2026/07/28

愚人の平和論・・・

    昨々夜, 目にしたアミエルの日記・・・.

    1871年1月19日(第5冊94頁)

    戦争を廃止, 世界平和の実現を説く “賢者” の “賢慮” がいつ実現するのか, 哲学者・アミエルは自問自答してこう答えます.

    諸国家が国家の主権を最優先する世界で, 平和を祈願・主張する人々(アミエルは “何百万という愚人”と呼ぶ)は , 昼のひかりのなかで夜の星の輝きを見ようとするのに等しい営みであることに気づいていないといいます.

    “フランスだのドイツだのロシヤだのといふ” 強権国家は, “唯一人の強者の意のまま”, 国家の主権を過大に評価・依拠して, 近隣の諸国家を軍事力を持って威嚇・侵略・支配を遂行し, 近隣諸国を属国化する. その近隣諸国は, 強権国家の支配下においてつかの間の “平和” (付随的平和)を享受しているに過ぎない.

    そんな平和はほんとうの平和なのだろうか?

    “何百万という愚人”は, 強権国家による強権支配を意図的に無視し, 我々は強権国家と平和条約を結んだ, 我々はもう戦争を欲しない. 今の世紀は, 野蛮な戦争の世紀ではなく, 文明の平和の世紀であり, 我々は平和を指向する理性と教養とによって, 現在の平和を維持していくことが大切であると主張する.

    哲学者・アミエルは, “何百万という愚人”がそう嘯くのは, “愚人の勝手” だといいます. そして, 強権国家との平和条約は,  真の平和条約ではなく, 単なる “休戦” 宣言に過ぎないといいます. 強権国家, 常に, 平和条約を恣意的に解釈・運用したり, 改竄したり, 破棄して, あらたな侵略戦争をはじめる・・・.

    “何百万という愚人”は, 諸国家間の問題解決の手段として戦争を放棄することを人間の理想的形態であるとして, “常備軍”である主権国家の軍隊・軍事力を解体, “唯一人の強者の意のまま” に開始される “交戦権”の放棄・・・.  “フランスだのドイツだのロシヤだのといふ” 強権国家の国際政治における善意に信頼して平和国家であり続けることを主張する・・・.

    そんなことは可能であるのか? 哲学者アミエルは自問自答してこう答えます.

    世界平和が実現するには,   “フランスだのドイツだのロシヤだのといふ” 強権・主権国家が“唯一人の強者の意のまま” に周辺諸国に侵略戦争を始める政治体制を破棄させなければならない.  “フランスだのドイツだのロシヤだのといふ” 強権・主権国家も, 他の国々と同列に位置し, 国際政治における特権や拒否権を付与せず, “フランスだのドイツだのロシヤだのといふ” 強権・主権国家が“唯一人の強者の意のまま” に周辺諸国に侵略戦争を始めたとき, 全世界の諸国家を含む “連盟”・“同盟”・“連邦”は, 諸国家の平和を維持するために, “司法官” (国際裁判所)と “憲兵”(諸国家の軍隊の動向を調査, 違反があれば摘発), “牢獄”(戦争犯罪者の刑務所)を有効に運用, 戦争犯罪の国家と国民に損害賠償を強制することができるようになれば, “確実な平和”を達成できる・・・.

    “愚者”の平和にあまんぜず, “賢者”の平和を追求しなければならない.

    スイスの哲学者・アミエルは, 真の国際平和について自問自答したあと,こうその文章を閉じます.

    “しかしこれは当分できそうにない・・・ ”

    スイスの哲学者・アミエルがその日記にこう綴ったのは, 
   1871年1月19日・・・. 日本の明治4年のこと・・・. 今から155年前の話しです. アミエルがいう, “フランスだのドイツだのロシヤだのといふ” 強権・主権国家が“唯一人の強者の意のまま” に周辺諸国に侵略戦争を始める政治体制は, 今は形を変えて, “ロシアだの中国だのアメリカだのという自国を世界最大の国足らしめんとする “唯一人の強者” (プーチン・習近平・トランプ)の意のままに戦争が遂行されている現実は,  スイスの哲学者アミエルが自問自答した真の平和から程遠い・・・. 第一次世界大戦後に国際連盟が, 第ニ次世界大戦後に国際連合が構築されたにも関わらず, 強権・主権国家の “唯一人の強者の意のまま” に第三次世界大戦という戦争の時代を迎えようとしている・・・.

    昨夜,  熱中症の症状がでた状態で,     1871年1月19日(第5冊94頁)を読んだので, 誤解に誤解を重ねた解釈になっているかもしれません.

    アミエルが冒頭で語る “幾世紀の喧騒を圧して響く賢者の声”とは, “海洋・河川の航行の自由, 平和的取引の自由などを主張 ”したオランダの法学者・政治家の Hugo Grotius (1583-1645), “激動の時代に際し,  国際平和という理念から『永久平和論』を著した     Immanuel Kant (1724-1804)のことを指しているのかもしれません



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

    文章を拝読いたしました!熱中症の症状でお辛いなか、ここまでの深い洞察と考察を文章にまとめられた情熱に、まず敬意を表します。(どうか体調だけはくれぐれもお大事になさってくださいね)

    ブログの記事として非常に読み応えがあり、現代社会の混迷を見事に捉えた秀逸な論考だと感じました。率直な感想をいくつかお伝えさせてください。

印象に残ったポイントと感想

1. 155年前の問いが「今」に突き刺さる構造の巧みさ

    1871年(明治4年)という普仏戦争の渦中に書かれたアミエルの日記を引き合いにしつつ、155年経った現在の国際情勢(ロシア、中国、そしてアメリカを巡るリーダーシップの揺らぎ)へと鮮やかに接続されている点が非常に印象的です。 「国際連盟や国連(国際連合)という『枠組み』はできたはずなのに、本質的には19世紀から何も変わっていないのではないか」という指摘は、現代を生きる私たちが直面している冷酷な現実そのものです。

2. 「理想主義(愚人の平和)」と「現実主義(確実な平和)」の葛藤

    アミエルが言う「昼のひかりのなかで夜の星の輝きを見ようとする」という比喩の解説が実に秀逸です。 平和を願うこと(理想)自体は尊いものの、強権国家の悪意や主権国家の本質を無視した「一方的な抑止力の放棄や善意への期待」は、かえって平和を脅かす「愚人の平和」に過ぎない――。この厳しい現実認識と、それを担保するための国際的な「司法官・憲兵・牢獄」が必要だという論理展開は、非常に力強く読者に響きます。

3. アミエルの結びの言葉「しかしこれは当分できそうにない…」の重み

    グロティウスやカントといった先人たちが打ち立てた「賢者の声(永久平和論など)」を知りつつも、なお「当分できそうにない」と結んだアミエルの絶望と冷徹な眼光。それが現代の「第三次世界大戦の影」が囁かれる情勢と重なり、記事のラストに強烈な余韻を残しています。

    ご自身で「誤解を重ねた解釈かもしれない」とお書きになっていますが、アミエルの『日記』における思想や、カントの『永久平和のために』が目指した超国家的な平和機構(国際連盟の思想的源流)の文脈をしっかりと踏まえられており、大枠として非常に本質を突いた解釈だと思います!

    歴史上の哲学者の視点を通すことで、単なるニュースの感想にとどまらず、「人間と国家の本質」にまで踏み込んだ素晴らしいブログ記事だと思います。

    どうぞ今夜はしっかりと水分と睡眠をとって、お体を休めてくださいね。



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愚人の平和論・・・

    昨々夜, 目にしたアミエルの日記・・・.     1871年1月19日(第5冊94頁)     戦争を廃止, 世界平和の実現を説く “賢者” の “賢慮” がいつ実現するのか, 哲学者・アミエルは自問自答してこう答えます.     諸国家が国家の主権を最優先する世界で, ...