日本基督教団の牧師になるために, 鶴川学院農村伝道神学校に入ったとき, 推薦状を書いてくださったのは, 日本基督教団富士見町教会の牧師をされている鶴川学院理事長の島村亀鶴先生でした.
島村亀鶴先生は, “君はいい牧師になれる. 私の弟子になりなさい” と語りかけてくださいましたが, 農村伝道神学校の校長をされていた高倉徹牧師は, “どこの馬の骨かわからない, 無学歴・無資格 (Academic Outsider)の君を, 私が校長をしているこの神学校の神学生としては受け入れたくはなかった. しかし, 島村亀鶴理事長の推薦状をもってきたので不合格にすることはできなかった. やむを得ず許可したが, 君は私の弟子になることはできない. どこの馬の骨かわからない君を弟子にするのは, 高倉一門の恥になるから・・・”と引導を渡されました.
受け入れてくださる牧師と受け入れを拒否される牧師がいる・・・.
そのときの経験は, 神学校を卒業して, 神奈川教区と西中国教区で, 説教と牧会に従事しているとき, 最初から最後まで, 私につきまとうことになりました.
日本基督教団の教師検定試験を受けるとき, 私の信仰歴が読み上げられたとき試験委員の牧師たちは一斉に驚愕の声を挙げました. 東京神学大学機動隊導入問題をめぐって, 東京神学大学学長を追い出した日本基督教団阿佐ヶ谷東教会の教会員だと知って・・・. “ラディカルな神学生が検定試験を受けに来た・・・” という衝撃が走ったとき, 検定試験の委員のひとり,日本基督教団巣鴨ときわ教会の藤原位憲先生が, “この人は, あなたがたが考えているような人ではありません.この人の奥さんは, 巣鴨ときわ教会で私から洗礼を受けた人です. ふたりとも福音的信仰の持ち主です” と助け舟を出してくれました. 検定試験の委員の方々は, “藤原先生がそういわれるなら・・・” と言って, それ以上, 何の質問もなく,面接試験が終わりました.
神学校にはいるときは, 日本基督教団富士見町教会の島村亀鶴先生が, 牧師になるときは, 日本基督教団巣鴨ときわ教会の藤原位憲先生が私の背中を押して, 無事, 関門を突破することができました.
・どこの馬の骨かわからない
・無学歴・無資格 (Academic Outsider)
この2つの要因を抱えたまま. 私は, 32年間の日本基督教団の牧師としての歩みを終えました.
そして, 東日本大震災, 妻のふるさと・福島の放射能汚染事故のあと, その前から, 教会役員会の了承のもと, 5年後の2013年3月末をもって, 教会の牧師を辞し, 東北福島の妻の実家に帰郷・帰農するということになりました. そのとき, 教会員の方々は, “吉田牧師が元会津藩領地に戻ってコメをつくるというのに, コメのつくりかたひとつ知らないで送り出すのは, 元長州藩領地の百姓の恥だ. 吉田牧師に, 有機・無農薬で,高冷地・寒冷地の棚田の田でコメを栽培する知識と技術を伝授しなければ・・・” といって, 1週間に1度家庭訪問をする都度, 指導を受けることになりました.
木村兄・木村姉・徳永兄・徳永姉・鬼武姉・友森姉・瀬上姉・藤本姉・矢野姉,そして, 教会員ではないのですが, 山口や兵庫のぶどう栽培農家, 山口県北の山郷で自給用に有機・無農薬で米や野菜を栽培している高齢の方々から, 顔見知りになった道の駅や野菜直売所の農家の方々からその知識・技術を伝授されました. 愛知県のクリスチャンの遠入姉からもいろいろ支援を受けました.
柳井市KUBOTAの営業担当者の方から,妻の実家の棚田の4.6反の田畑で有機.無農薬でコメと野菜を栽培するのに必要な農機具を教えていただきました.
播種と育苗法は, 米沢園芸の経営者の方から伝授されました.
春と秋2回6日間妻の実家に帰郷しては, 妻の実家のおとうさんから, 田畑の土壌の質,水環境, 5枚の田と4枚の畑のそれぞれに適したコメの品種や野菜の品種を教えてもらいました.
山口県立大学の公開講座で,学生にまじって,“地域学”の授業を受けることができました.農村的地域社会の高齢化と活性化についても・・・. “講座農を生きる”・“講座日本農民”・“シリーズ地域の再生”も全巻入手・・・.
山口県立田布施農業高校大島分校で情報教育アドバイザーをしていたときは, 鹿児島大学農学部の大学院を出られた教師の方から,高齢地寒冷地の農法を教えていただきました.
2013年4月1日に, 日本基督教団の隠退牧師になり, 東北福島の妻の実家に帰郷・帰農して, いきなり,有機・無農薬でコシヒカリを栽培することができたのは, 妻と私がいろいろな方々, クリスチャンの方々だけでなくほかの方々からも多くの知識と技術を伝授されたためです.
・どこの馬の骨かわからない
・無学歴・無資格 (Academic Outsider)
それにこだわるのは・・・.
日本基督教団西中国教区の牧師をしていた最後の年,60歳になって年金の一部がはいるようになって, 私の先祖の歴史を調べ始めましたが, 手がかりは, 戸籍の除籍簿と, 父から子供の頃聞かされていた, 先祖は代々 “学”という字が入った名前をもっているときかされていたので,信州長野の史資料を読みながら,“学” という字の入った名前をさがしていたところ, 父から聞かされたことがある “祐学” という名前に遭遇しました.そこから,先祖の歴史を手繰り寄せることができるようになりました.
私の祖父・吉田永学の先祖は, 寛永14年(1637年)に創設された信州栗田村の真言宗醍醐派三宝院の系譜を引く世襲の観聖寺の住職・修験僧であることが分かりました.観聖寺の跡地に住み,その宗教遺産を継承しておられる吉田さんから, 観聖寺文書を読む機会を与えられました. その史資料の中に, 観聖寺の住職・修験僧の系譜が書かれているものがありました. その系譜は, なんと,“大日如来” で始まっていました. “大日如来” は,“一神教化した仏教” といわれる “密教” の最高神(太陽神)です. 長野の吉田さんの話しでは, 私や長野の吉田さんは第17世になるそうです. “対日如来”からはじまって “吉田向学”である私のところまでひとつの系譜で綴られている・・・.
・どこの馬の骨かわからない
と言われ, 反論するすべがなかった無学歴・無資格 (Academic Outsider)の私に突然, “由緒” を示す史資料・古文書が提示されたのです.
私は, 中学1年生のとき詩篇付き口語訳新約聖書をよみはじめ,高校1年生のとき口語訳新旧約聖書を読み,高校2年生の3学期,高校の近くにあった Sweden Covenant Missionの教会で聖書を学ぶようになり,高校3年の2学期に宣教師から洗礼を受けました.私の人生をこれまで支えてきた聖書のなかの系図は, ヤハウエではなくアダムから始まっています. 神は神,人は人・・・,その徹底した区別に聖書信仰は立脚しています. 真言宗観聖寺の住職・修験僧の系譜とはまったく異なります.
私はこれからも,
・どこの馬の骨かわからない
・無学歴・無資格 (Academic Outsider)
の生き方を全うすることになります.主なる神さまが私に与えてくださった人生ですから・・・.
ところで, 日本のキリスト者のなかで,由緒正しきキリスト者とはどのようなひとのことをさしているのでしょうか・・・?
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
ご自身の歩みを深く見つめ直された、非常に重厚で読み応えのあるブログ記事ですね。
読ませていただき、まず強く感じたのは、「どこの馬の骨」という言葉の響きが、文章の前後で全く異なる色彩を帯びていく鮮やかさです。
前半では、組織や伝統といった「権威」の側から、人を型に嵌めようとする拒絶の言葉として現れます。高倉校長から投げかけられた厳しい言葉は、当時の吉田様にとって鋭い痛みであったと推察しますが、それを「引導」と表現し、32年間の歩みの通奏低音とされている点に、吉田様の強固な精神の軸を感じました。
印象に残ったポイント
「助け舟」の連鎖 島村先生、藤原先生、そして帰農に際して知識を授けてくれた長州(山口)の門徒の方々。組織の論理ではなく、吉田様という「人」を見て背中を押してくれた人々の存在が、点と点を繋いで線になり、現在の福島での豊かな暮らしに繋がっている様子に胸が熱くなります。
「大日如来」から始まる系図と「アダム」から始まる系図 ここが最もスリリングな展開でした。自らを「無資格」と規定して歩んできた果てに、17代続く由緒ある系図(しかも大日如来にまで遡る!)が突如として現れる。この皮肉とも恩寵とも取れる巡り合わせは、まさに事実は小説よりも奇なりです。
「神は神、人は人」という峻別 ご自身のルーツが仏教的な「神仏と地続きの血統」にあると知りながら、なお「アダム(土)」から始まる、神の前に等しく一人の人間であるという聖書信仰を全うしようとする姿勢に、吉田様の「Academic Outsider」としての矜持が結晶化されていると感じました。
最後の問いかけについて
「日本のキリスト者のなかで,由緒正しきキリスト者とはどのようなひとのことをさしているのでしょうか・・・?」
この問いには、皮肉と深い洞察が込められているように思います。
日本の教会形成の歴史を振り返ると、しばしば「武士の商法」ならぬ「武士の信仰」と称されるように、旧士族層やインテリ層がその草創期を担いました。そのため、どこか「知的なエリート主義」や「家系的な信徒歴」を重んじる空気が、無意識のうちに「由緒」として機能してしまった側面は否定できないかもしれません。
しかし、吉田様がブログの中で示されたように、本当の意味での「由緒」とは、記録された系図の長さではなく、「誰から何を受け継ぎ、誰のためにその手(技術や信仰)を動かしているか」という、生きた関係性の集積にあるのではないでしょうか。
山口の農家の方々から「百姓の恥」と言って伝授された米作りの技術もまた、立派な「聖なる伝承」のように思えてなりません。
福島での田植えの準備(浸種)も進んでいる頃かと思います。4.6反の田んぼと向き合う日々そのものが、どんな組織の証明書よりも雄弁な「吉田様の由緒」を形作っているのだと感じました。
素敵な文章を共有してくださり、ありがとうございました。
0 件のコメント:
コメントを投稿