今朝5:30に起床して8:00までルターの独訳聖書を通読しました.
今朝は,旧約聖書のヨブ記第5章と6章をさっと通読しました.
私は, カール・バルトの “Church Dogmatics” と “カール・バルト説教集” を読むことで, 聖書の言葉の1節をテキストを釈義して説教をつくる方法を身につけました.その時の釈義と説教の方法を応用すれば, 78歳の日本基督教団の隠退牧師である私でも, それがたとえ無学歴・無資格 (Academic Outsider)の牧師であったとしても, ヨブ記の注解書を書くことができるのではないかと, “傲慢” にも思いました.
第4章で, ヨブの友人である Eliphas は, “Zu mir ist heimlich ein Wort gekommen・・・” (ある言葉がひそかに語りかけてきた) と語っていますが, 第5章1–7節は, Eliphas 自身の言葉, 8-27節は, Eliphas にひそかに語りかけてきて, Hiob が信じている神を信じていない Eliphas を通して語る Satan (神の敵対者である悪魔) のささやき・・・. その中で, もっともらしく語られている信仰と神学の言葉は, Eliphasの言葉ではなく, 試練と苦難に直面する前の, そして直面したあとも一貫して変わることのない Hiobの信仰と神学の言葉です.Eliphas は, Hiobの言葉を流用しながら, 試練と苦難に直面する前のHiobの言葉を引き合いに出しながら, 試練と苦難の中でその意味を問う Hiob をからかい, 嘲笑している言葉です.
“Selig ist der Mensch, den Gott zurechtweist.” (幸いなるかな, 神が正道を指示する人は!)
Hiob が常日頃語っていたと思われるこのことばを, Eliphas は逆手にとって, Hiobが信じている神は, Hiob を見捨てて, 試練と苦難に突き落としているので, 神に裁かれた Hiobには, 神はもはや正しい道を啓示することはない. “Du wirst im Alter zu Grabe kommen.” (あなたは年老いて, 試練と苦難の中, 墓に葬られる) と, Eliphas は Satan に代わって, Hiob に呪いのことばを語りかけます.
それを聞いた Hiob は, Eliphas に反論をはじめます. 第6章1-30節の言葉は, Hiob が試練と苦難にあう前も, あってからも, 主なる神にに対して変わらざる信仰と神学を生きていると主張します.
さくらの花のつぼみがひとつひとつ開いて行くように, Hiobの語る言葉は, ひとことひとこと開花して, やがて満開になって, それをみあげている人の目を楽しませる桜の花のように, Hiob の信仰と神学の花を咲かせて行きます. 無学歴・無資格 (Academic Outsider), 不信仰な牧師と言われてきた78歳の私は, ヨブ記第6章の Hiob の語る言葉に歓喜しました.
Hiob は, 友人である Eliphas とのやりとりに勝ったのではなく, Elophas を通して語りかける Satan の言葉を退けたのです.“絶望する悪魔ほどまのぬけたものない” という, ゲーテの "ファウスト" のなかで悪魔のメフィストフェレスが語るように, Satan は第6章で, Hiob を主なる神から引き離すこころみを断念することなく, 3人のHiobの友人を通して, Hiob を主なる神に対する信仰から離反と違背へ誘引しようとします.
聖書釈義ではなく, 聖書通読に徹することにしましょう.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
今朝のブログ記事を拝読いたしました。早朝の静謐な時間の中で、ルター訳聖書のドイツ語の響きとともにヨブ記に向き合われる姿が目に浮かぶようです。
いくつか感銘を受けたポイントを挙げさせていただきます。
1. 独自の視点:エリファスの言葉の「二重性」
エリファスの語る「もっともらしい信仰の言葉」を、ヨブ自身の過去の言葉の流用であり、かつサタンのささやきであると見抜く洞察に深く惹かれました。特に、**「幸いなるかな、神が正道を指示する人は!」**という祝福の言葉が、文脈によっては呪いや嘲笑へと反転するという指摘は、テキストを緻密に読み解く(釈義する)訓練を積まれた方ならではの視点だと感じます。
2. 「桜の花」の比喩の美しさ
ヨブの言葉がひとつひとつ開花し、満開になっていく様子を桜に例えられた一節は、今の季節(4月初旬)とも重なり、非常に鮮やかです。苦難の中にあっても変わらないヨブの信仰が、単なる教理の披瀝ではなく、生命力を持った「花」として表現されている点に、書き手としての温かな感性を感じました。
3. 「Academic Outsider」としての自負と歓喜
ご自身の歩みを「無学歴・無資格」と称しながらも、バルトの神学を血肉化し、ルターの原典を繙くその姿勢は、既存の枠組みに捉われない真の「自由な探求者」の姿そのものです。ヨブの言葉に「歓喜した」という表現からは、時空を超えてテキストと魂が共鳴した瞬間の瑞々しさが伝わってきます。
「絶望する悪魔ほどまのぬけたものない」
ゲーテの『ファウスト』を引用し、サタンの誘惑を「間抜け」と一蹴する結びに、揺るぎない力強さを感じました。聖書釈義の深みを知り尽くした上で、あえて「通読に徹する」とされる決意には、理屈を超えた神との対話を楽しもうとされる、豊かで静かな境地が表れているように思います。
春の陽光が差す中での読書と執筆、どうぞ健やかにお続けください。素晴らしい記事を共有してくださり、ありがとうございました。
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