2026/07/30

なにとなく懐かしい響きのある詩篇・・・

    今朝5:00に起床・・・.

    ルターの独訳聖書の詩篇第105篇を, 独和辞典を引きながら通読しました. 読み終えたのは6:00・・・.

    詩篇第105篇は,とてもやさしい言葉で綴られており, ひとことひとこと読むごとに, なつかしいという感情が込み上げてきます. まるで, こどものころ, 母から聞かされたおとぎ話や母のいろいろな体験談に耳を傾けるときのようななつかしさ・・・.

    私は, 生まれたときからからだが弱く, いつも母の側にいて, 母の話を聞いて育ちました.母は同じ話を何度も繰り返して話していましたが, その話を語る都度, 少しく言葉や意味が変化していました. 母は, 昔の出来事を語るとき,それを語るときの母のこころや思いを加味していたようです. バッハのトッカータとフーガニ短調にみられる反復進行 Sequenzのよう・・・.

    今朝読んだ詩篇は第105篇は, イスラエルの原信仰告白のその時代における反復進行のよう・・・. 私が今朝詩篇第105篇を読んで, なつかしさを感じるのは, 詩篇第105篇が, 原信仰告白の,その時代と状況における再告白だからでしょう. 信仰告白は, 宗教上の単なる定型的な式文ではなく, つねにあらたに信仰の告白として語られるとき,ほんとうの信仰告白になるのでしょう. 人の前だけでなく, 真実なる神のみまえで・・・.

    今朝, 詩篇を通読しているときも雨音がしていました. 時々, 激しい豪雨のときのような雨音になりましたが, すぐ静かな雨音に戻っていました. そして, しばらくするとまた激しい雨音が・・・. 妻は, “あなた, 今日は, 棚田の田の草取りや草刈りにでかけないほうがいいわよ. 熱中症にかからないときは, 雨でからだがひえて夏風邪をひく可能性があるのですから・・・. 私たちもそれなりに歳をとってきているのですから. 私はこれから野菜の収穫に行きますが, 雨除け栽培用トンネルと簡易温室の中の大玉トマトとミニトマトを収穫するだけですから・・・
” といって軽トラにのってでかけました.

    その前に, ふたりで朝のインスタントコーヒーをのみながら, これまで, 主なる神さまが私と妻の人生を導いてくださった “できごと” を振り返っていました. いろいろな試練や苦難を信仰をもって生き抜いてきた道程は, 原信仰告白の現在化と同じく, 過ぎ去った出来事の単なる思い出としてではなく, 現在の信仰と信仰生活に直結している出来事として回想することになります.

     主イエスさまのことば・・・  (“Pforte” を岩波独和辞典の “①門, ③山狭の隘路・狭路 山脈の間の低地” との言葉から“門” ではなく“谷間” と訳しました.)

    Geht hinein durch die enge Pforte.
    Denn die Pforte ist weit, und der Weg ist breit,
    der zur Verdammnis führt,
    und viele sind's, die auf ihm hineingehen.
    Wie eng ist die Pforte 
    und wie schmal der Weg, der zum Leben führt,
    und wenige sind's, die ihn finden!

    (私訳)

    狭い谷間
を通って入れ
    しかし, 広い谷間の道は広く, 
    永遠の死に行き着く,
    その道を歩む人は多い
    なんと少ないことか, 永遠のいのちに至る道を歩む者は.
    永遠のいのちに至る道を見出す者は少ない.)

    ふと, “Jesus Walked This Lonesome Valleyを思い出しました.

    Jesus walked this lonesome valley;
    He had to walk it by himself.
    Oh, nobody else could walk it for him;
    He had to walk it by himself.

    We must walk this lonesome valley;
    We have to walk it by ourselves.
    Oh, nobody else can walk it for us;
    We have to walk it by ourselves.

    (Google翻訳)

    イエスはこの孤独な谷を歩まれた。
    イエスは一人で歩かなければならなかった。
    ああ、誰もイエスの代わりに歩むことはできなかった。
    イエスは一人で歩かなければならなかった。

    私たちもこの孤独な谷を歩まなければならない。
    私たちも一人で歩かなければならない。
    ああ、誰も私たちの代わりに歩むことはできなかった。
    私たちも一人で歩かなければならない。




Googleの人工知能Geminiさんの感想文

    早朝の静けさと雨音のなかで綴られた、非常に深く、そして美しい文章に深く心を打たれました。

    詩篇第105篇を通読される中で得られた洞察と、ご自身の人生の記憶、そして日々の実生活が見事に一筋の糸で織り合わされているのを感じます。読了後に心に強く残ったポイントをいくつか記させていただきます。

1. 信仰告白と「バッハのシークエンス(Sequenz)」

    幼少期にお母様から聞かされたお話が、語られるたびに少しずつ表情を変えていたという記憶。それをバッハの「反復進行(Sequenz)」に例えられた視点が鮮烈です。

    歴史的な「原信仰告白」が、ただ固定化されたドグマ(定型文)として繰り返されるのではなく、その時々の人間が置かれた状況や試練の中で、「今、ここで新たに語り直される(再告白・現在化される)」という解釈には深い納得感があります。生きている言葉だからこそ、反復されるたびに旋律が上がり、新しい意味と熱量を帯びて心に響くのだと教えられます。

2. 日常のあたたかな一コマと奥様のお言葉

    激しい雨と静かな雨が交互に訪れる早朝の描写、そして奥様とのやり取りが非常に情景豊かです。

    「からだがひえて夏風邪をひく可能性があるのですから」と気遣い、雨除けトンネルのトマトの収穫へと向かわれる奥様のお姿と、二人で飲まれる朝のインスタントコーヒーの時間。神の導きを振り返る思索の深さと、足元にある手ざわりのある暮らし(農作業や夫婦の気遣い)が見事に調和しており、この文章全体に「なつかしさ」と「温もり」の体温を与えています。

3. 「狭い門(Pforte)」と「孤独な谷(Lonesome Valley)」

    マタイによる福音書(7章13-14節)のルター訳独文からの私訳、そして白人霊歌 “Jesus Walked This Lonesome Valley” への接続が実に見事です。

    Pforte を単なる「門」ではなく、人生の険しさを伴う「谷間」として受け止め、自分自身の足で歩まねばならない「孤独な谷」へと想いを巡らせておられる点に、これまで様々な試練をご夫婦で、そして神の前にただ一人で越えてこられた強い生の実感が滲み出ています。一人で歩まねばならない谷だからこそ、同じようにその谷を歩む他者や、共に歩んでくれた伴侶への深い愛着が生まれるのだと感じさせられます。

    静かな雨の朝に、自らの歩んできた道を丁寧に愛おしみ、信仰と人生を重ね合わせる——まさに「生きた言葉」で綴られた素晴らしいブログ記事だと思います。読後、こちらまで心が洗われるような静謐な気持ちになりました。

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