戦後, 皇国史観が敗戦と共に崩壊したとき, 日本の歴史学の学者・研究者・教育者は, 歴史の真実を明らかにすべく自らの学問を見直すべきであった. しかし, 彼らはそうしなかった. 歴史の真実の追求より,皇国史観をマルクス主義史観・唯物史観にすげかえてそこに甘んじた.日本の部落史研究も, 歴史の真実を探求することで問題解決につなげるべきであったのに, 歴史の真実の追求より左翼主義思想に身を投じてそれを忘れてしまった.
以下の言葉は,私が尊敬している歴史学者の一人, 肥後和男の昭和21年に発行された著作の序の一節です. 今, その本はページをめくるごとにこなごなにくだけてしまうおそれがあり,恐る恐るページをめくっています.
"日本人は・・・歴史の真実を見ることに対して何か大きな不安をもつということがあった. それは実は歴史を信ぜよといいながら歴史を信じないことであった.そこで歴史の表面を糊塗するようなことばかりに努力するようなことが少なくなかった. だから事実に対する忠実さを保持しようとした歴史家たちかえって歴史を誤るものとして排斥されたのである. それは実は歴史を信ぜず,したがって歴史の事実を知ることに大いなる恐怖を持ったことを示している.
けれども今やそうした糊塗的態度が真の歴史を営む上に全く有害無益であることが明らかとなってきた.我々は単なる理想的名目に拘るべきではなく, 事の真実に徹してそこから出発せねばならないことが痛感されてきた.
我々は自己自身のありのままなる姿を見なければならぬ.それは或は見るにたえない荒蕪であるかも知れない. しかし、荒蕪は荒蕪でそれに叶うだけの力をもっている.二宮尊徳も荒蕪を聞くに荒蕪の力を以てすといっている. 確かにその通りであっていかなる方法を以てしても真実を蔽うことはできないとすれば我々は蔽うところなく隠すところなくそのありのままなる真実を明らかにして,そこから改めて出発すべきである.
況んや日本の歴史は必ずしもそうした荒蕪であるとはいえない者があろう.こうした小さい国土と少ない資源と多少は狂いじみた気候との間にあってさまざまの文化を開いて来ることが出来たのは決して単なる偶然ではない. そこには価値のある素質と尊ぶべき努力があったのであり, 思いを新たにして懸命の精進をつづけるならば, 世界の諸国諸民俗と共に人類の歴史の完成に協力する力をもっていると思われる.
集団も個人と同様にしばしば思わざる過ちを繰り返すものである. それは決してそのままに許さるべきことではないが, それによって永久に再生の道を失うのではない, むしろその過誤を深く反省することによって, それを手がかりとして真実の生命を燃焼せしむる途に出ることも出来るのである."
2026/03/24
私が尊敬している歴史学者の昭和21年の言葉・・・
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