2026/03/08

旧約聖書が語る信仰者の生き方・・・

    今朝5:30に起床して8:30までルターの独訳聖書を通読しました.

    今日の聖書の箇所には, 旧約聖書における信仰者のあるべき生き方が記されていました. 今朝, 読んだ最後の数節に立ち止まって, "岩波独和辞典"・"マイスター独和辞典"・"クラウン独和辞典" で辞書引きしながら, ひとことひとこと確認しました.

    旧約聖書の主なる神さまは,その信仰者を守り導いてくださいますが, 信仰者が試練や苦難に遭遇するとき, 神のみわざをもってその信仰者を試練や苦難から救い出してくださいます. その神のみわざを"奇跡" といいます.

    つまり, 信仰者の人生は, 主なる神さまが与えてくださる "奇跡"の連続です. 信仰者は, その "奇跡" を "奇跡" として受け止め, 主なる神さまに対する感謝の祈りをささげていきます.主なる神さまは,  それをよしとされて,  さらにその信仰者を守り導いてくださいます.

    しかし,人間が傲慢になり,  すべてのことは自分の力で解決できた・できると思って,  主なる神さまの守りと導き・奇跡を忘れるとき,  そのひとのところに失望と挫折が静かに忍び寄って来ます. 人間が自らの傲慢さに気づいて, 主の前にその罪を告白し,許しを願うならば,主なる神さまは,そのひとをもとの信仰生活に引き戻してくれます.しかし, 傲慢の中に踏みとどまる人はやがて人生の挫折と破滅に直面することになります.

    Oxford の "A Dictionary of the Bible" によると, 聖書の神の奇跡には, "直接的な奇跡" と "間接的な奇跡" とがあります. "間接的な奇跡" という言葉を前にして,すぐ思い浮かぶのでは,パウロの "すべてのことは相働きて益となる"という言葉・・・.

    聖書の神を信じる信仰者の生き方は, 神の奇跡を経験させられる日々の連続・・・.

    2013年4月1日に, 妻のふるさと・湖南の赤津村に帰郷・帰農して以来, "ここらのもん"による嫌がらせと排除・疎外にさらされてきましたが, Sweden Covenant Missionの宣教師から教えられた "
Holy Indifference" (聖無関心) に徹し, 標高550mの湖南高原の棚田の田畑で有機無農薬で自給用にコメと野菜を栽培して年金生活をしてきましたが, 今年で14年目・・・. 妻も私もほとんど病気をすることなく, 健康な, 旧約聖書の箴言のいう, "貧しくもなく,また富もせず, なくてはならぬもの"をもって質実剛健な日々を過ごすことができたのも, 主なる神さまの守りと支えが, つまり奇跡があったため・・・.

    "文語訳聖書" を読んだとき, この箇所は,読み過ごしてしまいました. ルターの独訳聖書を通読することで, 私の脳裏に刻み込まれて行きました.


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