妻の実家のある集落は, 郡山市湖南町赤津字小枝町・・・.
"ここらのもん" は, 小枝町の集落のことを "小枝町部落" と読んでいます. 小枝町の町内会の農協の口座の名義も "小枝町部落", その口座から出し入れする時の印鑑も "小枝町部落" ・・・. その印鑑も最近新調したばかり・・・.
ここでつかわれている "部落" は, "被差別部落"の短縮形の "部落" ではありません. 戦前・戦争中の, 都市部では "町内会",農村部では "部落会" といわれていたときの "部落" です.
その時代, キリスト教は敵国の宗教として, 忌み嫌われ, キリスト教会とクリスチャンはいじめと迫害の対象にされていました. その時代の "部落会" の風潮を色濃く, 戦後においても継承しているのが, 東北の "部落" です.
"小枝町部落" の現況・・・.
・4軒は空き家
・A: 母屋が火事で消失したあと小枝町を離れた家
・B: 不倫をして夫を自殺させて小枝町を離れた家 (小枝町部落で唯一の専業農家)
・C: 自分の子ども2人を殺害して小枝町を離れた家
・D: "クリスチャン"の家. 今は郡山に住みときどき家を見るために帰ってきているが,ここらのもんに土地を畔せせりされたり庭を野菜の残滓の捨て場にされたりしている家
・2軒は小枝町部落会から離脱した家で "非農家組合員"
・創価学会員
・キリスト教の隠退牧師 (赤津村で一番の貧乏農家)
・9軒はプロの農家で"農家組合員" (湖南農協の組合員)
・そのうち8軒は "大地主" (自称)で小作にコメをつくらせている
・残りの1軒はコメを自作しているプロの農家
妻は, Dさんのお姉さんとは幼馴染で小学生・中学生のときの同級生・・・.今でも親交があります. 野菜直売所湖南四季の里で, 妻が栽培した野菜を買ってくれるし, 盆と正月には御中元・御歳暮を送ってくれます. 妻と私が結婚したとき, 夏やすみに, 妻の実家のおとうさんとおかあさんは披露宴をしてくれましたが, そのとき披露宴に参加した小枝町の住民はひとりも生存していません.
今回, 赤津区長の承認を経て, 妻と私は "小枝町部落会" から離脱することができました. 妻は, 肩から重荷をおろすことができたようで, これからは, Dさんのお姉さんやDさんとつきあっていくのみ・・・. Dさんが小枝町の自宅に帰って来る可能性もなきにしもあらず・・・.
*上の挿絵は, この文章を読んで Googleの人工知能Geminiさんがつくってくれたもの
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