3600冊の蔵書を前にしていますと, 私がその生涯においてどのような本にであったのかは, "出会い" 以外のなにものでもないと思わされます.
"出会い" は, ひとつの目的地に向かって道をあるいているとき誰かに何かに遭遇することを意味します. どのような道を選択して歩くかによって, その "出会い" は無制限の出会い出はなく, その "出会い" は,その道によって何らかの制限が課せられている "出会い" でしかありません.その道を進めば進むほど, 人生のその道が, 青年期・壮年期・老年期に進めば進むほど,あらたな "出会い" の可能性は縮減されていきます. その代わり,古い時代の古き "出会い" は質と量とが充実していくことになります.
その出会いによってもたらされた "人間観" はほとんど固定的なものになり, その "人間観"" で自他を見ることになります. "団塊世代" に属しながら, "団塊世代" とはことばとふるまいにおいて異なる生き方をしてきた無学歴・無資格 (Academic Outsider) の私は, 固有の生き方をまっとうすることになります."出会い" に拘束されながら, "出会い" を乗り越えて, 人生の "包括者" である神のみ前に立つことになります.
歩んできた道をふりかえりますと, 私が読んで心打たれた著者の大半が, ユダヤ人ないユダヤ人と結婚した人々であることが分かります.中学1年生のとき, 父から譲り受けた "新約聖書" が, 私が歩む人生の道の最初の分岐点でした. それから77歳の今日までその道を歩み続けてきましたので, 聖書のみことばに生かされている学者・研究者の語る言葉が私の胸中に響いてきたのでしょう.
日本の古代においては万葉の時代の無名の人々, 中世においては日本仏教の教祖たち,近世においては儒学者たち, 明治以降においては知識階級・中産階級の基督者たち, 大学進学を断念, 独学をはじめたころからは, 西欧の神学者や哲学者たちの著作を通して彼らと出会い, 私の思想・信条を生きてきました. 人生における "出会い" は, そのひとの人生を唯一無二のものにする・・・. かけがえのない "出会い" だけが記憶に残り, そうでない "出会い" は忘却されていく・・・. 失われた "出会い" を取り戻す必要はありません. "利用する価値なし" として私から離れて行った人々にとって私はすでに "無" であり "非存在" になってしまっているのですから・・・.
2025/01/24
生涯においてどのような本から影響を受けるかは "出会い"・・・
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