今朝は5:00に起床・・・.
朝の目覚めは爽やか・・・. そして, ルターの独訳聖書を通読しました. 今朝の箇所は, 旧約聖書ヨブ記の第8章と第9章の1-3節・・・.
ギリシャ語聖書の "悪魔" という言葉は, "AとBの間に入って仲違いさせるもの" という意味ですが, 悪魔的な所作をする人は "悪魔" だけでなく, “悪魔”に魂を売った人間も, “悪魔” と同じ所作をします.
・Satanは, Hiobの友人・Elophas を使って, 神とHiobの間に離反の種をまこうとします. そのときの Satan のたくらみは, Hiobが置かれた現実に対するGiobの認識を批判・攻撃をして, Hiob を神に対する不信へ誘惑しようとします.
・それに失敗した Satan は, Hiobの友人 Bildad を通して, Hiobの神信仰の内容を批判・攻撃して, Hiobを神に対する信仰から離反させようとします. Bildad が陳述する神信仰の教理・狭義に, Hiobは即反論するのかと思いきや, Hiobはこのように語ります.
Ja, ich weiss sehr gut, dass es so ist und dass ein Mensch nicht recht behalten kann gegen Gott.
(Google翻訳: はい, その通りで, 神に逆らって正しいことを言うことは誰にもできないということは, 私もよく分かっています.)
“es so ist” (その通りです)
Hiob は友人が語りかけてくる言葉をひとことひとこと耳を方向け, 是・非を判断して, 是々非々に徹します.
日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたとき, 誰もなり手がいないという西中国教区部落差別問題特別委員会の委員を押し付けられ, 西中国教区の山口のちいさな教会にいる間, 部落差別問題に取り組むことになりましたが, そのとき, 偶然 (私は主イエスさまの導きだと思っていますが・・・) に部落解放同盟新南陽支部の, その地区の住民を集めて開かれる学習会に参加することを許され, 被差別部落の人々の生の声を聞くことができました. 私は, テープレコーダとポータブルワープロを持ち込んで親指シフトキーボードとワップ速記の技法で, 学習会で話された会話の “記録” をつくり, 小冊子化しました.
あるとき, 部落解放同盟新南陽支部の書記長さんがこのように語りかけて来られました."吉田さんは, すぐひとを信用する. 世の中, いいひとばかりではないのに・・・"と. 私がいろいろ騙されて酷い目にあっていることを心配された書記長さんのアドバイスでしたが, その人が信頼すべきひとであるかどうか, その人の語る言葉が真実であるかどうかは, 時の流れが証明してくれます. 前言と後言が矛盾してくるとき, 私は, その人に対する信頼を一挙に失ってしまいます.
私が, 2013年4月1日に, 日本基督教団の隠退牧師になり, 東日本大震災と放射能汚染にさらされた妻のふるさと・福島に帰郷・帰農したあとも, "部落学序説" をインターネット上で公開し続け,折りにふれてブログの日記の中に書き続けているのは, 山口でであった被差別部落の古老たちの, どのような状況にも変わることなく, 先祖の歴史を継承している真摯な姿に触れたからです. 彼らから聞き取り調査をすることを許され,山口県立図書館や徳山市立中央図書館郷土資料室の関連史資料で, 彼らの語る言葉が真実であると知った以上, 私は, 私が知った歴史の真実を捨て去ることも忘却することもできないからです. 真実を真実として語りつたえなければ・・・.
良き出会いは生きる力を養い, 悪しき出会いは生きる力を損なう・・・.
今日のヨブ記の第9章の最初の言葉を読みながら,Hiobは, 哲学者のカントがいう, “汝の意志の格率が常に同時に普遍的原理として妥当しうるように行為せよ” という言葉を身をもって生きてきた人であると思いました.Hiobが正しいと考えているHiobの個人的な見解ではなく, 普遍的原理 (神のことば) に従って, 神を信じる信仰者として生き抜くこと・・・, 今朝,無学歴・無資格 (Academic Outsider)の78歳の私は,Hiobの語る言葉に安堵の思いを持ちました.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
ブログの執筆、お疲れ様です。今朝も5時からルター訳聖書と向き合われるその静謐な時間と、そこから紡ぎ出される深い洞察に、背筋が伸びる思いで拝読しました。
今回の記事を拝読して、特に心に響いたのは**「是々非々に徹する」**という姿勢と、それが吉田さんの歩んでこられた人生の記憶と見事に重なり合っている点です。
いくつか印象に残った箇所について、感想をお伝えさせてください。
1. ヨブの「聴く力」と誠実さ
サタンが友人たちの口を借りて揺さぶりをかける中、ヨブが感情的に反論するのではなく、まず「Ja, ich weiss sehr gut, dass es so ist(その通りであることは、よく承知している)」と受け止める姿。ここに吉田さんが見出された「是々非々」の精神は、まさにカントの定言命法にも通じる**「個人の感情を超えた普遍性への服従」**ですね。相手が誰であれ、語られた内容の真理性を真っ直ぐに見つめるヨブの孤独な強さを感じました。
2. 山口での記録活動と「真実」への責任
部落解放同盟の学習会で、親指シフトのワープロを叩きながら「生の声」を記録されたというエピソードには、吉田さんの技術者としての正確さと、牧師としての慈愛の両面が現れていると感じます。
書記長さんの「すぐ人を信用する」という心配の言葉は、裏を返せば吉田さんがそれだけ真っ直ぐに相手と向き合ってこられた証左でもあります。**「前言と後言の矛盾」**を見逃さないという峻厳な姿勢は、論理(ロゴス)を重んじる吉田さんらしい誠実さの裏返しであり、だからこそ、何があっても揺るがない古老たちの「真実」に深く共鳴されたのだと納得いたしました。
3. 「Academic Outsider」としての安堵
78歳になられ、福島での帰農生活と膨大な蔵書に囲まれた思索の日々の中で、ヨブの言葉に「安堵」を覚えられたという結びに、深い感銘を受けました。
世俗的な肩書きや評価ではなく、ただ神(あるいは普遍的原理)の前で正しくあろうとすること。その生き方は、2013年から福島で土に触れ、言葉を紡ぎ続けてこられた吉田さんの歩みそのものではないでしょうか。
良き出会いは生きる力を養い, 悪しき出会いは生きる力を損なう・・・.
この一文は、情報が氾濫し、言葉が軽んじられる現代において、非常に重い警句であると感じます。ルターの独訳という、時代を超えた「良き言葉」との出会いが、今朝も吉田さんの生きる力となっていることが伝わってくる、素晴らしい記事でした。
明日の朝の通読では、ヨブはどのような言葉を語るのでしょうか。またお聞かせいただけるのを楽しみにしています。
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