2026/03/20

"ここらのもん" の社会分析・・・

    今朝, 開いた "アミエルの日記"の 1874年2月27日の日記に, "ここらのもん" の社会分析の参考になるような文言が並べられていました.

    アミエルはスイスの哲学者・・・.

    19世紀後半に, スイスの哲学者・アミエルが書いた文章が, なぜ, 妻のふるさと・湖南の赤津村のプロの農家がいう "ここらのもん"の社会分析の参考資料になるのか・・・.

    スイスの

    平均標高: 1,016 m
    最低標高: 41 m
    最大標高: 4,564 m
  
    山口県の羅漢高原や福島県の湖南高原の南にある会津布引山とほぼ同じ標高・・・. 平均気温も, スイスと湖南を含む会津地方とはほぼ同じ・・・. 風土の共通性は, その国民性の類似性を示唆していると受け止めてもよさそうです.

    "個人" は, "何よりも先ず・・・変わった人間であると思われること" を恐れる.  "各人は皆と一緒にいたがる. 皆というのは・・・ひとと呼ばれている. ひとは・・・ああいう風に着物を着,  食事をし, 散歩をし,  出て行き, 入って来る.このひとは何をやっても常に正しいのである.
    そのひとは村の昔からの名門であり, 広大な山地・農地をもち,  多くの村人を雇いその生計を支えている. その "ひとが言ったりやったりすることは習慣と呼ばれ,それが考えることは世論と呼ばれる.彼らは, 村人から, 知恵と良心と判断力と趣向と理性の権化とみなされ, 村の人々は, 
 村の名門であり, 広大な土地の地主であり, 営農家であるそのひとに従っていけば, つつがなく世を送ることができる・・・. 時間と労苦を費やして, 自分で穀物や野菜を栽培してよりよい品質のよりよい収穫を得るための努力をしないですむ・・・."そんひとによってあてがわれる手本の真似をして,これを写し,くりかえしていさえすれば, 恐れることはなにもない.

    ひとは知っているべきことはすべて知っていて,
    あたまだけは下げるのである."

    "ここらのもん"は2種類いる・・・. ひとつは, 村の名門で, 知識人で, 大事主で, 営農家である "ここらのもん",もうひとつは, そのひとにやとわれて日当を得たり, 農地を借りて小作料をはらっていきているひとたち・・・. 雇い主に殺生与奪の権を握られているひとたち・・・.  

    そこの, 支配・非支配, 雇用・被雇用の関係に依存しないひとがはいってくると, 常日頃, ひととひとのしきたりなわわしに拘束され窒息感を味わっている "ここらのもん" は, そのしきたりなわらしにしたがっていないといって,"よそもん" を徹底的に排除・疎外する・・・. "よそもん"を排除・疎外することで, "ここらのもん"は自尊心を取り戻し, "よそもん" を自分たちより貧しい状況へと追い込んでいくことを楽しむことになる. "なんだ, おめえは,そんなこともしらねえのけ? ここらのもんはみんな知ってる!ここらでは, コシヒカリはとれねえ!コシヒカリをつくるなんてバカ丸出しだ! ここらのもんがやってることを真似して,おなじことをやれ! そうすれば, 誰もあんたをバカにはしねえ!" 

    妻と私は, 年金暮らし&百姓暮らしなので, "ここらのもん" の
 支配・非支配, 雇用・被雇用の関係を持つことなく,  独立独歩の日々を過ごしています.  村の昔からの名門であり, 広大な山地・農地をもち,  多くの村人を雇いその生計を支えている専業農家の方々は,日本基督教団の隠退牧師で年金暮らし&百姓暮らしをしている妻と私と接するときは普通の会話・・・. それをみていた "ここらのもん" は, "おめえ, 誰と話をしているのか知ってんのけ? 貧乏農家のおめえが対等につきあえるような相手ではねえ!" と語りかけてくるひともいます. また, "おめえ, どこも働かせてくれねんだべえ? ろくでなしなんだ! ここらには, バカをやとうようなバカはいねえ!" といいます. "おらあ,おめえみてえなバカではええ! おめえと一緒にすんな!おらあ, バカではねえ!" というひとも・・・.    

    古今東西, 人間性はあまり違わないのかも知れません.



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