朝6:00-8:00 ルターの独訳聖書を通読しました.
そのとき用いたのは,"岩波独和辞典" 1冊のみ・・・. "岩波独和辞典" の意味では通じない単語は, その単語が用いられている文脈から類推して意味を確定していきますが, この読み方は, 高校3年生のとき, クラス担任の英語の教師から徹底的に指導されたものです.
国立大学一期校を受験するとき, 英語の試験問題に必ず, 知らない単語が出て来る, その知らない単語をどのように解釈することができるか, 受験生の基礎的な英語力を確かめるためだそうで, 知らない単語を文脈から推察する方法を教えてくれました.
"岩波独和辞典" と高校生の時にならった辞書の使い方で, "岩波独和辞典" のみを使って, ルターの独訳聖書を通読することができます.
今朝も, ルターの "独訳聖書"からいろいろなことを学ぶことができましたが, そのあと, 武州の "穢多" 裁判に関する資料を読んでいました.
私のブログ "部落学序説" は, 私が日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたときに, インターネットのブログ上で書き下ろし執筆したものですが, その時に用いた史資料は, 徳山市立中央図書館郷土資料室や山口県立図書館の蔵書に依拠していますが, 同和教育担当の中学校教師たちから同和教育の指導内容に違背している, 長州藩 (山口県) で通用しても全国的には通用しないと批難されてきましたが, 江戸時代の法令集や判例集を精査する限り,"部落学序説" の主張はすべての藩においても通用します.
私は, 大学進学の機会をあたえられなかったとき, 法学・医学・哲学・神学を独学することにして, 大学のカリキュラムを取り寄せて, その4科目を体系的に独学しました. 法学も法解釈学や法哲学,比較法学,法制史などを独学しましたが, 江戸時代の法令集や判例集を読むときもそのときの知識・技術を援用しています.
今朝読んだのは, 武州(埼玉県)の "穢多" 裁判・・・. 武州の百姓が自分の所有する馬が死んだとき, 自分で皮を剥いだことは, "穢多" と同じ所業をしたことになり,その百姓を穢多身分にすべきであるという 総穢多頭からの訴え・・・. その訴えに対して裁判所は, 百姓が自分の馬の死に際して皮をはいだからといって穢多と同列に扱うことは許されない.穢多は穢多, 百姓は百姓であって, 総穢多頭が恣意的に百姓を穢多に加えることはできないと, 総穢多頭の訴えを却下する判断をします. その件は,総穢多頭が訴えをとりさげることで一件落着となります.
この判例は, 今日の部落史研究の一般説では, "エタ" が "穢多" とされたのは, 死牛馬の処理にともなう皮剥という賤業に従事していたためだとことしめやかに語られるのが常ですが, 武州における "穢多" 裁判は, その一般説を全面否定しています.百姓が, 自分の死んだ馬の皮を剥いでも穢れたことにはならないと. また, 穢多も, 死牛馬処理・皮剥をしているということで穢多にされているわけでもないと.
学校同和教育の指導内容に忠実にしたがって, 左翼主義思想の差別思想である賤民史観に則って同和教育をしてきた教師たちは,長州とおなじく武州の史資料も例外的な事例で江戸時代の全域に適用されるべきでないと批難を展開されることになるのでしょうが, 私は, 江戸時代の法令と判例集を全州網羅すべく "基本資料" として集めてきましたが, 武州の"穢多"裁判で明らかになったことは江戸幕府のすべての諸藩にも通用する判例です.