今朝は晴れ・・・.
雪原と化した田から白い蒸気が立ち込めて霧の層になっていました.
今日の午前中は, あれやこれやで右往左往・・・. まず, コシヒカリの新米20kgを袋詰め・箱詰めにして, そのあとはえぬきの新米20kgを袋詰め・箱詰めにして, 隣村の福良郵便局から福島と岡山に発送しました. これで, 親類・親戚筋のコメの発送はすべて終わりました.
そのあと湖南東農協に行って,野菜直売所・湖南四季の里の売上金が振り込まれる口座から,今年の売上代金の半額140,000円を引き出して,隣村の福良郵便局から日本赤十字にウクライナ支援金として送金しました.
妻が四季の里の売上金を再計算したところ 280,000だったとかで,その半額の140,000円を送金することになりました. 昨年よりも5,000円アップ・・・. 妻は,"昨年より少しでも増えて,よかったわ!"と喜んでいました.
日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会の牧師をしていたとき, 芸予地震があり, ちいさな断層の端の上に建っていた教会の牧師館兼礼拝堂の屋根の瓦が全面ズレたり,屋根の一部が一坪ほど陥落しました. 教区の執行部が被害状況の観察にきたとき, "材料を買って牧師が自分で修理するなら,全国から寄せられた支援金にあづかることはできない" といって帰って行きました(諸教会からの支援金を受けることできませんでした).それを知った建築会社の社長さんが,"教会も大変ですね.建築会計の処理の仕方についていろいろ親切に指導してくださったので,陥落した屋根は当社で修理してあげましょう. 無料というわけには行かないので,2万円出してください"と言って, 陥落した屋根の修復をしてくださいました(その建築会社はあとで大きな会社になりました).
東日本大震災のとき,東北教区・奥羽教区の諸教会のために支援物資を送るとき,担当牧師のいる防府教会に行ったところ, "貧乏教会の貧乏牧師になにができるんだ!" と門前払いされたことがあります.教会を閉鎖したとき,その土地を宗教法人の包括団体である日本基督教団に寄付しましたが, そのときの土地の売却代金は諸経費を差し引いて18,000,000円(一千八百万円)だったとか・・・. 教会役員会から,"東日本大震災にあった教会の再建に用いてください"と要望書を出していたのですが,教団から,"東日本大震災の支援金としてではなく,人道支援にまわしました"との電話連絡がありました.教会役員会の要望はききいれられなかったようです."まさか,北朝鮮に送ったのではあるまいね・・・" と思ったのですが, 牧師である私も教会役員会も主なる神さまにささげるつもりで基本財産を日本基督教団に寄付行為をしたので,それ以上の追跡はしませんでした. 西中国教区の教会を辞任するとき, 教会役員会の要請で退職金も放棄して離れたのですが・・・.
2013年4月1日に, 日本基督教団の隠退牧師になり, 東北福島の, 妻の実家のある郡山市湖南町赤津村に帰郷・帰農しましたが, 日本基督教団の諸教会とのつながりが一挙になくなってしまいましたので,諸団体に献金をすることはなくなりました. 西中国教区の牧師の, "貧乏教会の貧乏牧師になにができるんだ!" という言葉があたまのなかから離れることがなかったので・・・.
しかし, ヒットラーの再来のような, ロシア大統領プーチンによって引き起こされたウクライナ侵略戦争に対する反意を表明するために, 妻は,野菜直売所・湖南四季の里の売上金の半額50%を日本赤十字を通してウクライナに支援金を送ることにしました. 支援金を送ったのは今年で4回目・・・. 毎年,増額できて,妻は喜んでいました. 1回の送金が100,000円を超えると手続きが煩雑になってきますが, "野菜直売所・湖南四季の里の売上金の半額50%を送るのは,神さまとの約束ですから・・・" と妻は,四季の里の売上金を増やすために栽培する野菜を増やして来ました.
ウクライナに侵略戦争をしかけた,ロシア大統領プーチンとロシア帝国の上に,神の裁きがあるように, ウクライナの国と国民の上に,終戦と復興の,神の恩寵と祝福があたえられますように,祈りを込めて・・・.
残りの140,000円は, 来年春からの野菜の種・苗,有機肥料・土壌改良材,マルチなどの農業用資材の購入費になります.
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