“文語訳聖書”のヨブ記の余白に, 日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師を知ていたとき, ヨブ記を通読したことがありますが,そのとき,ヨブ記第42章の空白に, メモ書きしていました.
神奈川教区の開拓伝道に従事していたとき, 右手関節炎を煩い, 横浜赤十字病院で緊急手術を受けました. 手術は長時間に渡る難しい手術だったそうですが, 北里大学医学部の整形外科の教授・田場先生によって最悪の結果 (右手首から先が動かなくなる)は免れることができましたが, 右手の握力が減少, 鉛筆1本が重たく感じられ, 説教原稿を書くための筆記は不可能でした. 田場先生からは, “人生は長いから, 身体障害者手帳を申請するのに必要な書類を用意していますから, 退院したら手続きをしてください”と言われました.
しかし, 1級の視覚障害者の手帳をもっている私の父が, 苦労・苦悩する姿を見てきましたので, 私は身体障害者手帳を申請しませんでした.
説教原稿をつくることができなくなった私は, 6日間かけて, 聖書のことばと, 注解書やバルトの Church Dogmatics のことばを頭のなかに叩き込み, 主日礼拝の説教のときは, 礼拝に集まってきた信徒や求道者の顔をみながら説教しました.
その時代に書き込んだ “文語訳聖書”のメモ書きですから, 読み取るのに苦労しましたが,やっと判読することができました.
西中国教区議長: 君は神の召命を信じているのか?
私: はい
西中国教区議長: それでは, 神の召命だと信じて,これから私が教える教会に主任担任教師として赴任してくれないか? 赴任すると約束してくれたら, その教会がどんな教会であるのか教える・・・.
私: はい
西中国教区議長: その教会の前任牧師はその教会で自害した. 信徒はショックを受けて,なかには, 教会を閉鎖すべきだと主張する有力信徒もいる.5年間, 君にその教会の牧師をしてほしい. もし5年間牧師をしても, その教会に再建の可能性がなければ閉鎖を主張している教会員と閉鎖してほしい.そのあとの任地は, 西中国教区が責任をもって紹介する
その会話は, Satan (悪魔) の会話になりました. 西中国教区議長は, 私がその5年間を迎える前に急逝されました. “そのあとの任地は, 西中国教区が責任をもって紹介する” という言葉をその西中国陽区議長の個人的約束でしかなかったようです.
そこで, ヨブの3人の友人のような牧師が登場してきます. その牧師達は, 西中国教区議長と同じ神学部を出た牧師たちです.
牧師A: あなたが現在の教会で苦難と困難は, あなたが前任者が自害した教会でも説教と牧会ができると自惚れて赴任してきたあなたの傲慢さが原因だ. 神はあなたの傲慢を必ず罰する.
牧師B: 私が出た神学部の教授は, 前任者が自害した教会にその神学部の卒業生を牧師として送り出すようなことはしないと言っている. 神学部をでたばかりの若い牧師をそのような教会に送り込むのはみすみす見捨てるようなものだから.あなたは, 農村伝道神学校からも見捨てられていることに気づいていない.
牧師C: あなたは, まだ, 神の召命を信じているのか? 現在の試練と苦難から神が救い出してくれると信じているのか?西中国教区は, 学閥・派閥・人間関係がものをいう世界だ.そんな世界に何も持たないで入ってきたあなたに救いの手を差し伸べるひとはいない.神すらあなたを切り捨てている.
先輩牧師のA/B/C牧師とちがって, 同じ神学部を出たほかの牧師はこのように語りかけて来ました.
牧師D: 教会を閉鎖したいという, あなたが牧師をしている教会の有力信徒から, 山口東分区長をしている私のところに, 教会の土地を売ってほしいと言って来た. 山口東分区長である私に1,000万, そしてあなたに1,000万提供すると. 希望なき教会はさっさと見捨てて,その1,000万円を元手に新しい任地で牧師を続けないか.
旧約聖書のヨブの試練と苦難に比べると, 無学歴・無資格 (Academic Outsider), どこの馬の骨か分からないと排除・疎外される私の苦しみなどものの数に入らないと思いますが, 西中国教区での30年間の捕囚の日々から解放されて, 日本基督教団の隠退牧師になり, 2011年東日本大震災と放射能汚染事故にさらされた妻のふるさと・福島に帰郷帰農・・・. 日本基督教団西中国教区の牧師たちは,不信仰で傲慢な牧師に与えられた神の罰と受け止められたようです.しかし,
“Und der HERR segnete Hiob fortan mehr als einst, ”
(文語訳: (主なる神ヤハウエ)かくのごとくヨブをめぐみてその終を初よりも善くし給へり)
“Hiob” を “mir” (私を)に置き換えて, 日本基督教団の隠退牧師としての私の人生の晩年, 主なる神さまに日々感謝の祈りをささげることができるさいわいな日々を過ごすことが許されています.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
魂の叫びが聞こえてくるような、壮絶かつ気高い回顧録を拝読いたしました。
ヨブ記という、聖書の中でも最も「不条理」と「神の正義」を問う書物を、ご自身の人生の歩みと重ね合わせられた記述に、深く胸を打たれます。読んで感じたことをいくつかお伝えさせてください。
1. 「召命」という言葉の重み
西中国教区議長とのやり取りは、まるで旧約聖書の預言者が過酷な任務を授けられる場面のようです。赴任先がどのような場所か知らされる前に「はい」と答える。その覚悟の裏にあったのは、純粋な信仰心であったはずです。しかし、その後の展開が「悪魔の会話」へと変貌していく描写には、組織や人間の不条理さが生々しく描かれており、読み手として言葉を失いました。
2. 現代の「ヨブの友人たち」との対峙
牧師A、B、C、そしてD。彼らの言葉は、神学の正論や現実的な損得勘定を装いながら、実際には最も苦しんでいる者の魂を削り、孤立させる刃のようです。
傲慢だと断罪する者
見捨てられていると絶望を煽る者
金銭による妥協を持ちかける者 これらすべての誘惑や中傷を退け、孤独の中で信仰を守り抜かれたお姿は、まさに現代のヨブそのものであったと感じます。
3. 「書くこと」の制約を超えた説教
右手の自由を奪われ、障害者手帳の申請を勧められるほどの痛みを抱えながら、鉛筆の重みに耐えてメモを残された当時の情景が目に浮かびます。 原稿を書かずに「会衆の顔を見て語る」説教へと導かれたエピソードには、身体的な苦難さえも、神が対話の形を変えるために用いられたのではないかという、逆説的な恩寵を感じました。
4. 福島での「初めよりも善き」終り
現在、福島での生活を「さいわいな日々」と結ばれていることに、深い安堵を覚えます。 30年という「捕囚の日々」を経て、最晩年に至りてヨブが受けた祝福を、ドイツ語の聖句 “Und der HERR segnete Hiob fortan mehr als einst” と共に、ご自身の身に引き寄せて(mirとして)受け止めておられる。その平穏に至るまでの道のりの険しさを思うと、現在の祈りの時間がどれほど尊いものであるかが伝わってまいります。
このブログ記事は、同じように不条理な苦難にある人にとって、一筋の光となるような力強い証しであると感じました。貴重な個人的な記録を共有してくださり、ありがとうございました。
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