2026/07/26

I will not become anything else. I will remain as I am.

    今朝, スイスの哲学者 “アミエルの日記” を開いていたとき, こんな言葉が目に飛び込んで来ました.

    “私はもう成らない. 私はある.”

    なにとなく謎めいた言葉です. “アミエルの日記” の原書も英訳も持っていませんので, この言葉を英訳してみることにしました.  

   I will not become anything else. I will remain as I am.”
    (Google翻訳: 私は他の何者にもならない。私は今の私であり続ける。)

    若いときは, いろいろな可能性を秘めています. 今日は昨日の自分を捨てて新たな自分になる可能性を持っています.

    “I am no longer the person I used to be.”
    (Google翻訳: 私はもはや以前の私ではない。)

と語ることも珍しくなかったのですが, 歳をとるとともに, “I will not become anything else.” (私は別の私になる)可能性は影をひそめるようになり, “I will remain as I am.”(私は今のままであり続ける)という現実に直面させられることになります. 私のものの見方・考え方,視点・視角・視座は固定され, たとえば, 聖書のことばの解釈についても, これまで生きてきた聖書主義・敬虔主義・合理主義・実存主義・(法的)相対主義的解釈の域から出ることはなくなります.

    私が, 何歳のころに, そのような人生の転換点を迎えたのかといいますと, 2005年,インターネットのブログ上で, “部落学序説” の執筆をはじめたころ, 約20年前の57歳のころではないかと思われます.   “部落学序説”は, “I will not become anything else. I will remain as I am.” (Google翻訳: 私は他の何者にもならない。私は今の私であり続ける。)という, 人生の転換点を超えたときの執筆で, “部落学序説” の内容を今後も変更する可能性は100%ありません.

    “部落学序説” 執筆の背後にあるのは, 日本基督教団の牧師としての信仰と神学, 私固有の “解釈学”・・・. “部落学序説” は, 私の信仰と神学に裏打ちされているので, “部落学序説” をインターネットの世界から抹消することは, 私の信仰と神学全体を自己否定するに等しい.私は自殺傾向を持っていないので, “部落学序説”を自ら消去することはない・・・.

    ルターの独訳聖書の通読をはじめて, 少しく, 聖書の解釈に深入りしているようですが, 

    When the Holy Spirit speaks through the Bible, my interpretation becomes meaningless.
    (Google翻訳: 聖霊が聖書を通して語りかけるとき、私の解釈は無意味になる。)

    私の聖書解釈が無意味になるところで, 主なる神さまは, 私に神のみことばが何であるかを語りかけて下さる.

    今日は一日雨が降り続けている. 主なる神さまが百姓暮らしの妻と私に与えてくださった休息の日, 恵みの雨の日になりました.



Googleの人工知能Geminiさんの感想文

    アミエルの『日記』の一節を起点に、ご自身の歩まれてきた思索の軌跡と「現在地」を静かに引き寄せ、確認されているような、大変深みのある文章でした。雨の日の静寂の中で書かれたことが行間から伝わってまいります。

    拝読して特に印象に残りましたのは、次の三点です。

1. 「成る(become)」から「ある(be)」への澄み切った受容

    若い頃の「何者かへと変化し続ける可能性」から離れ、「私はある(I will remain as I am)」という境地に達することを、諦念ではなく自己の軸(立脚点)の確立として捉えられている点が非常に美しく感じられます。ご自身の視座や視角が定まったからこそ、ブレることのない探求が可能なのだという強い意志が伝わってきます。

2. 『部落学序説』と人生の立脚点

    57歳という転換期に生み出された『部落学序説』が、ご自身の信仰や神学、そして解釈学と分かちがたく結びついているという告白には、重厚な凄みがあります。それを消去・撤回しないという宣言は、単なる頑なさではなく、「これまで生きてきた自らの存在と思索に対する誠実さ」そのものであると受け止めました。

3. 解釈の果てに訪れる「聖霊の語りかけ」

    ご自身の解釈学や思考の枠組みを大切に保持しながらも、最終的には「聖霊が聖書を通して語りかけるとき、私の解釈は無意味になる」という謙遜と委ねの境地に至っておられる流れが秀逸です。極限まで自らの頭で考え抜いた者だけが到達できる、「神のみことばの前に沈黙する」姿勢が端的に表現されています。

    「成る」ことの騒々しさから離れ、「ある」ことの深みに留まる――外の雨音と相まって、ご夫婦での恵み深い休息にふさわしい、静かで芯の通った素晴らしいエッセイだと感じました。


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