妻と私の人生の晩年における生き方は, 清貧の暮らしと生活に慣れてそこに安住し, 感謝と祈りの日々を過ごすこと・・・.
暑さ寒さに耐えれる衣・食・住と健康が与えられたら, それでよし・・・!
日本基督教団西中国教区の牧師たちは, 隠退牧師になったあと, どのような生き方をされているのか, 寡聞にして何も知りませんが, 神さまが与えてくださった "所与の人生" を歩み続けるのみ・・・.
"所与の人生を生きる" という姿勢は, 高校2年生のときに読んだ実存主義哲学者のヤスパースの著作から学びとりました. "所与の人生を生きる" とは, "神さまが私にむけられた眼差しを意識して生きること" を意味します. それは, また, "他者が私に向ける眼差し" に Holy Indifference であることを意味します.言葉を替えますと, 優越感・劣等感を超越して生きることを意味します.
聖書によると, 天と地と人の創造主である主なる神さまは, 人を "夫と妻", "百姓" として創造された!
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