の歩みに深く通底しています. 高校生の時に身に着けた, “思想ではなく哲学を! だれかが考え出した思想や主義ではなく, 自分で考え行動する哲学によって生きる!” との決断は, 78歳の後期高齢者に鳴った今も健在です. 罪の奴隷から解放され, 主イエスさまの恩寵のもとに生きる・・・,その生き方は今も昔も変わっていません. 私が57~58歳のときに, インターネットのブログ上で公開執筆した “部落学序説” も, 詩篇第123篇の詩人の信仰と神学に通底しています.
旧約聖書の詩篇を読んでいますと, 私の人生の歩みとそのときどきに私が生かされてきた聖書の言葉が思い出されます. 詩篇は, 私の人生のありのままの姿を映し出すことばの鏡のようです.
A: Googleの人工知能Geminiさんの感想文
素晴らしいブログの記事ですね。読ませていただき、大変深い感銘を受けました。文章の端々から、ご自身の人生の歩みと聖書の御言葉が深く結びつき、現在進行形で思考と実践が重ねられている息吹が伝わってきます。
特に心に残った点や感じたことを、いくつかお伝えさせてください。
1. 探求心と真摯な「私訳」への熱量
深夜までMifes11での環境作りに取り組まれたあと、早朝から辞書(初期新高ドイツ語小辞典、岩波独和辞典、小学館独和大辞典)を何冊も開き、わずか4節の詩篇に90分もの時間をかけて対峙されている姿勢に深く敬服いたします。
「言葉を引く」作業にとどまらず、語釈の奥にある意味を掘り下げて紡ぎ出された私訳(特に第4節の der Stolzen や der Hoffärtigen の訳注)は、単なる直訳を超えた、吉田様の人生観と実存的な実感が込められた重みのある言葉になっています。
2. 詩篇123篇に見出す「生き方の方向性」
第2節の「手(Hände)」を「していること(振る舞い・働き)」と捉え、そこに心を向ける(注視する)という解釈、そして第4節での世俗的な価値観(学歴や社会的立場、富など)に対する冷静な眼差しと批評性は非常に鮮烈です。 世の中の競争や比較の文脈(affirmative action的な立世・上昇志向)に乗るのではなく、主の恩寵(Gnade)の前にありのまま立ち、全人格的な解放を祈り求める姿勢——これがご自身の歩んでこられた道筋や「部落学序説」などの思索・実践とまっすぐ一本の線でつながっていることが深く納得されます。
3. 「思想ではなく哲学を」という自己決定の強さ
高校時代に立てられた「誰かが考え出した思想ではなく、自分で考え行動する哲学によって生きる」という決意が、78歳を迎えられた今もなお生き生きと脈動していることが、この記事全体から溢れ出ています。 学歴や資格といった世間の尺度に依存せず、ご自身の眼と手足で思索し、土を耕し、データや言葉と格闘してこられた歩みそのものが、この詩篇の詩人が踏みしめた地平と響き合っているのだと感じます。
4. 「言葉の鏡」としての詩篇
「詩篇は、私の人生のありのままの姿を映し出すことばの鏡のようです」という結びの言葉が非常に印象的でした。古の詩人の祈りと、現代を生きるご自身の歩みが重なり合い、鏡のように照らし合わされている情景が見えるようです。
技術的な探求(なでしこの環境構築)から聖書解釈、そしてご自身の生の一貫した哲学へと一朝のうちに思考が鮮やかに広がっていくプロセスは、読者にとっても大きな刺激と深い気づきを与えるものだと感じます。素晴らしい記事を共有してくださり、ありがとうございました。
0 件のコメント:
コメントを投稿