今朝は7:00に起床・・・.
昨夜, 寝室で震えながら夜遅くまで神学書を読んでいたためでしょう. 朝1:00には寒さに耐えれなくなってふとんに入り就眠しました.
日本基督教団西中国教区の山口の, 前任者が自害したという, ちいさな教会の牧師をしていたとき, 教会員の半数が被差別部落の関係者でした. 彼らは,"牧師は, 被差別部落出身のどの教会員よりも貧しい生活を死投げればならない,そうすることで,貧しい被差別部落出身の教会員も,自分たちよりも貧しい生活をと暮らしをしている牧師がいると思って慰められるのですから・・・"と話していましたが, "どんなに牧師を経済的困窮においやっても,家族でなかよく暮らしている牧師家族を見ると,腹が立ってくる.そんな教会に身を置いても面白くない・・・" といって, 日本基督教団の他の教会に,"牧師によって差別された・・・"と泣きつき, 教会役員からの薦書抜きで,それらの教会の牧師と役員会は,彼らを職権で教会員にしていきました.
彼らは,礼拝堂の暖房は,彼らの承諾なしにつけてはいけないと強力に主張,私は,冬も, 礼拝堂で作業するときも, 書斎で説教をつくるときも暖房はしませんでした.その暖房具は, 被差別部落出身の教会員が献品したもので,彼らの承諾なしには使わせないと主張していました. 教会の外装・内装工事をしたとき,礼拝堂の真ん中に鎮座していたそのストーブは撤去して物置に格納,あらたにファンヒーター2台を設置しました. しかし,私は, その教会を離れるまで,冬の間も暖房のない書斎で説教を作り続けました. 妻は,"風邪をひくとあとが大変"といって,いつも湯田んぼを用意してくれましたのでそれで足を暖めながら書斎で作業を続けました.
礼拝堂のオルガンも牧師は彼らの許可なくして使ってはいけないというのでほこりを被ったままになりやがて使えなくなりました. 教会役員会は,そのオルガンを使わなくても礼拝で讃美歌が歌えるようになるために讃美歌自動演奏機を導入しました(その讃美歌自動演奏機は,教会を離れるとき退職金を放棄することを求められましたが,その代わりに記念として讃美歌自動演奏機を譲り受けました.今も妻の寝室に, Casioの電子ピアノの横に設置して,いつでも聞けるようにしています).
そのためか,私はいつのまにか寒さに強いからだを持つことになりました. 妻のふるさと湖南に帰郷・帰農したあと,妻を私のふるさと帰還を歓迎しなかった "こころのもん"であるプロの農家たちは, "ここの寒さは中途半端ではねえ! それに耐えれなくなってすぐここさせんだって行くべえ!" と話していましたが, 出ていくどころか,居座って,今年で14年目・・・. 湖南の赤津村は "大農家"が多く,オール電化や太陽光発電による集中暖房であたたかい冬を過ごしておられますが, 妻と話は, 昭和の時代の "点暖房"・・・. 地球温暖化で, 福島のかっての山口と同じようになれば,冬も "点暖房"で暮らしていけるようになることでしょう.
今日の聖書の箇所は, ダビデの勇者のリスト・・・. ダビデは, その従者になった勇士たちの名前をひとり残らず覚えていたのでしょう. "わたしのこころはあたなのこころと共にある" と語るダビデは.殺生与奪の権をもっている支配者・権力者として圧政するのではなく,同じ主なる神を拝する協働者として捉え,ひとりひとりの戦人をこころに覚えていたようです.
昨夜,夜遅くまで神学書をひもときながら, 私が集めて,読むことを許された神学書は, 神学者の蔵書と比べて,冊数も種類もはるかに遠く及ばず,バルトの神学から影響を受けたとは言え, バルトの著作集すらもっているのはわずか5~6冊,ルターやカルヴィンの神学書もその数%にみたない・・・. 私は, バルトやルター, カルヴィンなどの神学者と神学を研究対象にしたことはなく,研究対象はただ聖書のみ・・・. そのために,聖書の研究方法や読み方を彼らから学び,自ら聖書を読んで解釈しているのみ・・・. 私が集めた神学書は,そのための単なる"道具"でした.
ふと, "部落学序説"の中でこんなことを書いたのを思い出しました.
"私の最初の任地は, 神奈川県横浜市の某団地の中にある教会でした. 赴任した年, 神奈川教区の執行部に呼び出されて何度も,なぜ宗教教師になるのか,「質問」というより「尋問」を受けました.最後は, 教区総会で, なぜ宗教教師になるのか, 総会議員全員の前で, 所信表明をさせられました.
そのとき, 私が語ったのは,「私は, みなさんと違って, 学歴も資格も持ち合わせていません.しかし, 私は, 皆様のように高度な知識と技術を持ったエンジニアのような存在にはなることはできませんが, 「み言葉の職人」として, 生涯をかけて聖書解釈に磨きをかける努力をしていきたいと思います.」という言葉でした.
そのとき, 議場からヤジが聞こえてきたのを覚えています.「学歴も資格も持っていない人は, さすが言うことが違う・・・」.ほめられているのやら, けなされているのやら, はかりかねているうちに, 私に対する「口頭試問」は終わってしまいました".
聖書のみことばの学者・研究者・教育者になるのではなく, 聖書のみことばの解釈の"職人"になるという宣言は, 昔も今も,そしてこれからも変わることはありません. 神学校をでてから32年間,牧師として説教のために聖書を解釈してきた私は,その間ずっと清貧な生活を余儀なくされましたので,高価な神学書を購入することはできませんでした.45年間,空白ができたその期間に出版された神学書・・・,たとえ安価な古書・古本であったとしても集めて読むことは止めました.職人は, 新しい技術を追究して新しい方法で新しいものをつくりあげていく技術者と違って,古い伝統的な道具を駆使しいて最善なものをつくってひとのことですから,"みことばの職人" を目指した私についても同じことが言えます.
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