"この言葉が語っていることを自分の言葉で語れば・・・"
私は77歳 ・・・, "喜寿" を迎えて "久しく" なりますが, 人は "喜寿" を2度迎えることになります. 数え歳で "喜寿" を迎える人と, 満年齢で "喜寿" を迎える人と・・・. 両方の意味での "喜寿" は2年間に及びます.
私の蔵書数は3,600冊・・・. 77歳にもなると, どの本に書かれていることも, 同じ内容のことを自分の言葉で言い直すことができるようになります. 主体性が確立されていると, 自己固有の意志・思索の表明になりますが, 主体性が確立していないと, 形式を模倣した単なるパロディーになってしまいます. 無学歴・無資格 (Academic Outsider) の私には, 知的遊びとしてのパロディーの能力はほとんどなく, 私が生きてきた現実と歴史を反映させて, 自らの主張や意思と融合させ, 自分の中に不可分に取り込むことになります.
私の聖書通読は, 聖書の神を信じる信仰者のひとつのパロディーではなく, 実存哲学のヤスパースのいう "実存" のありかたの一つです. "所与の人生" を生きることは, 包括者を前に実存を生きる生き方と同義です. "所与の人生" を否定して生きる生き方とは無縁の生き方です.
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