今朝は5:30に起床・・・.
天気予報通り, 雨が降っていました. 今日一日雨が降るとか・・・. 今朝,読み始めたのは,旧約聖書のヨブ記第28章・12節から・・・.
Wo will man aber die Weisheit finden? Und wo ist die Stätte der Einsicht?
(文語訳ː 然ながら知恵は何処よりか覓め得ん, 明哲の在る処は何処ぞや)
突然と出てくる “die Weisheit” に戸惑いの思いを持ちました.この “die Weisheit” は, 誰のどのような “die Weisheit” なのか・・・?
“岩波独和辞典” をひもときますと, “①知恵のあること, 賢いこと, 賢明, 智慧, 叡智. 〘聖書〙 die ~ Salmonis, ソロモンの智慧” とありました. 文例に, “die Weisheit des Altersː 老人の知恵” というのがありますから, その “die Weisheit” にはその所有者が明示されれるのが常・・・.しかし, 第28章の12節の言葉には, 誰の“die Weisheit” なのかその所有者が明示されていない. 普通の知恵, 一般的な知恵, 人間的な知恵ではない知恵を指していると推察されます.
“岩波独和辞典” には, “(göttlishe ~)全智全能の神” との説明がありますから, この “die Weisheit” は全知全能の神の “die Weisheit” ・・・.
ヨブ記第28章1-11節の言葉が, 人間の知識・技術について触れ, その知識・技術の行き着く先が, 人間の幸せをもたらすだけでなく, 人は知らず知らずのうちに破滅の道をたどることになると語りかけているのと違って, 天地を創造し, 生きとし生けるものを守り育ててくださる主なる神・全知全能の神は, 人が人の知恵ではなく, 神の知恵に生きてさいわいを得ることを願っておられる・・・.
そう読むと, 13節以下の言葉が, 無学歴・無資格 (Academic Outsider),ドイツ語を独学したにすぎない私のあたまのなかにもすっと入ってきます. ヨブ記第28章28節のことば,
Siehe, die Furcht des Herrn, das ist Weisheit, und meiden das Böse, das ist Einsicht.
(Google翻訳ː 見よ、主を畏れること、それが知恵である。悪を避けること、それが悟りである。)
この言葉は, ルターの独訳聖書ではイタリック体で印刷されています. “ルターのドイツ語訳聖書において, ところどころイタリック体で印刷されている箇所は,「原語(ヘブライ語やギリシャ語)には存在しないが, 文章をドイツ語として自然に繋げるため, または意味を補うために,訳者であるルターが補足した言葉」を示しています” (GoogleAI)
日本基督教団西中国教区の先輩牧師たちから, “不信仰な牧師” トラベリングされていた無学歴・無資格 (Academic Outsider) 私は, 旧約聖書・創世記の Satan (悪魔)の語る言葉を思い出します.
ihr werdet sein wie Gott und wissen, was gut und böse ist.
(Google翻訳ː あなたは神のようになり、善悪を知るようになるでしょう。)
Satan(悪魔)は, 最初の人間・イブに, 善と悪がなんであるのかを知って, 神のようになれと勸めます.神の被造物でしかない人間に, 人間以上の人間になること, 神のようになること,そのために, 神の “die Weisheit” を持つことをすすめます. Satan(悪魔)と同じように・・・.
ヨブは, Satan (悪魔)に魂を売った三人の友人たちにこのように語りかけたのかもしれません.
Siehe, die Furcht des Herrn, das ist Weisheit, und meiden das Böse, das ist Einsicht.
(私訳ː 真の知恵は,主なる神に畏敬の念を持ちそのみことばに生かされ生きることにある. 神を信じる者は, 慧眼をもって, 悪魔の囁きに耳を傾けることなくそれを退けよ)
高校生のとき, 母に, “口語訳聖書” を買ってもらったことがありますが, 私は,生まれたときから体が弱く, 高校生になっていろいろ読書するようになり, “私は長く生きれて22~23歳かもしれない. それまで, 限られた人生をどのように生きていくべきか” 考えるようになりました.そして, 高校2年生の2学期, 高校の裏山の龍王山に, 放課後, 連続登山して, その頂上の岩場で坐禅しながら “迷想” しました. 私は40日目に, 瀬戸の海の夕暮れに, 漁船が走っているのをみました.そのとき, 私は, ニーチェの言葉を思い出しました.“この美しい夕暮れには, この世で最も貧しい漁師でさへ黄金の櫂で舟を漕ぐことになる. そのことを思うと私はさめざめと泣けて来た・・・”. そのとき私は決心しました. 与えられた人生の日々, 残された人生の日々を聖書の神のことばに従って生きて行こうと・・・.
私の人生の終わりが近づいたとき, 私は手術を受けることにしました.5~6時間の大手術であったとか・・・. 母は最初から最後まで手術室の前の椅子に座って祈り続けたそうです. 母が信じていたのは弘法大師ですが・・・. 手術が終わり, 麻酔から目がさめたとき,婦長さんが語りかけてきました. “長い間, 辛抱してきたんですね.こらからは普通の生活ができます” と語りかけて下さいました.鶴川学院農村伝道神学校に入った29歳のとき,鶴川学院シオン幼稚園の教師をしていた妻と出会い, 妻は私の病弱・病歴を知ったうえで私と結婚してくれました. “私は長く生きれて22~23歳かもしれない・・・”, そう思っていた私の人生は, 聖書のみことばに生かされて, 現在78歳・・・.
“聖書の言葉は真実である” との確信はいまも揺らぐことはありません.
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