今朝6:00に起床して8:00まで, ルターの独訳聖書を通読しました.
イスラエルの最高権力者であるアハブ王の訴追を免れるために, エリヤは逃亡して身を隠しますが, そこで, ひとりで戦うことに希望を失ったエリヤは縊死を考えます.そこに, 主なる神が現れて, エリヤに新しい課題を与えます.いくつかある課題のひとつは, エリシャを弟子にすること・・・. エリシャは, 多くの牛を使って土を耕していたとき, エリアに出会って, 役牛・農具を捨てて,農家である父の家を捨て, エリヤの弟子としてそのあとに従って行きます.
船と網,漁師である父の家を捨てて, イエスの弟子としてそのあとに従って行ったペテロの召命物語によくにていますので,それは, エリシャの召命物語だったのでしょう. エリシャは見ず知らずの人について行ったのではなく, エリヤとエリヤのしていることを様々な情報から熟知していたのでしょう. そこから, ペテロの召命物語を読み直しますと,ペテロは, "私についてきなさい" と呼びかけるイエスについて, あらかじめよく知っていたのでしょう. "神の子" とうわさされている主イエスさまがペテロに語りかけて来られた・・・. ペテロは喜んでその主イエスのあとに従って行ったのでしょう. あらかじめ知っていたので・・・.
今日の時代にあても,主は私たちを招いていてくださる・・・. その出会いがほんとうの出会いになるためには, 主イエス・キリストについて,その主なる神さまについて,あらかじめ知っておかなければならない・・・. そのために,神が私に与えてくださったものが, "聖書" です. "聖書" は神のみことば・・・. 活字になった神のみことばを通して神は, 私たちにまことの神であることを示し,生きた神として私たちを生かしてくださるのです.
今朝,2時間ほど聖書を通読したあと, "独学" について考えていました. "独学" を英語で表現するとどのように定義することが可能なのか・・・.
それで思いついたのが, Sweden の経済学者レーンが提唱した, "recurrent education" ・・・. 学校教育を受けた人が,それでもって教育を受ける機会を失ってしまうのではなく,何度も繰り返し学校であらたな教育を生涯を通じて受ける機会をもつことができる教育戦略構想の教育のこと・・・.
無学歴・無資格 (Academic Outsider)の独学で生きてきた私の身の丈にあうように言い換えると,独学は, recurrent self-education ということになるのでしょうか・・・. 独学は, "繰り返して行われる自己教育" ・・・. その独学は, 自らの生活と暮らしに無関係な世界に関する学習ではなく,生活と暮らし,そのひとの生き方に密着した,身の丈にあった学習になり, 学習の継続性が培われて行きます.
本格的な 晴耕雨読の季節に入った今,しばらく離れていた "観聖寺文書"の読解にはいるべく,昨夜から,私がいろいろな古文書読解法の関連書籍から抜粋して編集した,"近世古文書誤読字典" を読み直しています. 無学歴・無資格 (Academic Outsider) の78歳の私にとっては, "岩波英和辞典" を使ってルターの独訳聖書を読むのも, "近世古文書誤読字典" を使って観聖寺文書を読むのも同じ営み・・・.
独学は, recurrent が大切です.Plan-Do-See の繰り返し, Spiral Method で真実を追究することが求められます.
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