今日は1日, 観聖寺文書を判読してMSWord で打ち出す作業をしていました.
信州栗田村の真言宗観聖寺は, 栗田村太子堂の別当でもありますので, 修験道の開祖である役行者, 当山派修験道中興の祖といわれる聖宝理源大師と聖徳太子の三体を本尊としていたようですから, 当山派修験道と聖徳太子信仰のダブルキャリア・・・.
最初に読み直すのは, 真言宗当山派の役所である江戸の鳳閣寺の地方における触頭と触下に対する心得と, 触頭としての職務遂行の記録・・・. 当山派の総触頭の鳳閣寺 (奈良の鳳閣寺の江戸の出先機関) と信州栗田村の観聖寺とのやり取りに関する文書も多数残っています. 全部, MSWord で判読した古文書を活字にするにはかなり日数を要する事になりそうです.
A4版の上下2段組にして, 上欄には, 古文書の写真を貼り付け,下欄にくずし字を読んで判読したものを活字にしていきます.
私が注を振るのは, 左図に出てくる "高井郡赤岩村吉定院" の歴史とその末裔の名字と通信の可能性・・・. そ観聖寺に関する古文書が保存されている可能性もありますので・・・. 妻は私の作業を見ていて, ほっとしたよう・・・. "古文書が読める様になっているなんて, あなたは, ここにはもったいないひとね. 町の中に住んで活動してたほうがいいのでは・・・?" と話していましたが, 私は, "そんなことはありません. 近世文書が読める人はいくらでもいます. 部落史の学者・研究者・教育者で古文書が読めないひとはひとりもいないと聞かされているので・・・" と答えました.
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