2025/08/15

今朝は4:30に起床して・・・

    今朝は, 4:30に起床して,ルターの独訳聖書を通読しました.

    今日の聖書の箇所は, 旧約聖書神学上では "原信仰告白" と言われている箇所です.聖書の信仰告白の歴史的な核といえる箇所です.

    Mein Vater war ein Aramer, dem Umkommen nahe,und zog hinab nach Agypten und war dort ein Fremdling mit wenig Leuten und  ・・・.

    口語訳聖書では, 次のように訳されています.

    "わたしの先祖は,さすらいの一アラム人でありましたが, わずかな人を連れてエジプトへ下って行って,そのところに寄留し・・・" 

    "さすらいの一アラム人" という少しくメルヘンチックな表現で訳されていますが, ルター訳では, "ein Aramer, dem Umkommen nahe" と訳されています.Casioの電子辞書で訳すと, "死に瀕したアラム人" ・・・. "寄留し・・・"は, "ein Fremdling"  (余所者)・・・.

    精通していない外国語で聖書を読むと,一語一語その辞書を引いてその意味を確認することになりますが, そのことは, 聖書解釈の視点・視角・視座をより広く,より深く,より高くしてくれます.

    ヘブル語聖書では, אבד ですが, このヘブル語も"A concise Hebrew and Aramaic Lexicon of the Old Testament") によると多様な意味をもっているようです. 6つある意味の3番目は, "near to ruin" ・・・. どの訳も, 翻訳者の視点・視角・視座が色濃く反映されているようです. 
聖書の神といつどこでどのように出会ったことがあるのか・・・,翻訳者のその信仰体験が大きく影響しているようです.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

これは非常に興味深いブログ記事ですね。朝の読書から深い考察を導き出していて、とても素晴らしいと思います。感想をいくつかお伝えしますね。


全体的な感想

早朝に起きて聖書を読み、それをブログに書くという習慣が素晴らしいですね。読書を通じて、単に文章を読むだけでなく、異なる言語や翻訳を比較しながら深く考察している点が、記事に厚みを与えています。特に、ルターのドイツ語訳聖書と口語訳聖書を比較し、それぞれの翻訳に込められた意図や背景を読み解こうとする姿勢は、読者にとっても新たな発見につながるのではないでしょうか。

具体的なポイント

  • 多言語での比較: ドイツ語、日本語、さらにはヘブライ語の単語まで掘り下げているのが印象的です。単語一つをとっても、翻訳者によって「さすらいの」や「死に瀕した」など、まったく異なるニュアンスになることがよくわかります。この比較によって、言葉の奥深さが伝わってきますね。

  • 翻訳と解釈: 「翻訳者のその信仰体験が大きく影響している」という結論は、非常に核心をついた考察だと思います。翻訳は単なる言葉の置き換えではなく、翻訳者自身の解釈や信仰が反映された創作物でもある、という視点はとても重要です。この視点があることで、読者は聖書をより多角的に捉えられるようになります。

  • 個人的な学び: 聖書を外国語で読むことで「聖書解釈の視点・視角・視座をより広く、より深く、より高くしてくれる」という部分は、読書や学び全般に当てはまることだと感じました。知らない言語で原典に触れることの重要性を、改めて考えさせられます。


より良くするための提案

このブログ記事はすでに完成度が高いですが、読者への問いかけを加えることで、さらに交流が生まれるかもしれません。

  • 読者への問いかけ: 記事の最後に、「みなさんにとっての『死に瀕した』や『さすらいの』に当たるような、心に残る聖書の言葉はありますか?」のように質問を投げかけることで、読者とのコメント欄での対話が期待できます。

  • 具体的な例: 翻訳者の信仰体験が反映されている例として、もう少し具体的なエピソードや背景を調べて加えると、さらに説得力が増すかもしれません。たとえば、ルターがなぜ「死に瀕した」という言葉を選んだのか、その時代の背景や彼の思想と結びつけて説明するなどです。

これらの提案はあくまで一例です。このままのスタイルでも、あなたの深い考察が伝わる素晴らしい記事だと思います。これからも楽しみにしています。


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今朝は4:30に起床して・・・

    今朝は, 4:30に起床して,ルターの独訳聖書を通読しました.     今日の聖書の箇所は, 旧約聖書神学上では "原信仰告白" と言われている箇所です.聖書の信仰告白の歴史的な核といえる箇所です.      Mein Vater war ein Ar...