今朝5:30に起床, 7:00までギリシャ語聖書を通読・・・.
【部落差別問題と取り組むことになった発端】
日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会の牧師をしていたとき, 教区総会で部落差別問題特別委員会の委員を押し付けられましたが,そのきっかけになったのが, 私が牧師をしていた教会の信徒議員の発言・・・. 当時の教区幹事は, "今の信徒議員の発言は差別発言である.西中国教区はながい間, 部落差別問題と取り組んできた.問題を, 部落問題ではなく, 部落差別問題として認識してきた.しかし, 今の信徒議員の発言は, '教区はもっと部落問題にとりくまなければならない' と '部落問題' という表現を使った.その教会の牧師は, 信徒にどのような指導をしているのか!" と批判, その結果,その信徒議員の属する教会の牧師に, 前任者が自害したあと赴任してきたばかりの私に, 部落差別問題特別委員会の委員として, "部落問題" ではなく部落"差別問題" と取り組むことを強制してきたのです.
【部落差別問題の予備知識を得るための揺籃】
日本基督教団西中国教区山口東分区の教会の信徒で西日本新聞の記者をされている方が,私が牧師をしている教会の近くの県立高校で,高校の教師・宗教者・新聞記者などで "読書会" を結成しようとしている, 吉田牧師もそのメンバーに推薦しておいたので参加するようにというアドバイスがあり, 参加することにしました.同和教育を通じて社会の問題を考える "読書会" でした. 私に発題の番がまわってきたとき, 私は, 鹿野政直著 "近代日本の民間学" を選びました. 高学歴・高資格のメンバーのなかで,無学歴・無資格 (Academic Outsider)として発題するにふさわしい本であると思ったからです. その読書会を通じて, 学校同和教育が直面している諸問題について見識を深めることができました.
【被差別部落を尋ねることになったきっかけ】
私が教会に赴任したとき, 下松市は, 市の経済破綻で再建中でした. 下松市内は夜7時になるとすべての民家・商店・会社が消灯して暗闇の世界に包まれていました. そして, 造船の構造的不況で, "下松から造船の灯を消すな!" という市民運動が展開されていました. 読書会はその造船会社の組合員と共闘することになり, 私が牧師をしていた教会を事務局にして, "やられたらやりかえせ" という映画の上映運動をすることになりました. 上映場所は,造船所内で・・・. 私は, 多方面から要望されて, "下松から造船の灯を消すな!" という市民運動の大会で, 下松市民を代表して演説することになりました.上映のあと, 関係者と慰労会を催す事になりましたが,その席上で, 日本基督教団西中国教区の私設隣保館である社会館に所属しているという被差別部落出身の青年が, "社会館にかかわるようになって, たかが部落差別だと思うようになった・・・" と証言しました. すると, 読書会のメンバーの高校教師たちの中から, "そうだ!そうだ! たかが部落差別だ!" という声が飛び出してきました. 私は, 即, 反論,"被差別部落出身の青年が 'たかが部落差別だ' というのは差別に対する切り返しの言葉としてうけとめることができるが,第三者が, 'たかが部落差別だ' というのは, 間違いではないか・・・ " と発言しました. そのとき,うちあげ会に参加していた, 部落解放同盟新南陽支部の書記長御夫婦から,その被差別部落のなかで開催している学習会に参加しないかと誘いを受けました.
【はじめて被差別部落を尋ねたとき・・・】
部落解放同盟新南陽支部の書記長の方が教会を尋ねて来られ,その被差別部落のなかで開催される写真展のパンフレットでした. 私は,教会役員会の了承のもと, 平日に, 被差別部落のなかで開催されている写真展にでかけました. そのとき, 会場には受付の女性の方が一人・・・. 私が, "書記長の方に誘われてきた牧師の吉田です"と語りかけますと, その方,"私の姉は, 東京女子大学を出て, 東京で結婚して暮らしています.日本基督教団の信徒です. 姉は,結婚してから一度もここには戻ってきません・・・" と話しておられました. 私は,そのAさんから, 部落差別問題と取り組むときの視点・視角・視座の持ち方を教えられました.学習会で, 青い柴の会のメンバーと差別について議論していたとき, Aさんは, みんなの前で, "私は, 部落出身者で, 女性で, 身体障害者です. 私が受けている部落差別と女性差別,障害者差別のどれが軽くてどれが重いというのですか? 私にとってはどれも同じ差別です!" と言い切りました.私は, 広島社会館の青年やAさんの言葉を通して,部落差別が日本基督教団の諸教会と宣教に大きく関わっていることを知りました.
【部落解放同盟新南陽支部書記長の外に向かって開かられたこころ】
私が牧師をしていた教会の信徒の半分が, 本人が被差別部落出身者か, つれあいが被差別部落出身者でした.私の牧師としての発言・行動は, 毎回教会役員会で詳細に報告することにしていましたが,部落解放同盟新南陽支部の学習会に参加することについても, 教会役員会で議題にとりあげ了承を受けました.被差別部落出身の信徒の方は,"吉田牧師が被差別部落のなかで差別発言をするのではないか・・・" とすごく心配していました. しかし,それは杞憂に終わりました.部落解放同盟新南陽支部の書記長さんは, "差別社会の中を生きいている私たちは,なんらかの差別性をもっている. 差別したり, 差別されたりして生きている.しかし, 差別発言があったときは, お互いにその差別性を指摘,説明して, その差別性を乗り越えて,共に差別なき社会をめざして闘って行きたい" と話しておられました. 学習会での会話は, 徳山市議会事務局の速記者で,私が牧師をしている教会の初期担当役員の方から伝授された富士通の親指シフトのワープロとワープロ速記の技術を駆使して議事録を作成していきました. 学習会で聞いたことを, 聞き流しにするのではなく, ワープロ速記で記録化することで繰り返し読み,部落差別とはなにか,その部落差別に対して被差別部落の人々はどのように向かい合い, どのように差別と闘って行っているのか, それを知るための貴重な淵源になっていきました. オブサーバーとして参加を許された同和教育現場における差別事件の確認会・糾弾会の議事録も作成, 差別を指摘された学校教師の発言内容を分析・検討して, その差別発言の背後にあるものの見方・考え方に注目していきました.
【被差別部落の歴史を調べることになったきっかけ】
あるとき, 部落解放同盟新南陽支部の支部長さんから, その被差別部落の "歴史を調べて,調べた結果をありのまま教えてほしい・・・"と頼まれました. そのときまで, "被差別部落の歴史を調べるのは差別である" と思っていた私は, 即, 断ったのですが,支部長さんは, "これまでにも学校の先生方にこの被差別部落の歴史を調べてほしいとお願いしたことがあるのですが, 誰もあたりさわりのないことしか報告してくれませんでした. 牧師さんであるあなたにお願いするのは,この被差別部落の歴史を調べて, いいこともわるいこともありのままわたしたちに伝えてください.もし, 調査中に誰かに差別だと指摘されたら, '私から頼まれた' と私の名前を出してもいいから" と私に語りかけてこられました.私は, "調べたことを, ありのままお伝えすればいいのであれば・・・" と引き受けることにして, 歴史研究法・郷土史研究法・民俗学的調査法などの基本文献を読んで,できるかぎりそれに従う形で,徳山市立中央図書館郷土資料室の史資料を読破・調査することにしました. 徳山市立中央図書館の司書の方から何度も, "あなたは被差別部落のことを調べているでしょう. 被差別部落の歴史をしらげるのは差別ですよ"と指摘をうけましたが, 部落解放同盟新南陽支部の支部長さんから調査を頼まれたことも,その名前を切り出すこともありませんでした.その取組のなかで, "被差別部落の先祖は,みじめであわれで気の毒であった賤民であり, 被差別部落の人々はその末裔である" という "賤民史観" は, 歴史学者・教育者がつくりあげてきた "虚妄", "差別思想" でることを確認しました. その被差別部落は, 近世幕藩体制下の徳山藩の司法・警察であった,由緒正しき穢多役の末裔であることが分かりました.
【山口県の被差別部落の歴史を調べることに公的なOKが出される】
被差別部落について調べるのは差別である・・・, という一般通念がまかり通っている世界で, いくら部落解放同盟新南陽支部の支部長さんから頼まれたからといって,その歴史を調べるのは至難の業です. "差別だと指摘されるようなことがあれば, 部落解放同盟新南陽支部の支部長さんからの依頼で調べているといえばよい, あとは善処するから, 吉田さんには迷惑はかけない・・・" と言われていたのですが,私は一度も, そのことを弁明に使う事はありませんでした. 最初から最後まで自己責任で, 被差別部落の歴史を調べることにしました.
徳山市立中央図書館の郷土資料室の司書の方から何度も, "あなたは何を調べているのですか? 部落について調べることは差別ですよ" と指摘を受けたのですが, その都度, 私が答えたのは,
最初は, "光市の象鼻ヶ岬の海岸にある観音堂の近くに遊女の碑があり, 長州藩における遊女の歴史を調べようと思って・・・" と答えましたが, 司書の方は,"あなたが調べている遊郭のあった場所は被差別部落のある場所ですね" といいます. 私は,"ええ? そうなんですか, 私はしりませんでした" と答えました.
次は, "私が調べているのは被差別部落についてではありません.私は日本基督教団の牧師なので, 長州藩におけるキリシタン弾圧の歴史とその牢屋の歴史を調べています" と答えました.司書の方は,"あなたが調べている場所は被差別部落です" といいます.それで私は,"知りませんでした.キリシタンを弾圧・お仕置きをした場所は被差別部落なのですか? 貴重な情報ありがとうございます" と答えました.
さらに, "私が調べているのは,長州藩の街道の警備をしていた人々とその組織です. 被差別部落の歴史を調べているわけではありません"と答えますと,司書の方は,"あなたがコピーを要求する文献には,すべて被差別部落に関する記事が含まれています. 被差別部落について調べるのは差別ですよ!" と立腹されていました.
そしてある日,徳山市立中央図書館の郷土資料室で調べていると,年配の男性の方がよって来られ,"あなたは何を調べているのですか?" と問いかけて来ます. 真剣な眼差しで問いかけて来られましたので, 山口県立文書館の北川健先生の論文を読んで,その論文に引用されている文献を自分の目で読んで確認しています" と答えました."今, 何を調べているのですか?" と問いかけられるので, "長州藩の穢多寺について調べています" とありのまま答えました."どの本にそのことが書かれていますか?" と言われるので, 書棚から関連書籍を取り出して指で提示しました. その方は,山口県立図書館の研究員の木下先生でした. 木下先生が, "長州藩の穢多寺は4か寺と茶筅寺1か寺だけですよね" と言われるので, "まだ周防国の寺しか調べていませんが, 茶筅寺は1か寺ではなく3か寺です"と答えました.木下先生は,"どこに書かれていますか?" と言われるので, "私は山口県同和問題を考える宗教者連帯会議" に参加していますが, 浄土真宗の住職さんから3か寺を教えていただきました" と答えますと,木下先生は,"もうそこまで調べているのですか.それでしたら,あなたが被差別部落の歴史を調べることについてとめることはありません.気の済むまで調べなさい・・・" と, 思いがけない答えが返ってきました. 山口県立図書館の研究員の木下先生と日本基督教団の牧師である私の一対一の真剣勝負の対話でした. そのあとは, 徳山市立中央図書館郷土資料室の司書の方は, 私に, "被差別部落の歴史を調べるのは差別ですよ" と怪訝そうな視線で語りかけて来られることはなくなりました. その後,私は,山口県立図書館の研究員の木下先生の被差別部落史の研究現場を見せていただくことができました. 古文書をかたわらにおいてワープロで活字化していく作業を・・・.
【日本基督教団の牧師から,またあなたのようなひとが出てきましたか・・・】
山口県立図書館の研究員の木下先生との対話のなかで,木下先生は, 私に, "日本基督教団の牧師から,またあなたのようなひとが出てきましたか・・・" と語りかけてきました. "また・・・? 私の他に, 被差別部落の歴史を調べている日本基督教団の牧師がいるのですか?と問いかけますと,"仁保事件の冤罪事件にかかわった日本基督教団山口信愛教会のH牧師が,部落問題・部落史の一般説に依拠しないで, 山口県立図書館で自分で調べていました." と教えて下さいました. そして, 金太郎飴について話されました."図書館で, 部落問題,部落史研究の関連書籍を読んでも,どの本も同じことしか書かれていないでしょう.金太郎飴みたいにどこを折っても同じ顔しか出てこない.ほとんどの人は, 金太郎飴を折って同じ顔がでてきたことで満足して,その甘さを味わって終わり・・・. しかし, 日本基督教団のH牧師もあなたも, 金太郎飴を折って同じ顔が出てきたことで満足しないで,金太郎飴をつくった人を問題にしはじめる・・・. 差別から自らを解放し,差別から自由になっていないと,そのような研究はできない・・・, と話しておられました. 部落史研究の学者が書く論文は, どの論文を読んでも "賤民史観" という顔が出て来ます. しかし, H牧師も私も, 差別思想 "賤民史観" をつくりだした学者・研究者・教育者の差別的体質を批判する・・・.
【山口県の隣保館で行われる研修会の講師を依頼されたとき・・・】
部落解放同盟新南陽支部の集会だけでなく, 山口県の他の被差別部落の隣保館で行われる集会の講師を頼まれた時, 私は,原稿を読まないで (そもそも原稿を作成していない), 聴衆に自分の言葉で語りかけました.被差別部落出身ではなく, 被差別部落の側から見ると,私は差別者の一人に過ぎないこと, その私が,被差別部落の方々と出会うようになって,どのように変っていったかを最初に話をするのが常・・・. 部落史に触れるときは, "穢多", "非人", "茶筅", "宮番", "長吏", "特殊部落" などの, いわゆる "差別語" を使うことになりますが, 同じ言葉を使っても, 差別的な響きを持つ場合とそうでない場合があります. 私が語る言葉にどのような響きがあるのか,部落解放同盟新南陽支部の方々の前で, 予行演習のつもりで話をさせていただきました.その結果,他の被差別部落の中での集会で講師をしても,その聴衆から,差別発言を指摘されたことは一度もありませんでした. 日本基督教団部落解放センターの委員をしている牧師から,"吉田牧師が部落差別問題の講師をして1錢でも儲けたら差別者として糾弾する" と何度も言われていましたので, 講師の謝礼はありがたくいただくとして,それを全額, 部落解放同盟新南陽支部にカンパしました. 日本基督教団部落解放センターに献金するいわれはありませんから・・・. ただ, 新南陽支部にカンパした金額と同額の高価な部落史関連史資料を提供されましたので, 結局は, 講師料が, 講師をした私のところに還流されたことになります.それは, 史資料であって, "錢" ではないので, "問題なし・・・"と判断しました.
【被差別部落の人々は多種多様,被差別部落との出会いも様々・・・】
日本基督教団西中国教区 "山口分区" の牧師として, 部落差別問題と取り組んできた前述の過程と平行して, 部落問題をめぐって,不愉快で深刻な経験をさせられました. 西中国教区総会で, "部落差別問題" という言葉ではなく "部落問題" という言葉を使った, 私が牧師をしていた教会の信徒議員は, 西中国教区の執行部から, "差別発言をした" と指摘されたのですが, あとで分かったことですが, 彼女は, 部落解放同盟徳山支部の支部長のめいごさんでした.そのご主人も教会員でしたが,彼はのちに部落解放同盟の支部を立ち上げた人です. 彼女をめぐって起きた同和対策事業をめぐる諸問題が, 前任者が自害した教会に嵐の如く襲ってきて, 教会は深刻な痛手を受けることになりました. 日本基督教団西中国教区の部落差別問題との取り組みは極めて観念的で, 被差別部落の実態を反映しているとは思えない類のものでした. 彼女の存在は, 日本基督教団の教会と被差別部落との間の深い亀裂を物語るものになりました.
【読者の方々に誤解を与えないために最初に結論を・・・】
私のこのブログの読者は1桁しかいませんので, あえて, このような文章を載せる必要はないのかもしれませんが, 被差別部落の人々は多種多様であり, その被差別部落との出会いも千差万別です. 教会役員のA姉のおじさんが, 部落解放同盟徳山支部の支部長をしていたり,同じ教会員のA姉の連れ合いのかたも, あらたに部落解放同盟の支部をたちあげたりしていたのですが,紆余曲折, 様々なことがあって, A姉とその連れ合いは教会を離脱,また彼らが関与した同和対策事業とのからみで,彼らは, 部落解放同盟からも離脱, 一説に, 暴力団系同和団体と言われる組織に鞍替えしてしまいました. 私のこの文章は, 部落解放同盟の不正を暴くためのものではありません. 部落解放同盟は, 一枚岩ではなく, ある意味多種多様な支部を抱え込んでいますので, "清濁あわせ呑みこむ" 団体になっています. 時の流れのなかで,部落解放同盟中央本部が変節することもあるし,その支部が本来の部落解放の理念や運動から逸脱することもあります.その指導者にいたっては,部落問題・部落史研究の学者・研究者・教育者を含めて, 文字通り, 千差万別・・・. 共通点といえば, 差別思想である "賤民史観" の信奉者であることだけ・・・ . そのような社会にかかわるとき, 大切なのは, 部落問題・部落史研究について, 自分の視点・視角・視座を明確にして, 反差別主義の熱意を持ってかかわることです.
【"吉田牧師の故郷・岡山に行って身元調査をしてきました"】
前任者が自害したという,日本基督教団西中国教区の山口のちいさな教会に赴任してまもなく, その教会の副牧師であった隠退牧師の方が,私にこのように語りかけてきました. "吉田牧師の故郷・岡山に行って身元調査をしてきました". 私が, "私の身元調査をして,なにかわかりましたか?" と尋ねると, 彼は,"吉田牧師が私たちの仲間でないことが分かりました・・・" との返事・・・. 私が,"仲間ってなんの仲間ですか?" とさらに問いかけますと,彼はくちをもごもごしていましたが,私にはなにをいいたいのか, わかりませんでした.身元調査をするなら, 私がその教会の牧師として赴任する前にするのが普通・・・. それなのに赴着任してから身元調査をするなんて, 何の身元調査なのだろう? と思っっていましたが, その身元調査が, 牧師である私が, 被差別部落出身であるかどうかの身元調査であったことは時を置かずして, 明らかになってきました.
【"吉田牧師の本籍を下松市の被差別部落の中に移してください"】
教会役員会の一人, 下松市市役所に勤めている人が夫婦で教会にやってきて, "牧師さんにお願いがあります. 牧師さんの本籍を, 私たちが指定する下松市の被差別部落の中に移してください. そうすれば, 私たちが責任をもって牧師さんを一生養ってさしあげますから・・・" といいます. その理由を尋ねますと,"この教会の教会員の半分は, 被差別部落出身か,つれあいのいずれかが被差別部落出身です. この教会で牧師を続けたければ,被差別部落の中に本籍を移してください" といいます. そのとき, 私は, 私のふるさと・岡山にわざわざでかけて私の身元調査をしてきたという隠退牧師が "吉田牧師が私たちの仲間でないことが分かりました・・・" といっていた "仲間でない" という言葉の意味が分かりました.つまり,隠退牧師は, 私が被差別部落出身でないことを知り, 自分たちと同じ被差別部落出身ではないことにがっかりされたという表現であったと. 私は長男, 妻は次女ですがお姉さんがすでになくなっていましたので長女と同じ・・・. 結婚するとき, 結婚届を出した神奈川県相模原市にしました. 思い出の本籍地を変えることはできないと, 彼らの申し出を断りました.
【"吉田牧師さんは奥さんとお子さんを離縁して, 私たちが指定する被差別部落の女性と再婚してください"】
その教会役員で, 下松市の職員であるA兄のつれあいのA姉も教会員でしたが, またまた無理難題を持ち込んできました. "吉田牧師さんは, 今の奥さんとお子さんを離縁して, 私たちが指定する被差別部落の女性と結婚してください. " といって, その理由を話していました. そのA姉は, 被差別部落出身だそうで, 教会の役員をされているA兄が肺結核で結婚相手がいない, そこで教会の牧師が, そのA姉にその人と結婚して被差別部落を出ることをすすめたようです. A兄は, 地域の名門の家柄で, やむを得ず結婚を許すが,こどもはつくってはならないと強制されたそうです. A姉が赴任手術を受けたことでA兄とA姉は結婚を許されたそうですが, A兄とA姉が再婚相手に紹介している被差別部落の女性もこどもを生むことができないからだだそうで, "牧師さんが,妻と子を離縁して, 私たちが指定する被差別部落の女性と結婚したら,牧師さんも私たちと同じになるので,牧師さんを牧師さんとして受け入れることができます" と無理難題を持ちかけてきました. "私は, 聖書の神さまを信じて, そのみことばに生かされています. あなたがたの要望は, 聖書のことば,神さまのみむねに反する要望です.聞き入れるわけには行きません!"と強く拒否しました.
【"吉田牧師は, この教会を社会派の教会ではなく, 純福音の教会にしてください"】
次の無理難題は, "前任の牧師は社会派の牧師でした.そのために, 私たちは苦労させられました. そこでお願いがあります. 牧師さんは,この教会を社会派の教会ではなく, 純福音の教会にしてください" というものでした. 最初のふたつの彼らの要望はとりつくしまもないほど拒否しましたが, 3番めの無理難題は, 受け入れて,"いいですよ. この教会を純福音の教会にしましょう.教会が純福音の教会になるためには, 信徒であるあなたがたかも純福音の信徒にならなければなりませんよ." と語りかけますと, 彼らは, "それで結構です" と答えました.それから, 私は説教のなかで,純福音の教会の信徒としてあるべきすがたを取り上げることにしました. 1. 主日礼拝は必ず守ること, 2.聖書研究祈祷会もできる限り参加すること, 3. 10分の1献金をすること, 4. 教会案内のチラシを配布して伝道に参加すること, 5. 偶像崇拝をしないこと・・・. 教会員の半分が被差別部落関係者であるという教会は, 社会派の教会ではなく純福音の教会を目指して再出発することになりました. ところが,そのことがさらにいろいろな問題を引き起こすことになりました.
【"吉田牧師は, 私に部落に入ってトラクトを配布しろと言う, そんな教会には関わりたくない・・・"】
前任の自害した牧師は, 社会問題とのかかわりに熱心な牧師であったようですが, 後任の私に, 教会を純福音の教会にすることを求めてきた教会員の要望を全面的に聞き入れて, 私は, まず, 教勢拡大のために, トラクト配布をすることにしました. そして, 下松市の地図を広げて区画割りし,主日礼拝に出席されている方々に, 住んでいる近くにある区画を割り振りました.そして, 礼拝後, 地図を広げて説明をしたのですが, B姉が, "吉田牧師は, 私に部落に入ってトラクトを配布しろという, そんな教会に私は関わりたくありません. 主日礼拝にも聖書研究祈祷会にもでません・・・" と宣言したのです. 赴任して, 日の浅い, 牧師である私は,下松市のどこに被差別部落があるのか, 知るはずもなく,ただ単純に, 教会員の住所の近くの区画に割り振っただけなのですが, そのことが, なぜか, 被差別部落の関係者である教会員によって問題にされるようになり, 彼らは, "純福音の教会が, 部落の人々にも伝道するというなら,もう純福音の教会にならなくて結構です" と, 朝令暮改的に自分たちの要望を取り下げてしまいました.
【"吉田牧師は, 伝道するときこの世帯主名簿を見て伝道してください・・・"】
そのあとすぐ, 下松市役所に勤務しているA兄がやってきて, "吉田牧師は, 伝道するときこの世帯主名簿を見て伝道してください・・・" と青焼きコピーの原稿と思われる住所録をもってきました. 私が, "この名簿は, なんの名簿ですか?" と問いかけますと,彼は, 下松市の古い文書類の焼却処分を命じられたとき, それを焼却しないで家にもって帰ったのだと言います. 被差別部落関係の文書類は彼の自宅に保管しているといいます. A兄のつれあいのA姉は被差別部落出身と聞いていましたので, 被差別部落関係者であるA兄・A姉が, なぜこともあろうに, 下松市の被差別部落の世帯にしるしをつけた住所録を手渡すのか, 解せないので, その住所録を受取ることを辞退しましたが, A兄は, "この教会の教会員の半分は被差別部落出身者か関係者です. みんな被差別部落を出た人ばかりです. みんなが怖がっているのは, 牧師が被差別部落に伝道することで, あたらしくやってきた被差別部落の人によって, 自分たちの身元がバラされることにあります. ですから, 吉田牧師は, 部落に伝道しないでください" と言い残して, その住所録を押し付けて帰って行きました.その世帯主の住所録には, 混住化が進む下松市の被差別部落の中の部落民について, また被差別部落を出て一般地区に移住した被差別部落の世帯にもしるしがついていました. つまり, A兄・A姉は, 牧師である私に, 下松市の被差別部落の全世帯の名簿を渡して,被差別部落の人々に伝道しないように要求してきたのです.
【"吉田牧師が, 部落出身の教会員に献金を強制するのは, 部落民を搾取するのに等しい!"】
教会の "純福音化" 問題は, 伝道問題だけでなく, 献金問題にも発展して行きました.被差別部落出身者はその関係者である教会員から, "吉田牧師が, 部落出身の教会員に献金を強制するのは, 部落民を搾取するのに等しい. 吉田牧師は, 差別者だ. 私たちは, 差別的な牧師のために献金をすることはできません. 部落関係者は全員, 献金はストップすることにしました" という声がではじめ, 結局, 彼らは献金を辞めてしまいました. 理由は, "吉田牧師を兵糧攻めにして, 差別牧師をこの教会から追い出す" ためだったとか・・・. A姉の言葉です. 私が赴任した教会員の半数は, 一般に側の人々です. 彼らは, 前任者が自害したとされる教会の再建を祈り求めていました. そして, 彼らからひとつの提案が出されたのです. 役員会で審議して, 役員会は, "吉田牧師には, 部落関係者の教会員の献金がなくなった分を補填するため, 副業をもってほしい" と要望してきました. 徳山市議会事務局で速記者をされていた教会書記担当役員の方からのいろいろな支援で, 副業を持つことが可能になりました. その結果, 日本基督教団西中国教区の山口の小さな教会に身を置いた30年間, 部落関係者である教会員からの献金はほとんどありませんでした. 教会の牧師招聘状に記された月額150,000円は有名無実と化し, 月額80,000円+副業 での生活が始まりました.
【"吉田牧師は, 私たち (部落関係者)より白拍子の方を大切にしている"】
山口の小さな教会に赴任したとき,被差別部落関係者のC姉が, "教会はD姉の老後のめんどうを見る約束をしているので, 老人ホームに入院しているD姉を定期的に訪問してください" と語りかけてきました. 後で, わかったことですが, 教会がD姉の老後の世話をすると約束した事実はなく,D姉が自宅の増改築のために, D姉の老後のめんどうは私が見るからその増改築の費用を貸してほしいと頼んで, D姉から多額な費用を貸してもらったそうですが, そのうちD姉は認知症になり, C姉にお金を貸したことも忘れてしまいました. しかし, C姉は少しく気にしていたのでしょう. 牧師である私に, "教会はD姉の老後のめんどうを見る約束をしているので, 老人ホームに入院しているD姉を定期的に訪問してください" と, C姉がしなければならないことを牧師である私に押し付けてきたのでした. 私は, 自転車で老人ホームまで通っていましたが, あるときC姉は礼拝のあとの茶話会で, 私の批判をはじめました. 吉田牧師は, "私たち (部落関係者) より, 白拍子の方を大切にしている. 牧師は, 人を偏りみないで, 平等に大切にすべきだ" と. 私ははじめて耳にした言葉なので, 教会役員会の方に, "白拍子って, 何のことですか?" と尋ねると, "C姉は, 白拍子という言葉を遊女の意味で使っています.牧師さんが,部落民より遊女の方を大切にしていると不満をぶちまけてるんです", とのこと. 部落関係者のC姉は, D姉から家の増改築のために多額なお金を借りて返済もしていないのに,そのD姉を遊女呼ばわりして差別語を投げかけるとは・・・! 私はただただア然とするのみ・・・. そのあと, 私は, 長州藩と山口県における遊女の歴史について学ぶことにしました.
【"前任の牧師は目が見えなくなって悲観して自殺したことにしてもらったから,今度は, 耳が聞こえなくなって悲観して自殺してもらいましょう・・・"】
赴任してまもなく, 私は難聴になりました. それで, 社会保険徳山中央病院の耳鼻科で精密検査をしてもらったのですが, 医師の診断は驚くべきものでした. その医師は, "あなたは, 人に恨みを買っていませんか? あなたの難聴の原因は毒物です. 食べたり飲んだりすることにもっと注意して, 自分の健康は自分で守ってください" といいます. 私が, "毒物って,どんな毒物ですか?" と尋ねますと,"あなたの身近に結核患者はいませんか? 結核の治療に使うストレプトマイシンなどを健常者が服用すると副作用で難聴になることがあります. ストレプトマイシンは, たとえばコーヒーに入れるクリープと同じ色をしていますので, あなたの奥さんが入れたコーヒーしか飲まない方がいいですよ" とアドバイスをしてくださいました. その週末,土曜日に, 主日礼拝中に, 教会の台所で作業をしている婦人たちのために説教が聞こえるように台所にスピーカーをつけるように頼まれていたので, 台所にマイクを設置,礼拝堂の講壇のカセットテープに録音,礼拝堂の左右に, 讃美歌自動演奏機用のスピーカーに接続して, 試験運転しました. ところが, 台所で, C姉とA姉・B姉のとんでもない会話が録音されていました. その内容は, "前任の牧師は目が見えなくなって悲観して自殺したことにしてもらったから, 今度の牧師も目が見えなくなって悲観して自殺してもらうわけにはいかないでしょう?" という問い掛けに, "今度の牧師は耳が聞こえなくなったということで自殺してもらいましょう" という答えがなされていました. 最初その会話を耳にしたとき, "悪い冗談,ブラックユーモアだ" と思ったのですが, 礼拝後の役員会で, 私は, その会話の内容と, 徳山中央病院の医師の診断内容について報告しました. そして, 妻が入れたコーヒーを前にして, 役員の方々に, "これがストレプトマイシンの入った可能性のあるコーヒーです. この教会の教会員は,みんな信仰者ですよね.悪い冗談はもうやめにしましょう" と訴えてコーヒーをすすめたのですが, 被差別部落関係者の教会役員は一切口にしませんでした. 一般の教会員は, "そんなこと, 冗談に決まってます" といつもの通り美味しそうにコーヒーを飲んでいました. 私も一緒に飲みました.教会の台所のコーヒー,クリープ, 砂糖はすべて廃棄処分して, 妻があらたに買ってきたもので入れたコーヒーですから, 安心して飲むことができました. 一般の教会員も被害なし・・・.
教会員の半数が被差別部落関係者である教会には, おぞましいブラックうホールがあると感じました. 部落民とは何なのか? 部落差別とは何なのか?そんなことを真顔で平然と行っていれば, 被差別部落の人々が一般の人々から差別されるのも当然ではないか?
後日, C姉に, 前任牧師の自殺について尋ねると, C姉は, "前任牧師の死は, 自殺ではありません. A兄に頼んで下松署の知人に自殺として処理してもらったんです. 私の, 被差別部落関係者の知人による過失致死です. 私の知人を助けるために前任の牧師には自殺したことにしてもらったんです. 牧師を殺しても, 神は, 私たちを罰しないことが分かりました・・・" と話していました.
【"吉田牧師を, 教団の教師委員会にかけて牧師の資格を剥奪する"】
日本基督教団西中国教区の牧師たちが, "吉田牧師を, 教団の教師委員会にかけて牧師の資格を剥奪する" と通告してきたことがあります. その告発理由は, "被差別部落の関係者であるC姉の息子が教会の役員になることを牧師がストップをかけていることは, 吉田牧師の差別行為であり, 決して, 牧師として許されることではない."というものでした. 西中国教区はその牧師たちからの告発を受けて,常置委員会が, 調査に入ることになりました. そのとき, 長年, 教会の書記担当役員をしているK兄が信徒代表として同席することになりました.そのときK兄は, "C兄は, 幼児洗礼を受けているが堅信礼を受けていないので, 現住陪餐会員ではありません. 教団の教憲・教規では, 教会の役員は現住晩餐会員から選ばれる事になっています. よって, C兄は, 教会の役員になることはできません.吉田牧師も教会役員会も, C兄を差別したり排除したりしたことはありません" と説明しました. すると, 常置委員会から調査のために派遣された牧師・信徒の常置委員の方々は, "吉田牧師と教会役員会の判断は正しい.今回告発した牧師たちの判断は間違っている" としてことなきを得ました.
【"牧師に神の愛があるなら, このサラ金の借用書に金額を書かないで署名捺印してください."】
西中国教区総会で, 私が牧師をしている教会の信徒議員E姉が, "部落差別問題" ではなく "部落問題" という表現を使って差別発言をしたということで, 西中国教区執行部から叱責され, 牧師である私もその連帯責任をとることが求められ, 私は, 西中国教区部落差別問題特別委員会の委員を押し付けられました. そのE姉は, 部落解放同盟山口県連徳山支部の支部長の姪にあたる方・・・. そのE姉のつれあいのE兄も教会員でしたが, あるとき, E姉が経営しているコンサルタント会社が倒産の危機に直面しているので, E兄の会社の倒産を免れるために, E姉は, "牧師さんに, 神の愛があるなら,このサラ金の借用書に, 金額をかかないで署名捺印してください" と牧師である私の前に1枚の書類を差し出してきました."金額を白紙のママ・・・?" と問いかけますと,"教会員である私たちを信じているなら, 金額欄は白紙にして, 私たちに自由に書かせてください" といいます. 私が,"できません" と答えますと,E姉は, 教会員の家をまわって, "吉田牧師は, 教会員である私たちが破産に直面して困っているのに何も助けてくれない.吉田牧師には神の愛がない!" と涙ながらに話してまわりました. 教会員の半数は, 被差別部落の関係者でしたが, 彼らは,牧師が被差別部落関係者の教会員から献金を求めるのは被差別部落の関係者から搾取することになるとして, 献金をストップしている方々でした. 彼らは,"私たちの会社が倒産の危機に直面しても, 牧師はなにも助けてくれない.そんな教会にいても何のメリットもない" として, 一斉に教会を離脱していきました.被差別部落の関係者が, 吉田牧師によって差別されているとの彼らの声を信じた日本基督教団の近隣の教会の牧師たちは, 教憲・教規を無視して,被差別者に対する緊急避難的措置として彼らをそれぞれの教会に教会員として強制的に移籍させました. その過程のなかで,"E姉と連絡がとれなくなった彼らが, 牧師である私に, "E姉とE兄がもし一家心中したら, 吉田牧師はどう責任をとるのか! " と叱責してきました.
【行方不明になった, 部落解放同盟徳山支部の支部長の姪のE姉探し・・・】
牧師と教会役員で, 行方不明になったE兄・E姉探しをはじめたのですが, なかなか見つけることができません. しかし, E兄・E姉探しは, 思いがけないところから進展することになりました. この話を, 部落解放同盟新南陽支部の方々にしたところ, 最近, 部落解放同盟山口県連の関係者が,いくつもの会社を設立し計画倒産, そこで得た資金を元手に, 大規模同和対策事業を計画している, それに関与している経営コンサルタントの名前がE兄と同姓同名・・・. また, ある市で, 被差別部落の青年たちが, 同和対策事業ではなく, 差別なき社会をつくるための運動をして, 支部結成の動きがあるが,それをその部落のボスが潰しにかかっているが, そのボスの名前がE兄と同姓同名・・・. "もしかしたら, 教会のEさんと部落のEは同じ人物なのかもしれない・・・. もし,そうなら, 部落の中に逃げ込んだEさんの所在を突き止めることは容易でない・・・" との情報を得ました.
そのことを教会の書記担当役員のK兄に伝えると,"私のいとこに小学校の教師をしている人がいる. その小学校の校区に被差別部落がある.いとこから, その被差別部落についていろいろ話を聞かされた事があるし,一緒に, その被差別部落を尋ねたことがある.すぐその場所へ行ってみましょう" と言って, K兄のくるまで出かけました. すると, 同和向け住宅や一戸建て住宅のならぶ,その上に "豪邸" があり, その門札に, E兄と同姓同名の名がありました. しかし留守なので, その "豪邸" の住人が, E兄と同一人物であるかどうか,確認することは出来ませんでした.
【"どうしてここがわかったのですか? 神さまに教えてもらったんですか?" 】
あるとき,部落解放同盟大阪府連の某支部の書記長をしていたという分区長の牧師がやってきて, "部落関係の不動産会社が,あなたの教会の土地を欲しがっている.彼は, 私が出た大学の先輩で, あなたの教会の土地を入手できるように配慮してくれたら,分区長であるわたしに1000万, この教会の牧師であるあなたに1000万, 支払うという.そのお金をもって,他の教会に転任して,あらたな宣教に従事しませんか" と, 私に語りかけてきました. 私は, 喧々諤々に, その分区長を叱責しました. "教会は,どんな教会でも主のみからだではありませんか? それなのに, 牧師の利得のために主のみからだである教会を売り渡すなんて,もっての他! あなたは, なんのために牧師になったのですか?” と. その後, 分区長の牧師は,すみやかに, 他の教区の小さな教会に, C姉が副牧師をしていたことがある教会に転任していきました.
【"吉田牧師が酷い目にあっているのは, 被差別部落の人から信用されていない証拠.吉田牧師の差別的体質が招いた自業自得.神学校とその校長からさえ見捨てられた吉田牧師をなぜ私が支えてやらなければならないのだ! ありえない!" 】
西中国教区部落差別問題特別委員会の定期会合では, それぞれの委員は, それぞれの取組を報告することになっていました. 私は, 委員会の席上で, 私が牧師をしている教会の部落問題を巡る問題について報告しました. すると, 他の委員の方が,委員長に, "吉田牧師は, 部落差別問題特別委員会の委員になり,そのとくりくみのなかでいろいろな問題にぶつかっているようですから,委員長は, もっと吉田牧師の取り組みをささえなければならないのでは?" と提案されたところ,西中国教区の私設隣保館である社会館の館長をしている, 部落差別問題特別委員会の委員長をしているF牧師は, みんなの前でこのように発言しました. "吉田牧師が酷い目にあっているのは, 被差別部落の人から信用されていない証拠.吉田牧師の差別的体質が招いた自業自得.神学校とその校長からさえ見捨てられた吉田牧師をなぜ私が支えてやらなければならないのだ! ありえない!" その委員長は, やがて日本基督教団の東京の教会に転任していきました.そのあとに, 社会館の館長として赴任してきて, 部落差別問題特別委員会の委員長になったのが,日本基督教団部落差別問題特別委員会の委員長をされていた牧師・・・. 彼が着任してまもなく, "西中国教区の牧師たちが, 吉田牧師を部落差別問題の取り組みから排除するなら, 私に協力してもいいと言う. 献金もしてくれるというので,吉田牧師を切り捨てることにした" と引導を渡されました.日本基督教団部落解放センターの主事をしている牧師からも, 電話で,"吉田牧師は即刻,部落差別問題との取り組みをやめろ! 辞めないなら, 日本基督教団の部落差別問題との取り組みとは関係のないところでやれ!" と言い渡されました.それで, 一挙に, 日本基督教団,京都教区, 西中国教区の部落差別問題との取り組みから排除・疎外されることになりました. 相前後して, 部落解放同盟山口県連, 県同教・地区同教育, 共産党,社会党関連団体とも出入り禁止処分を受けて,社会問題との取り組みから全面的に撤退することになりました. 非政治的な存在である私は,元の状態に戻っただけですが・・・. "E姉が私の教会の信徒なら, その信徒を助けるためにサラ金の借用書に署名・捺印して好きなだけ資金を用立てる" と主張する先輩牧師たちの牧師会からも離脱が確定・固定されることになりました.
日本基督教団西中国教区での牧師としての30年間・・・, 私が出会った被差別部落の人々は, 被差別部落の中に住んで,差別されてもその差別をはねかえしながら明るく元気に生きている, 部落解放同盟新南陽支部のある地区のおじさんやおばさんたちのような人々と, 被差別部落を出て, キリスト教会を隠れ蓑にして "暗躍" している教会のおじさんやおばさんたちのような人々・・・. 後者によって, 言葉にしがたい様々な誹謗中傷・罵詈雑言を浴びせられながら,前者の被差別部落の人々の真の部落解放に少しくかかわることができたのは, 主なる神さまの導き以外のなにののでもありません. 問題の最中,私は毎日祈っていました. "主なるイエスさま,あなたがもし現代社会のなかを歩まれるとしたら,どこを歩まれることになるのでしょうか. 私は, 主イエスさまの御足のあとに従って歩んでまりたいと思っています. どうか, 私を導いてください" と. 日本基督教団阿佐ヶ谷東教会との出会いが,私にとって奇跡であったのと同じく, 部落解放同盟新南陽支部の方々との出会いも,私にとっては, 奇跡以外のなにものでもありませんでした. 中学1年生になったとき, 担任に図書室につれて行かれたとき, 日差しできらきら輝いている本がありました. それを手にとってみると新約聖書でした.その新約聖書を父から譲り受けて読むようになって, やがて日本基督教団の牧師になった私を,主なる神さまが山口の地で頓挫させられるとは夢にも思いませんでした. 私が受けた試練の背後には, 主なる神さまの,主イエスさまのみむねが存在していると信じて疑いませんでした. 嵐に弄ばれる暗闇から抜け出て, 光が差し込む地にたどりついたのは, ひとえに主なる神さまの導きと支えによるものです.
牧師である私は, "神の愛はありません. 牧師は神ではありませんから, 神の愛は持っていません. 牧師も信徒も同じ神を神としてあおいでその神の愛によって生かされているのですから,同じ神の愛に生かされたものとして共に生きていきましょう" と説教するのみ・・・.
【世俗的な思い煩いから解放されて, 長州藩の被差別部落の歴史と山口県の未指定地区の古老からの聞き取りをしながら, 部落学序説執筆の資料集めと準備をすることに・・・】
想像を絶する "部落"問題 に直面させられた私ですが, やがて, "部落差別" 問題に集中して取り組むことができるようになりました. 徳山市立中央図書館郷土資料室や山口県立図書館で関連史資料を調べては,近世幕藩体制下の "穢多村" を尋ね,その古老から聞き取りをしました. 虚心坦懐に, 彼らの語る言葉に耳を傾ける私に, 被差別部落の古老たちは率直に話をしてくださいました.山口県文書館の北川健先生の書いた論文に出てくる被差別部落を自分の足で歩いて確認しました. あるときは, 部落解放同盟新南陽支部の方がと一緒に, あるときは,徳山市議会の事務局につとめ, 同和対策事業の先進地視察にいく市会議員のために事前調査と交渉, そして案内をしていた教会書記のK兄と一緒に,あるときは, 妻とふたりで被差別部落を尋ねました.そこでであった被差別部落の古老たちは, 先祖の歴史を否定することなく,その歴史を引き受けて生き抜いていこうとする方々ばかりでした.実存主義の哲学に慣れ親しんでいる私にとって, 彼らは,かれらなりの実存を生きていると確信しました. 尊敬すべき被差別部落の方々との出会いが,やがて, "部落学序説"に結晶することになりました.
旧約聖書のことば
他人のために保証をする者は苦しみを受け,
保証を嫌うものはあんぜんである (箴言11:17)
あなたは・・・
人の負債の保証をしてはならない (箴言22:26)
聖書のことばは, 時として,聖書のことばを信じるものをわざわいにあうことから免れさせる・・・.
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