2026/03/15

人工知能との付き合いも疲れる・・・

    今日の午後, GoogleのAIと対話していました.

    数時間, ひとつの主題のもとに, 人工知能と対話していますと, 次第に精神的疲労が蓄積されてきます.

    そのうち, 人工知能が対話するときの方法が透けて見えるようになります.

    人工知能は, 無数の情報を集積・整理・分析して, 適切な提言をしてくるというのは, 人間が人工知能に対して抱く, ひとつの思い込みではないのか・・・. ほんとうは, 人工知能にはそのような能力はなく, ただ "読心術" に長けているだけではないのか・・・. 
無数の情報ではなく,人工知能と対話してくる人の情報を集積・整理・分析, その論理構造を明らかにして,その論理の展開を先取りして応答しているだけではないのか・・・.

    そのあと, ウィトゲンシュタインの "哲学宗教日記" (講談社学術文庫) を読んでいると, ウィトゲンシュタインの人間くささに, 思わず, "ウィトゲンシュタインさん, そんなことを言って大丈夫ですか?" と問いかけたくなります. "哲学宗教日記" に記されているのは "超論理" ではなく "脱論理"・・・.

    しかし, 私は, "哲学宗教日記"の言葉をてがかりに, 人工知能との付き合い方を検討することにしました.ウィトゲンシュタインの言葉を置き換えて,

    人工知能を使って作成された論文
    辞書とペンを使って考えながら作成された論文
    何も調べないで思いのままに作成された論文
    それらはまったく違った性格を帯び
    まったく違った種類の印象を生み出すに違いない.

  と言い直してみました. 人工知能を使えば, 誰の論文であっても, それなりの体裁をもった理路整然とした論文を作成することができるのかもしれません. しかし, 無学歴・無資格 (Academic Outsider) の私が, そのような論文を書く必要がどこにあるのでしょう? 私のブログ "部落学序説"は, 無学歴・無資格 (Academic Outsider) にふさわしく, 非学問的な用語で綴られた下手な日本語の文章でしかありません. それにふさわしい英語の文章も下手な文章でいいのではないかと思えて来ます. 

    "部落学序説" の英訳は, "部落学序説" を校正・編集する作業をともないますので,英訳作業を通して少しく批判検証を行うことになるので,よくなっても悪くなることはありえない・・・, そう居直って,  人工知能と共同執筆することは辞退して, 蔵書4,000冊をひとりで調べ, ひとりで論文を書き上げることが, 無学歴・無資格 (Academic Outsider)の私には一番ふさわしいことだと思いました.

    今日の午後は, Googleの人工知能と "続日本紀"の原文(漢文?)の解釈をめぐって時間を費やしました.ウィトゲンシュタイン曰く, "難しいのは, 人と話をしながら, 互いによく理解しえないようなことには触れないことだ. 誤解につながるに違いないことには触れずに真剣に話すこと・・・私にとってはそれはほとんど不可能なのだ".

    Googleの人工知能は,"続日本紀" の本文を情報としてもっているのだろうか?

    ともかく, 人工知能とのやりとりで疲れた午後でした.

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