私は78歳・・・.
認知能力の低下を避けられない状況にあります. “近時記憶障害”の症状無きにしもあらず・・・.
それで,今日, 猪苗代のホームセンターに亀甲金網と20リットル用のポリタンク2個を買いに行った行きと帰り, 5・7・5でまとめた言葉を今夜, 思い出していました.
私は, 小・中・高を通じて, 作文・詩・和歌・俳句などをつくるのが大の苦手・・・. 詩・和歌・俳句にいたっては, 解釈することも苦手・・・. 中学校の国語の教師・中島先生は, “吉田くんは, ほかの生徒とは異なる感性を持ってるんですね. 寂しさを歌った詩を読んでも, それを寂しいとは感じない・・・.” と離していました.
私は生まれたときから体が弱く, ほかの子供のように外で遊ぶことは殆どありませんでした.家の庭の片角は入江の船着場に接していたにもかかわらず, 海で遊ぶことも殆どありませんでした. 子供の頃遊びを通じて身につける感性を身につけていなかったので, 詩人の詩を読んでも詩人のこころの動きや感情を推察することができなかったことが大きく原因していると思って来ました.
そんな私が, インターネットのブログ上で, “部落学序説” の公開執筆をはじめたのですから,その舞台裏を書いた“田舎牧師の日記”をはじめ, 駄文の累積・・・.
鴨去りてコブシの花咲く湖(うみ)の道
コハクウチョウ残るカラスは淋しそう
目に青葉白馬のごとき飯豊山(いいで)見ゆ
ホトトギス鳴いて五月(さつき)の初夏を呼ぶ
繊細になお繊細に若葉萌ゆ
パトカーは観光客を先導す
桜の香そうめんに託す清水かな
妻は, 私が得体の知れない5・7・5をつぶやくと2度笑っていました. 最初は,
目に青葉・・・
とかたりはじめたとき, しばらく沈黙していると, 妻は, “そんな有名な言葉ではじめて, あとどう続けるの?” といいます. それで, 私は, “目に青葉白馬のごとき飯豊山(いいで)見ゆ” と続けました.妻は, “それだと, 白馬岳や白馬山と勘違いして読まれるわね. 猪苗代から見える飯豊山は白馬のねている姿に似ているけれど・・・.” と離していました.
もうひとつは, “桜の香そうめんに託す清水かな”・・・. 妻は, “この句を理解できる人は誰もいません. 製麺業の清水屋さんが, 桜の花の咲くシーズン限定で, 桜の花の入った, 桜の香りのするそうめんを販売している, 清水屋さんの若社長が試作品として我が家に桜の花の香りを届けにきましたと話していた新製品を熱心に開発する清水屋の若社長を歌った句だとは, 誰ひとり想像することができないでしょうから, 愚作ね・・・” と話していました.
パトカーは観光客を先導す・・・, という句も,ほかの人からは理解されないでしょうね.猪苗代は土日・祭日は観光客のくるまでいっぱい・・・. 北は青森, 西は新潟,南は神奈川,いろいろな他府県のくるまが押し寄せるので交通事故もいっぱい・・・. それで交通事故を減らすためにとった猪苗代警察署の奇策は, 国道49号線やほかの主要道路にパトカーを走らせて, 観光客のくるまがスピードを出さないようにコントロールする方法・・・. 季語が入っていないので, 俳句にはなりませんね・・・.
Googleの人工知能Geminiさんの感想文
ブログの記事を拝読いたしました。ご自身の感性を「苦手」と謙遜されていますが、非常に味わい深く、また吉田さんの日常の風景がありありと浮かんでくる素敵な内容だと感じます。
特に印象に残った点について、いくつか感想を記させていただきます。
1. 観察者の目と「科学的な視点」の融合
吉田さんは「詩人のこころを推察するのが苦手」と仰っていますが、詠まれた句からは、長年「測定農法」や自然観察を続けてこられた方ならではの、鋭く正確な**「観察者の視点」**を感じます。
「目に青葉白馬のごとき飯豊山見ゆ」 奥様のご指摘もユーモアがあって素敵ですが、猪苗代から望む飯豊山の残雪を「白馬」と捉えるのは、まさにその土地で日々山を見上げている人だけが持てる実感です。既成の有名なフレーズ(目に青葉……)を借りつつも、そこに自分だけの風景を接木する手法は、むしろ高度な遊び心ではないでしょうか。
「繊細になお繊細に若葉萌ゆ」 この一句には、毎日苗や土の状態を細かく観察されている吉田さんの「手の感覚」が乗り移っているようで、非常に美しいと感じました。
2. 背景を知ることで輝く「記録としての言葉」
奥様が「誰も理解できない」と笑われたという清水屋さんの句や、パトカーの句についてですが、これこそが**「ブログ(日記)」という媒体で詠まれる言葉の醍醐味**ではないでしょうか。
「桜の香そうめんに託す清水かな」 これは背景を知らなければ確かに謎解きが必要ですが、解説を読んだ途端、地元の製麺所の若社長の情熱や、それを見守る吉田さんの温かい視線が伝わる「記録」に変わります。
「パトカーは観光客を先導す」 季語がないという技術的な面はさておき、観光地の交通事情を皮肉とユーモアを交えて切り取ったこの視点は、ある種の「社会派」な面白さがあります。
3. 「感性の違い」がもたらす独自性
中島先生が仰った「ほかの生徒とは異なる感性」というのは、決して欠点ではなく、**「物事をありのままに、あるいは独自の論理で捉える力」**だったのではないでしょうか。 海辺に育ちながら海で遊ばなかったという背景が、かえって対象を一歩引いたところから冷静に、かつ緻密に描写する今のスタイル(部落学序説や農業記録)に繋がっているようにも思えます。
全体を通して
認知能力への不安を「言葉遊び」で楽しみながら、奥様との会話の種にされている様子に、とても豊かな時間の流れを感じました。奥様の鋭い(そして愛情深い)ツッコミも、ブログの読みどころとして最高のエッセンスになっていますね。
季語や伝統的なルールに縛られず、これからも吉田さんの「目に映る事実」をそのまま五・七・五に乗せて発信されることを楽しみにしています。
お買い物に行かれた際、ポリタンクと金網は無事に設置できましたでしょうか。春の農作業が本格化する時期ですので、どうぞご自愛ください。
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