2024/12/20

この冬の知的作業は観聖寺文書の再判読・・・

    今日は1日,  これまで再読した観聖寺文書を再検証して, MSwordで活字化, A4判19枚にプリントアウトして, 隣村の郵便局からゆうパックで送りました.

    12月20日から来年3月20日までの3ヶ月間, 晴耕雨読ならぬ晴れた日は除雪作業, 雪の降る日は読書三昧の日々を過ごすことになりますが, この3ヶ月間の目標は, 私の祖父・吉田永學の先祖,信州栗田村の真言宗観聖寺の跡地に住みその宗教遺産を継承しておれれる長野の吉田さんから読むことを許された観聖寺文書, すべてのくずし字を判読してM
SWordで活字化,プリントアウトして読む都度, 古文書と共に長野の吉田さんにお送りすることにしています.

    中学社会の近世幕藩体制下の身分の図式は3種類あるようです.

    従来の士・農・工・商・その他という表現は, 武士・町人・百姓・その他という表現に変えられてるようですが, その他については, "その他"・"僧侶・公家・えた・ひにんなど", "百姓と町人とは別に身分上厳しき差別されてきた人々1.5% 公家, 僧, 神官など1.5%" の3様に図示されているようです. "士農工商穢多非人" は同和教育・人権教育上の死語 (かって"士農工商穢多非人" を教えていた中学校教師たちの責任は不問に付されて免罪 ). 

    観聖寺文書によると, 先祖たちの通婚圏は, 修験僧と百姓・・・. 修験僧は長男直系で継承されていきますがその他の子どもたちは修験僧と百姓の息子・娘と結婚させられます. 結婚・養子縁組による寺送り・村送りの書状も残されています. 近世幕藩体制下の司法警察である穢多役・非人役とは関係なし・・・. 信州栗田村の古文書には, "当村にはひとりもいない"と記されています.

    もし, 私の先祖が, 穢多役・非人役であったとしたら, 私は, やはり徹底的に先祖の歴史を調べたことでしょう. "武士でなければ人にあらず" みたいな, 最下級の武士たちが抱く屈折した思いを持つことなく, 歴史の事実・真実を追求していくことでしょう. 史資料によると, 観聖寺の家族たちは6俵とれる田で自給用にコメを栽培していたようです. 仏教寺院は葬式仏教, 冠・婚・祭は修験寺院によって担われていたようです.観聖寺の修験僧は, 婚礼の儀式を終えたあとの宴会で尺八で祝の曲を演奏していたようです. 村人に病人が出たときは, 診断をして高尾山の薬王院 (真言宗修験) から入手した薬草を使って民間医療に携わっていたようです. 医師によっても見捨てられた病人のために加持祈祷をしたのも修験僧・・・. 
 真言宗観聖寺の住職・修験僧は,死んだものではなく, 死にゆくもの, 生きているものに寄り添って, よりよく共に生きるために, キリシタン弾圧の期間, 民間宗教・民間医療の担い手として,まるで現代のキリスト教会の牧師のような働きをしていたようです.

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