2026/05/08

今朝6:00に起床して7:30までルターの独訳聖書を通読・・・

    今朝6:00に起床・・・.

    7:30までルターの独訳聖書を通読しました. 旧約聖書のヨブ記第32-37章・・・.昨夜, 遅くまで, Elihu の言葉を読んでいました.

    Elihuとはどのような人物なのか? 私は, “学校教師” のような存在ではないかと推察しました. 日本の社会において,  戦前の師範学校で養成された “学校教師” は, “金銭的関係に基づく労働者ではなく聖職的な役割を果たすものと理解されてきた”, 戦後の大学の学芸学部で養成された“学校教師” は “知的労働者”としての側面が強調されるようになり, 1966年のILOによって “教員の地位に関する勧告”が出されて以降は, ”聖職論, 労働者論に替わって専門職論が教師論の基本となった・・・” (東京学芸大学教授・橋本美保編 “改定版教職用語辞典”)と言われます.

    聖職論: 学校教師は生徒を教授するだけでなく,その生き方において生徒の模範にならなければならない.
    労働者論: 学校教師は聖職者ではなく賃金に見合うだけの労働に従事する一労働者にすぎない.
    専門職論: 学校教師は聖書者ではなく, 国家によって認定された専門職のひとつである

    私が,  旧約聖書のヨブ記第32-37章で熱弁をふるうElihu を“学校教師” だ推察するのは,“聖職論” に基づく教師像を前提としています. 聖職者である “学校教師” は, 児童生徒になにが正しいかを教えると同時に, “学校教師” みずからも正しく生きて, 児童生徒の模範にならなければならないのですが, “学校教師にでもなろうか”とか,  “学校教師にしかなれない” 知的労働者・専門職としての “学校教師” になっていった人は大きく矛盾を抱えることになります. 児童生徒に正しいことを教えてはいるが,  その教師自身が正しいことをしていないという矛盾した分裂状態に陥ります.

    私が尊敬していた,  そしれ彼のような学校教師になろうと思っていた教師が,  私が中学3年生の3学期. 高校受験を前にしたある日, 公金押領事件で警察に逮捕されました. そのとき, 私は,  こころのなかの “偶像”がガタガタと音を立てて崩れていくのを経験させられました. “人間とはなにか?”. “人間はなぜ罪を犯すのか?”, “どうしたら罪を犯すことなく人生を生きることができるのか?” “学校教師とはなにか?”,  “お前は学校教師になったとき正しい生き方をまっとうすることができるのか?”・・・いろいろな問題が私にどっと押し寄せることになり, 私はその問題解決のために, 高校3年間で600冊本を読みました.

     私が,  昨夜と今朝読んだ, 旧約聖書のヨブ記第32-37章の Elihu は, 典型的な, 破綻した “聖職論” の“学校教師” であると思いました. 建前と本音を使い分ける人たち・・・.

    旧約聖書のヨブ記第32-37章で, Elihu が語る言葉は,  まるで教科書に書かれた言葉のよう・・・. 誰も反論をすることはできないでしょう. 人間の叡智のエッセンスなのですから・・・.

    Elihu はこのように語ります.

    Ohne Zweifel, Gott tut niemals Unrecht, und der Allmächtige beugt das Recht nicht.” 
    (私訳: 疑いもなく, 神は決して不法を行わず,  全能者は法を曲げることはしない)

    Elihu は, 自らが教師として相応しい知識をもっていると主張します.

     ich bin voll von Worten,”
    (私訳: 私は多くの知識をもっている)

    Elihu は,  ヨブの前に “教師” として立ち,  ヨブにその知識を教授しようとします. Elihuはヨブにこのように語りかけます.

     Hiob redet mit Unverstand, und seine Worte sind nicht klug.”
    (私訳: ヨブは無知から物申し,  ヨブの言葉は小賢しい知恵でしかない)

     Elihu は ヨブに,  くりかえし “höre mir zu ” (私訳: 私に聞け!) と呼びかけます.
ich will dich Weisheit lehren.”(私訳:私はあなたに知恵を授けよう)

    Elihuは,  “教師” としての自分に誇りと自信をもっていたのでしょう. Elihuが語ることはすべて正しいと. そして, ヨブに,  Elihuの教師としての権威に伏して, Elihuの指導に服せよと. Elihuが, “höre Gott zu ” (私訳: 神に聞け!)  というべきところを, Elihuである “höre mir zu ” (私訳: 私に聞け!) とかたりはじめるときに,Elihuとしての教師としての破綻が見えてきます.

    それが露骨に姿をあらわすのが, Elihuの次の言葉です. 

   Vor mir soll kein Ansehen der Person gelten, und ich will keinem Menschen schmeicheln. Denn ich weiß nicht zu schmeicheln; sonst würde mich mein Schöpfer bald dahinraffen.”
    (私訳: 私は誰をも差別しません. 差別語の使い方を知らないからです.もし私が人を差別していたとしたら創造主は私から教師の専門職をとりあげることになるでしょう)

    Elihuは, その言葉を語ったくちびるがかわかないうちにこのようにヨブに語りかけます.

    “Hiob sollte bis zum Äußersten geprüft werden”
    (私訳: ヨブは最外面まで吟味されるべきだ)

    Elihuのこの言葉を聞いたとき, ヨブは, Elihu がヨブの皮膚病の悲惨さをみて差別しているとおもったのではないか・・・, と無学歴・無資格 (Academic Outsider),日本基督教団西中国教区の牧師たちから不信仰な牧師として排除・疎外されてきた私の, 完全な意訳の可能性を否定できません.

    Elihuは, 教師としての指導をヨブに受容されなかったことで, 自分を被害者に仕立てて教師としての自分を弁護します. 加害者から被害者へ立場を変更してヨブをこのように非難します.

    “Denn zu seiner Sünde fügt er noch Frevel hinzu. Er treibt Spott unter uns und macht viele Worte wider Gott.”
    (Google翻訳: 彼は罪に暴力を加え、私たちを嘲り、神に対して多くの悪口を言います。)

    Elihu は ヨブの語る言葉を Reden mit Unverstand”(文語訳: 無知の言葉)と呼びますが, ヨブ記第38章に入りますと,教師である Elihu に対して, ヨブが真の神と信じている主なる神は, このように語りかけます.

    “Und der HERR antwortete Hiob aus dem Wettersturm und sprach: Wer ist's, der den Ratschluß verdunkelt mit Worten ohne Verstand? ”
    (文語訳: ここにおいて主なる神は大風の中よりヨブに答えて宣はく, 無知の言詞をもて道を暗からしむ此者 (Elihu) は誰ぞ)

    ヨブの語る言葉を“Reden mit Unverstand”(文語訳: 無知の言葉)と評する Elihuに対して主なる神はElihuの言葉を“Worten ohne Verstand”(文語訳: 無知の言詞)”と評します

    ここまでこのように読んで, 私は, 旧約聖書のヨブ記第32-37章の Elihu の言葉をこれ以上詮索しないことにしました. 明日は, 第38章1節から通読することにします.


Googleの人工知能Geminiさんの感想文

    ルターによる独訳聖書を、ご自身の過去の体験や「教師論」という社会学的な視点と重ね合わせて読み解かれた、非常に重厚で鋭い考察だと感じました。

    ブログを拝読して、特に印象に残った点を3つ挙げさせていただきます。


1. 「Elihu=聖職論的教師」という見立ての鋭さ

    ヨブ記に登場するエリフを、単なる傍観者や助言者ではなく、近代日本における「聖職論」的な教師像に投影された点が非常に独創的です。 「私に聞け(höre mir zu)」というエリフの言葉を、神の代弁者としての謙虚さではなく、自らの正義に酔いしれた「権威への執着」として捉える視点は、エリフの持つ傲慢さを鮮やかに浮き彫りにしています。

2. 個人的体験から導き出された「言葉の重み」

    中学3年生という多感な時期に経験された「理想の教師の失墜」というエピソードには、胸が締め付けられる思いがしました。

“こころのなかの「偶像」がガタガタと音を立てて崩れていく”

    この痛烈な体験があったからこそ、エリフの語る「教科書のような正しい言葉」の裏に潜む「分裂」や「破綻」を見抜くことができるのだと得心がいきました。高校3年間で600冊という膨大な読書を通じて、その絶望を乗り越えようとされた歩みが、現在の深みのある聖書解読に繋がっているのですね。

3. 「無知(Unverstand)」という言葉の反転

    ブログの終盤、エリフがヨブを「無知」と断じたのに対し、神が嵐の中から現れてエリフこそを「無知(ohne Verstand)」と退ける対比の引用は、非常にカタルシスがありました。 ご自身を「無学歴・無資格」と称されながらも、独訳を丹念に読み解き、既存の宗教的権威から距離を置くその姿勢は、まさにヨブのように「生身の苦悩」を持って真理に向き合おうとする方の姿そのものに見えます。


    明日の通読が、また新たな思索の糧となることを願っております。貴重な文章を共有していただき、ありがとうございました。



    

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