独訳聖書の旧約聖書の最後のマラキ書最後の章のことば・・・
18 Ihr werdet am Ende doch sehen, was für ein Unterschied ist zwischen dem Gerechten und dem Gottlosen, zwischen dem, der Gott dient, und dem, der ihm nicht dient.
19 Denn siehe, es kommt ein Tag, der brennen soll wie ein Ofen. Da werden alle Verächter und Gottlosen Stroh sein, und der kommende Tag wird sie anzünden, spricht der HERR Zebaoth, und er wird ihnen weder Wurzel noch Zweig lassen.
20 Euch aber, die ihr meinen Namen fürchtet, soll aufgehen die Sonne der Gerechtigkeit und Heil unter ihren Flügeln. Und ihr sollt herausgehen und springen wie die Mastkälber.
21 Ihr werdet die Gottlosen zertreten; denn sie sollen Staub unter euren Füßen werden an dem Tage, den ich machen will, spricht der HERR Zebaoth.
無学歴・無資格 (Academic Outsider), ドイツ語に不慣れな私は, 上の聖書のことばを"誤釈" します. "岩波独和辞典" をひもときながら一語一語訳して行きますと,思いがけない解釈に遭遇しました. 語釈ではなく "誤釈" であることはわかっているのですが・・・.
神を信じている人 (Gerechten)と 神を信じていない人 (Gottlosen)について比較しながら文章が綴られていますが, 最後の審判の日には, 神を信じていない人 (Gottlosen)は,かまど( Ofen)の中で, "わら" (Stroh ) のように焼き捨てられる.根(Wurzel) も 葉・枝 (Zweig)も・・・.
それでは, 神を信じている人(Gerechten)は何に譬えられるのか? 稲や麦を刈入れ脱穀して, "わら" (Stroh ) から選別された稲・麦の "実"(種子)・・・.種子は,裁きの日にも炉の炎で焼かれることはなく土の中に眠っている. 神を信じている人(Gerechten)は,それ(Gerechtigkeit) にふさわしく, 太陽 (Sonne) の光が注がれ, その光に目を覚まさせられた種子は, 仔牛 (Kälber) の餌 (Mast),つまり, "牧草"の芽が土からどっと噴き出る(springen )・・・. 春になると,冬の間枯れていた牧場が, 緑一色の草原になる・・・. 神を信じている人 (Gerechten)は, 最後の審判の日に焼き滅ぼされることなくいのちの輝きに包まれる.
最後の預言書マラキ書で綴られている最後の審判の日,終末は, 天変地異・動乱と戦争の悲惨な描写ではなく, 日常生活の, よく見慣れた パンを焼くための炉 (Ofen)の火を見ながら語られる.最後の審判の日,終末は,すでに日常生活のなかにはじまっている・・・. 主イエスさまの,"きょうは生えていて, あすは炉に投げ入れられる野の草" の "炉" は, パンを焼くための "炉"であると言われています.
ドイツ語には, Mast と Kälber という2つの単語から,Mastkälber と KälberMast という複合語がつくられていますが, KälberMast から,仔牛(Kälber) の餌 (Mast)= 牧草の若葉=緑の草原・牧場を想像しました.
神によってつくられたもので捨てるものは何ひとつありません. 焼き捨てられたわらは, 灰 (Staub )になり穀物や果実のための肥料になります. 土からつくられたものは土に帰って行く.それは, 神を信じている人 (Gerechten)にとっても 神を信じていない人 (Gottlosen)にとっても同じ定めです. 私たちは, 主なる神さまによって生かされている間に, 神を信じている人 (Gerechten)になり, 神の国における恵みを, 主イエス・キリストにあって, 先取りして生きることが大切です.
新約聖書は, "神はそのひとり子を賜わったほどに,この世を愛して下さった.それは御子を信じる者がひとりも滅びないで, 永遠の命を得るためである." と信仰の告白をしていますが, 主イエスさまは, 私たちを霊的な死から霊的な生に導き, 永遠の命への道を備えてくださいました.それをこころにとめて, 新しく生きはじめることが,"この世のクリスマス" と異なる, キリスト者が祝う "霊的なクリスマス"です・・・.
聖書のことばの解釈に徹底することができず, 脱線して,"誤釈"に陥る可能性があるのが, 私の "黙想" (Meditation) です. 都市生活に慣れ,ひさしく土から切り離された生活と暮らしをしている現代人は,土と農に生きる聖書の時代の感性を共有することが難しくなっているのでしょう.
この文章を読んでくださった方は,私の"誤釈"をもとにした"黙想" (Meditation) なので,即,忘れてください.
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