今朝も通読するとき, "岩波独和辞典" を使いましたが,"岩波独和辞典" は, 無学歴・無資格 (Academic Outsider)の, 大学で第二外国語としてドイツ語の授業を受けたことがない私にとっては, とてもいい独和辞典です.
ちいさいのに, 私が必要な単語の意味がすぐ出て来ます.
日本基督教団の牧師になるために, 東京町田市にある鶴川学院農村伝道神学校で勉学していたとき, 新約学の授業で, Joachim Jeremias 著 "Die Gleichnisse Jesu" を参考に, 新約聖書に出てくるイエスのたとえ話を学びました. その本の日本語訳も出版されていたのですが, そのとき日本語訳ではなく, ドイツ語の原文を読むことにしました.
"独和言林" を引きながら, 小さな活字の下にさらにちいさな訳を鉛筆で書き込んでいる,その"苦闘" のあしあと・・・. そのあしあとを見ながら, "農村伝道神学校で勉学しているとき,この岩波独和辞典がてもとにあったらよかったのに・・・" と思いましたが,農村伝道神学校の教師が,"独和言林"に代えて使うことをすすめてきたのは,シンチンゲルの独和辞典・・・. その独和辞典を引いても,必要な単語の意味が掲載されていなくて,呻吟を繰り返すことになり,結局,シンチンゲルの独和辞典を使うことをやめて "独和言林"を使うことになりました. 農村伝道神学校の教授たちにとって, "独和言林"を忌避する理由は, その著者の佐藤通次がヒトラーの賛同者であったため・・・. 佐藤通次の名前は,"岩波独和辞典" の編纂者のひとりとしてその表紙に掲載されていますので, "坊主憎けりゃ袈裟まで憎い"のことわざ通り,"独和言林"と一緒に "岩波独和辞典"も視野の外に置いていたのでしょう.
今年,Amazonde, 主な独和辞典・和独辞典を集めましたが,そのなかには,シンチンゲルの独和辞典・和独辞典は1冊も含まれていません.その辞書は, 無学歴・無資格 (Academic Outsider)の私にとってふさわしい辞書ではないと思ったからです. 私のなかにある,シンチンゲルの独和辞典に対するトラウマのようなものがあるようです.
Joachim Jeremias 著 "Die Gleichnisse Jesu" は巻末の共観福音書の該当箇所をテキストに説教のための釈義をするときに部分的に読むだけで,一度も,最初から最後まで通読したことはありません. 78歳の, 日本基督教団の隠退牧師である私に,それを通読するための時間が残されているのやらどうやら・・・. ルターの独訳聖書の通読を終えたあと, 読むことを予定している本が少なくないので. 2回目のギリシャ語新約聖書の通読,1回目のヘブル語聖書の通読,1回目の七十人訳聖書の通読,バルトの "Church Dogmatics" の通読・・・.
人生はすべからく未完で終わる.
私は,日々旅装を整えて, 聖書通読の旅を続ける.
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