農村的地域社会で生きるのは,それほど簡単なことではありません.
"ここらのもん" と "よそもん" の違いは, 歴然と存在しているからです. 郡山市湖南町は, 五ヶ村から構成されていますが, それぞれ,"ここらのもん" と "よそもん" の呼称が異なるようです. "よそもん" の私は, その呼称を寡聞にしてしりませんが,湖南の歴史資料・郷土史資料を紐解いていますと, 少しずつ, その呼称がわかって来ます.
ただ, 今の湖南の住人は,郷土の歴史を軽んじる傾向があり, どんどんその歴史を忘れていく傾向にありますので, 史資料をもとに話をしてもほとんど通じません.
そんな農村的地域社会の中で棲息するようになって今年で13年目・・・. 13年目もあと3ヶ月で終わり14年目に入ります. 妻と私のこの13年間の生き方は,
"沈まないで, 浮いた生き方"
農村的地域社会のなかにどっぷりつかりますと, そのしがらみのなかを生きて行かざるを得なくなくります. なんらかの収入を得ようとしますと, 経済的隷属関係が生じます. 自分の息子や娘が湖南の子女と結婚しようとすると,今度は親族・姻族の隷属関係が生じます.
妻と私は, 妻の実家のおとうさんが残してくれた家・土地・田畑・山林で,有機無農薬でコメと野菜を自給用に栽培しながら, 年金暮らしをしているので,農村的地域社会の経済的隷属関係にうずもれることも, 福島県の職員をしていた娘は, 福島県の職員の方と結婚しましたので,湖南町の親族・姻族の隷属関係に陥ることもありませんでした. つまり, 農村的地域社会から "浮いた" 状態・・・.
中山間事業と維持管理組合,常夏川の環境保全のための共同作業に参加していますが, それだけが,湖南町赤津村の住人と接する機会・・・. 老人会にも所属していませんし, 湖南温泉に行ってうわさ話に興ずることもありません. 目下,健康な日々を過ごしていますので,湖南の3個所の医院に行って,他の患者と情報交換することもありません.
農村的地域社会から, 浮いて, 浮いて,浮きまくっている生き方をしていますが, それが返って,妻と私の安定した老後の暮らしをもたらしてくれているようです.
排除・疎外されて, その人間関係のなかに埋もれて, 自暴自棄になり,自分の生き方を喪失するのではなく, 浮いて,浮いて,浮いた状態でその人間関係から飛び出してはどうでしょう? 新しい可能性を見つけることができるのではないでしょうか?
三島工場で起きた15人刺傷事件に胸が痛みます.
昔,妻のふるさとの湖南町赤津村の集落で,"よそもん" として排除・疎外された男のひとが,自分のふたりの子供を殺害, 心中しようとした事件があったそうです. 農村的地域社会では,みんなが忘れれば,そんな事件はなかったことになる・・・,と考えられているようですが,反省することがなかった住人は, いまだに, "よそもん" に対するしつこい,排除・疎外,集団的いじめを繰り返しているようです.
そういう世界に,沈まないで, 浮いて,浮いて,浮ききった生き方をしましょう.
2025/12/27
沈まないで浮いた生き方・・・
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