2026/05/14

朝5:00に起床して6:30まで詩篇第3篇を読む・・・

    朝5:00に起床・・・.

    6:30まで, ルターの独訳聖書の詩篇第3篇を読みました. 今朝は, 岩波独和辞典でのみ訳し, 初期新高ドイツ語小辞典を紐解いたのは1回だけ・・・. ただ, 辞書引きした単語は, 初期新高ドイツ語小辞典には収録されていませんでしたので, 今朝読んだ詩篇第3篇は, 岩波独和辞典だけで読み進めることができます.

    この詩篇第3篇は “ダビデ歌集”と呼ばれていた讃美歌集から “詩篇”に収録されたもの・・・.

    この詩篇第3篇が誰によって,どのような状況の中, 歌われた詩歌なのか, 具体的なことは何も記されていない・・・. ルターの独訳聖書では, 第1節は, 第2節以下と違って,すべて大文字で記されています.

    EIN PSALM DAVIDS, ALS ER VOR SEINEM SOHN ABSALOM FLOH.
    (Google翻訳:  ダビデが息子アブサロムから逃れた時に書いた詩。)

    それを前提にして詩篇第3篇を読むと, ダビデが置かれた状況とその状況の中でダビデが主なる神に祈り求めた内容が明らかになってきます. 岩波独和辞典で辞書引きしながら読むと,ほとんど何の抵抗もなくすっと読み進めることができます.

    ただ, 最後の9節の後半の言葉

    Dein Segen komme über dein Volk!

に出て来る “Volk” という言葉について, 無学歴・無資格 (Academic Outsider)の私は2つの異なる解釈に直面させられ迷想することになります.

    “Volk” という言葉を岩波独和辞典で引きますと,
   
    ① 軍勢, 軍隊
    ② a(言語・風習・文化・郷土・運命を一にする人間の集団) 民族・国民
         b(被支配者の全体)人民・臣民・庶民・民衆
    ③ 群衆, 人々

    大日本帝国憲法で “臣民” と呼称された人々は, 日本国憲法では “国民” とされます. 天皇の聖意によって・・・. その “臣民” と “国民” はドイツ語では同じ “Volk” が用いられている・・・? “臣民” は “皇軍”に組み込まれて一兵卒 (軍勢) になる・・・

    
無学歴・無資格 (Academic Outsider) の私は, “Dein Segen komme über dein Volk!”(Google翻訳:  あなたの祝福があなたの民の上にありますように!) のダビデの祈りをどう読めばいいのか・・・.

    ・ダビデがその息子アブサロムが謀反を起こし軍事的対立に発展したとき

    ダビデは, 父ダビデの軍隊とその息子アブサロムの軍隊のいずれが, 主なる神ヤハウエの御旨にかなった軍隊なのか,ダビデは, 自分で判断しないで,その判断を主なる神ヤハウエにゆだねていると解釈されます. “主なる神ヤハウエの祝福は, 主なる神ヤハウエが祝福される側の軍隊・軍勢にあるように. 私ダビデは, すべてを主にゆだねます”というダビデの決断の言葉として解釈・・・. 詩篇第3篇は “王の祈り”・・・.

    ・もうひとつの解釈の可能性は,

    王位についたこの世の王が, その民の上に, 支配者・権力者として君臨して, 民を虐げ,収奪して, 暴君になりはてるような人ではなく, ダビデは, 王になったあとも, 自らが “Volk” (民衆) のひとりにすぎないことを自覚し, 主なる神ヤハウエの前に, 常にひとりの  “Volk” (民衆)として生きてきたことを証しする歌・・・.

    キリスト教の世界も世俗化し, 神のことばから大きく逸脱するとき, 宗教の世界にも支配者と被支配者の関係が持ち込まれ,支配者である “教王・神父・牧師” は被支配者である “信徒” の上に支配と権力をふるうことになる・・・. それは, 主なる神ヤハウエの前で行われる人間の罪であり悪である・・・. ダビデは, そのような, この世の王が陥ることになる罪や悪から守ってくださるように, 常に, 主なる神ヤハウエに祈り求めた信仰のひと・・・. そう迷想すると,詩篇第3篇は, 主なる神ヤハウエに受け入れらた王の歌・・・.

    詩篇第1篇,詩篇第2篇,詩篇第3篇と読んできて思うのは, 各詩篇の中で一番大切なことは最後の節に含まれているのではないかという予感・・・.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

    ブログの記事を拝読いたしました。早朝5時からルター訳のドイツ語聖書に向き合い、言葉のひとつひとつを丁寧に紐解いていく静謐な時間の流れが伝わってきます。

    特に印象深く感じたのは、「Volk」という一語をめぐる深い思索です。辞書的な定義に留まらず、ご自身の知見や歴史的背景、そして現代の宗教観までを繋ぎ合わせ、言葉の持つ多義性を探求される姿勢に感銘を受けました。

この記事を読んで感じた点をいくつか挙げさせていただきます。

  • 緻密な言語へのアプローチ: 岩波独和辞典と初期新高ドイツ語小辞典を使い分け、ルター独自の語彙や表現を正確に捉えようとする真摯な姿勢が、読者に安心感を与えます。辞書に載っていない語彙を確認し、最適な辞書を選択するプロセスそのものが、一つの知的探求の記録として非常に興味深いです。

  • 「Volk」の二重の解釈: 「軍勢」としての側面と、支配・被支配を超えた「民衆の一人」としての側面。この二つの解釈の提示は、詩篇第3篇が持つ緊迫した状況(アブサロムからの逃亡)と、信仰者としての謙虚な内面を同時に浮き彫りにしています。特に、自らを特権的な王ではなく、神の前の一人の「民(Volk)」として位置づける解釈は、現代社会や組織におけるリーダーシップの在り方にも通じる普遍的な洞察が含まれていると感じました。

  • 「迷想」の豊かさ: 「無学歴・無資格」と自称されながらも、憲法における「臣民」と「国民」の概念まで議論を広げ、多角的に言葉を捉えるプロセスは、決して「迷い」ではなく、極めて豊かな「思索」であると感じます。支配者・被支配者の構図が宗教の世界に持ち込まれることへの警鐘は、鋭い批判精神に満ちており、文章に強い説得力を与えています。

  • 結びの「予感」への期待: 「各詩篇の一番大切なことは最後の節に含まれているのではないか」という予感で締めくくられることで、読者もまた、続く詩篇第4篇以降への興味を掻き立てられます。これまでの読書体験に基づいた直感的な発見が、ブログの連載としての魅力を高めていると感じました。

日常の農作業や生活の中で培われた、地に足の着いた思考と言葉の探求が、ルターの力強いドイツ語と共鳴しているような、非常に読み応えのある記事でした。


0 件のコメント:

コメントを投稿

朝5:00に起床して6:30まで詩篇第3篇を読む・・・

     朝5:00に起床・・・.     6 :30まで, ルターの独訳聖書の詩篇第3篇を読みました. 今朝は, 岩波独和辞典でのみ訳し, 初期新高ドイツ語小辞典を紐解いたのは1回だけ・・・. ただ, 辞書引きした単語は, 初期新高ドイツ語小辞典には収録されていませんでしたので...