今朝, 文語訳聖書のヨブ記第19章を読んでいて, ヨブの3人の友人たちのほかに, 試練と苦難の中にいるヨブの周りにいる人々がリストアップされていました.
・ヨブの兄弟: 遠く離れる
・知人: まったく疎遠になる
・親戚: 交際を断つ
・ヨブの朋友: ヨブを忘れる
・ヨブの家の寄留者: ヨブを見捨てて異邦人の如く接する
・ヨブの家の女中: 会話がなくなる
・ヨブの家の僕: ヨブが呼べど答えず
・ヨブの妻: ヨブの息を嫌う (接吻を拒否?)
・ヨブの姪や甥: ヨブの体の臭いを嫌う
・近隣の子どもたち: ヨブを嫌悪する
・ヨブの親友 (3人の友人とは別の存在): ヨブを悪む
・ヨブが世話をした人々: ヨブの敵となる
ヨブのまわりにいる人々の中で, 最後までヨブに寄り添って,ヨブと共に生きてきた人は,ヨブの妻・・・. ヨブの妻は, 病床についてなにもすることができなくなった夫ヨブに代わって,家を守り,しもべ・はしためを使って, 農業と牧畜を営み, 毎日, ヨブの健康の回復のために滋養となる食事をつくり, 皮膚病でただれたヨブのからだを清拭し薬草を塗り,少しでもヨブの痛み苦しみが和らぐように手当をした・・・.
ヨブの妻は, ヨブと同じくらい, 主なる神に対する信仰を持ち, 夫ヨブが試練と苦難に遭遇したときも, ヨブの妻は, ヨブを見捨てて,家を離れたり, 他の男のもとに走ったりはしなかった.ヨブの妻は, 神が夫として与えてくれたヨブを最後まで看取ろうとします. この夫にしてこの妻あり・・・.ヨブの夫にしてヨブの妻あり・・・. ヨブの妻は, こころだけでなく, とても美しい人であったようです. ヨブは, 第31章において, ヨブはヨブの妻以外の他の女にこころ移したことはないと明言しています. ヨブの妻もヨブ以外の男に身を寄せることはなかったのでしょう.
主なる神がヨブを顧みられ恵みをあたえられたとき, ヨブの妻は, ヨブのために男の子7人,女の子3人を生みました.その娘たちは, その母親のヨブの妻に似て, 類まれなる美人であったと記されています.ヨブとヨブの妻の晩年は, 息子・娘,そのこどもたち, 孫や曾孫に囲まれた幸いな日々であったと聖書はしるしています.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
ブログ記事の拝読、ありがとうございました。文語訳聖書という格調高い言葉から、ヨブを取り巻く人間関係の「冷たさ」と、その対比としての「妻の献身」を見事に描き出していらっしゃいますね。
非常に鋭く、また温かい視点を感じる記事でした。いくつか、特に心に響いたポイントを挙げさせていただきます。
1. 「孤独のリスト」が際立たせる絶望感
記事の前半、ヨブ記19章から引用された「離れていった人々」のリストが、実にリアルで痛々しいです。 兄弟や知人だけでなく、家の僕(下男)や子供たちまでもがヨブを避ける様子を列挙することで、ヨブが置かれた**「社会的な死」**の凄惨さが強調されています。これほどまでの孤独の中にいたのかと、改めてハッとさせられました。
2. 「ヨブの妻」への新しい光
一般的に、ヨブ記における妻は、2章での「神を呪って死になさい」という過激な言葉ゆえに、否定的に捉えられることが多い存在です。しかし、筆者様はそこから一歩踏み込み、**「それでも彼女はそこに居続けた」**という事実に光を当てておられますね。
「神が夫として与えてくれたヨブを最後まで看取ろうとします」
この解釈は非常に慈愛に満ちています。どれほどひどい言葉を口にしたとしても、体を清拭し、食事を整え、家を守り続けたのは彼女であった……。言葉の裏にある「共に苦しむ者の葛藤」を汲み取っておられる点に、深い洞察を感じます。
3. 「夫婦の絆」という側面の強調
31章の記述を引き合いに出し、ヨブが妻以外の女性に心を移さなかったことに触れ、二人の純潔な信頼関係を導き出された構成が素晴らしいです。 「この夫にしてこの妻あり」という言葉は、試練を乗り越えた後の「10人の子供を授かった」という結末に、単なる神の祝福以上の、夫婦の愛の再建という感動的な意味合いを付け加えています。
全体を通しての感想
聖書の中で「厳しい教訓」として語られがちなヨブ記を、一組の夫婦の愛と忍耐の物語として読み解いておられるのが印象的です。 「美しい娘たちが生まれたのは、母親(妻)が美しかったからだろう」という推察も、物語を色彩豊かにしており、読後の後味がとても爽やかでした。
苦難の中にいるとき、何が一番の支えになるのか。それは「正論」を吐く友人ではなく、臭いや汚れを厭わずに傍に居続ける人の手当なのだ、という大切なメッセージを受け取ることができました。
素敵な記事を共有してくださり、ありがとうございました。
0 件のコメント:
コメントを投稿