2026/03/06

光は, どこから, どこにさしてきているのか・・・

    昨夜, 私が集めた部落史・部落差別問題の基本文献の読み直しを始めました.

    私が最初に手にしたのは, 日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていた時,知り合った京都大学大学院出身の日本文化史の研究者の方から, 1960年代後半から1970年代前半に山口県下松市の教育長をされていた方が収集した部落史・部落差別問題・同和教育・同和行政に関する史資料と部落問題研究所が復刻再販した雑誌 "部落" 全巻の提供を受けました.一度目を通したことがあるのですが,  再読して, 関連用語の抽出と単語の英訳をすることにしました.

    その1949年2月の第1巻の"創刊のことば"

    "
光は, どこから, どこにさしてきているのか・・・
    部落というものは, 一体何なのか・・・
    凡そ人間の社会に, 神秘として残るものはあり得ない・・・
    社会科学の眼は, その叡智を以て,社会関係の織り出す一切の秘密を, 人間の前にあばき出す."

    戦後の部落史研究の学者・研究者・教育者・運動家たちの希望に満ちた宣言です

    それが, 部落解放運動の進展にともなって, 希望は失望へと色褪せ, 被差別部落の人々が差別されるようになった "秘密"を "あばき", 白昼のもとにさらしてそれを無化することを断念, 歴史の真実が宿る "秘密" を触れてはならない禁忌として遠ざけ, それを不用意に調べたり言及したりするものを"差別者"として徹底的に糾弾・排除し, "被差別部落の人々は賤民の末裔である"とする, 左翼主義思想の差別思想である "賎民史観"の普及, 思想統制に邁進するようになったのは, 考えてみれば極めて不思議な現象です.    

    "
光は, どこから, どこにさしてきているのか・・・"

    部落史や部落差別問題の学者・研究者・教育者・運動家が答えを出すことを放棄したその問の前に, 無学歴・無資格 (Academic Outsider) の部落史や部落差別問題の門外漢である日本基督教団の現役牧師であった私が, "実践神学事例" として, 2005年にインターネット上で公開執筆した "部落学序説" を英訳して英語圏の人々に,  被差別部落の人々が差別されるようになった "秘密"を "あばき", 白昼のもとにさらけだして無効化し, 部落差別完全解消への提言をつたえることはあながち間違いではない
でしょう.

    1980年に出された師岡佑行著 "戦後部落解放論争史 第1巻" のまえがきで,執筆当時においても, "解放理論についての包括的な歴史研究が一つとして存在しないという現状では, すべてを闇から闇へ葬るに等しいことなろう" と嘆いています. 彼は, 自死を以て, 彼の研究の筆を断つことになりました. "従来のように歴史学に偏重したやり方ではなく, 社会学, 文化人類学, 民俗学, 宗教学, あるいは文学など, 文化諸学による多角的なアプローチとその総合による認識が必要である" との遺言的提言を残したまま・・・.

    部落史研究のと・・・.

    私のブログ "部落学序説"の読者のひとりであった部落解放同盟支部の田所蛙司さんが雑誌 "部落"全巻の通読をはじめられたことを知って,"部落学序説"の著者である私と共同研究することを求めたところ, 田所蛙司さんからあっさり一蹴されました. 彼は, 雑誌 "部落"を懐古の対象にしているのと違って, 吉田向学は批判検証の対象にしていると・・・.

    
"戦後部落解放論争史" の著者・師岡佑行さんは, "差別事件や部落の状態をとりあげるなかで, 論争そのものを検証するという叙述の形式" を採用したといいます. つまり, 部落史・部落差別問題の学者・研究者・教育者・運動家の研究法・研究姿勢を批判検証の対象にすると・・・. "部落学序説"の著者である私の方向性と軌を一にしています. 部落史研究のプロの師岡佑行としろうとの私の違いはありますが・・・.


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光は, どこから, どこにさしてきているのか・・・

    昨夜, 私が集めた部落史・部落差別問題の基本文献の読み直しを始めました.     私が最初に手にしたのは, 日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていた時,知り合った京都大学大学院出身の日本文化史の研究者の方から, 1960年代後半から1970年代前半に山口...